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『みこがたり』  作者: 朝ノ月
幕間
47/75

第12話 衝撃


ーーーーーーーーーーーーー






「ふぅ、綺麗になったかな?」


おでこに滲む汗を満足気に拭いながらそう言った私が居たのは、天地神社の宝物殿の近くだった。というのも、今日はお勉強の代わりに境内の落ち葉を掃くようにとお父様に言い付けられたからだった。


(もっと早く終わらせたかったんだけど、掃いても掃いても葉っぱが落ちてくるんだもんなぁー…まあいいや!早くご飯を食べて、早くお店に行かないと!)


お店をお休みしてから一週間経った今日はおばあちゃんがお出掛けから帰って来てお店を再開する日で、昨日からずっと楽しみにしていたのだ。そんな今すぐにでもお店に走って行きたい気持ちを抑えて自分よりも大きな竹箒とちりとり、そして今集めたばかりの落ち葉の袋を持って社務所へ向かった。




「あっ!お父さま!」


大荷物を抱えながら社務所へ向かっていると、神楽舞台の近くで空を見上げているその人を見つけた。思っていたよりも早く報告が出来る嬉しさから大声でその名を呼ぶと、お父様は驚いたように肩を跳ねさせた。


「お父さま!お掃除、終わりまし」


「美子。境内では私や光に話し掛けないようにと何度も教えただろう。忘れたのか?」


掃除が終わったという報告を遮る冷酷な声と言葉にハッと息を呑んだ。そして、その冷たい目から逃げるように俯いて持っていた竹箒をギュッと握った。


「…ごめん、なさい……」


お父様が「境内で話し掛けるな」と怒るのは、天地神社の宮司とその息子として神事を執り行うお父様やお兄様と境内で親しげに話せば、私が「【応龍】の巫女」であると皆に大声で言っているようなものだからだった。「治癒の力」を使える巫女が誘拐されないようにするための天地家のルールで、少し寂しいけど私も納得できたから小さな声でそう謝った。すると、お父様は大きな溜息を吐いた。


「…お前はもう既に「治癒の力」が使えるのだから、特に気を付けなさい。」


「はい、ごめんなさい……」


苛立ちを感じる声に小さく頷いてもう一度謝ると、お父様は背中を向けて歩き出した。それに慌てて荷物を持ち直し、少し距離を取って着いて行くとお父様は社務所の中へ入って行った。


(外じゃなくてお部屋の中で話しなさいってことかな…?)


無言で振り返ってもくれないから合っているのかが解らなくて社務所の前で少し立ち止まっていたけど、ここで大荷物を抱えて立っていたらまた怒られそうだと思って恐る恐る扉を潜って草履を脱いだ。そして、なるべく音を立てないように歩いてお父様のお部屋へ行くと机に向かって座る後ろ姿が見えた。


「…あの、お父さま。お掃除、終わりました…。」


消え入りそうな声でその大きな背中に向かって言うと、お父様はゆっくり振り返って静かな目を私に向けた。


「…今度からは道具とゴミ袋は外に置いてからここに来なさい。汚れるだろう。」


「あっ、ご、ごめんなさい。」


大事な人形でも抱くように持っていたそれらを背中に隠しながら謝ると、お父様は小さく溜息を吐いて「ご苦労だった」と言った。そしてまた背中を向けて、硯箱から墨を取り出して硯で磨り始めた。


「あの、お父さま。お昼ご飯を食べたらお外に行ってもいいですか?」


色々と怒られた後で元気はなかったけど、墨を磨る音で聞こえないなんてことがないようにしっかりとした声でそう言うと、お父様は墨を磨っていた手をピタリと止めた。


「あっ、え、えっと…その、今日は、おばあちゃんが一週間振りに帰って来る日で、お店も久しぶりだから、お手伝いに行き、たくて……」


漂う沈黙と静寂にまた何か怒られるようなことをしたのかもと慌てて外に行きたい理由を説明すると、お父様は背中を向けたまま口を開いた。


「ダメだ。」


「…えっ…?」


遊びに行くのならまだしも、おばあちゃんのお店のお手伝いを止められるとは思わなくてびっくりしたまま立ち尽くしていると、お父様は何事もなかったかのようにまた墨を磨り始めた。


「…あ、あのっ!お父さま!ど、どうしてですか?前までは、お勉強をちゃんとするならお手伝いに行っても良いって」


「外へ遊びに行くのは許そう。だがあの店に行くのは許さない。」


「だ、だから、どうしてですか!?お父さま!!」


話を最後まで聞いてくれず、また理由をちゃんと教えてくれないことへの焦りと怒りが頭の中に渦巻いて、思わず大声でその人の名前を呼んだけど返ってくるのは墨を磨る音だけだった。


