第33話 カミサマ
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…静かになった部屋の中は、顔を背けたくなるほど悲惨な現実を残して残酷に時間を進めていく。見つめ続けても変わることのない世界に、涙が溢れて頬を濡らし床に落ちていった。一つ二つと流れ落ちるたびに、これが夢か幻であれと強く願った。
(……これは、夢…なんだ……だって、今日は大事なお祭りの日で、皆に会える大切な日で、とっても楽しい日のはずだもん……それに、ここは願い事が叶う伝説のお社で、誰もこんなこと、願ってなくて…だから、だから、これはー…)
「現実だよ。【応龍】の巫女。」
「…!!」
頭上から聞こえてくる声は氷のように冷たくて、紡がれた言葉は鏡のように現実だけを私に見せた。
「今そこで倒れてんのはお前の大事な大事な守護者共だよ。弱ぇから負けた、ただそれだけだろ。」
「っ!うるさい!うるさいっ!!弱くなんかないっ!!負けてなんかないっ!!だってこれは!夢だから!!」
暴れられないから必死に目を瞑って夢だと言い張った。すると、男の人は舌打ちをして私を床に放り投げ、倒れた私の手を乱暴に掴んでは絆創膏が貼ってある手の平の傷に爪を食い込ませた。
「っ!?い、痛いっ!!放して!!」
「痛ぇよな?じゃあ何で痛ぇか分かるか?現実だからだよ。」
痛みでなお現実を突き付けるその人を涙目で睨むと、馬鹿にしたように笑って私の髪を掴んだ。
「…っ!」
「…流石は【応龍】の巫女。良い目してんな、気に入った。特別に教えてやるよ、あいつらが負けた理由を。」
そう言うと男の人は指に付いた血を舐めて顔をグッと近付けた。
「まず【青龍】、あいつは感情を表に出し過ぎだ。感情は思考と行動に直結する。相手に読まれたら最後なんだよ。次に【白虎】、あいつは相手を見誤って効果のねぇ戦術を選んだ。観察力と経験が足んねぇ証拠だな。そんで【玄武】、あいつはそこそこ出来るようだが身体が脆弱過ぎる。術に頼り切って鍛えねぇから力に支配され体力を削られ、勝ちを急いだ。最後に【朱雀】だが、あいつは心が弱ぇ。初手で唯一俺に攻撃を加え、尚且つ振り上げた腕にあの小せぇ弾を正確に当てた。つまり技術はあるんだよ。にも関わらずたった一言に崩れて勝機を逃した。心が弱ぇ奴は例え才能があろうが技術があろうが自分に勝てねぇんだから敵に勝つことなんて出来ねぇよ。」
恨めしいくらい分かりやすく説明すると、肩に掛かった髪を邪魔くさそうに弾いては私の髪から結い紐を解いた。
「……違う……皆は、弱くなんて…ない……負けてなんか、ない……」
自分を否定されたような悲しみに、打ちひしがれて涙を流しながらも懸命に抵抗した。すると、髪を結い終えたその人が頬杖をつきながら溜息を吐いた。
「じゃあお前のせいだな。」
「……えっ…?」
「お前は【応龍】あいつらは【四神】。立場はお前の方が上で決定権はお前にある。どういう経緯でここまで入って来たかは知らねぇが、お前らの関係を考えれば大方お前が先導したんだろ。上に立つ奴が誤った手段を選べばその下にいる奴らが困窮するように、お前が地獄を選べば守護者のあいつらはその苦痛を受けることになる。だから、ああやって倒れてんだろ。」
そう言って伸ばされた指の先を辿ると、壁際で倒れている健が目に映った。その瞬間、頭が殴られたように痛んで胸は杭が打ち込まれたような苦しさに襲われた。
「……っあ、そん、な…わ、わたし…ち、ちがう…だって、おや、しろ、を…さ、さがそうっ、て……」
