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━不用意なささやき━ 第3部 春  第4部 夏

第3部 春


12.カズ君とアジ釣り


 家を出て、2分ほど下りて行くと本町(ほんちょう)港の桟橋に出る。そのすぐ右に旅行客の休憩所兼おみやげ屋がありそこが同級生、“カズ君”の家である。

 おみやげ屋の裏には2m四方ぐらいの檻があり、中でリスを4、5匹飼っている。リスは裏の山にいくらでもいるのだが、どうやって捕まえたのかはわからない。

 学年が変わり1学期が始まったばかりのある日、カズ君が“釣りに行かないか”と僕を誘った。アジの群れが来ているという。

 僕はうなずき、竿を持ってカズ君の家に行った。

 アジ釣りには段取りが必要である。

 まず桟橋横の岩場から、桟橋に貼り付いているフジツボをこそげ落とす。

 次に集めたフジツボをビニール袋に入れ、岩で細かく砕く。これは“()き餌”用である。

 そして桟橋に上がると落ちているフグを3・4匹集め皮をはぐ。(先に釣りをしていた人が、フグは釣れると捨ててしまうのでいくらでも転がっている)

 テグス(道糸)の先にそれを括り付けその先にカミツブシ(おもり)とハリを付ける。

 ハリは三又(みつまた)になっており鋭い“返し”が付いている。

 カズ君は、

 「見てるズラ」

 と言って撒きエサを投げ入れる。すると、すぐ何匹ものフグが集まってきた。

 そこにまた撒き餌を投入する。

 集まるフグは数十匹にふくれあがり、“食い気”が良くなったタイミングでおもむろに仕掛けを投入する。

 フグは縛り付けた身エサにも、寄ってたかって喰らいついてくる。

 頃合いを見計らってカズちゃんは

 “クイッ”

 と竿にスナップを利かせる。

 すると白い腹を見せて三又(みつまた)に引っ掛かった魚が上がって来た。

 いわゆる“引っ掛け釣り”というやつだ。

 僕もすぐ真似をしてやってみた。

 身エサは新鮮な方が魚の集まりが良いというので、釣ったばかりの何匹かの皮を剥ぎエサとして付け替えると、面白いように“引っ掛け”が決まる。


 しばらく経つと、フグの集まる水面のその下の層に、鈍いオレンジ色の魚が一匹二匹と寄ってきた。

 「そろそろ来たズラ」

 彼は言うと、三又の針の下にハリス(細い道糸)の付いた普通のカギバリを付け、ハリスにカミツブシを二粒ばかり付ける。そしてハリ先にフグの身エサを刺すと投入した。

 フジツボの撒き餌にフグが寄ってくる。縛った身エサにもフグが(たか)る。しかしオモリを2粒付けたカギバリは先に沈み、下の層にいるアジの鼻先にちらついた。

 突然、オレンジ色の鱗がキラキラ反転する。

 「来た」

 カズ君が竿を立てると15cmぐらいのアジが上がってきた。

 さっそく僕も真似をしてハリを付け仕掛けを投入する。

 アジのいるタナ(層)に喰わせエサが落ちる前にフグに食われてしまう場合もあるが、3回に1回ぐらいは思惑どおりアジが釣れる。

 僕たちは小一時間で10匹づつぐらいアジを釣った。

 カズ君は“釣った魚はいらない”というので、全部もらって家路についた。


 家に帰ると母が、

 「アジだったら唐揚げにしようか」

 と言ってバターと小麦粉・フライパンを用意する。

 カラッと揚がった新鮮な味のフライは、香ばしいバターと磯の香りがした。

       ◇

 次の日もまた、カズ君と釣りに行った。

 その日は潮が悪かったせいか本命のアジは数匹しか釣れなかった。

       ◇

 その次の日もまた僕たちは桟橋にいた。大きな群れが来ているらしく、人が鈴なりになって釣っている。

 撒き餌がなくても仕掛けを投入すると、アジがすぐ釣れる。いわゆる“入れ食い”状態だった。30分ほどで僕たちは50匹ぐらいづつアジを釣った。カズ君はやはり“魚はいらない”というので、二人分の獲物を持って家に帰った。

 しかし、ビニール袋一杯のアジを見るなり、母は顔をしかめた。

 「こんなにたくさん、どうするの? 食べない分は捨ててきなさい」

 家族も、もう食べ飽きたという。

 僕は二三(にさん)匹を残し、家の前の堀に魚を捨てた。


 ━調子に乗るとしっぺ返しを食うぜ━


 それ以降しばらく魚釣りにはいかなかった。

 アジが回遊してくる時期は過ぎていった。




13.夏樹ちゃんとウサギ


 月に一度「子供貯金」の藤井さんが来ると、僕たちは彼が座っている机の前に一列に並び、通帳とお金を差し出す。

 藤井さんは事務的に子供たちから通帳とお金を受け取ると、金額と残高を記帳し小さな四角い印を押してまた返却する。

 貯金額は一人(ひとり)数十円というのが多いのだが、中には百円札を見せびらかしこれ見よがしに渡す者もいる。僕も毎月小遣いの二割、80円を積み立てていた。

 そんな中に、必ず5円玉と1円玉で貯金する子がいた。夏樹ちゃんだ。

 夏樹ちゃんは小柄でやせており、鼻の横にほくろのある女の子で、軽い天然パーマのある長い髪を肩まで下ろしていた。

 服は一年中赤黒のセーターとベージュのスカート姿で、白い靴下と色あせたブルーの運動靴を履いていた。

 僕は、何故毎月貯金するのが5円玉と1円玉なのか聞いたことがある。

 夏樹ちゃんは“内緒だよ”と前置きして耳打ちしてくれた。


 「妹の世話や靴下の繕い、お母さんがセーターを編みなおすための毛糸ほどきなどで、2、3円もらえるの。ときには5円の時もあるわ。それをドロップの缶に入れ、貯まったお金をもってくるの」