「…今日は午後から雨も降るらしい。家で大人しく遊んでいなさい。」


しばらくして聞こえてきたのは欲しくもないそんな言葉で、胸に溜まったムカムカに油を注がれたように思えて道具と落ち葉の袋を掴んで挨拶もせずに走ってその場を後にした。






ーーーーーーーーーーーーー






「……はぁあぁー…」


私がそんな深い深い溜息を吐いたのは、それから十数分経った頃の神ヶ森の泉でだった。


(…理由を教えてくれないなら勝手に行っちゃおうと思ったのに、私のリュックもエプロンも羽織も隠しちゃうなんて…お父様の意地悪っ!!)


ムカムカの原因を何度も頭の中で呟いては頬を膨らませ、八つ当たりでもするかのように落ちている葉っぱを拾っては破き、泉に投げるを黙々と繰り返していた。


「雨が降るからお家で大人しく遊んでなさいだって!この前なんか雷の日にお手伝いに行ったのに!何で今日はダメなのぉ!?」


頭の中では収まり切らなくなったムカムカを口から吐き出すと、今度は落ちていたどんぐりを拾って泉に投げ出した。


「お勉強もちゃんとやったもん!お掃除もお手伝いも、ちゃんとやったもん!!遊びに行くんじゃないのに、お店のお手伝いに行くだけなのに、何でダメなの!?」


大きな声と早口で話したせいか息が切れて、投げようとした大きなどんぐりを握りながら泉の水面に静かに広がる波紋を眺めていると、ポツポツと空から雫が落ちてきて水面を揺らした。


「…雨…」


森の大きな木の間から見える曇った表情の空と冷たい雨粒を見つめては空も一緒に怒って泣いてくれてるのかななんて思っていると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえてきた。その声がする方へ振り向くと、難しい表情をしている健が真っ直ぐこちらへ走って来ていた。


「…健?どうしたの?お昼のお稽古は?」


いつもとは違う雰囲気に首を傾げながらそう尋ねると、健は何も答えずに私の両肩を勢いよく掴んだ。


「け、健?どうしたの?何でそんな」


何でそんな怖い顔をしているのかと聞こうとした時、俯くようにしていた健が固く閉ざしていた口を小さく開いて震えた息を吐いた。





「…美子、ばあちゃんがー…」





…空の雫が森の葉を打つ音に掻き消された健の小さな声は雨の寒さに凍えるように震えていた。震えていたから、はっきりとは聞こえなかった。だけど、雨の音に紛れて響いたその言葉は、体を濡らす雨と同じように私の熱を奪っていった。


























「…はぁ!はぁ…!っ…!」


少し強くなった雨が降り注ぐ町を傘も差さずに走っては、足が震えて転びそうになるのを必死に堪えて乱れた呼吸と共に何度も塩辛い雨を飲み込んだ。


「…はっ、はぁ!…はぁっ…!」


道をすれ違う人達が心配そうな顔で私達を振り返るけど、雨も人も気にしている余裕なんてなかった。


(…嘘だ嘘だ…違う、きっと、嘘なんだ…)


雨が跳ねる道を無我夢中で走りながら頭の中では願うようにずっとそう繰り返していた。そして、森を出て漸く辿り着いた商店街の見慣れた道を駆け抜けて目印の木工屋さんの角を曲がった。その時、誰かに名前を呼ばれた気がしたけど、やっぱり立ち止まることはなかった。


(…大丈夫、大丈夫…だって、お店は雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も開くんだって言ってたから……大丈夫、大丈夫ー…)


騒ぐ胸を落ち着かせようとあの日の言葉を思い出して震える頬を無理矢理持ち上げても心が落ち着くことはなく、そのまま水溜りの路地を抜けて裏通りへ出ると、あの四つ脚の木の台が目に映り込んできた。


(…何で?雨の日は仕舞うはずなのに……違う、違うよ、忘れちゃった、だけ……)


雨に濡れる目印の木の台に心臓が握られたように痛むけど、忘れただけだと言い聞かせて一歩二歩と地を蹴った。




「…っ、はぁ、はぁっ…」


森から休むことなく走って辿り着いたその大好きなお店を健と二人で見上げた。だけど、一階にも二階にも電気は点いていなくて、扉のところには「準備中」の看板が掛けられたままになっていた。


