第19話 熱き夢
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「…ケホッ、ケホッ…」
喉を通る渇いた咳の痛みで目を覚ますと、家族連れや友人、恋人達で賑わう電車の中にいた。
(…あれ?新幹線じゃない…?)
挨拶周りも終え、神ヶ森町へ帰るために【玄武】の地を出発した後に乗ったのは確か新幹線で、いつものように長い移動時間中に眠ってしまったことは覚えている。だけど、そこからどうやって普通の電車に乗り換えているのかが全く分からなかった。ふわふわする頭で考えながら首を傾げると、頭上から小さな咳払いが聞こえてきた。
「…あ、お父さま…」
見上げた先にいたのはいつもと同じお顔をしたお父様だった。
「…声を掛けても起きる素振りを見せなかったため私が運んだ。余程疲れが溜まっているようだな。」
乱れた私の髪を直しながらそう言うお父様の手を見つめてぼーっとしてると、突然リュックを渡された。
「長時間口を開けて寝ていたから喉が渇いただろう。水分を摂っておきなさい。」
「…はい。」
そう小さく返事をし、受け取ったリュックからペットボトルを取り出して緑茶を一口飲んだ。
(…ちょっとぬるいけど、美味しいな…)
お高い特別なお茶じゃないのに、何故か感動してもう一口飲み込んでからリュックにしまった。その時、リュックの底に見慣れない黒の巾着があるのを見つけた。
(…こんなの、持ってたっけ…?)
片手に収まる程の小さな巾着を取り出して眺めていると、お父様がそれを取って紐を解いた。
「…ふむ。薬草の匂いがするが、飴のようだな。」
「…あめ?」
そう聞き返すと、巾着から深緑色のまんまるな物体を取り出して私の口に入れた。その直後、舌が引き攣るような苦味と渋味が口に広がった。
「にっがいっ!!」
吐き出そうとするもティッシュが見つからず、助けてくださいと言わんばかりにお父様の袖を引っ張って見上げた。
「言っただろう、「薬草の匂いがする」と。それと、公共の場では静かにしなさい。」
「だ、だって!あめって言ったからー…」
「美子。」
冷ややかな声と射るような鋭い目で私を黙らせると、徐に巾着の口を縛って袖を掴んでいた手を取ってそれを置いた。
「【玄武】の次期当主殿が別れ際にお前に渡した物だ。大事にしなさい。」
「えっ、透夜が?」
間抜けな声でそう言うと、お父様は眉を微かに動かした。
「今朝のことをもう忘れたのか?礼を言って受け取っていただろう。」
「んんー…」
言われてみればそんな気がするような…とあやふやな記憶に曖昧な返事をすると、神ヶ森町に到着するというアナウンスが車内に流れた。
「…まあいい、帰ったらいつもの部屋に来なさい。あちこちから苦情が入っている、と言えば分かるな?」
「…うっ…はい…」
思い当たる数々の出来事に頭が痛くなったが、帰ってすぐに勉強やら稽古やらをしなくて良いのだと前向きに捉えて、近付く駅を車窓から静かに眺めた。
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「……こ、美子。」
「…んっ…」
聞き馴染んだ声に呼ばれ重い瞼を懸命に開くと、映り込んだのは眉間に皺を刻んだお父様だった。
(…ここ、どこだろう…?)
辺りを見ると、私はタクシーの後部座席に座っていて、タクシーは見慣れた鳥居の前で停車していた。
(…あ、そっか。駅前でタクシーに乗って帰って来たんだ……)
自分の置かれている状況を理解したのと同時に、体を抑えていたシートベルトが解かれてリュックを膝に置かれた。
「…降りなさい。待たせては迷惑だろう。」
「…はい、すみません…」
喉が痛いから小さな声でそう言ってタクシーを降りると、地面がグラグラと揺れているような感覚に襲われた。
「美子、先に家へ戻っていなさい。私は神社の方を見てから戻る。」
「…はい…」
返事をしながら頷くと、お父様は背中を向けて石畳の参道を歩いて行ってしまった。
(…わたしも、行かなくちゃ…)
お父様が人混みに消えて見えなくなった頃、漸く自分のしなければならないことを思い出して石畳を歩き出した。そして、鳥居の前で一礼してから境内に一歩入った瞬間、頭に撃たれたような激しい痛みが走った。
「…っ、な、に…?」
まるで脳に心臓があるみたいな脈を打つ頭痛に顔を歪ませると、今度は咳が止まらなくなった。
(…くる、しい…はやく、かえらないと…)
今まで体験したことのない症状に恐怖を感じたけど、こんな所で倒れては参拝に来てくれたお客様に心配を掛けてしまうと思い、一生懸命に足を動かして家を目指した。
(…っ、あついのにさむくて、いたくてくるしくて、きもちわるい…)
幸いにも家が境内の中にあって、鳥居をくぐってすぐの所にあったため倒れることなく辿り着けた。そして、汗の滲んだ熱い手で何とか門を開けて中に入ると、誰かに名前を呼ばれた。
(…もう、だめー…)
門をくぐった安心感からか、その声が耳に届いた瞬間、私は崩れ落ちるようにその場に倒れてしまった。
…必死に私の名前を呼ぶ声を最後に、私は意識を失ったのだった。
………
……
…
…目を開くとそこは白くて暖かい、雲の中みたいな世界だった。
(……ここは…?…わたし、なにしてたんだっけ…?)
