第3話 繋ぐもの
ーーーーーーーーーーーーー
「…ということがあったんです!お兄さま!」
夕ご飯とお風呂を済ませた後に、居間でお茶を淹れる練習をしながら今日の出来事を話し終えると、算数の宿題をしながら相槌を打ってくれていたお兄様が爽やかな笑顔を私に向けた。
「そう、とても素敵な出会いがあったんだね。それに、そんなに美味しいお饅頭なら僕も食べてみたいな。」
「とっても美味しかったです!でも、おまんじゅうだけじゃなくてお茶もすっごく美味しくて、甘いのと苦いのでとっても幸せでした!」
そう言って慎重に急須のお茶を湯呑みに注いでお兄様に差し出すと、それを受け取ったお兄様は香りを嗅いでからお茶を一口飲み込んだ。
「…うん、美子のお茶も美味しいよ。でも人によっては少し薄いかも知れないね。」
「薄いですか…昨日がちょっと濃くなっちゃったので葉っぱを少なくしてみたんですけど…うーん、難しいなぁ…。」
お兄様の言葉に頷きながら「おりょうりノート」に今日の日付と「うすい」という言葉を書き込んだ。すると、廊下の方から足音が聞こえてきて閉じていた襖が開いてお父様が現れた。
「…あ!お、お父さま!あの、ちょっと待ってください!今新しいのを」
「お茶が入ったのか。」
新しいお茶を用意しようと慌てて机の上に置いていた湯呑みに手を伸ばすも、お父様は私の言葉を無視して先にそれを持ち上げた。何とか止めようと身振り手振りで待ってくれと伝えるも、眼中にないのかさっきのお兄様と同じように香りを嗅いでから湯呑みに口を付けてお茶を飲み込んだ。
「…薄くて不味いな。これならただの湯を飲んだ方が幾分か良いだろう。」
「うっ…!…ご、ごめんなさい…。」
正直な感想が胸に突き刺さり、俯きながら謝った。そして、さっきの「おりょうりノート」に「うすくてまずい」と書き込んで二重丸で目立つようにした。
「…お父様、嫌われるのは全く構いませんが、どうぞ一人でお願いします。美子、僕は薄くても美味しいと思うよ。僕はね。」
心底迷惑そうな声と優しく励ますような声を使い分けたお兄様に、どこかの誰かさんが思い出されて美人さんは声の使い分けが上手いのかなぁ…なんてどうでも良いことを思ってしまった。
「…あ、あの、お父さま。本当にお茶を美味しく淹れられたら、またお料理をさせてくれます、か…?」
…と言うのも、お兄様の助太刀もあってお料理をしてもいいことになってはいたが、初めて包丁を持った時に不注意から指を切ってしまい、それが何故か誇張してお父様とお兄様の耳に入ってしまったらしく、包丁を持つことはおろかお料理のお手伝いをすることも禁じられてしまっていたのだ。
(…指の横を少し切っただけなのに、指を切り落としたことになってたのは流石に驚いたなぁ…どう伝わったらそうなるんだろう…というか、私がワガママを言って、自分で自分の指を切っちゃっただけなんだからそんなに怒んなくてもいいと思うのになぁ…)
納得できないところはあるけど、禁止されては元も子もないので何とか二人を説得し、まずはお茶を美味しく淹れられるようになってからという約束をして現在に至ると言う訳であった。
「…ああ、そういう約束だからな。仕方あるまい。」
「…よ、よかったぁ…」
少し棘はあったが否定の言葉が返って来なかったことに胸を撫で下ろした。だけど、毎日夕ご飯の後に練習しているのに一向に上達していないという事実がその言葉で解消する訳ではなく、ノートの「うすくてまずい」という文字が頭と心に重く響いて溜息を吐いた。
「…お茶って、どうやったら美味しくなりますか?」
沈んだ声で何か手掛かりをと思ってそう尋ねると、お茶を飲んでいたお兄様が「うーん…」と唸って口を開いた。
「僕はコツとか分からないけど、さっき美子が言ってたおばあさんに聞いてみたらどうかな?」
「…おばあさんに?」
思いも寄らない提案にびっくりしながら繰り返すと、お兄様は穏やかな笑顔で頷いた。
「そう。さっきお饅頭も美味しかったけどお茶も美味しかったって言っていただろう?だから、美味しいお茶の淹れ方を知っているんじゃないかなって思ったんだけど、どうかな?」
「なるほど…確かにそうですね!」
一人であれこれ悩むよりも実際に美味しいお茶を淹れられる人に教えて貰った方が早いし確実であると思ってそう頷いた。そして、その提案をしてくれたお兄様を尊敬の眼差しで見つめると、とても綺麗な笑顔を返してくれた。
「…そのおばあさんとは誰のことだ?」
今日の出来事を話していた時にいなかったお父様がおばあさんについてそう尋ねてきたので、今日あったこととおばあさんのことを簡単に説明した。
「…商店街の饅頭が美味い店か。もしや「はなのえん」という店ではないか?」
「「はなのえん」…?あ、えっと、看板がなくてお店の名前は判らないです…。でも、そのお店がどうかしたんですか?」