(……違う、きっと…お出掛けが、延びてるだけ…そうだよ、だって、おばあちゃん…優しくて人気者だから…お友達も、いっぱいでー…)


「美子ちゃん、健君。」


お店の前で立ち尽くす私達の名前を呼ぶ声に振り向くと、紺の番傘を降りしきる雨から守るように傾けて持つ木下さんが静かな目で私達を見つめていた。


「…秋の終わりとは言え、こんな日に雨に濡れたままでは風邪を引いてしまうよ。うちへおいで、服とタオルを貸してあげよう。」


そう言って優しく微笑んだ木下さんは私の手を取って「おいで」と軽く引いた。だけど、私はその手を強く握って引き留めた。


「……おばあちゃんは…?どうして、お店…閉まってるの…?」


俯きながら小さな声でそう尋ねた。その答えを聞くのは怖かったけど、聞かないでいる方がもっと怖かった。すると、木下さんはしゃがんで私と健の頭をゆっくり撫でた。



「…桜井さんは、四日前に出先で急に倒れられてね、それでそのまま……あのね、今日はお空へ昇る日なんだ。だから、ここで待っていても」


「違う!!」


優しく説明してくれる木下さんの言葉を遮ってそう怒鳴ると、繋いでいた手を放してその胸元をきつく握った拳で叩いた。


「違う!違うもん!!おばあちゃんは!絶対帰って来る!!だって、またねって言ったから!またねって、笑って…言って、くれ、た…から…」


木下さんの胸を何度も叩きながらあの大好きな優しい笑顔が、柔らかくて温かい手が、心地の良い笑い声が思い出されて涙が溢れてきた。それに今度は唇をギュっと噛み締めるけど、雨に濡れた四つ脚の木の台や閉ざされたお店の扉が嘘ではないのだと言っているようで、遂には我慢出来なくなって声を上げて泣いてしまった。


「うわぁぁぁあぁぁん!!おばあちゃぁぁん!!やぁだぁぁ!!またねって、言ったのにぃ!!うわぁぁぁあん!!」


「…美子。」


泣きじゃくる私を後ろから抱きしめた健と、健ごと包み込んだ木下さんの腕の中で私は受け止めたくなかった事実にただただ泣き喚いていた。









ーーーーーーーーーーーーー









「…ん…グズッ…」


熱で重たい瞼を開くと、薄暗い部屋の布団の中で寝転がっていることに気が付いた。


(…あ、そっか…あの後、泣き疲れて寝ちゃったんだっけ…)


何で部屋で眠っているのかを思い出しながら起き上がっては、思い出したくないことまで思い出してしまってまた涙で頬を濡らした。


「…グズッ…ダメ、泣いてばっかじゃ、ダメ…。」


そう言っていくら拭いても溢れてくる涙をゴシゴシと強めに擦って拭うと、頬をパンと叩いて机の上に置いてある練習用の榊と紙垂を一つずつ取って廊下を歩いて行った。




………

……




榊と紙垂を持って自分の部屋から真っ先に向かったのはお兄様のお部屋で、閉ざされた障子に向かって「お兄さま」と声を掛けると静かに戸が開いた。


「どうしたの?美、子…」


綺麗な微笑みで出迎えてくれたお兄様だったけど、私の顔を見るや否や目を見開いて固まってしまった。


(…あ…いっぱい泣いたから、変な顔になっちゃってるのかな…)


ジッと見られているのが恥ずかしくなって顔を隠すように俯いて目を擦ると、お兄様は珍しく慌てたような表情をして私の手を掴んだ。


「ど、どうしたの?!何でそんな…い、いや、それよりもすぐ冷やさないと!」


大丈夫だと言おうと口を開いた瞬間、お兄様は私の手を引いて駆け足で廊下を進んで行き、お風呂場の洗面所でタオルを水に濡らして泣き腫らした私の目に当てた。


「…帰って来た時に、美子は疲れてもう寝てるって聞いていたんだけど、ただ遊び疲れてっていう訳じゃなさそうだね。何があったの?」


濡れたタオルに目を隠されて表情は見えなかったけど、その優しい声にお兄様が私を心配してくれているのだと判って胸が熱くなった。


「……いなくなっちゃったの、おばあちゃん…今日は、お空に昇る日なん、だって……」


自分で言ったその言葉にまたあの胸が張り裂けそうな悲しさが込み上げて、一人では立っていられない苦しさからお兄様に抱き着くと、お兄様は頭を優しく撫でてからぎゅっと抱き締めてくれた。