 そう囁いて耳元に伝わってくる彼女の吹きかかる息とハスキーな声が、僕を“ドキッ”とさせた。

         ◇

 学校の裏にウサギ小屋があり、夏樹ちゃんと僕はよく小屋の前で話をした。彼女はウサギの事についとても詳しい。自分の家でも飼っているという。

 ウサギはきれい好きだから本当はブラシをかけてやらなければいけないとか、リンゴが大好きでリンゴをあげればすぐ仲良くなれるとか、ウサギを持つときは耳を持つんだとか・・・

 例のハスキー声で囁かれると僕はドギマギする。

 「でも殺して食べるときは少し悲しいわ」

 「???・・・!!!」

         ◇

 ある日友達の一人から“僕が夏樹ちゃんを好きなんじゃないか”と問いただされた。

 二人でウサギ小屋で会っていることが噂になっているという。夏樹ちゃんに尋ねると、彼女もクラスの女の子に詰め寄られたと言った。


━火のない所に煙は立たない━


 僕はウサギ小屋の方に足を向けなくなった。

 あの囁きもハスキーヴォイスも聞けなくなってしまった。




14.高山君とグラインダー


 授業が終わるとよく松中君の家に遊びに行った。

 家の前にはセメントで舗装された4畳半ぐらいのスペースの駐車場があり、そこがベーゴマの競技場となる。

 バケツにゴム製の合羽を張り少し(たる)ませて真ん中をへこませる。

 ベーゴマにひもを巻き終わっている者が、

 「チッチーの」

 というと、それが競技開始の合図である。

 「チッ」

 で同時に自分のコマを投げ入れる。

 はじかれたコマはもちろん負け。

 樽の中で最後まで回っているコマの所有者は、全部のコマを片手で一回掬い、自分のコマだけを手に残して残りのコマは、一度に全部樽に放る。

 その一連の動作に失敗すると

 “勝負なし”

 となりコマを獲得することができず、はじかれたコマも先にとまったコマも所有者の元に戻る。

 ベーゴマは「長嶋・金田」といった野球選手や「大鵬・柏戸」のような相撲取りの名前が多い。

 駄菓子屋で買うときは鉛色で八角形の角があるが、そのまま使用するとぶつかった時すぐはじいて外に出てしまう。

 従って僕たちはぶつかったときの摩擦を減らせるよう角を丸くした。競技に参加していない者は、たいてい駐車場の端っこでセメントにベーゴマをガリガリこすりつけて角を削っている。

 一つの角を削るのに、10分ぐらいかかる。角は八つあるが、全体を整え丸くするのにだいたい2時間ぐらいかかった。(負けるときは一瞬だが・・・)

 丸くなると、今度は選手や力士の名前が書いてある(へこ)みにチョークの粉を埋め込み、水を垂らし固める。

 色を付けると回した時コマがきれいな色に変わるし、他のコマと見分けが付きやすい。赤と白のチョークを埋め込んだものを回すとピンク色、赤と青の配色は紫といった具合である。

 “デカベー”という名の大きさが普通のコマの倍で重さが3倍ぐらいあるものや、“アメリカゴマ”という背の高さが二倍ぐらいあって最初から(かど)の丸い物、“きんごろうべー”というひらがなが書いてあるベーゴマが現れたが、いずれも禁止になったり拒否されたり弱かったりで(すた)れていった。