珍しいお父様との普通な会話に少しドキドキしながらその「はなのえん」というお店について尋ねると、お父様は少し考える素振りをしてから徐に口を開いた。
「…「はなのえん」は私の父の代から贔屓にしていた店で、父も母もその店の羊羹が好きだったため昔はよく私が買いに行かされたものだ…。しかし、看板がなかったということは今はもう閉めてしまっているのか?」
「…あ、はい。そう、みたいです。」
初めて聞く会ったことのないお祖父様とお祖母様のお話に、さっきとは違うドキドキが胸を襲った。それを抑えるように胸の前で手を握りながら答えると、お父様は「ふむ」と小さく唸った。
「…久し振りにあの味をと思ったが、店を閉めてしまったのならそれも叶わないか…何とも残念だが、致し方のないことだな。」
独り言でも言うかのように呟いたお父様は、いつもと同じ無表情だったけどどこか悲しそうで、何か言わなければいけないような気持ちが湧き上がった。
「あ、あの!おばあさん、本当は続けたかったって言ってました!でも、年齢のこととかお客さまのこととか大変だから、お店をお終いにしたんだって言ってました!」
おばあさんの気持ちを代弁するかのように一生懸命そう伝えると、お父様が少し驚いた表情をした。そして、暫く私を見つめた後に一つ瞬きをして口を開いた。
「…続けてくれと頼むのは簡単なことだが、御高齢な身の上にご主人を亡くされて一人で経営するというのは想像以上の苦労だろう。故に妥当な判断であると言う他あるまい。」
そう言ってお父様は不味いと言っていたお茶を飲み干し居間を後にした。どう言えば良かったのだろうと考えながら遠去かる足音を黙って聞いていると、お兄様が机を指でトントンと叩いた。
「…御高齢な方が一人でお店を経営し味を守り続けることは確かに大変な苦労があるだろうね。そして、それを理解しながら店の存続だけを訴えるのもあまりに無責任だ。…だけど、お店や味を守るのがおばあさん一人じゃなかったらどうだろうね?」
「…えっ?」
お兄様の言っていることがよく理解出来なくて、間抜けな声を出しながらその目を見つめると、綺麗な笑みを浮かべて口を開いた。
「…お店や味というものは後世に繋ぐことのできる物だけど一人じゃ無理だよね?だってその人が居なくなってしまったら一緒に無くなってしまうもの。じゃあどうすればそれらを繋げるのかな?美子。」
「…後世に繋ぐ…一人じゃー…」
そう繰り返した瞬間、お兄様の言いたいことが漸く解って机をバン!と叩いて立ち上がった。
「…お、お兄さま!ありがとうございます!やっぱりお兄さまはすごいです!」
「ふふ、答え合わせはしなくても良さそうだね。でも後は美子次第だから、どうなるのか楽しみにしてるよ。」
「はい!」
そう返事をしてから急須や湯呑みをお盆に載せ、ノートを脇に挟んで開けっ放しになっていた襖の所まで行ってお兄様に「おやすみなさい!」と言った。そして、廊下を小走りで駆けて炊事場を目指した。その間ずっと、お兄様から貰った問題の答えを忘れないように頭の中で何度も繰り返していた。
ーーーーーーーーーーーーー
「…な、何だか緊張するなぁ…。」
次の日、昨日と同じように先生の課題を早く終わらせた私は商店街の裏通りにあるおばあさんの家の前に来ていた。
(今日は健、北上山で修行があるから来られないんだよね…一緒にいて欲しかったなぁ…)
誰もいない隣りを見ては心細くなって弱音のような溜息を吐いた。だけど、いつまでもウジウジしていられないと自分の頬を両手で叩いてから四つ脚の木の台に載っておばあさんの家のインターフォンを押した。
『…はい、どなたでしょう?』
インターフォンから聞こえてきた優しげな声に心臓が跳ねたけど、勇気を出してマイクに近付いた。
「あ、あのっ…昨日、おまんじゅうをご馳走になった、天地美子という者ですけど…」
緊張し過ぎて丁寧なのか変なのかよく分からない自己紹介をしてしまったと内心焦っていると、インターフォンの向こうから『少しお待ちください。』という声が返ってきた。そして、その言葉に従って二分程扉の前で待っていると、カチャッという愉快な音が響いて扉が開いた。
「…お待たせしてごめんなさい。来てくれて嬉しいわ。」
昨日と同じ柔らかな笑顔で出迎えてくれたおばあさんに、張り詰めていた緊張の糸が少し緩んだ。
「こ、こんにちは!あの、今日は健、いないんですけど、おばあさんにどうしてもお話したいことがあって来ました!」
「…お話?何かしら?まあ立ち話もあれですから、お茶でも飲みながら伺いましょうかね。」
少し首を傾げながらもそう言って中へ案内してくれたおばあさんは、私に昨日と同じ長椅子に座って待つように言ってから暖簾をくぐって奥の部屋へ消えて行った。それから五分程経った頃に戻ってきたおばあさんの手にはお茶と栗羊羹を載せたお盆が握られていた。
