第31話 誘い
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「…やっと追い付いた。」
提灯の灯りを頼りに暗い森の中を走って辿り着いた場所でそう呟いた。その声に返事をするかのように羽を動かした不思議な蝶は、健との待ち合わせをよくする、森で一番大きい木の幹に留まっていた。
「近くで見てもすごくキレイ…何ていうチョウチョなんだろう?」
無性に惹かれるその蝶に触れようと手を伸ばした瞬間、後ろから肩と腕を引かれた。その勢いのまま振り返ると、そこには焦ったような表情の健と秀がいた。
「ビ、ビックリしたー…どうしたの?」
持っていた提灯を落とさなかった自分を内心褒めつつそう尋ねると、二人は同時に口を開いた。
「「どうしたの?じゃねーよ!」」
突然の大声と勢いに押されて目を瞬かせていると、健は肩を掴む手に力を込めて言葉を続けた。
「急に走り出すし呼んでも振り向かねーし、追いかけても追いつけねーし、オレらの方がビックリしたんだからな!!」
「えっ…?」
健と秀の足の速さは勿論知っていた。だから私が急に走り出したとしても簡単に追い付いて後ろにいるものだと思っていた。だから焦った様子の二人に「どうしたの?」と聞いたのだが、二人からしたらどうしたもこうしたもない状況だったんだなとだけは理解できた。
「美子聞いてる?てかさぁ、さっきのこともう忘れた?俺の手振り払って一人になって危ない目に遭ったよね?なに?縄で縛ってやんなきゃその軽率な行動やめないの?」
ぼーと突っ立っているように見えたのか、苛立ちを隠すことなく刺々しい言葉を捲し立てる秀が、お説教の時のお父様と重なって見えてしまった。
「ご、ごめんなさい…。」
だから思わずいつもの癖で俯きがちにそう謝ると、健と秀の後ろから近付いてくる足音が聞こえてきた。
「追い付いて良かった…怪我はない?美子。」
「う、うん。馨と透夜もごめんね。」
また怒られるかなと思って先に謝罪をすると、二人は首を横に振って安堵の表情を浮かべた。
「ううん。無事で何よりだよ。」
「…姿を見失う前に放った札の気配に異常はなくこの森にいることは判っていた。謝ることではない。」
「…あ、ありがとうっ!」
その優しさが今度はいつも庇ってくれるお兄様と重なって見えて、涙ぐみながら心から感謝の言葉を伝えた。
「はあ、お前ら甘すぎ。こういうの放っておくと後でろくなことになんないんだから、ちゃんと躾けなきゃダメでしょ。」
「…それは応龍様がなさることだ。守護者である【四神】は美子の意思を尊重し従うべきだ。」
そう言って睨み合う二人の間に漂う殺気に冷や汗が頬を伝い、落ち着かせようと口を開いた時、健がいつもと同じ声音で私の名前を呼んだ。
「そういや、何で急に走り出したんだ?」
「え、あっ、えっと…見たことないチョウチョがいたから…」
「蝶々?」
馨が繰り返した言葉に睨み合っていた二人も私を見つめてその先の言葉を待っているようだった。それに小さな安堵の溜息を吐いてから、蝶が留まっていた木の方に振り向いた。
「うん。さっきね、ここにすごくキレイなチョウチョがいてー…」
そう言いながら蝶が留まっていたところに触れた瞬間だった。突如木が眩しい光を放ったかと思えば、光へ吸い込むような強い風が背を押した。慌てて離れようと手を引くも、それを拒むかのように強い力が木の中、光の先へゆっくり手を引っ張っていった。
(何っ、これ…!引っ張られるっ!!)