「…そう、そうだったんだね。ごめんね、美子。つらい事を思い出させて…。」


また声を上げて泣かないようにと必死に涙を堪えながら首を横に振って大丈夫だと答えると、ゆっくりお兄様から離れて持っていた榊と紙垂を差し出した。


「…グズッ…お兄さま、玉串、作ってください。明日…おばあちゃんにあげるから…」


前にお父様が亡くなった人をお見送りする時は玉串を捧げるのだと教えてくれたのを思い出してそうお願いすると、お兄様は少し困ったように微笑んで頷いた。


「なるほど、それで榊と紙垂を持って来たのか…。うーん、でもそうだね…玉串の他にもっと素敵な物を贈ろうか。」


そう言うとお兄様は私を抱っこして廊下を歩き自分のお部屋へ戻った。そして、机の前に座って私を膝に乗せると引き出しから折り紙の箱を取り出して机に並べた。


「…?お兄さま、玉串は…?」


「うん、ちゃんと作ってあげるよ。でも先に、花束を作らないとね。」


「…花束?」


疑問に満ちた目でお兄様を見上げると、折り紙の本を開いて眺めていたお兄様がコクンと頷いた。


「大切な人とお別れする時はね、綺麗なお花をたくさん贈って「ありがとう」って伝えるんだよ。だから、たくさん作ろうね。」


そう言って微笑むお兄様を暫く見つめてから、元気に「うん!」と返事をしてから赤い折り紙を手に取ってチューリップを折ると、それにお兄様が細く巻いた折り紙の茎をテープでくっ付けてくれた。それから菖蒲や向日葵、薔薇などのお花をお兄様に教わりながら一生懸命に花束を作っていったのだった。






ーーーーーーーーーーーーー






「美子、忘れ物はない?」


「はい!ちゃんと三回確認したから大丈夫です!」


次の日のお昼過ぎ、ご飯を食べ終えて支度を済ませた私は玄関で靴を履きながらそう答えた。


「転ばないようにね。あと、今日は特に冷えるようだから無理しないようにね。」


そう言うとお兄様は持っていた黄色のマフラーを私の首に巻いてくれた。


(…本当は、お兄様にも一緒に来て欲しかったんだけど、御祈祷のお手伝いがあるなら仕方ないよね…)


頼れるお兄様が着いて来てくれないことに寂しさを感じてしまうけど、私とは違って休日には神社のお手伝いもしなくちゃいけないお兄様にこれ以上ワガママを言ってはダメだと落ち込む胸に言い聞かせて顔を上げると、大丈夫だと言わんばかりの笑顔をして見せた。


「ありがとうございます!お兄さまもご祈祷のお手伝い、頑張ってください!」


「ありがとう。そうだ、美子。おばあさんのお家に行った時に御遺族の方には自分の名前を名乗ってから「この度はご愁傷様です。おばあさんにお線香とお花をあげさせてください。」って言うんだよ。」


ご愁傷様ですを噛んだりしないか不安に駆られながら頷いては忘れないように何度も頭の中でその言葉を繰り返した。そして、何とか覚え終わった後にもう一度元気な笑顔を浮かべた。


「それじゃあ行ってきます!」


「行ってらっしゃい。気を付けてね。」


優しく微笑むお兄様にそう挨拶をしてから玄関の扉を開けて外に出ると、冬らしい乾いた寒さに包まれた。それにブルっと身体を震わせてからいつものように門の外に人がいないかを確認して石畳の上を走って行った。





………

……





「んーと…あっ!いたいた!けーん!」


お兄様に見送られて家を出た後に私が向かったのは青龍神社の道場で、今日は珍しいことに稽古をする【青龍】の人達で賑やかだった。その中から一番背の低い彼を見つけて大声で名前を叫ぶと、その声に道場にいた人の目が一斉に向けられて少し怖かったけど、笑顔で走って来る健に安堵の息が溢れた。


「美子!ごめんな、迎えに来てもらって。もう大丈夫なのか?」


「うん!いっぱい寝たからもう大丈夫!昨日は、その…ごめんね、健。」


あんな人目のある所で泣き喚いてしまった申し訳なさと恥ずかしさからそう謝ると、健は勢いよく首を横に振った。


「別に謝ることじゃねーよ!それよりちょっと待ってな!今じいちゃんに「健。」


呼ばれて振り返る健を真似るように道場へ目を向けると、道着姿のおじいちゃんがゆっくり歩いて来ていた。


「あ!じいちゃん!ちょうど良いや。なあ、少しだけ稽古抜けて良いか?」


「抜ける?…ああ、成程。そう言うことなら良いじゃろ「甘やかさないで下さい、先代。」


私の鞄からわずかに見える花束を見つめたおじいちゃんがそう柔らかく微笑んで頷いたのと同時に聞こえてきたのはそんな厳しい声で、振り返るとそこには装束姿の青龍殿が怖い顔で立っていた。