         ◇

 ある時、例によって駐車場でガリガリやっているとクラスの高山君が後ろに立っていた。

 「そんなン、すぐ削れるズラ」

 彼の家に来ればすぐ削ってやるという。

 疑心暗鬼ではあったが僕はまだ削っていないベーゴマをいくつか持って、彼の後について行った。高玉君の家は、そこから3分ほど歩いた坂の途中の鉄工所である。

 工場の中に入って行くと奥の方に円盤型の工具が固定されていた。“グラインダー”という円盤部分がヤスリになっていて、金属を削るための機械だそうだ。

 高山君は厚い手袋をはめて僕のベーゴマを一つ手に取ると、“グラインダー”で(かど)を削り始めた。

 威力は絶大、ものの10分ほどでベーゴマの角はすべて丸くなった。

 今までの努力がバカバカしく感じられる。


 ━人と道具は進化するものだ━


 僕のベーゴマ熱は一気に冷めていった




15.今田君とサクランボ


 晩春のある日、今田君から“家に遊びに来ないか”と誘いがあった。とっておきの場所を教えてくれる、という。

 意味がわからなかったが、とにかく彼の家へ向かった。

 今田君の家は警察署がある通りの一本先の通りで、細い砂利道の竹藪を抜けたところにある。

 「うちの先にサクランボが食える場所があるズラ」

 今田君は細道を通り、道が開けた原っぱを斜めに横切る。その先に5本並んだ大きな桜の木があった。どの木にも薄紅色や赤、紫色などのサクランボがたわわに実っていた。

 「ニシ()は真ん中の木に上るズラ」

 というと、今田君は手前から二番目の木へスルスルと登って行った。

 一番奥とその手前の木は沢山成っているけど実が小さく、一番手前の木は陽当たりが良いため、もう時期が終わっているという。

 なるべく濃い紫色が集まっているところを見定め、採るときは狙ったサクランボの下の枝にわたり、上を向いて採るんだ。

 とも言った。

 実際登ってみると枝を選ぶ必要などなかった。ちょうど食べごろのサクランボが手の届く所にいくらでもある。

 小粒だが、口に含むと甘さとさわやかな香りが口と鼻から伝わってくる。果肉は多くはないがその分濃縮されている。

 最初は一粒づつ食べていたが徐々に2粒づつになり5粒になり、やがて口いっぱいほお張って種だけ“プッ”と吐き出すようになった。

 「どうズラぁ」

 彼が隣りの木から問いかけたが、僕はサクランボをほお張りながら、

 「ああ」

 とだけ答えて、食べることに没頭した。


 どのくらい時が経ったのだろう。気がつくと下から声が聞こえてくる。

 「もういいズラぁ」

 「ちょっと待ってて」

 僕は応えると、半ズボンの両ポケット一杯にサクランボを詰め込んだ。

 下りていき、今田君の顔を見た途端笑いが込み上げた。

 彼の口の周りは紫色で、しかも笑うとお歯黒を塗ったような歯が見え、さらに可笑しい。

 「ニシもおんなじズラ」

 お互いに大満足で、僕は彼に“ありがとう”を言い別れた。

 家に帰る途中も、すれ違う人が僕の顔を指さしながら笑っている。

 家に着く前に一計を案じ、ポケットの中からサクランボを10粒ほど取り出して口の周りに塗りたくった。顔の下半分は果汁で一面紫色になっているはずだ。

 帰ると、母がビックリして

 「まあ、その顔!」

 僕はその一言を待っていたのだ。

 残りの何粒かを母に渡して食べるよう促すと、

 「甘いわね」という。

 が、間髪入れず

 「果実の色は落ちないのよ。下着も脱ぎなさい」

 と叱られた。

 白い開襟シャツは紫色に染まり、中のランニングシャツにまで浸み込んでいる。

 僕は有頂天から一気に、奈落の底に落ちた。


 ━つまらない芝居はするな━


 僕は再び今田君の所に、サクランボを食べに行く事はなかった。




16.アベチャンと八角形の石


 家の前の道を下ってすぐのT字路を左に曲がると、プーンという臭いが鼻を突いてくる。出もとは左から6軒目のバラック小屋で“くさや”を作っているアベチャンの家だ。

 入るとすぐ土間があり、大きな生簀(いけす)の中に泥のようなコールタールのような液体が満たされている。

 マアジやムロアジを網カゴにいれてその液体に浸し、何時間か染み込ませたら向かいの小高い丘で天日干しする。

 (すだれ)を並べて、日の光が魚に直接当たるようきれいに干していた。

 僕はこの小高い丘が大好きで、遊びに行くとすぐ丘に上がって海を眺めた。

 そこからは本町(ほんちょう)港の桟橋と太平洋が一望でき、漁船や客船が行きかう。沖には白波が立ち、爽やかな海風が頬を撫で、目をつぶると波の音が(かす)かに聞こえてくる。

 くさやの臭いもわずかにするのだが、ほとんど気にならなかった。


 「ここは秘密の場所ズラ」

 ある日突然、二人で丘にいた時アベチャンが僕に言った。

 ついてくるように僕を丘の端の方へ(いざな)う。

 ペンペン草のような雑草が一面に生えていたが、地肌が見える一角がありそこを少し掘ると、手のひらぐらいの八角形の石が出てきた。建て替えか何かで、いらなくなって捨てられたタイルらしい。

 その石は“封筒遊び”に丁度良いという。

 “封筒遊び”というのは学校ではやっている石けり遊びで、二人(ふたり)×二人(ふたり)もしくは三人×三人で対戦する。

 地面に左右対称の封筒の展開図のような線を引き、お互いに対角線に立って自分の石を封筒の展開図の一番近い所から投げ入れる。

 相手の石が入っているスペースを飛び越えて封筒の最後まで行き、戻って来る時に自分の石を回収できればクリアである。

 次に2番目に遠いところ、3番目に遠い所と石を投げ入れ、飛び越えながらクリアしてゆく。味方の石が入っている所は両足をついてもいいが、敵の石が入っているスペースは飛び越えなければならない。

