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『みこがたり』  作者: 朝ノ月
第一章
25/75

第25話 橘


ーーーーーーーーーーーーー






「あー!疲れたぁー!」


そう言って私が寝転がったのは森の外れにある夕日が見える丘だった。


「あははっ!本当にクタクタになったな!」


「あーあ、体力には自信あったんだけど、なーんでかなー。」


「…不思議だ。」


「こんなにたくさん走ったのは初めてだよ。」


私と同じように芝生の上に寝転んだ四人も、口々にそう言って夕焼けの空を仰いだ。耳を撫でる四人の声と紅色が溶ける空を飛んでいく鳥の群れに、胸がくすぐられた。


「…ふふ。」


「…?美子?」


堪え切れずに笑うと、それに気が付いた健が私の名前を呼んだ。


「…ふふ、やっぱり皆で遊ぶのって楽しいね!」


まるで空に自慢するかのようにそう言うと、近くで寝転がっていた四人は笑って応えた。その笑い声に、私はゆっくり目を閉じた。




「……とっても楽しかったよ。ありがとう。」


そう言って起き上がると、そのまま振り返らずに背中を向けた。


「楽しかったって、夜も祭りは続くんだから遊べんだろ?」


私に続いて起き上がった健は、不思議そうな声で私にそう言った。だけど、私は背中を向けたまま頭だけ横に振った。


「…わたしは、お祭りには行けないの。夜は危ないから外に出ちゃダメってお父さまに言われてるから…」


そこまで言うと、どんどん大きくなる悲しい気持ちをぐっと抑えて振り返った。


「だから皆と一緒に、いっぱい遊べてよかった!すごく楽しかったから、きっと今日の夢はすごくステキな夢だよ!」


せっかくの楽しい時間を、私のせいで台無しにしたくなくて精一杯の笑顔と言葉で繕った。だけど、何も言わずに見つめる目がそれを見透かしてしまいそうで、急いで立ち上がった。その時ちょうど、夕焼けのチャイムが鳴り始めた。


「ほら、帰らなくちゃ!…あ!せっかくなら皆で、誰が早く帰れるか競争する?」


そう言って天地神社のある方へ歩き出した。



…本当は、

「またね」ってちゃんと言いたかった。

「今度はいつ会えるの?」って聞きたかった。


だけど口から出るのは見せかけの言葉だけ。


…鋭い痛みが打つ胸では、「帰りたくない」と伝えてしまうと思ったから…。



「お腹空いたなぁ〜、今日のご飯は」


「美子。」


私の名前を呼ぶ声と私の手を掴む温もりが、進もうとする足を引き止める。誰かは判っていた。だけど、どんな顔をすれば良いのか判らなくて振り返らずにいると、引き止めた彼が口を開いた。



「…危ないから遊べないって、オレが何のためにいると思ってんだよ。」


「…えっ…?」


その言葉に引き寄せられるように振り返ると、真剣な表情で私を見つめる健がそこにいた。


「…オレ、【青龍】は嫌いだけど、美子を危ないもんや怖いやつから守るために嫌いな修行も稽古も頑張ってるって、美子なら知ってんだろ?」


そう言って笑う健の目が優しくて、一生懸命に抑えていた本心が溢れそうになる。


「…しっ、てる、けど…でも……」


声が震えないように喉に力を入れると、言葉が(つか)えて上手く話せなくなってしまった。言葉を返す代わりに俯いた瞬間、バシッと何かを叩くような音が響いて掴まれていた健の手が離れた。


「いってぇーな!何で叩くんだよ!」


そう言って振り返った健の後ろには、眉間に皺を寄せて手をぷらぷらさせている秀が立っていた。


「いちいち美子に触りすぎ。不快。キモい。」


「はぁあ?!何でオマエにそんなこと言われなきゃなんねーんだよ!!」


そう食って掛かる健を「はいはい」とあしらった後に私を見つめると、小さく溜め息を吐いた。


「…美子は嘘つくの下手なんだからさぁ、俺みたいにやんなくていーの。それにさぁ、【白虎】最強の俺がいんのに危ないだの怖いだのが問題になるはずなくない?」


その言葉に何も答えずに立ち尽くしていると、今度は秀の後ろから声が聞こえてきた。


「…僕も言いたいことは概ね同じだけど、敢えて言うのなら美子にはもっと、ワガママを言って欲しいなって思う。僕を救ってくれた美子に、出来る限りのことをしたいんだ。」


「…言葉を重ねるようだが、【玄武】の力は美子を守るためにある。故に、美子の望む道が茨だろうと魔の巣窟だろうと切り開き守護することは(やぶさ)かではない。…望みがあるなら言ってくれ、全て叶える。」