「今日は月に一度の合同鍛錬の日です。普段貴方と二人で稽古をしている健にとって、他の者との鍛錬が如何に貴重であり必要であるかご存知でしょう?それなのにその貴重な時間を潰すなど考えられません。」


「しかしなぁ、春暁。世話になった人との別れを制止することなどあってはならんと思わんかのぉ?悼むことは人として大事な行為じゃ。それこそ健にとって貴重な時間を潰しておるじゃろ。」


「母の最期の時にすら私に稽古をつけていた貴方が何を仰るのです?」


「……」


その言葉を最後に鋭い目で睨み合う二人と青龍殿を腹立たしげに見つめる健にその場が静まり返るなか、私は意を決して健の道着の裾を握った。


「…美子?」


「…あの…今日は、健がいないとダメなんです。だって今日は、おばあちゃんとお別れだから……だから、お願いします。」


一人でおばあちゃんとお別れをするのはどうしても嫌だったから諦めたくなくて青龍殿の目を真っ直ぐ見つめてそうお願いすると、青龍殿は暫く無言で私を見つめた後にゆっくり目を閉じて小さく息を吐いた。


「…美子様がそう仰るのでしたら、そのように致します。」


冷淡な声でそう言った青龍殿は健を見てからおじいちゃんを睨んで大きく咳払いをすると、静まり返っていた道場がまた騒がしくなった。そして、青龍殿は私に「失礼致します」と頭を下げて背を向け拝殿の方へ歩いて行った。


「すまんのぉ、美子ちゃん。つまらないものを見せてしもうたの、忘れておくれ。」


困ったように笑うおじいちゃんに首を横に振ると、安堵の息を吐いて健の手を握った。


「あの、おじいちゃん。青龍殿にお礼を言えなかったので代わりにお願いしても良いですか?」


「ほほ、そんなこと気にせんでも良いのじゃが美子ちゃんのお願いとあらば任されようかの。」


そう頷いてから私の頭を優しく撫でると、おじいちゃんは懐から白い封筒のようなものを取り出して健に渡した。


「健、これを御家族の方に渡しておくれ。その時にはきちんと「ご愁傷様です」と言うのじゃぞ?」


「ごしゅーしょーさまな、分かった!」


健が白い封筒を懐に入れているのを見つめながら、私もついさっきお兄様に教えてもらった言葉を忘れないようにと繰り返した。そして、それがちょうど終わる頃に健に目配せをすると、健は私の手を引いて走り出した。


(…ちょっと怖かったけど、健も一緒に来てくれることになって良かった…でも道着だからちょっと寒そう…)


前を行くその背中にわずかな心配が頭を過ったけど、一人じゃない心強さに何度目かの安堵の息を吐いておばあちゃんのお店へと向かったのだった。




………

……




「…へー、花束作ったのか!すごいな、美子!」


「うん!お兄さまと一緒に作ったんだよ!」


商店街の表通りを走りながらそんなことを話していると、裏通りへ入る道の目印である木工屋さんの前に辿り着いた。そして背伸びをして扉のガラスの所からお店の中を覗くと電気は付いているのにお店の中にはお客様も店主の木下さんもいなくてとても静かだった。


「あれ?木下のおっちゃんいねーな。」


「何でだろうね?昨日一緒に行ってくれるって言ってたのにね。」


首を傾げながら顔を見合わせていたけど、急に用事ができたのかもと考えて仕方なく健と二人でお店に向かうことにした。そして、裏通りへ出て煎餅屋さんの前を歩いているとあの四つ脚の木の台の所で立ち尽くす人影が目に入った。


「…あっ!木下さんだ!」


「なんだ、先に行ってただけか。」


じっと目を凝らしてお店の前で立ち尽くす人物が約束をしていた木下さんだと判って笑顔を浮かべた。そして走って近寄り、その背中に挨拶をしようとした時、お店の中から話し声が聞こえてきた。



「…何度も言わせないで頂戴。もう決めたのよ、このお店も土地も全部売るって。それが一番じゃない。」


「……えっ…?」


…お店の中から聞こえてきた言葉に、頭を後ろから殴られたような衝撃を覚えて心臓が一瞬止まったように痛んで冷や汗が喉を伝った。そして、気が付いた時には閉じられた扉を勢いよく開けてお店の中に飛び込んでいた。






続く…

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