 投げた石が入らなかったり、飛び越えられなかったり、線を踏んだりしたら攻守交代となる。

 運動神経も必要だが、石を投げ入れる上手下手がかなり勝敗を左右する。

 八角形の石は大きさ・形・重さ・厚さともまさに理想的で、アベチャンの持っているその石はみんなの注目の的だった。

 -こんなところにあったんだ

 「秘密ズラ」

 僕は2・3枚その石をもらってお礼を言うと家に帰った。


 次の日学校で“封筒”をやった時、僕とアベチャンは同じ組で連戦連勝だった。

 みんなに石のことを聞かれたが、僕たちは決して()()()を言わなかった。

         ◇

 隣りの組に「ユキヒロ」というガキ大将がいた。

 小柄だが声は大きく、いつも2・3人の子分を連れており、けんかを仕掛けるとき必ず

 「きさま、ぶっくらすぞ」

 という。

 ぶん殴るぞ、という方言なのだが、今まで誰かがぶっくらされているのを見た者はいない。

 ある日、「ユキヒロ」が隣りの“封筒”で私たちしか持っていないはずの石を使って遊んでいた。

 「?」

 僕はアベチャンにどういうことか尋ねた。

 アベチャンはそのガキ大将に、

 「石のある場所を教えないと、ぶっくらすぞ!」

 と言われ、教えたという。

 やがて隣りの組の人たちがやっている“封筒”の石は全部八角形のそれになり、ついに僕たちのクラスでやる“封筒”もみな同じ石でやるようになった。


 ━誰もが知っている秘密さ━


僕の“封筒”に対する熱は急速に冷めていった。




17.岩田君とカラスヘビ


 岩田君はクラスで自転車を持っている数少ない一人だった。

 彼は僕の家へ遊びに来るといつも

 「自転車で冒険に行こう」

 と言って僕を(いざな)う。

 彼は自転車で、波場(はば)の港(北へ向かう道路の突端)から仲島公園(南回りの道路の突端)まで行ったことがある、といつも自慢していた。

 「今日は“仲島灯台”まで行こう」

 という。


 麗子とよく行った“中根浜”を越え、浜風が爽やかに吹く岩場の道を二人でグングン進む。島の南端の“野浜”を越えた先に“仲島灯台”がある。

 僕たちはそこに到着すると、言い知れぬ満足感でしばらく呆然としていた。

 海は360度パノラマになっており、伊豆半島や遠く富士山を望むことができる。

 水平線は左右が少し下がっていて地球が丸いことを実感する。

 僕たちは目を細めて、飽くことなくその景色に見入っていた。


 汗が引いてヒンヤリ感じられてきた。

 「そろそろ戻ろうか」

 僕は言い、自転車を起こし重いペダルを漕ぎだした。

         

 5分ほど行ったとき、左側の草の生えていない芝生のような一角で、何やら黒いものがうごめいていた。

 近づいてみるとそれは2匹のヘビだった。

 同じぐらいの大きさのヘビがお互いに絡み合い一方は相手の腹、他方は相手の首にかみついてのたうち回っていたが、やがて動かなくなった。黒い体のそれぞれの腹と首から血がにじみ出ている。

 そばには一回り小さい、同じ黒色のヘビがじっと2匹の様子を(うかが)っていた。

 「同士討ちズラ。そばにいるのはメスズラ」

 “カラスヘビ”といいオスどうしがメスを奪い合っているらしく、交尾期にはよく見られる光景だという。

         ◇

 その晩夢を見た。

 2匹の真っ黒なヘビがこちらに向かってくる。ヘビはだんだん大きくなり絡み合いながらついに大蛇となって牙をむき僕に襲いかかって来た。

 「ギャッ」

 と言って僕は目が覚めた。


 ━別にメスをかくまっているわけではないんだ━


 それ以来自転車で灯台にはいっていない。


    第3部 了



第4部 夏



18.直美さんと四季の花


 家を出て左に少し行くと、小学校へ行く急な上り坂とバス通りの緩い上り坂に道が分かれる。

 バス通りを自転車で7・8分行ったところに直美さんの家があった。

 道路に沿ってマサキの垣根があるのだが、丈が低いため中の庭が見渡せる家だ。

 家の入り口は赤いバラのアーチになっており、くぐると玄関まで30mぐらいの細い道が続く。

 庭は四季の花で彩られているが、ビワや桃や梅など()り物の木も植えられている。

 春は三色スミレ・チューリップ・ヒヤシンス・フリージア・スズランなどに大島桜が(いろどり)を添える。

 春の花が終わると、アジサイの紫と白のモザイク模様が庭に広がり、梅雨が明けるとハイビスカス・ヒマワリ・芙容などが夏を主張する。

 秋には、コスモス・ダリアにナデシコ・ケイトウなどが咲き誇るのである。

 僕は母に

 「勉強をしに行く」

 と言っては月に二三(にさん)度、直美さんの家へ行った。

 色白で少し下ぶくれのかわいい子で、声はこもった感じなのだが言動は利発、何か問いかけるといつも小気味良い答えが返ってくる。

 学校の成績も優秀で、体育は少し苦手だが残りはすべて「5」である。

 形だけ勉強をしたあと、僕たちはよく庭を散歩した。

 花に誘われてミツバチや蝶、てんとう虫なども集まってくる。

 二人でいると甘く優しい匂いが流れてくるが、それは必ずしも花の香りだけではないように感じられた。

      ◇

 僕の父は鹿児島県の出身で、典型的な“薩摩隼人”である。

 男尊女卑の血が脈々と流れていて、家では食事に箸をつけるのは必ず父が一番最初、風呂も一番風呂でその次が僕と決まっている。

 もし誰かが父より先に入ろうものなら、お湯を全部抜いて沸かしなおすという始末。

 学校の問題がわからなかったり迷ったりしていると、

 「女のけっされ」

 (「めめしい意気地なし」の意)

