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『みこがたり』  作者: 朝ノ月
幕間
44/75

第9話 正体


ーーーーーーーーーーーーー






時刻は午後の四時を少し過ぎた頃、学校が終わった子供達の駆ける足音や遊ぶ声が遠くに聞こえてくる中、今晩の夕飯を作る一人の女性が台所に立っていた。


(…生姜にニンニク、それに醤油…酒の匂いもするということは、今晩は唐揚げなる物かな…)


小さく低い鼻を動かして空を漂う匂いからそれを囲む夕餉の食卓までを想像し終えると、居間の座布団に座って帽子を机の上に置いた。そして、机のすぐ近くに置かれていた茶櫃(ちゃひつ)から急須と湯呑み、茶筒と茶托を取り出しては慣れた手付きでお茶を淹れた。


(…ほぉ、蔵出し茶か…春摘みとは違うまろやかな旨みが心地良いな…)


淹れたばかりのお茶をゆっくり味わっていると、ふと肩に掛かった夕暮れの寒さに身体が震えた。


(…ああ、そうだった。昨日追われた時に羽織を掴まれて…)


奇しくも今日と同じ頃、この住宅街でどの家に上ろうか彷徨っている時に見舞われた不幸が頭を過った。


(…迂闊だった、普段向けられぬ人の目に思わず意識を向けてしまうとは……そして不運だった、その相手がまさかあの【応龍】の姫君と【青龍】の若君とは…羽織だけで済んで良かったと言うべきか…)


苦々しい思い出を振り払うように頭を横に振って机の上に積んであった饅頭を一つ取って口にした。


(…若いとはいえこの町の君主とその守護者にあのように追い掛けられてしまっては長居もできまい。潮時かー…)


「…何これ?」


ゆっくり咀嚼しながら今後の去就について考えていると、不意に背後からそんな声が聞こえてきた。振り返って見るとそこには先刻まで台所にいた女性が驚きに満ちた顔で立っていた。


「ああ、これは私が用意したんですよ。まず先にお茶を頂きたくてね。」


そう言うと机の上に向けられていた目がゆっくり私に移された。驚きに揺れているその目を瞬きもせずに見つめると、暫くしてその女性がにこりと笑った。


「…そうでしたか。うちのお茶が貴方のお口に合えば良いんですけど…あ、お菓子もいかがですか?お隣さんからお土産として頂いた物なんです。」


「おや、有難い。ではもう一つ頂きます。」


差し出された饅頭を受け取ってまた食むと、その女性は嬉しそうに笑って私の湯呑みに茶を足した。


「そうだ、煙草はありませんかね?あれば一つ頂戴したい。」


「煙草、ですか…夫の常備している物があったと思いますので探してみますね。」


私の問いにそう返事をして立ち上がると、その人はそそくさと部屋を出て行った。待っている間テレビでも観ようかと立ち上がった時、棚に置かれた家族写真が目に入った。


「…。」


遠目から見ても判るその眩しい笑顔に引き寄せられるように手を伸ばした時だった。あの女性が出て行った廊下の方から地を蹴る微かな音と痛いくらいの寒気を感じた。


「っ!?」


「もう遅ぇよ。」



…急いで振り返った一瞬に見えたのは宙に浮きながら木刀を振り上げる少年で、その澄んだ勇ましい声と目、そしてその小さな身体を包む見覚えのある羽織から昨日追いかけてきた子供だと判ったのは、頭を駆ける激痛に意識を奪われる寸前のことだった。








………

……









「……の…だ…」


「…う、た…ろ」



何処からか聞こえてくる若い二つの声に、宙を漂っていた意識が徐々に身体に戻ってくる感覚がした。しかし意識が輪郭を帯びてきた瞬間に鋭い痛みが頭を襲って否応無しに目が覚めた。


「…っ、いたたた…ん…?」


顔を歪めながら痛む箇所を撫でようとしても動かない腕を不思議に思い目を下に動かすと、身体にきつく巻き付いた縄が見えた。


「…これは…?」


「やっと目ぇ覚ましたな、じいちゃん。」


その声を聞いた瞬間、全身が震えた。そして漸く自分の置かれた状況を理解して唾を飲み込んだ。


(…そうだ、そうだった…私はあの時、この声の子に…そして、この子は昨日のー…)


声の主への恐怖にまた意識が遠退きそうになったものの、頭に残る鈍痛がそれを許しはしなかった。


(…もう、逃げも隠れも許さぬということか…それもそうか…ここはもう、神の御前なのだから…)


その考えに諦めの笑みを一人静かに浮かべては、これ以上は時間と恐怖心を浪費するだけだと思い至って顔を上げた。



…見上げた先には、血潮のような朱が滲む空を背に真っ直ぐ私を見下ろす二人の子供が立っていた。一人は先刻私を捕らえに来た少年、そしてもう一人は昨日すれ違いざまに視線を重ねた少女だった。


