書くために犯した失敗
20代の頃、なんの人生経験もなく世間を知らないまま小説のネタを探して悪い男についていき、最初は面白半分だったつもりが次第に抜けられなくなった頃のことを書きました
……ずっと昔、世間を知らなかった頃、「書く」という欲望ゆえに自分の知らない世界に
男に誘惑されるがままについていったが、知ってしまえばそれらの体験は体の髄まで染み込み、血にまで入り込み、「悪」の欠片のようなものが心の奥底に薔薇の棘のように刺さり抜けなくなってしまった……
知らないから書けることがある。その一部分と化すまで入り込まなかったから書けることがある。それを書くのが作家の「業」だと言う人もいるのだろう。それが「プロ」であると。
しかし何も知らない若き日の私が「書く」ために背伸びして覗いた世界は、いったん腕を引っ張られて「仲間」になってしまえば裏切りの許されない、出口のない混沌とした迷路、足を取られれば浅くても抜けられない泥の池であった……
幸運にも「表側」の若い娘から笑う事のない無邪気さをなくし、悪事のいったんを担いでしまった当事者意識で心が削られてしまい、得体の知れない罪悪感に体さえ重く感じる一方である……
「取材者」になっても「当事者」になっては書けなくなってしまう何かがある。それが何か……奇妙な喪失感や新たな悲しみ、底で生きるしかない人間に共犯者と錯覚して寄り添ってしまった愚かさ、相手に見抜かれ憎まれてさえいたがゆえに受けた仕打ちによる傷、以来私はネタになると思って体験した以上のことを書けないでいる。20年経っても
書くことは罪深いなどと言っているうちは自己陶酔の域を出ないのだ。寄り添うということは地獄までついていくことにもなる。そうしてしまえば、もはや傷一つなかった顔で「冷徹」に他人の人生の負の側面を書くことなどできなしないのである……
詩の体を呈してないのに読んで下さりありがとうございます