第10話 嵐の後
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「いらっしゃいませ!お買い物ですか?お食事ですか?」
「こんにちは。二人で食事をしたいんだけど、大丈夫かしら?」
「はい!大丈夫です!こちらへどうぞ!」
…賑やかな昼下がりに続々と来店するお客様を笑顔でお迎えし、お茶を運んだり食器を片付けたりしながら店内を忙しく歩き回っているとテーブル席のお客様に声を掛けられた。
「お茶のお代わりを貰えるかい?」
「あっ、はい!すぐお持ちしま」
「失礼致します。お代わりをお持ちしました。」
そう言ってお茶のお代わりをテーブルに置いたのは、柳色の着物の上に深い青の羽織を着たあの「ぬらりひょん」のおじいちゃんだった。
「おや、ありがとう。」
「いえいえ、気が付きませんで失礼致しました。」
「すみません、注文いいですか?」
「はい、お伺いします。」
柔らかな笑顔でお客様の相手をしているその姿に一人笑みを浮かべて胡麻団子の補充をしようと調理場へ入ると、注文を聞き終えたおじいちゃんが後から入ってきた。
「お仕事には慣れたみたいだね!佐藤のおじいちゃん!」
食器棚から茶托と湯呑み、お皿を二つずつ取り出しているおじいちゃんにそう言うと、穏やかな笑顔で頷いた。
「ええ。それもこれも、素晴らしい師匠と姉弟子が丁寧に教えてくださったからですよ、美子さん。」
おじいちゃんのその言葉と笑顔に、あの日の行動は間違っていなかったんだなと思った。
…あの日、ぬらりひょんのおじいちゃんを連れて訪れたのはこの「はなのえん」だった。というのも、「人間の世界で生きてみたい」というおじいちゃんの願いを叶えるためには人間のことやルールについて知る必要があると思ったけど、私や健に教えられることなんてほんの僅かだから、それなら大人の人に教えてもらった方が良いと思って連れて来たのだ。私も敬語とかお作法とかは先生に教えてもらったけど、接客とかお勘定のやり方はおばあちゃんに教えてもらって覚えたから、おじいちゃんも実際に働きながら人間のことやルールを少しずつ覚えていけるかもと思ったのだ。
(…でも意外だったなぁ。おばあちゃん、驚いてはいたけどおじいちゃんがこのお店で働くこと、すぐ受け入れてくれたから…。)
一応、ぬらりひょんのおじいちゃんとは「妖術を使って人間に迷惑をかけないこと」と「私と健とはお友達で「佐藤」と名乗ること」の二つを約束しておばあちゃんに紹介した訳だが、おばあちゃんは特におじいちゃんのことを深く聞いたりしないで弟子として雇ってくれたのだった。また、それだけでなく煙草の臭いが染み付いた着物の代わりに着る物を用意してくれたり、ご飯を食べさせてくれたりととても親切にお世話をしてくれたのだ。
(…おじいちゃんも初めは戸惑ってたけど、美味しいご飯と優しさに慣れてきてすごく心地良さそうだもんね……おばあちゃんも、仕方なくとかじゃないから良かった。)
そして、何より驚いたのはおじいちゃんがとても器用だということだった。あの日から三週間程経っているけど、その間におじいちゃんはこのお店のお菓子をほとんど作れるようになっていた。
(…私が二週間かけて合格をもらった黒糖饅頭も二日で作れるようになったし、お茶だってすごく美味しく淹れられるんだもん…おばあちゃんもすごく驚いてたなぁ…)
少し嫉妬を含んだ眼差しでお茶を淹れる手を見つめると、それに気が付いたおじいちゃんが擽られたように笑った。
「…お茶や茶菓子はずっと昔から嗜んでいましたからね。それが偶々こうして役に立っているだけでそれ以外はまだまだ、美子さんの足元にも及びませんよ。」
本当なら「そんなことない。」と返すべきなんだろうけど、単純な私はその言葉に胸を張って誇らしげな笑みを浮かべた。
「困ったことがあったらいつでも言ってね!お友達として、おじいちゃんのお姉さんとしていつでも助けてあげるから!」
姉弟子としての誇らしさからおじいちゃんの手を取ってそう言うと、おじいちゃんは少し驚いた顔をしてから照れたように笑った。
「…頼もしいお言葉をありがとうございます。しかとこの胸に刻んでおきます。」
「うん!」
するとその時、調理場の外から金属が地面を跳ねる音が聞こえてきた。それに急いで調理場を出るとショーケースのところでおばあちゃんが落ちた硬貨を拾っていた。
「おばあちゃん!大丈夫ですか?」
「ごめんなさいね、お釣りを渡そうとした時に手が滑ってしまっただけだから気にしないで。」
そう言われてショーケースの隣にあるお会計台の方を見ると、心配そうな表情で私達を見ている一人の女性が花の紋様が印刷された紙袋を持って立っていた。
「おばあちゃん、後はわたしが拾うのでお釣りをお客さまにお渡ししないと!お待たせしたら悪いですよ!」
お客様には聞こえないようにそう言うと、おばあちゃんは申し訳なさそうに微笑んで頷き、お会計台の前へ戻った。
「美子さん、手伝いましょうか?」
注文の商品を運び終えたおじいちゃんがショーケース裏を覗き込むようにしてそう言ってくれたけど、私は首を横に振った。
「ううん、大丈夫。聞こえた音的には少なかったと思うから、おじいちゃんはお客さまをお願い。」
