褒めるという行為の是非
褒めるという行為は端的に言うなら現実認識の阻害だから良くない。
分析するなら周りについての知見を高めるべきであって、それが即ち力になる。自分ばかり分析する行為には根本的には何の意味もない。欠点を分析するなら話は別だが、そういう方法論に対して褒めるのは全く真逆の行為。
褒める行為が賞賛されているのは他者操作が賞賛されているのと同一のこと。
他人の心理操作が当たり前のように蔓延る社会だからそれを肯定する理論が賞賛される。褒められる事が良いのではなく、他人を褒めて操作することが尊ばれている社会。
「褒められるのが嫌な人はどういう存在か」というネット記事があるとして、これと同様の疑問を持つ人は他人に対して心理操作が通用しないことを嘆いているのだろう。
他人の心理操作が常態化している社会だからこそそういう発想になる。社会契約は成立しているけど、心理的側面は幼稚園以下の社会。
他人を心理的に操作しようという歪んだ社会運動が出発点にある異常な人間教育が褒めるという行為なのだ。それは力を付ける為の行為として全く役に立っていないが、何故か奨励されている。何故いつから人が他人を褒め始めるようになったかその起源さえ分からぬままに他人を褒めている。褒めるというのは単純に他人を蹴落とす以上の役には立っていないし、人間を確実に堕落させている。
褒め殺し