眩しさに目を細め、空気まで奪うような風に耐えながら必死に手を引いた。だけど、光が一際強く輝いた瞬間、踏ん張っていた身体が宙に浮いて風と共に吸い込まれた。
「美子っ!!」
為す術もなく光と風に運ばれる中、聞こえてきた健の声を最後に意識を失ったのだった。
………
……
…
「……んっ…」
ヒヤリとする草の感触に目を覚ますと、無数の提灯が照らす森の風景が目に映り込んだ。
「…あれ?提灯なんて飾ってあったかな…?」
そんな疑問を抱きつつ、とにかく状況を把握するために上体を起こしながら辺りを見渡した。だけど、目に映るのは木々や草が茂る森の景色だけでここが神ヶ森なのかそれとも全く別のところなのか判らなかった。
「…どうしよう「美子っ!!」
呼ばれた方を向くと、真っ直ぐこちらに駆けて来る四人の姿が見えた。その姿に安心感が胸に満ちて堪らず笑顔を浮かべた。
「みんなっ!よかった…!」
「美子っ!ケガしてねぇか!?」
そう言って膝をついて両肩に手を置いた健は心配そうな目で私の頭から足の先までを何度も確認した。
「うん、大丈夫。それよりごめんね。また変なことに巻き込んじゃって…。」
私のせいで皆に迷惑を掛けてしまったことに肩を落とすと、健がブンブンと首を横に振った。
「気にすんなって!美子のせいじゃねぇよ!」
「あーあ、だから言ったのにさー。やっぱり縄で縛るべきだったじゃん。」
「…やめろ。」
私のせいで再び張り詰めた空気に申し訳なさが募って俯いてしまった。
「まあまあ…とにかく、帰る方法を探そうよ。安全かどうかも分からない異空間に長居するのは危険だし、ね?」
そう提案した馨に、睨み合っていた二人も仕方ないといった顔で溜息を吐いて口を閉ざした。
「美子、立てる?皆で帰り道を探そう?」
優しく笑いかけながら手を差し伸べてくれた馨の背には後光が差していて、拝みたくなるほど神々しかった。
「…うん!頑張って探そう!早く帰らないと怒られちゃうもんね!」
元気良く返事をしてからその差し伸べられた手をしっかりと握って立ち上がると、もう一度辺りを見渡した。
「ここ、どこなんだろうね?神ヶ森に見えなくもないけど…。」
「…やはり人ならざる者が創り出した異空間と考えるべきだろう。だが、妖怪などの気配は感じられない。」
「へー?さっすが妖怪退治で飯食ってるだけあるねぇ?」
わざと神経を逆撫でするような言い方をする秀に、透夜は一瞬冷たく鋭い視線を送ったが、それ以上は相手をせずに私を見つめた。
「…異空間から脱する方法は二つある。一つは現実と空間の狭間を見つけ抉じ開ける方法、もう一つは所有者、または創造者を倒し空間を消滅する方法だ。だが、前者は程度の低い異空間の場合のみに有効のため今回のような現実と見紛うほど精巧な場合は薦めない。」
「そっか…じゃあ、倒すかどうかは置いといて、とりあえずその所有者?っていう人を探そう。」
透夜の言葉からそう答えると秀以外の三人は頷いてくれた。
(…うーん、何だか秀、いつも以上にトゲトゲしてるっていうか、意地悪して遊んでる感じじゃないのが気になるなぁ…)
顔を背けたままの秀を見つめながらそんなことを考えていた時だった。秀の後ろにあの不思議な蝶がふわふわと舞うように飛んでいた。
「あー!!!」
思わず大声を出しながら蝶を指した。皆驚いていたが特に秀は何故指を指されているのか分からないと言った顔で私を見つめた。
「な、何?いきなり…」
「チョウチョ!飛んでる!追いかけよう!」
そういうや否や、蝶の方へ走り出して咄嗟に秀の手を取り蝶を追いかけ始めた。
「ちょ、ちょっと美子!急に何なの!?」
「だから!チョウチョだってば!あそこに飛んでるっ、わっ!」
足元を全く見ていなかったからか、木の根っこに躓いて身体が前に傾いた。痛みに備えようと目を瞑った瞬間、後ろから小さな舌打ちと地面を蹴る音が聞こえたかと思ったら浮いた身体が細い腕に抱きとめられた。
「…あのさぁ、ただでさえそそっかしいんだから、せめて足元くらいには気を付けてくんない?」
「ご、ごめん…ありがとう。」
謝罪とお礼を伝えつつ支えてくれた腕から離れると、私達を追い掛けてきた三人と目が合った。
