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 足がむなしく宙をかく。

 気づくと何かに腰を鷲掴みにされていて、体が地面から浮いている。

 逆海老反りじゃないのが救いだけど、いったいどういうつもりで……ぎゃーっ!


 自分を捕まえている相手を、見てしまった。

 正確には、二メートルを超す、焦茶色のマントをかぶった何か。

 マントの中は見えない。見えないけれど……私を掴む腕は見えた。

 そこにはびっしりと百以上の両生類系の目玉。それが一斉に私の方を向いている。


 ひぃぃぃ! 無理無理っ。超怖い! 

 全身に怖気が走って、夜毒虫の毒で遠のきかけていた意識が強制的に元に戻った。

「待って、話し合いましょう! 話せばわかるっていうか、わかんなくても、ちょっと降ろして! スカートの中が見えたら、あんたどう責任とってくれるのよ!」

 いや今、スカートの中どころ状況じゃないから。責任取るってどうやって?

 自分でも、何を叫んでるのか意味が分からない。でも、どうすればこの手から逃れられるのか、わからないんだもの!

 あ、まずい。

 視界が暗くなってきた。


「いーただきまーすー」

 体が更に持ち上げられ、ぶらりと垂れた足に、生暖かい息がかかった。

 ウサギもどきがレモンの搾りかすみたいな声で「やめろ!」と叫んでる。

 やめてほしい。痛いのは嫌だ。怖い。死にたくない。考えるのを、やめたくない。

 ……シグ=ロウに、最後に一目会いたい。


 その時。

 不意にばちっという激しいショート音と共に、体が宙に放り出された。

 まぶたを閉じる間もなく、誰かが私の体を受け止めてくれる。そして。


「遅いと思ったら、こんなところで何をしているの。私が頼んだ料理はどうなったの」

 ねっとりとした艶っぽい声。……今、それどころじゃないと思うんですけど。

 すぐそばにある顔は、怪しい美しさをもつ悪魔の王女。

 ……改めて考えたら、おかしい。え、え、なぜ彼女がここに?

「イ=タン様、ここは僕が受け止める場面ですよ。スラッシュが危険を察知して呼びに来たのは僕なんですから」

「攻撃するのに邪魔かと思って」

「今の、どこに支障がありましたか」

 吐き捨てるような声の後、

「アマレット、大丈夫?」

 優しく労りを感じる声が聞こえる。

 思考が上手く回らないまま視線を向けると、目も眩むほどの美形が至近距離から私の顔を覗き込んでいた。

 シグ=ロウ……だぁ。

 思わず涙がにじんで、それに気づいたシグ=ロウがそっと唇で涙の雫をぬぐってくれた。私は安心して目を伏せる。

「お前の出番など永遠に来なくていいわ。せっかく私を印象付けるチャンスだったのに」

 王女様が舌打ちをしている。シグ=ロウは王女様から私を引き取ると、「その話は後で」と言って視線を違う方向へ向けた。


「さて、君。よくも僕の大切な人を怖い目にあわせてくれたね。君が敵に回したのは……ああ、夜毒虫の毒が回って来ているか。では、その毒で少し遊ぼうか」

 何故かいきいきとしたシグ=ロウの声。

 閉じかけた視界に映るのは、彼の縦長になった瞳孔。

 それから、にっと吊り上った口から突き出た白い牙。

 そういえば、シグ=ロウの首が、まだつながってる。王女様は、シグ=ロウをトロフィーにして壁にかけないでいてくれたんだ。

 そう思って……。

 私の記憶はそこで途切れた。




 私の父はよく、寝食を忘れて新作料理に没頭していた。朝起きてキッチンに入ると、テーブルの上もシンクの上もごちゃごちゃ。おまけに父は机に突っ伏していて、いびきをかいている。勝手に片づけたら怒られちゃうから、私は仕方なくキッチンの隅で父直伝の、そう、この香りの……。


「アマレット、おはよう。起きて?」

 優しい声が、ゆらゆらと揺れていた思考にそっと触れる。

 同時に、懐かしい香りが鼻孔をくすぐる。

 目を瞑っていてもわかる。

 これは蜂蜜と牛乳のオートミールの香りだ。

「シグ、ロ……?」

「夜毒虫の毒は君の体から取り除いたんだけど、だいぶんエネルギーを持って行かれたみたいでね。早めに栄養補給をしておいた方がいいから、ご飯を作って来たよ」

 頭がぼーっとして、難しいことは考えられない。

 でもシグ=ロウの作ってくれた物なら、ジャガイモの皮だって食べる……。

 目を開くと、プラチナブロンドを耳にかけた、奇跡的な美しさを持つ顔面が見えた。

 白いワイシャツの袖を腕まくりしてネクタイを胸ポケットに突っ込んだシグ=ロウは、もぞもぞと起き上がる私に手を貸してくれた。

 私はいつの間にか現れた大量のクッションに埋もれるようにしてベッドに座る。そういえば、ここは私の部屋だ。彼が私に与えてくれた、心安らぐ居心地の良い部屋。

 

 私はシグ=ロウに介助してもらいながら、オートミールをひとさじずつ、ゆっくり食べた。温かくて甘くて、ほっとする。


 誰にでもとっておきの一皿があるとしたら、私のそれは、このオートミールだ。

 魔界に来た当初、私はよく熱を出していた。文化どころか世界が違うのに、自分の常識にすべてを当てはめようとして、上手くいかなくて、悩んで、ない脳みそを使った結果だ。

 その度にシグ=ロウは父のレシピ通りの、このオートミールを作ってくれたっけ。

「ありがとう、シグ=ロウ。とても美味しい」

 身体の辛さがなくなっていること。

 オートミールが食べられること。

 何よりシグ=ロウが傍にいること。

 嬉しくてほっとして、それ以外の言葉が見つからない。


 やがて皿が空になると、シグ=ロウは腕を伸ばして私の黒髪を耳にかけた。そして麗しい笑みを浮かべたまま、

「君は単なる人間だ。毒の一つで体を悪くするくらいに軟弱なんだってこと、もっと知っておいてほしいな。そうでないと僕は、君がうっかり死んでないかと心配で仕事に集中できない」

 あれ? 顔は笑ってるけど、声は笑ってない。むしろ地を這うかのように低い。


 シグ=ロウ、怒ってる?


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