真剣に、だけど優しさに溢れた言葉の数々に痛かった胸がさらに痛くなった。でも、不思議と苦しさはなくて、焦がすような熱が鼓動を速めていった。








「……に……れる…」


言っても良いのか、迷惑にならないか、そんな不安が頭を駆け巡って、自分でも聞こえないような小さな声でしか言葉を紡げなかった。


「美子。」


…だけど、目の前にいる四人はそんな躊躇いも簡単に打ち消してしまう。






「…わたしを、夜のお祭りに連れて行ってくれる?」


「ああ!任せとけって!」


意を決して隠していた本心を告げれば、目の前にいる彼らはそう言って笑顔で頷いてくれた。


…四人はきっと知らない。その言葉がどれほど嬉しかったかなんて、その笑顔がどれほど頼もしく思えたのかなんてことも。


「…ほ、本当に連れて行ってくれる?わたしと約束だよ?絶対だよ!?」


感動もそこそこに、慌ててそんな押し付けがましい言葉を並べ立てた。信じていない訳じゃないけど、どうしてももう一度だけ、ちゃんとした言葉が欲しかったのだ。


「ああ!約束だ!」


「分かってるって。約束ねー。」


「うん、約束するよ。」


「…約束しよう。」


態度や口調の違いはあったけど、それぞれの口から出たのは私が欲しかった唯一の言葉で、それがまた胸を打って熱に変わった。


「約束!約束ね!…じゃ、じゃあ、わたし、お父さまにお願いしてみる!だから、皆は装束から着替えて迎えに来て!場所はわたしの家ね!」


夜のお祭りが始まってしまう前に、何とかお父様から許可を得なくてはと早口で用件を伝えた。


「おう!また後でな!」


そう言って手を振る健と頷く三人を見てから、背中を向けて走り出した。悲しい気持ちで帰るはずだった道が、今は希望と約束に満ちてキラキラ光っているようだった。






ーーーーーーーーーーーーー






「…お父さまっ!!」


薄暗くなっていく夕焼けの道を駆け抜けて辿り着いたのは社務所の一番大きな部屋で、挨拶もなく襖を開けて大声でその人の名前を呼んだ。


「…美子?」


家で大人しくしていろと言った子が突然汗だくで現れ、大声で名前を呼んだことに余程驚いたのか、いつもは無表情な顔が驚きに染まっていた。


「あ、あの!実は、お願いがあって来ました!」


「…お願い?」


お父様以外に誰もいなかったことを幸いと勢いそのままに本題へ入ると、私が解らない時にする癖のように言葉を繰り返した。


「はい!…その、夜のお祭りに…行っても、良いですか…?」


突如襲ってきた緊張に語気が弱まり言葉が浮ついてしまった。だけど、ちゃんと伝わったと言うことはお父様の顔を見れば明らかだった。





「…夜の祭りだと?」


しばらくの沈黙の後に響いたのは、そんな言葉だった。怒っているような冷たい声音と眉間に刻まれた深い皺が、無口で無表情なお父様の心の全てを語っているようで、心臓と喉がギュッと絞められた。


「あ、あの!えっと、その…!ひ、一人で行くんじゃなくて!よ、四人と一緒に行きたいんですっ!」


恐怖に飲まれないように慌ててそう付け加えた。すると、お父様の眉がピクッと動いた。


「…四人とは、【四神】の次期当主達のことか?」


その問い掛けに「はい、そうです」と返事をする勇気がなくて、必死にコクコクと何度も頷いて応えた。


「……。」


そんな私を見た後、手を顎に置いてしばらく考え込んだお父様。後はもう返事を待つことしか出来ない私はただ、祈るように手を組んで見つめていた。



「…良いだろう。許可しよう。」


「…へっ?」


もっと尋問されるか、はたまた強請(ねだ)り続けるかのどちらかだろうと長期戦に備えていたのに、返ってきたのはまさかの外出許可だった。予想だにもしない返答に、当然頭が真っ白になって返す言葉を失ってしまった。


「…確かに平生(へいぜい)の夜間外出は一切禁じていたが、祭りへ行くことまでを禁じていたつもりはない。ただ、終日祭りに掛かり切りであるためお前に同行できる者がいなかっただけだ。それを【四神】が担うと言うのなら、わざわざ止めるまでもないだろう。」


一息にそう述べると、袂から山吹色のがま口財布を取り出してそれを上下に揺らして中身を確認した。それから私の手を取ってそれを乗せると、背中を向けて鏡台の前に座った。


「…話が終わったなら行きなさい。私は祭りの支度で忙しい。」


背中越しの言葉に、真っ白だった頭がようやく現状を把握して慌てて頭を下げた。そして、ポッケにお財布を入れて両手で襖を閉めようとした時だった。


「…右近の間、桐箪笥の下から二段目…」


「えっ?」


私以外に一人しかいない部屋から聞こえた声は間違いなくお父様のものだった。だけど、いくら待ってもその先は話してくれず、支度で忙しそうにしていたので何も聞けずに襖を閉める他なかった。













(…お祭りに行けるのは嬉しいけど、「右近の間」って何だろう…?)