これは私が望んだ結果じゃないのだと、必死に伝えようとするけど突き付けられた事実がそれを許しはしなかった。震える声で紡がれる言葉は枯れ葉のように力なく床に落ちていくだけだった。
「まぁ、落ち込むなよ。あいつらにも非はある。俺が視ようとした時、お前は闘う意思を示さなかった。なのに勝手に闘いを挑んだのはあいつらだ。それで力及ばず負けただけだからな。…だが、お前があいつらの手綱をしっかり握って闘うなって止めてれば、あんな怪我せずに済んだかもなぁ?」
態と語尾を溶かして傷口に塗り込みながら、私の髪を弄んでいた指で顎を掴んで再び上を向かせた。
「……あなたは、だれなの…?」
揺らぐ涙の奥で真っ直ぐ私を見つめる目にそう尋ねる。苦しみと悲しみにもう何も考えたくないからか、それともその目に思考が溶かされているからかは判らない。どうしても聞きたいことでもないのに、口が勝手にそう言っていた。
「…俺か?俺は“カミサマ”だよ。お前ら人間を救ったりしない、仇をなすだけの悪ーいカミサマさ。」
「…カミサマ…?」
“カミサマ”
その言葉に思い出されたのは、さっき出逢った狐面の男の人だった。私以外の誰も視ることの出来ないあの人が、脳裏に映し出されては綺麗な三日月の笑みを浮かべて私を見つめる。
(…どうして、今思い出すんだろう…困ってる時に現れたから…?助けてくれたから…?…分からない…だけど、その笑みの後には確かー…)
「…助けて。」
無意識にあの時と同じ言葉を呟いた瞬間だった。鈴の音がする風が吹いたかと思えば、私の前に緑、白、赤、黒の光が現れて強い輝きを放った。
「なっ!?」
その輝きに驚いたような表情をしたその人は私から手を離して素早く距離を取った。
「…あっー…」
不思議と眩しくない四つの光の中に、見覚えのある姿を見つけて思わず声が溢れた。すると、その声に応えるかのように光が柔らかくなって振り向いた。
「…来て、くれたの…?…四神…」
今度こそ幻かもしれないと手を伸ばすと四匹は目を閉じて優しい口付けを落とした。触れた温かさに、その姿が幻ではないのだと判ってまた涙が零れた。
『…ミコ、ナク、カナシイ…ダイジョウブ、コワクナイ…』
私の肩に飛び乗ってそう言った青龍は、長い尾を器用に使って頬を流れる涙を丁寧に拭ってくれた。それに続いて白虎ももう一方の肩に飛び乗って頭をすりすりと頬に擦り付け、朱雀と玄武は膝の上に乗って気遣わしげな目で私を見上げた。
「…うん、ありがとう…ありがとうっ…!」
その優しさが嬉しくて頼もしくて、膝の上の二匹を抱え上げて泣きながら精一杯の感謝を伝えた。すると、肩に乗っていた青龍と白虎も抱きしめて欲しかったのか腕の隙間に潜り込んで尻尾を揺らした。それが擽ったくて笑っていると、不意に小さな笑い声が聞こえてきた。
「…ははっ、マジかよ。ご本人登場とか聞いてねぇけど。てかあんたら、ここには入って来ねぇはずだろ?」
挑発的な声だったけど、僅かに戸惑いも感じられるその人を静かに見つめていた四神が、私の腕から離れて床に降り立ちその人を見据えた。その後ろ姿に、私も涙を拭って立ち上がった。
「おっと待てよ。俺も流石にあんたらと闘うのは御免だからな、今回は手を引くって。」
両手を上げながら観念したように笑った後、細めた目で私を見下ろした。
「…欲を言えばもう少し視たかったけどなぁ、仕方ねぇから諦めてやるよ。ま、お前が【応龍】である限りまた逢えるからな、そん時にでもじっくり見せて貰うわ。」
「えっー…」
その言葉に驚きの声を上げた瞬間、正面にいたはずのその人が私の真後ろに立っていた。咄嗟に振り返ると目の前にはもう大きな手が迫って来ていて、避けられないと思った。だけどその時、波紋の広がる水面のような壁が現れて私をその手から守った。
