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『みこがたり』  作者: 朝ノ月
第一章
21/75

第21話 前日


ーーーーーーーーーーーーー






(…1、2、3の、1、2、3で、回って鈴…)


笛の音が響く広い稽古場で、私は右へ左へと回りながら鈴を鳴らして踊っていた。


(…最後は鈴を空に向けて…お辞儀…)


静かになった部屋の中央で正座をしてお辞儀をすると、パチパチと拍手が聞こえてきた。


「美しい舞でしたね。きっと応龍もお喜びになるでしょう。」


そう言ってくれたのは分家の奥方さまで、この一ヶ月近く私に神楽舞を教えてくれていた。


「ありがとうございます、先生。」


「いいえ、お礼を言われるようなことはしておりませんよ。」


首を軽く振ってそう答えると、先生は私が持っていた神楽鈴を受け取って箱にしまった。


「明日は皆様の前で神楽を舞って頂きますが、緊張なさらずにいつも通りお務めになれば実を結ぶでしょう。」


「は、はい…」


皆の前で踊っている未来を想像しては、喉がキュッと締められて苦しくなった。すると、稽古場の扉の方から名前を呼ばれた。


「お兄さま!おかえりなさい!」


「ただいま、美子。」


塾が終わってすぐなのか、塾用の鞄を持ったままのお兄様が微笑みながら立っていた。駆け寄ると、いつものように優しく頭を撫でてくれた。


「お疲れ様。ごめんね、夏休みなのに一緒にお稽古ができなくて。」


「ううん!お兄さまも塾お疲れさまでした!」


私の言葉に微笑んでから、稽古場の中央に座る先生に目を向けて口を開いた。


「美子に稽古をつけて下さり感謝申し上げます。貴女の功労に、お父様もきっと私と同じ御心でしょう。」


「勿体ない御言葉です。」


よく見る上辺だけのやり取りを見つめていると、お兄様がまた私の名前を呼んだ。


「帰ろうか。今日は美子の好きな物を作るようにお願いしたから楽しみだね。」


「本当!?楽しみです!」


喜びのあまりピョンピョンと跳ねてしまったが、先生への挨拶がまだだったことを思い出し慌てて正座をした。


「えっと…、本日もたくさんご指導いただきありがとうございました。お先に失礼いたします。」


「お疲れ様でございました。」


そう挨拶を交わしてから立ち上がると、お兄様が「帰ろう」と言ったので頷いてから手を繋ぎ、先生を残して稽古場を後にした。









「うわぁ〜…夕方なのに、まだ暑いですね。」


涼しい稽古場の扉を出た瞬間、湿った暑さがヒグラシの声と共に身体を包み込んだ。


「そうだね。でも、昼間の暑さに比べたら涼しい方だよ。」


汗が滲んで顔を歪める私とは対照的に汗一つかかない涼しい顔のお兄様は、思わず手を離そうとする私の手を逃がさないように強く握って歩き始めた。


「神楽があるのは午前中だし、お祭りでは千早や髪飾り、お面なんかを着けるから熱中症にだけはならないようにしないとね。」


「お面?」


そう繰り返すと、お兄様は少し驚いたような顔をしてから軽く頷いた。


「ああ、そうか。美子は初めてお祭りに参加するんだったね。「応龍祭り」の神楽では巫女がお面を着けて踊るのが仕来りなんだよ。」


「どうしてですか?」


さらに聞き返すと、お兄様は少し考え込んでから口を開いた。



「…それはね、「応龍祭り」の起源となった伝説を模しているからだよ。その昔、荒れ果てたこの地に稀有な力を持つ少女が現れ、応龍に舞を捧げて恵みを賜ったんだ。それが丁度、夏の土用に起こった出来事だったからこの時期に祭りを行い、その祭りで少女、つまり【始祖の巫女】を演じることで応龍が恵みを(もたら)すと考えられているからお面を着ける仕来りがあるんだよ。」


「…しそのみこ…?」


「うん。『応龍伝説』で言う【巫女様】のことだよ。」


“しそ”の意味は分からなかったけど、何度も聞いたことのある名前に納得して頷いた。そして、その偉大なる【巫女様】を明日、自分が、皆の前で演じなければならないのだと知り、思わずお兄様の手を強く握ってしまった。


「…美子?」


「……」


名前を呼ばれたけど、それどころじゃない私は俯いたまま口を噤んでいた。すると、お兄様が私の正面でしゃがみ、両手を取った。



「…大丈夫。僕も明日の神楽では笛を演奏するから、一人じゃないよ。それに、先生も言っていただろう?「いつも通りで大丈夫だ」って。だから、自信を持って。美子が心を込めて一生懸命に舞えば、応龍もきっと喜んでくれるはずだよ。」