社務所を出て参道を早足で駆けながら、そんなことを考えていた。


(…お父様のことだから無駄なことは話さないと思うんだけど……うこん…んー、何か聞いたことがあるようなー…)


頼りない記憶を必死に辿ってその言葉を探していると、浴衣を着て手を繋ぐ親子連れとすれ違った。とても嬉しそうにはしゃぐ男の子と、その子と手を繋ぐ楽しそうなお父さんとお母さん。幸せを絵に描いたような風景に、花の咲き誇る綺麗な庭の景色が脳裏を過った。



(…思い出した…「右近の間」って、あそこのことだ……)


ようやく辿り着いた答えを頭に描きながら、いつの間にか止めていた足を再び動かして家路を急いだ。





………

……





「…ふう…」


汗ばむ手で裏口の戸を閉め、靴を脱いで上がると玄関の方へ走って行きそこから右の、西へと伸びる長い廊下を見つめた。


(…「右近の間」は、こっち…)


緊張で早まる鼓動に導かれるように、黄昏の闇が差す静かな廊下を一歩一歩慎重に歩いて行った。





…サラッー…



誰かが開けていたガラス戸の間から、少し蒸した風が頬を撫でる。それに顔を上げると、風の吹いてくる先には夕闇に染まる、青々とした草木やピンク、赤、黄色といった色鮮やかな花々が咲く庭があった。


「…すごく久しぶりに来たなぁ、ここ…」


薄暗い庭を眺めながらそう呟くと、庭先に置いてあった誰かの草履を履き、一番背の高い常磐木の下まで歩いて行った。


「今は咲いてないんだ、橘のお花。」


…そう、今見上げた先にあるこの木こそが「右近の間」の由来となった橘である。「右近」と「橘」に何か関係があるらしいけど難しくて覚えられなかった私は、この庭がある部屋のことを「橘の間」と呼んでいた。だからすぐには分からなかったのだ。


「今もキレイだけど、橘のお花が咲いてる時の方がキレイだったなぁ。」


この庭に来たのはずっと昔でそれも一回しかないけど、その時の感動は鮮明に覚えている。


緑の枝葉に小さな白い花をいくつも咲かせた木とともに、躑躅(つつじ)芍薬(しゃくやく)鈴蘭(すずらん)丁字草(ちょうじそう)菖蒲(あやめ)などの色とりどりの花々が訪れた初夏を祝っているような、そんな賑やかで美しい景色と爽やかな香りに心も身体も酔い痴れたのだ。


「いつか、もう一回だけ見てみたいなぁー…なーんてね。」


叶いそうもない夢を軽く笑って捨てた後、草履を脱いで廊下に戻り閉じられた障子戸を見つめた。


(…本当に入ってもいいのかな…?でも、お父様が言ったことだし…)


緊張で強張る身体に「お父様が言ったことだから!」と言い聞かせて手を伸ばした。そして、ゆっくりと障子を横に滑らせた。




「…あっ…」


暗くて1メートル先がやっとの部屋に充満する畳の香りに、親しみと懐かしさが胸に響いた。だけどそれは喜ばしいものではなくて、胸に響くごとに針が刺さったような痛みが生まれて無性に泣きたい気持ちにさせた。


(…知らない。分からない。ただ部屋に入るだけなのに、悲しいなんて……知らないもん…)


責任を押し付けるような痛みを振り払ってから、障子越しの夕焼けを頼りに部屋の電気を点けるスイッチを探した。


「…あった!」


そう言ってスイッチを押すと明かりが点いて部屋の中が見えるようになった。


「あ、桐たんすってあれかな?」


広い和室には机と鏡台、そして箪笥だけが置いてあった。私はすぐに箪笥に近寄って正面に座った。


「えっと、下から二段目だったよね?」


答えるはずもない自分の記憶にそう尋ねてから、二段目の取っ手に手を掛けて精一杯引いた。すると、中には大きな真っ白の紙が入っていた。


「…これたとう紙ってやつだよね?あ、もう一個ある。」


両手で慎重にそれらを取り出して紐を解き紙を捲った瞬間、息を呑んだ。



…紙に包まれていたのは、淡い黄色の布地に太陽のような、鮮やかな黄色の大輪の花と橘のような小さな白い花があしらわれている子供用の浴衣と、模様のない花萌葱(はなもえぎ)の帯だった。


(…浴衣は私も持ってるけど、お祭りに行く用のってこと…?どうして用意しておいたの…?)