「お待たせしました。お一つどうぞ。」
「ありがとうございます!」
お茶と栗羊羹のお皿を一つずつ受け取り、「いただきます!」と言ってから竹の菓子切りで小さく切って口に入れた。その瞬間、小豆の上品な香りと甘さの中に栗がころころと転がって無意識のうちに口角が上がった。
「ん〜!美味しい!それにこのようかんは栗がコロコロして楽しいですね!」
「ふふ、褒めるのがお上手なのね。ありがとう。」
そうはにかんでお茶を飲むおばあさんの真似をするかのようにお茶を飲み込んでから、湯呑みの中のお茶に映る自分を見つめて頷いた。
「…おばあさんのお菓子とお茶、とっても美味しいです。甘くて優しくて、食べると心がすごく温かくなります。」
真っ直ぐにおばあさんの目を見つめながらそう伝えると、少し驚いたように瞬きをしてから柔らかな笑顔で口を開いた。
「…そんなに褒めて貰えるなんて、初めてで何て言ったら良いのか分からないけど…でも、作り手としてこれ以上に嬉しいことはないわ。ありがとう。」
その言葉に首を横に振って膝に置かれていた手を両手で包み込むように握りしめた。
「おばあさんのお菓子を食べてそう思うのは、きっとわたしだけじゃないです。健も、健のおじいちゃんも、お父さまもお祖父さまやお祖母さまだって、皆みんなおばあさんのお菓子を食べてそう思ってるはずです。」
私の言葉におばあさんは何も言わないでただ私を見つめ返していた。だけどその目が、戸惑う心を表すかのように微かに揺れたから、大丈夫と言う代わりに握る手に力を込めた。
「だから、お店をお終いにしないでください。こんなに美味しいおばあさんのお菓子、もっともっと皆に食べてもらって、もっともっと大好きになってもらわないともったいないし、やっぱりかわいそうです!」
真剣な気持ちがしっかり伝わるように真っ直ぐ見つめながら元気な声でそう言うと、おばあさんは逃げるかのように顔を逸らして俯いた。
「…ありがとう。私のお菓子をそう言っていただけるのはとても嬉しいわ、本当よ。…でもね、お店を続けるのってとても大変なの。お菓子を一つ作るのにも時間と材料がかかるし、お店だって開いてお仕舞いじゃないのよ。お客さんのお相手をして、商品を包んで、お会計をして、お見送りをして…それに食べ物を扱うから店内も店先も綺麗にお掃除しないといけないし…。それを毎日繰り返すの。雨の日も風の日も暑い日も寒い日も、毎日よ?それがどれほど大変なことか、分からないでしょう?だから」
「でも昨日、「本当はもっと続けたかった」って言ってました。」
少し苛立ちが滲む言葉にすかさずそう返すと、おばあさんは肩を微かに揺らした。それに、やっぱりそうなんだと思って小さく頷いた。
「…昨日、お父さまにも言われました。「続けて欲しいって頼むのは簡単だけど、一人でお店を経営するのは想像以上に大変なことだ」って。だから、おばあさんが今言ったことは本当のことなんだと思います。だけど、お店をもっと続けたいっていうのも本当ですよね?それなら、わたしがおばあさんのお手伝いをします!お菓子作りもお客さまのお相手もお掃除も!」
そう言ってグッとおばあさんに近付いて俯く顔を覗き込んだ。そしてその、今にも泣きそうな顔を見つめて思いっきり笑った。
「始めは上手に出来ないかもしれないけど、それでも頑張ります!一生懸命頑張って、おばあさんみたいに美味しいお菓子とお茶を作れるようになります!それで皆に、おばあさんのお菓子をもっともっと大好きになってもらいます!だから、おばあさんの続けたいこと、仕方ないでお終いにしないでください!」
私がそう言い終えるとおばあさんは繋いでない方の手で顔を覆った。小刻みに震える身体とその手の間から溢れ落ちてくる雫に、おばあさんが泣いていることに気が付いて少し心配になったけど、小さな声で繰り返される「ありがとう」という言葉と強く握られる手の熱に、その涙の意味が判って嬉しくなった。
「わたし、馨とか透夜みたいにすごく頭がいい訳じゃないけど、一個ずつちゃんと覚えます!だから、色んなことたくさん教えてくださいね!おばあちゃん!」
思い切ってそう呼ぶと、涙いっぱいの驚いた顔で見つめてから涙を拭って嬉しそうに微笑んだ。
「…ええ。私も頑張りますから、よろしくお願いしますね。美子ちゃん。」
「…!はい!よろしくお願いします!」
おばあちゃんの涙に私まで泣きそうになったけど、名前を呼んでもらえた嬉しさの方が勝って笑顔でそう答えた。…お父様やおばあちゃんの言葉から、今した約束は私の想像している以上に大変なことなんだろうなとは思った。だけど、目の前のおばあちゃんの笑顔に後悔などはなく、その決意を伝えるかのように繋いだ手に力を込めたのだった。
続く…