「玄武!白虎!」
思わず名前を呼ぶと、玄武をその背に乗せて壁の真ん中辺りに浮かんでいた白虎が牙を剥き出しにして威嚇の声を上げた。その瞬間、壁の向こう側にいた男の人の全身に刃物で切ったような傷が浮かび上がった。
「…。」
無言で後ろに飛び退いた男の人を追い掛けるように空を飛んだのは朱雀と青龍で、真っ直ぐ飛ぶ朱雀に巻き付くように飛ぶ青龍は勢いを増して進んでいった。
「…なるほどな。」
壁際まで追い込まれてもう逃げ場もないというのに、その人は不敵に笑った。そして次の瞬間、朱雀を中心に炎が爆発したかのように広がって轟音と共に辺りを焼き払った。
「…すごい!」
そう喜んだのも束の間、炎の中からはらりと落ちた白いそれに目を見張った。
「…式神…?」
所々破れたり焦げたりしていて元の形は判らなかったけど、微かに感じられる玄武の力からそう呟いた。
「御名答。」
「!?」
毒気のある優しい声に肩を跳ねさせ急いで振り向くと、炎に包まれたはずの男の人が祭壇に腰掛けて笑っていた。そして不思議なことに、その身体には白虎に付けられた切り傷が一つもなかった。
「ただの紙屑かと思ったが、物は使いようだな。」
そう言って袂から取り出したのはさっきの闘いで透夜が使っていた動物の式神の紙だった。
「…あっ、玄武が“水”だから…?」
「おー、ちゃんと覚えてんなぁ。偉い偉い、賢い奴は好きだぜ?」
私の答えに満足そうな笑みを浮かべるとご褒美だと言わんばかりに持っていた紙を一枚放り投げた。すると次の瞬間、その紙が犬の式神に変化して空を走り出した。
「でも、どうして貴方が使えるの?【玄武】じゃないのに。」
「身代わりに使っただけだからな、ちょっといじっただけだ。あと、この程度の式神なら知識と技術とほんの少しの力さえありゃあ誰でも使役できっから。」
そう言うと走り回っていた式神の犬がその人の肩に飛び乗るとただの紙に戻ってしまった。それを茫然と眺めていると、青龍と白虎が空を駆けて祭壇に座るその人へ迫って行った。
「…なぁ、“これ”何だろうな?」
俯きがちに不敵な笑みを浮かべながら持ち上げたのは、さっき健が見つけた金の三方だった。キラキラしてて綺麗だとは思ったけど、やっぱり不気味さが感じられて寒気がした。だけど、私以上に反応を見せたのは四神だった。真っ直ぐ空を駆けていた青龍と白虎は急停止して弾かれたようにその人から距離を取り、朱雀と玄武は私の浴衣の袖や裾を引っ張って遠ざけようとした。
「言っただろ?あんたらと闘う気はねぇよ。ただ俺は老婆心から手伝ってやろうとしただけだって。」
「手伝う?」
そう繰り返した瞬間、祭壇に座っていたその人が床に降り立って走り出した。その目も足も私に向かっているのだと気が付いた時にはもう遅くて、大きな手は私の衿を乱暴に掴んで軽々と持ち上げた。
「わっ!?」
「出口はあっちだぜ、【応龍】!!」
振りかぶったかと思えばその人は勢いよく私を持っている腕を振り下ろして開いている扉に向かって私を投げた。
「きゃぁぁあぁあー!!?」
すごい速さで飛んでいく身体に自分でも聞いたことのない悲鳴を上げてしまう。
「あっはは!!またな〜。」
後ろからそんな笑い声が聞こえてきたけど、それに答える余裕があるはずもなく腕や足を必死に動かしてどうにかしようとした。だけど、その努力も虚しく近付いてくる地面に痛みを覚悟して腕で顔を覆い目を固く瞑った。その時だった。
「「…っ、美子っ!!!」」
何処からか、必死で力強い声が聞こえてきた。そして地面を蹴る音が近付いてきて地面を削るような音と砂が身体を包んだ。
続く…