次から次へと浮かび上がる疑問に頭が追い付かなくて目が回りそうになった。このままだと考えすぎて熱で倒れ込みそうだと思ったので、いっぱいいっぱいになった頭をブンブンと勢いよく横に振った。


「考えてもお父さまが考えていることなんて分かんない!でも、初めてのお祭りだもん!オシャレしたいから、ありがたく着させてもらおう!!」


自分に言い聞かせるような独り言を言ってから、部屋の電気を消し、両手で浴衣と帯を紙ごと抱えて廊下を走って行った。






しばらく走って自分の部屋まであと少しの十字路を左に曲がろうとした時だった。


「…美子様?」


名前を呼ばれて振り返ると、そこには神楽を教えてくれた先生こと分家の奥方様が立って私を見つめていた。


「急いでどうされたのです?お部屋でお休みになるように応龍様がー…」


そこで言葉を切った先生の目は、私の手にある紙に包まれた浴衣へと注がれていた。


「あ、えっと…実はこれから、お祭りに行くんです。そしたら、お父さまがこれを下さって…」


ちゃんとお父様の許可は貰っていますよと言わんばかりに持っていた浴衣と帯を差し出して見せた。しかし、先生はそれらを見つめるばかりで中身を見ようとはしなかった。


「…先生?」


何も言わずに立ち尽くす先生を見上げて名前を呼ぶと、一瞬目を見開いてからゆっくりと瞬きをした。


「…そちらを私に。お出掛けの御支度をお手伝い致します。」


「えっ、良いんですか?宴会の準備は…」


迷惑になりたくなくて慌ててそう言うと、先生は小さく首を横に振った。


「宴会は祭りが終わった後の夜更けですし、娘達もおりますので、お気になさらず。さあ、参りましょう。」


少し屈んで私の手から浴衣と帯を取り上げると、そのまま私の部屋がある廊下を歩き出した。思わぬ助っ人の登場に、驚きを隠せなかったものの頼もしいことには変わりないのでご好意に甘えようとその背中を追った。





………

……







「…これで良いかと。ご確認下さい。」


「…わあ…」


先生に促されて見た鏡の中の自分の姿に、思わず感動の溜息が溢れた。桐箪笥から見つけた黄色の浴衣と緑の帯、そして結い上げた髪は華やかで上品な雰囲気があって、鏡に写っているのは私なのに、私じゃない別の人みたいに見えて心が酔い痴れた。


「お財布はこちらの巾着にお入れ下さい。」


鏡を見つめ続けていた私に先生がそんなことを言ったのでそちらを見ると、藤色の巾着袋を差し出していた。


「巾着のご用意はありませんでしたので、私物で申し訳ありません。ですが、袂や懐にお財布を入れておくよりは宜しいかと。」


「…あ、ありがとうございます。」


ぼんやりとした頭で何とか状況を理解して、自分にうっとりした自分を恥ずかしく思いながら慌ててお礼を言った。


「夜は昼と違って露店が立ち色々とお召し上がりになるかもしれませんが、夕餉は用意しておきます。ですのでお腹のご心配はせずに、心ゆくまでお楽しみ下さい。」


そう言うと、先生は部屋の出口で一礼してから立ち上がって廊下を歩いて行った。残された私は、もう一度鏡で自分の姿を確認した。


「…大丈夫!ちゃんとキレイだよ!」


不安に揺れる目を見つめながらしっかりとそう言ってあげた。それから、くるりと振り返って部屋を出ようと歩き出した時、ふと机の上に置いてある風呂敷に包まれた箱と鍵が目に入った。


「あ、忘れてた!ちゃんとしまっておかないと!」


お兄様との約束を思い出してそれらを手に取ると、廊下を歩いて正面玄関へと向かった。


「靴はー…これでいっか。」


遊びに行く時の運動靴と、巫女としてお務めする時の草履を交互に見つめて草履を履いた。


「…よしっ!行ってきます!」


誰に言うでもなくただ前を向いて元気よく挨拶をした。それから、お面の入った木箱をしっかり抱いて()りガラスの戸に手を掛けた。


…開いた先から薫る宵の夏風に心を弾ませ、敷居を跨ぐ。大袈裟かもしれないけど、それはまるで、新たな世界への冒険が始まったような出来事だと思った。






続く…

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