 と言われて叱られた。

 僕が直美さんの家に行くのに、

 「勉強をしに行く」

 と言うと、父は黙認していた。


 が、ある時僕の成績が直美さんを越えたことがある。

 父は僕を呼ぶと

 「もう勉強は一人でやれ」

 と命じた。


 ━上り坂を漕いでゆくのはかったるいよ━


 彼女の家の花を()でる事も、甘く(かぐわ)しい匂いを()ぐこともできなくなった。




19.ジョージ君とおもちゃ


 ジョージ君の本名は譲治。天然パーマで鼻は高いが純粋の日本人だ。

 彼は島に2軒ある日本旅館のうち大きい方の旅館の一人息子で、学校の成績は決して良くはないがとにかくいつもニコニコしている。

 休み時間に彼と話をしていると、“おもちゃが家に沢山あるから遊びに来ないか”と誘いがあった。

 僕は二つ返事で、授業が終わるとついて行った。

 旅館は学校から歩いて二三(にさん)分の高台にあり、木造3階建ての“本館”と“離れ”からなっている。

 自宅はその横にあって、外見は地味だが中に入ると広い玄関に屏風が置かれ、熊の剥製が訪問してきた者を睨んでいる。また、床の間や床柱なども立派な物のようだった。

 ジョージ君の部屋は二階にあった。南に面しており陽当たりが良く、窓を開けると街が一望できる。遠くの方には太平洋や伊豆七島の島々が眺められた。

 部屋の端の方には木製の立派な勉強机と椅子もあったが、まっさらで使っている形跡はない。

 僕がおもちゃを出してくれと催促をすると、押入れからおもちゃ箱を取り出して来た。

 箱は3つほどあったが、けん玉やトランプ、“アトム”や“鉄人28号”などのブリキのおもちゃ、レゴやその類の備品などが雑然と入れてあった。

 -そうじゃないんだ。八の字型のレーシングゲームやラジコンカーのことなんだ

 僕は“おもちゃ”の概念に彼とは大きな隔たりがある事を知った。


 ━期待なんかするから失望するんだ━


 それ以降、ジョージ君の家へは遊びに行っていない。




20.ブーちゃんと夏祭り


 夏休みが始まり月が替わった8月のある日、ブーちゃんが僕を誘いに来た。

 「ニシも祭りに行くズラ?」

 ブーちゃんの本名は松中幸夫というが、どういうわけか誰からも“ブーちゃん”と呼ばれている。

 明日から夏祭りがあり子供たちが山車(だし)をひく。衣装を貸してくれるから一緒に行こう、という。

 僕たちは“本町(ほんちょう)通り”の入口に設けられたお神酒所(みきしょ)に行き、奥にいるおばさんに声をかけた。

 「山車(だし)引くから服貸してけえろ」

 用意されて出てきたのは、白いハチマキに地下足袋、股引(ももひき)に黒い帯、そして背中に“本町”と太文字で書かれた青い法被(はっぴ)だ。

 「明日の朝9時にここに来るズラ」

 ブーちゃんと別れると家に帰り、さっそく衣装を試着してみる。

 鏡に映った自分を見ると、得も言われぬ高揚感が僕を襲う。

 夜寝る時、着替えたパジャマをまたその衣装に着替えなおして眠った。

         ◇

 次の日は朝6時に目が覚めた。

 母に、もう着替えたと言い朝食を摂り時刻が来るのを待つ。

 時間はなかなか過ぎて行かずもどかしかった。

         ◇

 少し早いと思ったが9時20分前に家を出た。神酒所までは歩いて二三(にさん)分である。

 ブーちゃんは既に来ていた。鶴雄君や松中君、アベチャンたちもいる。

 彼らはみんな眉間(みけん)から鼻の頭にかけて白粉(おしろい)を付けていた。

 ブーちゃんに尋ねると、奥に行けばやってくれるという。

 行くと白いビンを持ったおばさんがいて、並んでいる子供たちに次から次へと白粉を付けている。

 僕も同じようにしてもらい、鏡をのぞくとこれまで感じたことのない衝撃が走った。

 今まで知らなかったもう一人の自分がいる。白い線をたった一本引いてもらっただけなのに・・・


 気がつくと山車(だし)の出発時間になっていた。

 山車自体はそんなに大きなものではないのだが、白い布がまかれた長いロープが付いており、子供たちは一列に並んでそのロープを引いて“本町通り”をゆっくり歩いてゆくのだ。

 通りの両側には観客が並んでおり、そこには父や母たちの姿もあった。

 大人の観客は、山車を引いている僕たちの(ふところ)に飴やガムやせんべいなどのお菓子を入れてくれる。

 通りの最後まで行き、また神酒所に引き返した時には、どの子供の懐もお菓子でいっぱいに膨れ上がっていた。

 みんなウキウキしながら帰って行った。

         ◇

 家に帰ると僕は手鏡を持って自分の部屋へ入った。

 眉間(みけん)から鼻の頭にかけて白い線が一本ついているだけなのだが、別人種か別人格か別の性になったように思え、それが僕を恍惚とさせた。


 「何をしてるの」

 母の呼び声で我に返った。

 羞恥心が一気に沸き起こり、僕は炊事場に駆け込み顔を洗った。


━いつもの自分に戻るんだ━


 僕は着ていた衣装を、丸めて洗濯機に投げ入れた。




21.いとことアオダイショウ


 「今日、いとこが遊びに来るぞ」

 夏のある日曜日の朝、突然父がそういった。


 午後バイオリンの稽古から帰ってくると、根戸川(東京の東の方)の叔母さんと二人の男の子が立っている。

 目のくりっとした子は僕より一つ下、色黒で痩せてる方の子は僕より二つ下のいとこだそうだ。

 二人(ふたり)の顔はまったくタイプが違うのだが、頭はどちらも床屋に行ったばかりのスポーツ刈りで、今日のために散髪してきたのが見え見えだった。

 父は僕に“二人を虫捕りに連れて行ってやれ”と命じた。

 どうやら“島ではカブトやクワガタなんか取り放題だ”と吹聴したらしい。

 島に来たのは虫捕りがメインで明後日には帰るという。


 確かにこの時期、カブトムシやクワガタムシはうんざりするほどいる。しかも島の子供たちはそういった虫にほとんど興味を示さない。したがって虫も()れておらず、虫を取ろうとすれば取り放題ということになる。


