第32話 痛み
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「へー、中は意外と広いんだね。」
お社の中に入って最初に抱いたのがそんな印象だった。飾り気のない外観の通り、内も装飾がされていたり余計な物が置いてあったりするわけではないからそう思ったのかもしれない。
「うん、祭壇以外は特に何も置いていないおかげで調べやすいね。」
部屋の隅に置かれていた行燈に提灯の火を分け終えた馨の言葉にその祭壇を眺めた。
「変なの。榊とかお水とかはちゃんと置いてあるのに、ご神体がないね。」
一応神社の子で、拝殿や祭壇のお掃除を手伝ったことがあるからどんな物が置いてあるのかは何となく知っていた。だから、中央に何も置いていない祭壇がとても不思議だった。
「ご神体はねーけど、金の三方は置いてあるぞ。初めて見たけどすげー悪趣味だな。」
そう言うと健は祭壇の端にあった金の三方を手に取って私に見せた。私の知ってる三方は木でできた物ばかりだったけど、お社に置いてあった物はピカピカの金で作られていた。その傷一つない三方は提灯と行燈のほのかな火に照らされて綺麗だった。だけど、何故かその美しさに恐怖が込み上げて慌てて目を逸らした。
「…御神体はないが祭壇と思しきものはある…物取りにでも遭ったのか?」
怪訝そうな表情で祭壇を見つめながら答えを模索する透夜を見つめていると、秀に名前を呼ばれた。振り返ると秀がしゃがみながらお社の床をコンコンと叩いていた。
「何してるの?秀。」
近付いてそう尋ねると、秀は顔を上げて真剣な表情で口を開いた。
「この下、空間があるよ。音が反響するし、すごく小さいけど水の音がする。」
「空間?」
その言葉に私もしゃがんで床に耳を押し当てても反響する音も水の音も聞こえなかった。
「あ、待って。ここ、よく見ると正方形に線が入ってるよ。」
そう言いながら私の隣にしゃがみ込んだ馨は、床の線に沿って指を滑らせ大きな正方形を描いた。
「…隠し扉か。それなら下の空間は何処かへ続く道となっている可能性もあるな。」
「帰る手掛かりがあるかもってことか?なら開けてみよーぜ。取っ手とかねーの?」
…ドクン……ドクン…
この異空間から脱出するために皆が話しているだけなのに、何故か胸が騒いだ。そして、皆が隠し扉を開けようと床に手を触れた瞬間、全身に冷たい恐怖が走った。大きな黒い塊のようなその恐怖は、逃げることも助けを求めることも許してはくれなくて、ただ身体を縛るばかりだった。
「…美子?」
ずっと黙っている私に気が付いた健が私の名前を呼ぶと、動かなかった身体が急にガタガタと震え出した。
「美子、大丈夫か?顔色が悪いけど…」
心配した健がそう言って私に手を伸ばした。その手は健の手で、顔にくっ付いた髪を退けようとしただけで悪意なんかあるはずがないと解っていた。だけど、それは瞬時に私の首を絞めるための手なんじゃないかという疑惑と恐怖に塗り変えられる。
「ゃ、やだっ!!!」
迫って来る手を思いっきり振り払って逃げるように勢いよく後ずさった。すると背中が何かにぶつかった。
「…いってぇな…急に下がってくんなよ。」
…頭上から聞こえたのはそんな苛立ちを含んだ声だった。吸い寄せられるように顔を上げると、そこには腰くらいまである黒い長髪の男の人が立っていて私を見下ろしていた。
「…何か嫌な予感がして戻って来たらこれかよ…祭りなんか行くんじゃなかったな。」
乱暴に頭を掻いた男の人は再度私を見据えると、しゃがんで私の顔を覗き込んだ。その時、初めてその人の顔が見えた。
…結われていない長い黒髪の中にある端正な顔に射殺すような鋭い目、そして右目を隠す黒い眼帯をしたその人は、夜明けの空のような着物を崩して着ていて、ドーナツみたいな輪の飾りが施された首輪のような物と三日月みたいな耳飾りを着けていた。