ふわふわとする頭で考えてみたけど答えはおろか自分の名前すらも思い出せない。
(…まあいっか……もうすこし、ねよう……)
勝手にくっ付こうとする瞼に従ってゆっくり目を閉じようとした時だった。突然、目の前に眩しい光が現れて強い風に包まれた。
(…まぶしい…)
強い光に思わず目を瞑ると、風がピタリと止んで鈴が転がるような音が聞こえた。
(……りゅう…)
…鈴の音に誘われるように目を開くと、光の中に三つ指の足が四つ、鳥のような翼、二本の大きな角、そして黄色の鱗を纏った大きな大きな龍がいた。
(…きらきらしてて、きれい…)
呑気にそんなことを考えていたけど、あの鋭い爪や牙に襲われたらきっと一瞬で死んでしまうんだろうなとも思った。だけどその龍は、いくら待っても鳴いたり動いたりせずにただ私を見つめるだけだった。
(……どうしたの…?…どうしてー…)
何も言わず、見つめるばかりの龍に手を伸ばした時だった。
『…どうシテ?』
…喉を掻きむしったような声が聞こえた瞬間、世界が闇に染まり背後から誰かに首を絞められた。
(…っ、なに、くるしっー…)
首を絞める大きくて冷たい手を剥がしたくて掴むと、それを妨げるかのように両腕を掴まれて引っ張られた。
『…クルシい、苦シイ』
『…ドウシて?』
痛々しい声が増えるごとに、私の身体を掴む手が一つ二つと増えては肉と骨が軋んで痛みが走った。
(…いたい、やめて…おねがい、はなしてっ…)
『痛イ、いタい』
『ヤメて』
『…オネガイ、くるシい…』
声に出してないのに、私の言葉を繰り返す声はどんどん増えていった。そして、その声が増えるたびに掴む手が増えていき、その力も増していった。
(…っ…くる、しいー…)
全身を包むひどい痛みと苦しさに息が出来ず、意識を手放しそうになった時だった。
…それまでは背後からだったのに、目の前から静かに伸ばされた血塗れの手が私の両頬を包んだ。そして、輪郭のはっきりしない大きな影の塊が顔を寄せて私を見下ろした。
『…痛イ、苦シい……ドうしテ?…アナたが、憎イ、にクい……』
(…にくい…)
耳に響いた最後の言葉を繰り返すと影が笑った。狂喜に歪んだ笑みがゆっくり近付いて影が肌に触れた瞬間、私の意識は闇に落ちていった。
………
……
…
「……んっ…」
…肌を濡らす水の冷たさに目を覚ますと、見たことのある木目の天井と照明が映り込んだ。
(…わたしのへや…?)
目に映った光景からぼんやりとそんなことを考えていると、不意に誰かに手を握られた。
「美子っ!僕が誰だか分かるか?!」
そう言って覗き込んだのは、ひどく取り乱した様子の綺麗な男の子だった。
「…おにい、さま……?」
その顔を見つめながらやっとのことで思い出した名前を掠れた声で紡いだ。すると、部屋の中が急に慌ただしくなった。
「すぐに応龍様に報告を!」
「お医者様もお呼びして!」
「何かお食事を!」
色んな人の声と足音が飛び交う中、他人事のようにそれを眺めていると頬を撫でられた。
「…目が覚めて良かった……熱を出して倒れたんだよ。」
「…たおれた…?」
小さい声で繰り返すと、肩に腕を回され抱き起こされた。そして、お手伝いさんが持って来てくれたお水を受けとって私に飲ませてくれた。
「…記憶が混濁しているようだね。無理もない。五日間も寝込んでいたんだから…。」
「…ん……五日も…?」
ゆっくり水を飲み込み、もういらないとコップに触るとタオルで口を拭いてくれた。
「…そう。倒れてからずっと熱で寝込んでて、お医者様に診てもらっても原因が分からなくて、お父様と祈祷をしてみたけど効果がなくて……だから、本当に良かった…。」
そう言うとお兄様は両腕で私を抱きしめた。私が苦しくないように、だけど離さないと言わんばかりに強く抱きしめてくれた。
…夢とは違う、温かい体温と優しい鼓動にまた瞼が重くなってくる。
「…光様!美子様!応龍様がお見えになりました!」
そう告げた女の人の声と近付いてくる足音が意識と共に遠去かっていく。
「…おにいさま…」
再び眠ろうとする身体とは裏腹に、口が勝手に言葉を紡ぎ出す。
「…にくい、ですか…わたし、の、こと…」
「えっ…」
驚いた表情で固まったお兄様の後ろに大きな人の影が見えた瞬間、私はまた深い深い眠りの世界へ落ちていった。
続く…