慰めるような、励ましの言葉を丁寧に伝えてからお兄様は優しく微笑んだ。その言葉と微笑みがたまらなく嬉しくて、緊張で青ざめていたのにいつの間にか笑顔で頷いていた。


「うん。やっぱり美子は笑顔が一番素敵だね。」


「へへっ、それじゃあ、わたしを笑顔にしてくれたお兄さまはもっと素敵ですね!」


そう言うと、お兄様は一瞬驚いた表情をしてからすぐに笑って「ありがとう。」と言った。そして、立ち上がって再び私の手を引いて歩き出した。




「あ、そうだ。お兄さま。わたし、お料理を作ってみたいんです。」


「料理?」


繰り返しの言葉にコクンと頷いて応えると、眉を顰めて口を開いた。


「…どうして?うちにはお手伝いさんがいるから、美子がわざわざ台所に立つ必要はないだろう?」


多分、何をするのも不器用な私を心配してくれてるんだろうなと思った。嬉しかったけど、私は首を横に振った。



「…だって、わたしはいつも【四神】とか町内会の宴会に参加できないから、せめてお料理だけでも参加したいなって思って…」


そう言って思い出したのは、年末年始やお祭りの後に行われていた楽しそうな宴会の風景だった。



(…楽しそうなのに参加しちゃダメで、いつも私だけ仲間外れで、いつも見てるだけだったから……)


思い出してしまうと、悲しい気持ちも一緒に思い出されてまた俯いてしまった。すると、隣を歩いていたお兄様がふふっと軽く笑った。


「…そっか。そういうことなら、僕からもお父様にお願いしてみようか。」


「…え、本当ですか!?」


勢いよく顔を上げると、綺麗な笑顔を浮かべるお兄様が私を見つめていた。


「うん。怪我だけはしないって約束するなら、お父様とお手伝いさんに僕からもお願いしてあげるよ。」


思いがけない味方の登場に驚いたものの、自分のやりたいことを認めてもらえた嬉しさに堪らず笑みを返した。


「はい!約束します!」


大きく頷きながらそう答えると、お兄様は「頑張ってね。」と言って笑ってくれた。


(やったぁ!お兄様がお願いしてくれたら、きっとお父様も許してくれるはず!)


初めてのお料理は何にしようかなとウキウキしていると、天地神社の大鳥居の下に見覚えのある後ろ姿が見えた。


「お父様、ただいま帰りました。」


お兄様がそう声を掛けると、小太りのおじさんと話していたお父様が振り返った。


「ああ、迎えに行っていたのか。ご苦労だったな、光。」


私をチラリと見てからお兄様にそう言うと、小太りのおじさんが「応龍様。」と呼んだ。


「私はこれで失礼します。何かありましたらいつでも御連絡下さい。」


「御協力感謝します。ではまた明日。」


軽く頭を下げたおじさんも、私をチラリと見てから背を向けて歩いて行った。


(…今の人、最近よくお父様と一緒にいるけど誰なんだろ…)


消えて行った後ろ姿に考え込んでいると、お兄様がお父様の名を呼んだ。


「唐突で、尚且つこのような所で申し上げるべきではないのですが、お願いがございます。」


「お願い?」


「はい。」と答えてから私を見ると、再びお父様を見つめて口を開いた。


「美子が料理を作ることの許可を頂きたいのです。」


「…美子が、料理を作る…?」


さっきのお兄様と同じように眉を顰めたお父様に、身体がビクッと跳ね上がった。だけど、お兄様が作ってくれたチャンスを手放したくなくて、意を決して言葉を紡いだ。



「…その、わたしはいつも、お祭りの後とかにある宴会に参加できないので、せめてお料理で参加できたらな、って思っ、たんです…。」


つっかえながらも何とか思いを伝えると、お父様は黙ったまま私を見つめた。それがより一層緊張を誘うけど、私にはもう待つことしか出来なかった。





すると、不意にお父様の溜息が聞こえてきた。


「…料理よりも、玉串をもっと上手く作れるようになって欲しいものだが…まあ、いいだろう。包丁や火の取り扱いには気を付けるように。」


「…えっ?」


驚いて顔を上げると、境内の方からお父様を呼ぶ声が聞こえてきて、お父様は私達を残して見えなくなってしまった。




(…えっと…?)