(…やはり【青龍】の若君と【応龍】の姫君か……不思議なものよ、人の(なり)をしているが私には龍にしか見えぬな…卑しい私と同じように尊き神も変化の術を使うのだな)


目の前の絶望に恐怖を通り越して笑いが込み上げてきて肩を揺らして笑うと、何も言わずに私を見下ろしていた少年が訝しげな表情を浮かべて私の襟を掴んだ。


「おい、何笑ってんだよ。」


「け、健!落ち着いて!」


私を殴るとでも思ったのか、慌てて少年の手を引き剥がして距離を取らせた少女に益々笑いが膨れ上がった。


「…お前っ!」


「何がそんなにおかしいんですか?」


詰め寄ろうとする少年を必死に制しながら丁寧な口調でそう言う少女の目は優しくも厳しく、不気味な程美しかった。


「ははっ…いや何、崇高な龍も戯れを好むとは知らなかった。」


「たわむれ…?」


意味を知らないのだろう、眉根を寄せながら首を傾げた少女に挑発のような笑みを浮かべた。


「私は貴方を知っています、【応龍】の姫君。この地を訪れる者は全て、貴方にお逢いするために神の領域に足を踏み入れるのですから。」


その言葉に目を大きく見張った少女は一つ瞬きをしてゆっくり口を開いた。


「…それはつまり、あなたもわたしに逢うためにこの町にやって来たと言うことですか?」


「ええ、勿論。貴方に逢ってその御力を頂戴したかったのです。」


急き立てられるように食い気味でそう返事をすると、【青龍】の少年は殺意を露にして木刀の柄を握った。


(…そうだ、それでいい。そのまま、その刀で私を斬ってくれ…)


私を縛る恐怖から解放されたい一心でその光景に笑みを深めた。


(…所詮妖怪、失う命すらない卑しき化物だ。だが人が語り継ぐ限り何度でも目を覚ます。そして目を覚ます度に悪として退治される。それが私達の宿命。…【青龍】に斬られては相当な時間を必要とするだろうが、また一から始めればいい。何度目覚めても、どうせ独りなのだから……)


慣れた我が身の虚しさを抱くようにゆっくり目を閉じてその時を待った。今回はどんな痛みで幕を閉じるのだろうと考えていたが、聞こえてきたのは木刀が空を斬る音ではなく小さな可愛らしい笑い声だった。それに驚いて目を開くと、笑っていたのはあの少女だった。


「…何がおかしいのですか?」


待ち望んでいた時を邪魔されて苛立つままそう尋ねると、笑っていた少女は晴れやかな笑みを浮かべた。


「嘘なんか言わなくてもいいのになって思ったから笑いました。ごめんなさい。」


少女がそう言うと、私達の居る細い路地に爽やかで柔らかな秋の風が吹いた。その風が少女の長い髪を揺らすその僅かな光景が、まるで龍が空を泳ぐ様に見えて息を飲んだ。


「…嘘など、付いていません。…全て、真実ですから…」


急に揺らぎ出す言葉を必死に取り繕ってそう返すと、少女はまた笑って口を開いた。


「じゃあおじいさんとわたしがこの町で何回逢ったか分かりますか?」


「…さあ。」


「今日で三回です。じゃあおじいさんがこの町の人と何回お茶をしたか分かりますか?」


「…。」


その言葉に思わず黙り込むと、少女は私の前でしゃがみ込んだ。


「忘れちゃいましたか?さっきの人で五回です。それに、わたしたちがおじいさんを探そうって思ったのは商店街で木下さんとお煎餅屋さんにおじいさんの噂を聞いてからでした。わたしと逢った回数よりも多くて、わたしと逢うよりも先におじいさんはこの町の人とお茶をしてたことになるんです。本当に、わたしに逢うためにこの町に来たんですか?」


「…貴方を、誘き出そうと…したんです……だから、先に、町の人達に…」


必死にそう返しても弱々しい声では嘘だと言っているようにしか聞こえず、最後の抵抗とばかりに目をきつく瞑った。


「うーん…でもおじいさん、一回目の時はわたしとすれ違っただけでしたよ?あの時、わたしすごく疲れてたみたいで立ち上がれないくらい弱ってたのに、おじいさんは何もしないで居なくなったじゃないですか。それに昨日は話を聞こうとしただけなのに走って逃げてました。一回もわたし、おじいさんに怖いことされてませんよ?本当に、わたしの力が欲しかったんですか?」


「……」


反論の言葉は幾つも頭の中にあった。だが、それを口にすることがどうしても出来なかった。もしかすると、この少女の中に龍を見てしまったからかも知れない。すると突然、俯く私の頬に小さな手が触れたかと思えば強引に上を向かされた。驚いて目を開くと、すぐそこにはあの少女の小さな顔があって真っ直ぐその不気味で美しい目を私に向けていた。


(…この少女は、恐ろしくないのだろうか?…きっと変化の術は解けて本来の姿になっているだろう…人のそれとは違うこのタコのように大きく不気味な頭に触れるとは……何故、その目に私を映すのか…)