「美子、大丈夫か?」
「うん、秀が助けてくれたから大丈夫。」
「こんなんで「助けた」って言われてもねー…。」
吐き捨てるような呟きに秀を見つめるも、それ以上は何も言いたくないのか目を逸らした。
「美子、蝶々ってこの空間に入る前も言ってたけど同じ蝶々が飛んでいたの?」
馨のその言葉に転びかけた理由を思い出して大きく頷いた。
「そうなの!秀の後ろに飛んでて、それであっちにー…」
あの蝶が飛んで行った方を皆に教えてあげようと振り返った瞬間、その先に広がる光景に言葉を失った。
…無数の提灯が照らす森の中に飾り気のないお社が静かに建っていた。木の根っこに躓く前は確かに提灯と森の木以外は何もなかったはずなのに、そのお社はまるでずっとそこにあったかのような顔で私達を見つめていた。
「……あ、あれって、社、だよな?」
驚きすぎて言葉が出ない私達の静寂を破ったのは、そんな健の困惑いっぱいの言葉だった。
「…そ、そう見えるけど、でも、そんなまさか…」
「あ、はは…伝説って実在しないもんでしょ…?」
「…幻術か?」
目の前の光景が信じ切れずに戸惑いの言葉を漏らす皆とは裏腹に、私は一人興奮したように拍手をした。
「すごいすごい!見つけちゃったね!本当にあったね!伝説のお社だよ!」
目的を達成した喜びを皆と分かち合いたくて、やったね!と笑顔で伝えると戸惑っていた皆の表情が少し柔らかくなった。
「わぁ〜!どうしよう!お願い事まだ決めてないのになぁ!」
ドキドキと高鳴る心臓のせいで一向に決まらないお願い事を考えながら落ち着きなく歩き回っていると、朗らかな笑い声が近付いてきて手を繋いだ。
「願い事もいいけどさ、せっかく見つけたんだからもっと近くで見てみよーぜ!」
「そうだね!行ってみよう!」
健の提案にそう答えてお社の方へと走って行った。そして、正面で立ち止まりお社の扉を見つめた瞬間にピリッと静電気のような小さな痛みが頭を突いた。
「いたっ。」
「ん?どーかしたのか?」
反射的に口から出てしまった言葉に健が振り向いたけど、もう痛みはないし特に言うような事でもないと思って頭を横に振った。
「ううん、何でもない。それにしてもこのお社、お賽銭箱とかないんだね。」
「お賽銭箱を置いていない神社はあるけど、このお社は異空間の中にあって人が簡単に来られる場所じゃないからね。ある方が不自然だと思うよ。」
その言葉に納得して頷いたけど、お賽銭も無しにお願い事をするのは申し訳なくてどうしようかと巾着袋を見つめながら黙り込んだ。するとその時だった。
…カタンッ
乾いた木の音がして顔を上げると、お社の扉を塞ぐように掛かっていた木の板が外れて落ちていた。風で落ちる物でもないのになとそれから目を離せずにいると、不意に閉ざされていた扉が音もなく開いた。
「っ!?美子下がれ!!」
異様な現象に危険を察知したのか、四人は私の前で臨戦態勢を取った。
…だけど私にはその光景がまるで、秘密を教えてあげるからおいでと言っているかのようで、その扉の先へ行かなくちゃと思った。
「…入ってみようよ。お社の中に。」
皆の背中にそう言うと、お社を睨んでいた四人が驚いた表情をして一斉に振り返った。
「それ、本気で言ってんの?どう考えても罠じゃん。」
「罠じゃないと思う。」
「何でそう言い切れるんだ?」
私の真意を探る真剣な目を真っ直ぐ見つめ返して慎重に口を開いた。
「…わたし、妖怪が作った異空間に入ったことがあるけど、その時は空気が重くて痛くて、すごく気味が悪かったの。だけど、今はそんな感じがしなくて……あのチョウチョもそうだけど、この空間の所有者はわたしたちに何か教えたくてここに連れて来たんじゃないのかなって思うの。」
丁寧に自分の考えを伝えると、黙って私を見つめていた透夜が一つ瞬きをした。
「…先刻も言ったが、俺も妖怪の仕業ではないと考えている。だが、不穏な気を感じることもまた事実だ。…それでも進むのか?」
覚悟を確かめる言葉とその目にしっかりと頷いて答えると、透夜はゆっくり目を閉じて「来い」と言った。すると、後ろの草陰から提灯を持った小人の式神が現れて私の足元まで走って来た。