「…あ?お前、もしかして【応龍】か?」
「…えっ…?」
何も言わずにその人を見つめ続けていると、急に聞き馴染みのある言葉が聞こえてきた。その言葉に思わず反応すると、その人はしめたとばかりに口の端を上げた。
「へぇー、お前があの有名な「【応龍】の巫女」ねぇ?丁度良いから視せてみろよ。」
そう言って男の人が大きな手を私に伸ばした次の瞬間、風を切る音が聞こえて二つの影とお札がその人を吹っ飛ばした。
「逃げるぞ!美子っ!!」
着地した健はすぐに私の手を取るとそのまま出口へと走って行った。出口まではそんなに距離もなくて、時間にすればほんの一瞬の出来事のはずなのに、私には永遠の時を走っているような感覚だった。
(…今のは、何…?…逃げる?…待って、でも、今の人はー…)
「…おいおい、勝手に連れてくなって。」
嘲るような声が聞こえたと思った瞬間、私の身体が浮いてもの凄い速さで後ろへ引っ張られた。
「っ!?」
衝撃に目を瞑って開いた時には男の人の腕の中にいて、出口と皆が遥か遠くに見えた。
「視たらすぐ返してやるから大人しくしてろよ。」
そう言うとその人は真っ直ぐに私を見つめ始めた。眼帯に隠されていない左目は暗くて深くて、見つめられると頭が溶けて思考も微睡んでいった。
「…チッ。」
不意に舌打ちをしたかと思えば瞬きをした。その直後、大きな打撃音が聞こえた。男の人から音のした方を見ると、健が木刀を振り下ろして男の人はその木刀を片腕で受け止めている状態だった。
「美子を放せ!!!」
そう怒鳴ってから一度距離を取り、壁を蹴って男の人の顔目掛けて激しい攻撃を繰り出した。だけど、男の人は私を抱えているのに涼しい顔でその猛攻を捌いていった。
「…直情的だな。読み易い。」
飽きたような声でそう言うと、健が振った木刀を避けて間合いを詰め殴り飛ばした。
「…!?健!!!」
壁に打ち付けられた音で頭が覚めて悲鳴じみた声でその名前を呼んだ。だけど、健はぐったりと倒れ込んだまま動かなかった。
「健っ!健っ!!」
動かない健に最悪の事態が頭を過って今すぐ駆け寄りたいと思ったのに、何故か身体が動かなかった。
「安心しろよ、死んでねぇから。」
「っ!放ー…」
睨んで「放して」と言い掛けた時だった。男の人の後ろに白い影が音もなく現れて後頭部目掛けて鋭く鮮やかな蹴りを放った。あの距離で白い影ーー秀がいることに全く気が付いていない様子だったのに、男の人は振り返ることなく蹴りを避けて笑った。
「…くくっ、惜しい。こいつが見てなきゃ当たってたかもなぁ?」
「…ジョーダン言うなよ、とっくに気付いてたろう、が!!」
いつもとは違う余裕のない笑みを浮かべた秀は素早く飛び回っては頭だけでなく足元や胴などの全身に蹴りと殴打を繰り出していった。
「…さっきの奴よりは闘い慣れてんな。駆け引きはまあまあってとこか。」
受け流したり腕や足で防いだりしながらそう言った男の人はやっぱり涼しい顔をしていた。だけど不意に笑みを浮かべたかと思えば、顔に飛んできた秀の膝蹴りを片手で掴んだ。
「…だが、“体力を削って弱らせる”は人間相手にしか効かねぇよ。あと、」
そう言って掴んでいた秀の膝を放すと、宙に浮く秀のお腹に強烈な蹴りを入れた。
「蹴りってのはこうやんだよ。覚えとけ。」
「っ!?秀!!!」
健と同じようにもの凄い速さで壁に叩き付けられた秀は、私の悲鳴に身体を微かに震わせて苦しそうに咳をした。
「…っ、ぐっ、ゲホッ!…くっ、そがぁ…ハァ、ぅ…」
「へぇ?咄嗟に急所を外したのか。だが、受け身は下手だったな。」
すぐにでも気を失ってしまいそうなほど弱り切っている秀に近寄ると、意地悪く笑ってボールを蹴る前みたいに足を後ろに振り上げた。振り上げたその足が、息も上手にできない秀に当たる未来が嫌でも分かってしまって急いで叫んだ。