 僕は小学校の裏山の“クヌギ林”へ二人を(いざな)った。

 虫たちは基本的に夜行性なのだが、クヌギなどの幹には樹液が出ている所がありそこには昼間でもカブトやクワガタのほか、蝶・蜂・ハエなども集まってくる。

 特にクワガタは、枝葉にとまっていて樹液の出ている木をガンと蹴るとボタボタ落ちてくることが多く、カブトは幹の下を掘ると地中に潜んでいることが多い。

 たまに友達と捕りに行くことがあるが、その時はバケツかヤカンを持って行き、バケツ一杯ヤカン一杯虫を捕ってくる。メスは全部逃がし、角やハサミのあるオスだけを持ち帰ってくるのだ。

 最初のうちは段ボールの箱で飼ったりしていたが、知らないうちにいなくなってしまう。猫にでも食べられたかと思い、母に聞くと

 「(はね)があるんだから 飛んでいくのは当たり前でしょ」

 との答えが返ってきた。なるほどその通りだ。


 クヌギ林に到着して、中に入って行くとすぐカブトやクワガタが幹の蜜を吸っている木があった。 

 僕は二人に“そういう木に(たか)っている虫をつかまえた後、必ず幹を蹴飛ばし根元を掘るように”と指示を出すと、林の中を分け上って行った。


 二人のヤカンとバケツが虫で半分ぐらいになったころ、

 「あとは帰りながら探そう」

 と言い、違う道を下りながら戻る。左右から(やぶ)が迫り道が曲がりくねっている。

 大きなカーブを過ぎたところで、道の先を見て僕は“ハッ”となった。

 ヘビがとぐろを巻いて道の真ん中に居座っている。

 一瞬たじろいだが、二人を連れてきている手前ひるむわけにはいかない。

 「ヘビだ!跳べ!」

 叫ぶと大きくジャンプして、後ろも見ずに林を駆け下りた。

 僕はヘビが大嫌いなのだ。

 小学校まで一気に駆け下りると、立ち止まって二人を待った。

 僕は手ぶらだったが、いとこはそれぞれ虫の入ったバケツとヤカンを手に提げており、すぐに林を下りては来られないはずだ。

 20分ほど待ったが二人は現れない。もしかしたら別の道を行き、抜かされたのかもしれないと思い、ゆっくり歩いて家に向かった。

 帰ってきたが二人はまだ戻っていない。

 母には“二人は別の道を帰ってくる”と言ったが、迷子にでもなっているのではという不安と一人逃げ去った罪悪感が膨れ上がる。

 かといって探しに行く勇気もなかった。

 

 小一時間ほどすると二人は仲良くバケツとヤカンをぶら下げて帰って来た。

 どうしたのか尋ねると、道にいたヘビは“アオダイショウ”で鹿児島の田舎ではよく目にする。おとなしいヘビで噛みついたりはしない。ちょっと蹴とばして、逃げようとする尻尾を捕まえ、振り回して遊んでいたという。

 僕はバツが悪くなり適当に相槌を打って夕飯が済むと早々に部屋へ戻った。

         ◇

 次の日もまた二人に“虫捕りに行こう”と誘われたが、僕は頭が痛いと仮病を使って一日中寝ていた。

 二人は仕方なく叔母さんたちと島内観光に行ったらしい。

 僕は布団の中で早く帰ってくれることをひたすら願いつつ、待った。


 ━年上は逃げるのだって先だ━


 その翌日僕のあげた二つの虫籠に、カブトとクワガタを詰め込めるだけ詰め込み、二人は帰って行った。

 僕はホッとしたが、一番年上のいとことしての威厳は、地に落ちた。




22.大坪君とプール


 体育は大好きだったが、夏のプールは嫌だった。

 僕は泳げないのだ。

 7月の中旬を過ぎると体育の授業を海辺の町営プールで行う。

 最初は、水(といっても海水)が背の届く高さまで入っていて、準備体操をしたあとプールの中で一列に並ぶ。そして前の人の肩を持ち、歩いて2周するのだ。

 一旦休憩が入り、その間に3コースと4コースの間に仕切りのウキが張られる。

 そこから先、泳げる者と“カナヅチ組”は別メニューとなる。 

 泳げる者は平泳ぎで広い方のスペースを一方通行で一列になって泳ぐ。遠泳の練習である。

 “カナヅチ組”はプールの縁でバタ足の練習をしたあとスタート地点まで歩き、そこから“面かぶり”で25m先のゴールを目指す。息が続かなくなると立ち上がり、息を吸ってからまた面かぶりを繰り返す。

