友だち ━不用意なささやき━ 第1部 未完
プロローグ
朝、孫娘の電話で目が覚めた。
「おじいちゃん、新しい長グツかったの。これから行くね」
孫娘は今年小学校の3年生になったばかりで、私の家から歩いて5分ぐらいのマンションに住んでおり、私の家は通学路にあたっている。
すぐにベッドから出て着替え、顔を洗っていると玄関のベルが鳴った。
ドアを開けると、白い長靴にカーディガン・スラックス姿の孫娘が通学用の黄色い傘を持って立っていた。
「おはようお爺ちゃん。見て、この長靴かわいいでしょ。お母さんに買ってもらったの」
ニッコリ微笑むと踵を返して傘を差そうとしている女の子を見たその時、
「雪子だ。雪子!」
思わず心の中で叫んだ。
髪を三つ編みにした、スラックスに長靴のその後姿は、60年前の私の記憶を唐突に、しかも鮮明に思い起こさせた。
1.船出
船底の2等船室は機械油のにおいで“ムッ”としていた。不安と憂鬱を乗せて船は竹芝桟橋を滑り出した。アベックが2組と一人旅風の若者がおり、家族連れは僕たちだけだった。それぞれ船室の四隅に陣取り、体臭と油の浸みついた毛布にくるまっている。みんな、なかなか進まない時間を必死に耐えているようだった。
年の瀬も押し詰まった12月のある日、手荷物を3つほど抱えて僕たち家族は伊豆七島の仲島へ向かった。父の新しい赴任先だという。小学校3年生の2学期まで東京郊外の新興住宅地にいた僕にとって、それは晴天の霹靂だった。
◇
学年が変わりクラス替えがあってから、僕は“イジメ”にあっていた。クラスメート4人によるコンビネーションは陰湿かつ執拗で、その攻撃は両親や先生に気づかれること無しに絶え間なく続いた。
上履きに画びょうを忍ばせる、椅子の座る部分にヤマト糊をベタベタに付けられるなどは序の口で、授業中背中にクワガタムシを入れられる、体操服や上履きを隠される、下校途中に通学路沿いのどぶ川に落とされるなど、“イジメ”はエスカレートしていった。
突然の転校により“イジメ”から逃れることができる、という安堵感もあったがそれ以上に新しい環境に飛び込む不安と“これまで以上のイジメにあうのではないか”という憂鬱が僕を襲う。実体のない不安を抱えながら僕はまた浅い眠りについた。
◇
大きな船体の揺れと、相変わらずの“ムッ”とする臭いで僕は目が覚めた。船は東京湾から外洋に出たのだ。揺れは僕の不安を再び呼び覚ます。トイレに行くふりをして階段を上り甲板に出た。
左側の空がうっすらと明るくなり新しい1日が始まろうとしている。正面にぼんやり島影が見えてきてそれがだんだん大きくなり迫ってくる。朝のヒヤリとした空気と風が僕の頬を打ってきた。
一つ身震いすると踵を返して船底へ戻り、僕はまた毛布にくるまった。
2.ロケーション
朝8時、船は本町港に着岸した。
伊豆仲島は“三日山”の噴火によりできた火山島で、島民は多くを漁業と観光客の落とすお金に頼っている。
山をよく見ると、山頂に向かって濃い緑色と藍色に近い深緑色の筋が出来ている。
昔、何度も噴火が起こり溶岩が流れ出し、その後にまた木が生えてくるという現象を繰り返して、現在の景観となっている。
◇
桟橋を出ると直進の道は緩い上り坂になっており、左側に下水溝がある。
下水溝と言っても深さ3m、幅5mぐらいの大きな溝で、溶岩がむき出しになっている。下水はほとんど流れておらず、空堀のようだ。
3分ほど道を上って行くと下水溝に石橋がかかっており、そこを渡ると左右に南国を思わせる芭蕉やソテツ・名前のわからないどぎつい赤色をした果肉植物が植わっており、アプローチを通ると官舎の玄関にたどり着く。
門の脇には“仲島検察庁”と大書されたまな板ほどの表札がかかっていた。
そこは父の赴任先で、島しょ部を取りまとめる検察庁だった。
玄関を入るとすぐ右側に事務室があり、突き当りは応接間となっている。
左側は僕たち家族のプライベートスペースで、すぐが6畳の和室、その奥が寝室と居間兼用の8畳の和室である。各部屋は一段高くなっており下ばきを脱いで上がるようになっていた。通路の突き当りは台所だがドアなどの隔てが無いため、台所というより炊事場に近い。
台所の右側には勝手口がついており、家と接して高さ3m・幅5m・奥行き7m位の大きなコンクリートの建造物があった。
これは雨水をためる貯水槽で、島には水道が無いため各世帯には必ずこの貯水槽がある。
引っ越してきた当初はこの飲み水に散々悩まされた。
しばしば下痢になり「正露丸」を飲む。薬を飲みすぎると便秘になるため今度は「毒掃丸」のお世話になる・・・といった具合。
炊事場には常に黄色いラベルの2種類のビンが常備されていた。
━外者への洗礼だよ━
やがて何か月かすると体が生水に順応してきたのか、ビンの薬が減らなくなった。
島の暮らしになじんできたのだ。