悲しいと思う心も流す涙も妖怪にはないと知っているのに、その目に映る自分を見ていると身体の奥底にある何かが震えて熱くなり苦しくなった。





「……私は、力など…欲しくない……ただ、誰かと…人間と、話してみたかったんだ……」


その得体の知れないものが身体の中を暴れ回るから、遂には堪えきれず言葉が溢れ出した。だがそれと同時に恐怖が解けて身体が軽くなる感覚がした。初めての感覚だった。


するとそれを無言のまま聞いていた少女が私の頬から手を離して後ろに立っていた少年に視線を送った。少年はそれに応えるように一つ瞬きをすると、刀の柄から手を離して少女の隣にしゃがんで口を開いた。


「じいちゃん、何ていう妖怪なんだ?何でこの町に来たんだ?」


「…私は、人からは「ぬらりひょん」と呼ばれている。この町に来たのは、天狗の噂を聞いたからだ…。」


「天狗の噂?」


緊張が解けて力の入らない身体で項垂れながらもその言葉にしっかり頷いて答えを続けた。


「…白虎の守る西の地で、長年【白虎】と争っていた天狗がつい最近神としての名を賜り山を治めることになったと、風の噂を耳にした。そして、神でありながら悪として討ち滅ぼされていた天狗を救い、【白虎】との争いに終止符を打ったのは【応龍】の姫君だと言うことも……その姫君のいる町なら私も…妖怪も人の世で生きることが許されるのではと思いこの地を訪れた…。」


事の経緯を話し終えると、二人は驚いたような顔でしばらく見つめ合ってから何かを耳打ちしていた。


「…あの、おじいさん。おじいさんが人のお家に上がってお茶を飲んだりお菓子を食べたり、煙草を吸ったりしていたのは本当に人間とお話しして人間の世界で生きたかったからですか?皆を怖がらせたくてやったんじゃなくて?」


「ああ。」


素直にそう返事をすると、今度は困ったように笑い合ってから口を開いた。


「…あのね、おじいさん。人間の世界にはルールがあって、人のお家に勝手に入っちゃダメっていうルールがあるんです。だって、知らない人がお家にいたら怖いでしょ?だから皆、おじいさんのことが怖くて退治しようって思っちゃうんです。」


「…えっ…」


上がった家の人々はあんなによくしてくれたのに怖がっていたとは思いも寄らず、そんな間抜けな声を出すと少年は溜息を吐いて笑った。


「じいちゃん、人の世で生きてーのに人のこと何にも知らねーんだな。自分の都合の良いように操って術かけて忘れさせても、湯呑みとか煙草とか残してたら誰かいたのかって怖がるに決まってんだろ。」


「…怖い…それは、私が妖怪だからではなく…人の家で勝手をしたから……」


今まで私が妖怪で、妖怪は人からしたら絶対的な悪だから始末されていたのだとばかり思っていたが、私自身が人の世のルールを破り怖がらせている悪だったからだと知って言葉を失った。すると、そんな私を見つめていた少女がまた少年に耳打ちをした。少年は驚いた表情を浮かべたが少女の「ね?お願い、手伝って?」という言葉に頭を掻いて渋々といった風に頷いた。



「…おじいさん、もう勝手に人のお家に上がらないって約束してくれますか?怖い思いをさせた人達にちゃんと謝って、もう人を怖がらせたり、術をかけたりしないって約束してくれますか?」


一つ深呼吸をしてから落ち着いた声でそう言った少女は、私をその目に映した時と同じように真剣な顔付きをしていた。だがやはり惹きつけられるのは静謐(せいひつ)なその目で、身震いする程の気高さと齢には不釣り合いな程の美しさを湛えていて、全てを見透かしてしまいそうな程澄んでいた。


「…ああ。約束…いや、神に誓おう。きちんと謝罪をし、金輪際人を怖がらせないと、貴方に…」


私がそう答えた次の瞬間、少年が木刀を音もなく抜いた。すると私を縛っていた縄が綺麗な切り口をその身に刻んで地面に落ちた。


「よしっ!それじゃあ行こう!おじいさんの夢を叶えるための第一歩!」


解けた縄に驚く私にそう言って二人は手を差し出した。その綺麗な手を掴めということなのだと解って手を伸ばしかけたが、触れて良いものかという疑問が浮かんで手を引こうとした。だが、二人は躊躇うその手を掴んで引っ張った。


「神に誓ったんなら迷ってんじゃねーよ!ちゃんと叶えてやっから!」


「わたしたちに任せて!絶対大丈夫だから!」


口々にそう言って私が答える間もなく走り出した二人の背中を見つめながら引かれるままに私も走り出した。この子らが何をしようとしているのか皆目見当も付かなかった。だが恐ろしさ微塵にも感じなかったのはその背中に映える夕陽が目の眩む程美しかったからかも知れない。






続く…

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