 と言っても“カナヅチ組”の男子は僕ひとり、あとは女子が3人の計4人でプールの3分の1のスペースを独占しているのだ。

 しばらくするとまた休憩が入る。

 その間に仕切りのウキが外され、プールには海水が満たされてそこからは自由時間、泳げない“カナヅチ組”の長く屈辱的な休憩時間となる。

         ◇

 ある日、例によって水が満たされプールサイドで休んでいると、友達の一人がプールの端で僕に向かって手招きをして叫んだ。

 「珍しいものがいるズラぁ。ニシも早く来るズラぁ」

 僕は応じて立ち上がり、声の主の方へ歩いて行く。

 プールサイドの中ほどまで来ると突然、腰のあたりを強く“ドン”と押された。

 僕は大きくジャンプしてプールに飛び込んだ。

 立とうとするが背は届かない。

 手をバタバタさせ息を吸おうとするが、顔を上げるとまた体は沈み、口と鼻から海水が入って息が詰まった。

 頭がパニックとなりとにかく何か叫ぼうとして口を開ける。するとまた口から海水が入ってきてますます息ができなくなる。

 もうダメか! と思ったその時、急に体が浮き青空が見えた。

 誰かが僕の後ろから首を持って顔を上げるようにし、泳いで連れて行ってくれている。

 引率で来ていた男の先生が、飛び込んで助けてくれたらしい。

 プールから上がると僕はプールサイドにあおむけに寝かされた。

 目を閉じたままて、“大丈夫?”というさまざまな声に軽くうなずいた。

 高い声低い声、こもったような声ハスキーな声・・・

 本当は目を開けられたのだが、涙があふれ出しそうになっており、それを悟られるのが恥ずかしくて目をつぶったままでいた。


 三々五々生徒が帰って行ったあと、入川先生が近づいてきて僕に尋ねる。

 「もうだいじょぶ? 一人で帰れる?」

 僕は軽くうなづくと、気だるい動作で更衣室に向かう。海パンの上から半ズボンをはき、開襟シャツを着て外に出た。

 帰り道、今日の出来事を両親にどう説明しようかと思うと、気が重い。

 家に着くと

 「疲れた。食事はいらない」

 と言い、僕は自分の部屋に籠った。

 布団を敷きタオルケットを掛けると、また涙があふれてくる。

 行き場のない屈辱感と恥辱感が僕を襲うが、どうして良いかわからないまま知らず寝入ってしまった。

         ◇

 次の日は日曜日だった。

 日曜学校に行かなければならないのだが、どうやって休もうかと布団の中で思案していると

 「友達が来てるよ。起きなさい」

 という母の呼び声で無理矢理起こされた。

 玄関を出てみるとそこに大坪君が立っている。

 「昨日はゴメン」

 とひとこと言って新聞の包みを差し出し、僕の返事も待たずに彼は立ち去った。


 昨日、後ろから僕を押したのは大坪君だったのだ。

 

 包みを開くと中には立派なイシダイが入っている。彼の家は漁師を営んでいるが、イシダイは漁でもめったに取れない高級魚である。

 僕は母に昨日のいきさつを話さざるを得なくなった。

        ◇

 新学期が始まり大坪君に会った時、僕はイシダイのお礼を言ったが、プールの件は別に気にしていない、と彼に言い添えた。

 しかししばらくの間、僕は大坪君を避けた。

 決して嫌いになったわけでも、無視しようとしたわけでもない。

 意識すまいと思えば思うほど、存在が気になる。

 あの時の卑屈な思いが、泳げない事の無念さが、みんなの“大丈夫?”という声掛けが、いちいち僕の気持ちの一番触れてほしくない部分をチクチク突き刺す。

 忘れようとすればするほど雑多な感情が僕の心を支配し、大坪君の姿を見ると条件反射のように思い起こされてくる。


 ━一つぐらい不得意な事だってあるんだ━


 時は流れ、学年が変わってもクラス替えはなかった。

 7月がはじまり、また嫌な季節を迎えようとしている。


そんなある日

「少し話がある」

 と僕は父に呼ばれた。

「今学期限りで、東京に戻る」


 青天の霹靂だった。




23.雪子さんと長グツ


 雪子さんの家は浜の市場から歩いて10分ほどの、“本町(ほんちょう)通り”に面した魚屋である。

 雪子さんは背が高く、切れ長の目は気の強さを現わし、ショートカットの髪は彼女の活発さを端的に現わしている。

  お父さんは漁師でもあり、早朝船が出ると雪子さんはスラックスに白い長グツ姿で漁から帰ってくるのを待っている。

 そして戻って来たお父さんから“お店での販売用”の魚の入ったかごを受け取ると、かごを持って走る。ひたすら走る。

 残りの魚は、お父さんが市場に卸してから、家に帰ってくるのである。

 持って帰った魚はすぐに店先へ並べられるが、それを待っているお客さんや近所の人もおり、小一時間もすれば売り切れてしまうのが常だった。

 春ならキス・アジの近海物からカンパチ・ヒラマサなどの高級魚、夏ならタカベ・メジナ・イサキ、秋ならサバ・カツオ・アキアジ、冬はカワハギ・ハンバブダイ・ショウサイフグといった具合。

 雪子さんは家の手伝いが終わると、朝食を食べてそのまま学校に来る。そのため、いつもスラックスに白い長グツ姿である。

 が、彼女はとにかく足が速い!