「分かりました。」
私の言葉にそう返事をしたおじいちゃんを見送った後に落ちている硬貨を一枚一枚拾って隙間に入ったりしてないかを確認してから水道のお水で洗ってタオルで丁寧に拭いた。そして、おばあちゃんのお会計が終わるまで少し待ってからおばあちゃんの元へ駆け寄った。
「おばあちゃん、お金拾い終わりました。」
「本当にごめんなさいね、美子ちゃん。ありがとうございました。」
そう言ってからお金を受け取ると、おばあちゃんはさっきのお客様のお釣りと同じ金額かを確認してからそれをレジの中にしまった。その横顔が少し疲れているように見えておばあちゃんの手をそっと握った。
「少し休憩しますか?わたし、おばあちゃん程じゃないけどお釣りの計算とかちゃんとできるから…」
無理して欲しくなくてそう提案したけど、おばあちゃんは優しい微笑みを浮かべて首を横に振った。
「ありがとう、でも大丈夫よ。私はここでお客様とお話ししたりお会計係をしてる方が楽しいもの。」
「でも…」
言葉を続けようとする私の頭を柔らかくて温かい手で撫でると、おばあちゃんは「お茶を持って来てくれる?」と言った。本当は休んで欲しかったけど、それがおばあちゃんなりの休憩なんだろうなと思って頷いた。そして、調理場に入って食器棚から桜色の湯呑みを取り出すとそれにお茶を淹れて再びおばあちゃんの元へ戻った。その時、お店の扉が開いてベビーカーを押した女性がお店の中へ入ってきた。
「いらっしゃいませ!お買い物ですか?」
お盆を持ったまま急いでショーケースの裏から出てそう挨拶をすると、その人は「あら」と驚いたように声を上げた。
「お店のお手伝い?偉いわねー。」
「はい!ありがと「あーーーーー!!!?」
褒めてくれたことへのお礼を掻き消すように響いた声に驚きながらその声のした方を見ると、そのベビーカーを押している女性の後ろに青い帽子を被った同い年くらいの男の子が大口を開けて私を指差していた。
(…?あれ?あの子、見たことある気がー…)
「お前!この前ボール盗もうとした奴だろ!ちゃんと覚えてんだからな!!」
その言葉に三週間前の夕暮れの出来事が思い出されて私も「あー!!」と大声を出して指を差した。
「思い出した!この前、住宅街でボールをぶつけられそうになった時にドロボー扱いしてきた子だ!」
そうだそうだと思い出せたことに喜んだのも束の間、ここがお店であることに気が付いて慌てて指を下ろして姿勢を正した。
「お前ここの奴だったのか!今度見つけたら逃さないって決めてー…」
声を荒らげながら大股で近寄って来ては急に口を閉ざして怯えたように辺りを見渡し始めたその子に首を傾げると、少し震えている唇を開いた。
「…お、おい。こ、この前の…あ、あいつもいるのか…?」
「あいつ…?あ、健のこと?ううん、今日はいないよ。」
怪異の正体である「ぬらりひょん」が大人しくなったから健のおじいちゃんも怪異を追わなくてよくなったため、お昼の稽古が再開してお店のお手伝いに来られなくなった健に思いを馳せていると、その子はとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「そ、そっか!そんなら良かっ…じゃなくて!えっと…そうだ!今度見つけたら逃さないって決めてたんだ!覚悟しろ!」
「えっ…?」
喜んだり怒ったりで何がしたいのかよく分からないでいると、その子は急に私の腕を強く掴んで外に引っ張って行こうとした。
「ちょ、ちょっと待って!わたし、お店のお手伝いがあるから遊びには行けないよ!」
必死に抵抗しながら慌ててそう言っても、その子は聞く耳を持たずに両手でグイグイ私の腕を引っ張った。
「や、やだ!今は遊びたくない!」
「うるせぇ!お前には恥かかされたからな!たっぷり仕返しして…」
その子がそう言った時だった。私の後ろから引っ張られて痛む腕と反対の肩に大きな皺々の手が置かれたと思ったらクスッという小さな笑い声が頭上から聞こえてきた。それに顔を上げると、そこには朗らかな笑顔を浮かべる佐藤のおじいちゃんがいた。
「…失礼。子供同士の喧嘩をお止めするべきか悩んだのですが、美子さんはこの店の看板娘ですから連れて行かれると困ってしまうんです。ですので、遊ばれるのでしたら定休日に如何ですか?」
「…お、お前っ…な、何か…へ、変、だぞ…!」
優しい笑顔と丁寧な言葉だったけど、僅かな妖気を感じたのか怯えながら涙目でその目を見続けるその子は、私の腕を掴む手におじいちゃんの手が重ねられた瞬間「うぎゃぁぁぁぁ!!!」という悲鳴を上げて猛スピードで店を出て行った。
「えっ!?ちょ、ちょっと待ちなさい!あの、あの子がワガママを言ってごめんなさいね。怪我とかしてない?」
「い、いえ…」
ぎこちなく首を横に振ると、その女性はおばあちゃんに「また来ます。」と言ってベビーカーを押して逃げて行ったその子を急いで追いかけ始めた。
「…おじいちゃん、ありがとうございます。」
お店の中は嵐が去った後みたいになったけど、とにかくお礼をと思って私を包むおじいちゃんを見上げてそう言うと、おじいちゃんはとても嬉しそうな顔で私を見つめ返したのだった。
続く…