一向に整理のつかないお父様の言葉を頭の中で繰り返していると、隣にいたお兄様がクスッと笑った。


「…案外、お父様も楽しみにしてるのかも知れないね。」


そう言って笑っているお兄様に、さっきのお父様の言葉の意味を確認しようと慌てて口を開いた。


「お、お兄さま!あの、今のって、お父さまもお料理を作ることを許してくれたってことですよね!?」


「うん。怪我をしないようにと言っていただろう?」


さらりと伝えられた肯定の言葉に、漸く理解が追い付いて嬉しさの余り万歳をしながらピョンピョンと飛び跳ねてしまった。


「ふふ、良かったね。さて、心配事も片付いたし、そろそろお家に帰ろうか。」


「はい!」


元気よく返事をしてから、お兄様の手を取って再び家路に就いた。


…神社に響く夕方の蝉時雨は、まるで私を祝福してくれているかのように優しく夜の闇に溶けていった。






ーーーーーーーーーーーーー






「…ふう、さっぱりしたぁ〜。」


夕食を済ませ、お風呂から上がった私は汗の滲む肌をバスタオルで拭いながら縁側で夜風に当たっていた。


「…ふふっ、いい香り!大人のお姉さんになったみたい!」


そんな喜びを感じながら夜風に香る自分の髪を触った。


(明日がお祭りだからお清めのために紫陽花のお香を焚きなさいって言われたけど、こんな素敵な香りなら毎日焚いてもらいたいなぁ〜…)


紫陽花の上品な香りに大人の階段を一歩登ったような気持ちになって思わず笑ってしまった。すると、不意に名前を呼ばれ振り向くと、お手伝いさんが立っていた。


「…失礼致します。美子様にお電話がありましたのでご報告に参りました。」


「電話ー…」


そう言った瞬間、彼のことが脳裏を過り慌てて立ち上がって廊下を走って行った。途中ですれ違った他のお手伝いさんに注意をされたけど、止まることなく走り続けた。そして、電話台の前に到着し、早まった鼓動を落ち着かせるように深呼吸をしてから受話器を取った。



「…もしもし?」


電話の保留音が途切れた後に、少し小さな声でそう言うと何かに打つかったような物音が聞こえてきた。


『…やっべ!あ、もしもし!オレだけど、美子か?』


「…!うん、そうだよ!健!」


思った通りの人物であったことが堪らなく嬉しくて、もっと声が聞きたくて両手で受話器を持ち耳に押し当てた。


『色々とごめんな?電話落としてうるさかっただろうし、明日は祭りで大変だって分かってんのに電話したりして…』


電話越しなのに健の落ち込む顔がはっきりと見えて、私は頭をブンブンと横に振って口を開いた。


「そんなことないよ!わたしも、健とお話ししたかったから電話してくれて嬉しいよ!」


誤解して欲しくなくて、精一杯胸の内を健に伝えた。すると、一瞬だけ静かになった後、健の朗らかな声が聞こえてきた。


『そっか!迷ったけど嬉しいなら良かった!』


そう言うと、少し照れたような声で笑った。その笑い声に、私も安堵の息を吐いた。


『明日はいよいよ祭りだな。美子の神楽、楽しみにしてんな!』


「うん!少し緊張するけど、応龍にも、皆にも喜んでもらえるように頑張るね!」


帰り道にお兄様が私に言った言葉を借りて今の気持ちを伝えると、電話の向こうから元気な笑い声が返ってきた。


『それならオレは見るのと応援するの頑張るな!…あ!それとさ、神楽が終わったら久しぶりに遊ぼうぜ!迎えに行くからさ!』


「…!うん!遊ぼう!わたし、神楽が終わったら一回お家に帰るから、そっちで待ち合わせね!」


挨拶とか大丈夫なのかな?と考えたりもしたけど、健からの素敵な提案を断るなんて考えられず、すぐさま頷いて待ち合わせの約束をした。


『美子んちな、分かった!』


健がそう言うと、遠くの方から健を呼ぶ声が聞こえてきた。その声に、健は『うげっ…』と嫌そうな声を漏らした。


『…悪い、美子。もっと話してたかったんだけど、サイシューカクニンとかいうメンドーなやつがあるらしいから、もう切るな。』


「…あ、うん…こんな時間までお疲れさま。」


思わず本音が溢れそうになるのを必死に抑えてそう返事をすると、健は小さく笑った。


『ああ、ありがとな。それじゃあ、また明日な、おやすみ。』


「…うん、また明日ね、おやすみなさい…」





…受話器から聞こえてくるツー、ツーという音が胸にできた小さな隙間に入り込んで気持ちを沈ませた。



(…忙しいんだもん、仕方ないよ……明日、また明日って言ったから、遊ぼうって約束したから、それで良いの……)


沈む心に慰めの言葉を掛けてから、受話器を戻して両手で頬を叩いた。


「…明日っ!神楽頑張ろう!」


天井に向かって大声でそう意気込みを言ってから、大股で廊下を歩き始めた。



…決意を告げた夏の夜は、まるで明日の祭りを待ち侘びているかのような熱で光に満ちた小望月(こもちづき)を包み込んでいた。






続く…

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