 長グツを履いていても、クラスの誰にも負ける事はなかった(鶴雄君が勝ったというウワサもあるが・・・)

 僕も3回挑戦していずれも負けている。

 50m走で最初は5m差をつけられた。2回目は3m、直近でも50cmぐらいの僅差だが負けた。

 僕は運動靴で雪子さんは長グツなのに、である。

 島を()つにあたって、これが唯一の心残りとなっていた。


 引っ越しも迫った霧雨の降るある日、僕は雪子さんに最後の勝負を挑んだ。

 うわさを聞きつけ、興味深げに何人かのクラスメイトが集まってきた。友達の一人がスターターをやってくれるという。

 「ヨーイ、ドン」

 彼女はいつもスタートダッシュが良く、最初は少しリードされた。ショートカットの後ろ姿と白い長グツが目に入る。

 しかしゴールが近づくにつれ僕は追い上げ、ゴールを切ったのはほぼ同時。いや、わずかに僕の方が先に出ているように思われた。

 ゴール横にいた友達の判定は

 「同時」

 だった。

 が、彼女がポツリと言う。

 「少し負けた」

 僕は彼女に向かって少し微笑むと、軽く(うなず)いた。

         ◇

 帰る道すがら僕はウキウキしていた。夕飯もいつになく美味しい。風呂に入りさっぱりして早めに床に就いた。


 そのとき不意に、ゴール前のシーンが目に蘇ってきた。

 僕は必至でゴールを目指していたが、横を走っていた雪子さんは

 “チラッ”

 と僕を見たような気がする。

 ―彼女は僕に勝たないように、スピードを抑えたのではないだろうか

 抱いた一抹の不安は暗雲となってみるみる僕を包み込んだ。

 ―雪子さんは僕に花を持たせてくれたのだ。

 失望と恥辱と少しの怒りで僕の心は張り裂けんばかりとなった。


 ━女のけっされ━


 でも負けなかったんだ。判定だって“同時”だったし、雪子さんだって負けを認めたじゃないか。


 苦い思いを抱きながら僕は眠りについた。




24.別離


 夏休みも終わりに近い晴れた日の午後、父は左手に上の妹の手をつなぎ右手にトランクを提げ、母は左手に下の妹の手をとり背中に一番下の弟を背負(せお)い、僕はリュックを背負(しょ)い小さな手荷物を両手に持たされて“本町(ほんちょう)桟橋”に立っていた。

 14時発の客船“紅梅丸”に乗船し、帰郷するためだ。

 桟橋にはクラスメイトが十数人と入川先生も見送りに来ている。

 みんな一列に並んで紙テープを持っていた。

 船底の2等船室に荷物を置くと、1階のデッキに戻った。

 まだ時間があったので手を伸ばして一人一人と握手し、紙テープの端を受け取る。

 隣にいた父も、見送りに来ていた役所や警察関係の人と握手をして紙テープを受け取っていた。

 定刻の14時。銅鑼(ドラ)が鳴りロープが外され、(いかり)を上げる(くさり)の音が聞こえた。

 船はバックしながらゆっくり桟橋を離れて行く。

 演歌歌手が唄う“椿の恋唄”が桟橋から流れてくる。

 皆が手を振り何か叫んでいる。僕も思いきり手を振ったが、視野がだんだんぼやけてきた。涙がポロポロと落ちてくる。

 赤・黄・緑・青・白・・・様々な色の紙テープが絡まり、重なり合い、たるんで散って、やがて海中に消えていった。

 みんなの顔の見分けがつかなくなったのは、決して船が離れてゆくためだけではない。

 「中に入ろう」

 父に促されたが、僕はもう少し居ると言ってそこに残った。

 潮風が僕の顔を容赦なく叩く。

 “三日山”の煙は変わることなくたなびいている。

 島がだんだん小さくなって行き僕の視界から消えようとしている。

 涙で目が潤んでくる。


 ━また来ればいいじゃないか━


 だがその日以降、僕は“伊豆仲島”へは行っていない。




25.エピローグ 


  ━1年後━


 夏休みも終わりに近いある朝、

 父が

 「新聞に載っているこの子は知ってるんじゃないか」

 と朝刊を僕に渡した。

 それは東京地方版の8行ほどの記事だった。



 海で児童が溺れ死亡

 25日、伊豆仲島警察署によると

伊豆仲島の仲根浜で海水浴に来て

いてた鈴本雪子さん(13)が高波

にさらわれ、行方不明となった。

 海上を捜索していたところ同日

未明、漁船が鈴本さんを発見し救

助したが、病院で死亡した。



 僕は愕然とし、もう一度新聞の活字を追った。

 が、間違いないことがわかると呆然とした。

 伊豆仲島の鶴雄君に電話をかけてみると、明後日がお通夜でその次の日が告別式だという。

 ―あの足が速く泳ぎの上手な雪子さんが・・・

 

 その日は何もする気になれずボーッとしていた。

 一年前、僕の挑戦を冷ややかに受け入れた切れ長の目、ゴール前で“チラッ”とこちらを見た視線が鮮やかに蘇ってくる。

 ―結局僕は、ショートカットと白い長グツしか見ていなかったんじゃないか。

 色々な思いで頭が混乱し、錯乱し、惑乱した。

         ◇

 気がつくと夕方になっていた。

 僕は、散歩に行ってくると言って外に出た。

 近くの都立霊園の白い塔の奥に、一面にクローバーが咲いている丘がある。

 僕はそこに座り夕日を眺めていた。

 茜色の空に丹沢の山々がくっきりと稜線を引き、中央に富士山がその姿を主張している。

 不意に“仲島灯台”で見た、水平線の向こうにある富士山を思い出した。

 また涙があふれてくる・・・


 空は徐々に紫色から藍色へと変わって行く。

 やがてそれは漆黒の闇となり全てを包み込んでしまうだろう。


 ━いずれはニシの番ズラ━


 一瞬のささやきが脳裏を通り過ぎた。

 僕はトボトボと家路についた。


              了

 

 

 

 

 

 

 

 








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 


 

  


 




 

 


 

 

 


 



 

 

 

 



 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










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