「…灯りは要るだろうと一つ拝借した。使ってくれ。」
透夜がそう言うと、その式神は少し曲がった木の枝の持ち手を私に差し出した。
「はぁ、ヤダヤダ。ここにもご主人様至上主義の犬がいるー。取ってこいが随分得意なんだねー?」
大きな溜息と煽るような目付きでそう言ったのはやっぱり秀で、ちょっと直ったはずの機嫌がぶり返して更に悪くなっているようだった。
「秀、何で意地悪ばっかり言うの?自分が言われて嫌なことは言っちゃダメだよ。」
これ以上放っておくと折角仲良くなった皆と気まずくなるなと思ってそう注意した。すると、秀は今までで一番険しい顔をして私を見た。
「何でってムカついてるからに決まってんじゃん。俺は犬じゃないから待てとか我慢とかできないし。」
「人に当たるのはもっと良くないよ。というか、何でそんなにムカついてるの?」
「美子が自分勝手だから。」
そう言って口を尖らせた秀を見て、白虎殿や【白虎】に従順な姿勢を見せながらも、修行から勝手に抜け出して女の人とおしゃべりしたりするなど自由奔放な性格であることを思い出した。そして、そんな性格ゆえに自分の思い通りにならないのが気に食わないのだと言う結論に至った。
「それは、ごめん……あ、じゃあさ、秀はここで待ってて?すぐ戻るから。」
これ以上私のワガママに付き合わせて怒らせないようにそう提案すると、不機嫌な表情が更に歪んだ。
「はあ?行かないなんて言ってないけど。」
「……え?い、行きたくないから意地悪を言ったりムカついたりしてるんじゃないの?」
さっきの結論と秀の言動が全く噛み合わないことに混乱しながら、確認のつもりでそう言うと秀は面倒くさそうな顔で溜息を吐いた。
「それとこれとは別なのー。とにかく、俺を置いてくなんて許さないから。」
そう言って腕を組んだ秀を呆然と見つめていると、そのやり取りを見ていた健が怪訝そうな顔で口を開いた。
「秀ってよく分かんねー奴だな。行きてーのにケンカ売ってんのか?」
「…チッ、別に分かんなくていいよ。」
名前を呼ばれることにまだ抵抗があるのか一瞬不機嫌さが増したようだったけど、舌打ちの一つで口喧嘩に発展しなかったことに成長を感じて少し安心した。
「えっと、健と馨は?お社の中に入るの嫌?」
あとの二人の意見も聞きたくてそう尋ねると、秀とは真反対の柔らかな笑みを浮かべた。
「美子が危ねー目に遭うのは嫌だけど別に入るのは嫌じゃねーし、美子が大丈夫って言うなら大丈夫だろ。それにあそこしか手掛かりなさそーだしな。」
「うん、僕も概ね同じ意見だよ。ただ、急に走り出さない、離れないって約束はして欲しいな。」
秀みたいに不機嫌になったらどうしようと少し不安だったけど、条件付きで快く承諾してくれた。
「二人ともありがとう!ちゃんと約束するね!」
そう言って馨と指切りをしてから提灯を受け取ってお社にそれを向けた。
「よしっ!行こう!皆ついて来てね!」
自分も皆も鼓舞するように意気込んで勇ましく歩き出そうと右足を浮かせた瞬間、何故か腕を引き止められた。
「ん?どうしたの?秀。」
「あのさぁ、何でこの状況で先陣切ろうとすんの?美子は絶っ対に一番後ろ。分かった?」
分かった?と聞いてはいるものの、反対することを許さないような顔に黙って頷くしかなく、それを見た秀は私の手から提灯を取り上げてお社の階段を上がって行った。
「ま、これに関しては秀に賛成だなー!」
「ふふ、そうだね。嫌かも知らないけど、美子のためだから諦めてね。」
「…総大将は前線には立たないものだ。」
口々にそう言ってから他の三人も秀の後に続いてお社の中へと入って行った。何故か置いていかれて呆気に取られていると手をツンツンと突かれた。突かれた手の方を見るとそこには式神の子が立っていて目も口もない顔で私を見つめていた。
「…置いていかれるのって寂しいね。これからは気を付けなくちゃ。」
返事は絶対にないと思いつつも、報復のような寂しさと反省を聞いて欲しくてそう言った。そして、私も皆の後を追うべくお社へと走って行ったのだった。
続く…