『やめてっ!!』
「?!」
私がそう叫んだ瞬間、男の人は秀に足が当たる寸前で動きを止めた。初めは何故だか解らなかったけど、その驚きに満ちた顔を見て私の言霊に反応したのだと解った。
「…お前まさかー…」
男の人はそう言いかけたけど、何かに気が付いたような表情をして瞬時に腕を顔の辺りに構えた。すると、構えたのと同時に雷のような光を纏ったお札が飛んで来て腕に貼り付いた。
「災難即滅急急如律令っ!」
難しい言葉を早口で唱えた瞬間、男の人の腕が眩しい光と電気が弾けるような音に包まれた。その衝撃に思わず目を瞑っていると、小さな笑い声が聞こえて来た。
「…おー、あっぶね。もう少しで顔面に食らうとこだったわ。残念だったな。」
攻撃を受けた手をぷらぷらと態とらしく揺らす男の人が見つめる先には、隠し布を顔に着けて構える透夜がいた。
「…美子を放せ、今すぐ。」
「さっきも聞いたな、それ。てか、返して欲しけりゃ大人しくしてろよ。」
呆れたように笑いながらそう答えると、男の人は大きな手で私の顎を掴んで無理矢理上を向かせた。
「っ…」
再びあの目に見つめられて頭がぼんやりとしてきた時だった。顎を掴んでいた手が急に離れたかと思えば、風の速さで飛んできた白くて長い何かを捕まえてニッと笑った。
「…へぇ、式神も使えんのか。意思はねぇが餓鬼のくせによくやるねぇ。」
その手を見ると大きく口を開けている顔なしの白い蛇が動いていて、男の人が力を込めるとただの紙に戻って床に落ちた。
「美子に触るなっ…!」
珍しく声を荒らげた透夜は鳥や犬、虎や龍などの式神を次々に放って攻撃を繰り出していった。それに対して、的となった男の人は愉快そうに笑いながら腕や足で払って消していった。
「…くくっ、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってか?餓鬼の考えることは可愛いねぇ〜。」
「…。」
売り言葉に無言を返すと、透夜は再び蛇の式神を放った。
「無駄な努力ご苦労さん、いつか当たるといいな。」
そう笑って迫り来る蛇の式神を腕で払った時だった。その蛇の式神はそれまでの式神とは違い、紙となって散ることなく触れた腕にその長い胴を絡み付かせた。
「はっー…」
「喰え。」
凛とした声が響いた瞬間、腕に絡み付いていた蛇が螺旋状に駆け上がり男の人の顔に向かって飛んだ。
「っ…!」
男の人はすんでのところで避けたものの、長く綺麗な髪が数本、蛇に噛みちぎられてハラハラと床に落ちていった。
「…藪を突けば蛇が出るが、蛇を突けば呪詛に喰われる。…覚えておくんだな。」
避けた体勢のまま動かなかった男の人は、透夜のその言葉を聞いて床に落ちた髪を見つめた。そして、暫しの静寂の後に聞こえてきたのは小刻みに震える笑い声だった。
「…くくくっ!あっはははは!!喰われた?俺が?人間の餓鬼なんかにっ!!しかも小言まで食らうなんて!!あっははは!ひぃー腹が痛え!」
大口を開けて笑いこけるその声を間近で聞く羽目になり、少し顔を顰めながら見つめていると、急に静かになって髪を掻き上げた。
「はぁーあ、笑った笑った。こんなに笑わせてもらったからな、礼として教えてやるよ。」
そう言ってギラついた笑みを浮かべると、床を蹴って一瞬で透夜の目の前に移動した。
「お前みたいな術者は総じて接近戦に弱い。対策はしといた方がいいぜ?」
男の人はそう言いながら勢いそのままに握った拳を振り上げた。その姿にさっきの痛々しい光景が浮かんで小さな悲鳴を上げた瞬間、その拳と腕に何かが直撃して勢いを殺した。目を凝らして見ると、それは小さな弾のような物でぶつかった後はパラパラと跳ねて床に落ちていった。
「…なるほどな、さっき全部防いだはずなのに何か当たった気がしたが、これがその正体って訳か。」
妙に納得した様子で床に転がる小さな弾を足で踏み潰すと、男の人は顔を上げて出口の方を見つめた。それに倣って私も見ると、真剣な顔付きで私達を見つめる馨が身構えて立っていて、その手にはさっき千本引きで貰ったおもちゃのパチンコが握られていた。
「…貴方が誰で、何故此処に僕達を連れて来たのかは分かりませんが美子を解放して下さい。僕達の要求はそれだけです。」
物怖じすることなくはっきりとそう言った馨を暫く見つめた後、軽く笑って口を開いた。
「あー、お前【朱雀】か。悪い悪い、加護が弱すぎて分かんなかったわ。」
「……えっ…」
その言葉に馨が固まったのと同時に床を蹴ったその人は、馨の手ごとパチンコを払ってガラ空きになったお腹を蹴ろうとした。だけど、背後から飛んで来た蛇の式神に舌打ちをして素早く飛び退いた。
「…虚言妄言で動揺させその隙を突くのは低俗かつ常套的な遣り口だ。気を確かに持て。」
「…あっ…う、うん……ご、ごめん…」
透夜にそう返事をしながら急いでパチンコを拾いに行くけれど、震える手と泳ぐ目から動揺しているのは火を見るよりも明らかだった。また、透夜も透夜で大量の汗と上下させる肩にいつもの余裕さは見られなかった。すると、その二人の様子を見て男の人は口の端を上げて私を小脇に抱え直した。
「…ふーん、だったらもっと“低俗で常套な”やつを教えてやるよ。」
「…戯言を。」
冷たく放たれた言葉の後に再び繰り出された式神を、男の人はさっきのように腕や足で払うことなく避け続けた。
「…避けるのは良いが、それは在り続ける限りお前を追うぞ。」
透夜がそう言った直後に突然、男の人が動きを止めた。見ると両足と左腕に式神が噛み付き拘束していた。
「南門っ!」
響く声と同時に放たれた弾は風を切りながら真っ直ぐ男の人へ飛んでいった。避けようにも足は噛まれていて動けないし、構えようにも右腕は私を抱えていて不可能だと考えて喜びそうになった。だけど、見上げた先に浮かぶ冷ややかなしたり顔がその期待を打ち砕いた。
「…勝てると思ったか?甘ぇな、弱点晒した時点でお前らは負けてんだよ。」
嘲りの言葉が耳に触れた瞬間、私のお腹辺りに巻き付いていた腕が外れて身体が宙に浮いた。そして、落ちる間もなく背中の部分を掴まれて持ち上げられた。
「…あっ…」
…正面から飛んで来るそれが目に映った瞬間、漸く自分がどこにいてあの人が何をしたのかが判った。
(…私を、盾にしたんだ。避けられないから、私をー…)
急に馨が撃った弾の標的となって驚いたのか怖いのか、それとも何か不思議な力が働いたのかもしれない。抱えられていた時はあんなに速く見えたのに、今は迫り来るそれがとてもゆっくり見えた。
だけど、当たる寸前に目の前を白い何かが通り過ぎた。目で追って見ると、それは白い鳥で嘴には私を狙っていた弾が挟まれていた。
「だろうな、ご苦労さん。」
そう笑むと、その人は拘束されて動けないはずなのに一瞬で距離を詰めて透夜のお腹を突き上げるように殴った。
「かはっ!」
鈍い音に吐き出された呼吸と崩れ落ちる姿に涙が込み上げて喉が震えた。
「そんで、“火”を消すには“水”だよな。」
「…ぁ!もぉ、やめっ…!」
止めようにも身体は動かず声も上手く出せなくて必死に目で訴えるけど、その人は気に留めることなく乱暴に透夜を掴んでボールでも投げるかのように馨に向かって透夜を投げ飛ばした。
「…あっ…!」
あの言葉に加えて私を攻撃しそうになったからか、透夜が目の前に飛んで来て漸く危機を察知したようだった。だけど、強張った身体ではすぐに反応出来るわけもなくそのまま透夜と激突し、壁まで飛ばされて鈍い音を響かせた。
…その音を最後に静まり返った世界を見つめては、ただ声もなく涙を流すことしかできなかった。
続く…




