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 出来上がった一皿は「夜毒虫のビスク」。

 通常は甲殻類を煮込んで裏ごしする、クリームベースのスープだ。

 夜毒虫は味、食感共に海老に近いとシグ=ロウは言っていた。沸騰させたお湯にくぐらせれば、外側の皮は海老の殻ほどの硬さになり、濃い出汁が出る。また、夜毒虫が持つ泥臭さは、大量の香草と一緒に煮込み、灰汁を取れば綺麗になくなる。

 今朝、どんな料理が適しているかを探るために、シグ=ロウとあれこれ試したのだ。

 途中でシグ=ロウが「プリンが食べたい」とか言い出して、作ってあげたけど。

「君の器用な手先は、世界の財産だね」

「こんなの普通」

「いや、僕も王女様もこんなことはできないよ。欲しいと思えば大抵のものは目の前に用意されるし」

「……それは、手の器用さ以前の問題じゃない?」

「そうかな。でも今は、君がすぐそばにいてくれてプリンを作ってくれる。夢みたいだ」

「あっそ…(照)」

 なんてくだらないやりとりをしながら。

 ものすごく満足そうにおいしそうに食べるから、ついフルーツの飾り切りなんかして喜ばせたくなるのよね。そんな場合じゃないのに。

 ……今考えれば、そのやりとりこそ夢みたいだったわ。その日のうちに、こんなに焦って料理を作り直さなきゃいけないなんて。


 味つけの調節は、どうしても譲らないスラッシュが朝露の五分の一ほどを口に含んで、二回目で「おいしいです!」をいただきました。

 シグ=ロウの首が心配なのはわかるけど、あなたが溶けなくて本当によかった。


 出来上がったら鍋を火から下ろし、レースのハンカチを……ああ、バスケットは王女様に取り上げられたんだった。新しい物を用意しなきゃ!

 物事はほぼ順調に進み、私はスラッシュに見送られて家を出た。

 空は相変わらずの青。

 残り時間は十五分ほど。

 いつもなら、魔法陣には余裕で辿りつく。


 でも。


 ひどく頭が重い。

 すぐに息が上がる。

 ぞくぞくと背中を這いまわる痺れみたいな何かが、とてつもなく気持ち悪い。


 原因はわかってる。毒の影響だ。


 旨味を強く引き出すために、毒袋と腸を本体から手作業で分けて煮出した。

 手袋からしみ込む水の感触に気づいたのは、最後から三匹目を処理している時。皮膚がぴりぴりして痺れる感覚があった。すぐに新しい手袋に代えて、影響は最小限に抑えた、つもり。

 けれど今度は、材料を煮ている最中に吐き気に襲われた。湯気に含まれる毒が空気中に飛散していることにはすぐに気付いた。

 そういえばシグ=ロウは窓を全開にしていたと、すぐに窓を開けて空気を入れ替えたけれど、吸い込んだ毒はどうしようもない。

 

 ただでさえ主の前途に不安そうなスラッシュを、さらに心配させたくない。

 料理も出来上がったことだし、これを渡した後は好きなだけ寝込もう。 どうにかなる! そう気持ちを奮い立たせるしかない。


 角を曲がればもうすぐ目印の木。

 魔法陣までは、あと二十メートル。あともう少し。

「トルネル族がいるぞ」

「死にかけだ。大鎌使いがやってくるぞ」

 重い体を引きずって前に進んでいた時。ふと、声が耳に入った。

 角を曲がって顔を上げて……モミ木の根元に、小さな影が蹲っているのを見つけた。


 それはウサギに似た獣人魔族だった。

 頭の上に突き出た長い耳、全身を覆う黒い毛。

 一応服らしきものは着ているけれど、灰色の布は雑巾よりもぼろぼろだ。


 魔法陣に行くのに、どうせ前を通るんだから。時間がないし、関わらないこと。

 そう心の中で呟きつつ、足は木の根元へ向いてしまう。そうして相手の様子を間近で見て、思わず眉をひそめてしまった。

 

 私の胸にも届かない小柄な体は痩せ細っていた。黒い毛皮はところどころはげて、怪我もしている。

 思わず「大丈夫?」と問いかけ、愚問だったと舌打ちをした。大丈夫だったらこんなところで寝てないでしょうよ。


 相手の閉じていた目が開かれて、私は息を飲んだ。

 二つあるうちの一つは白濁していて、もう一つは空洞。

 目が見えてない、のはわかる。けど、どう見ても自然に負った傷じゃない。

 ウサギもどきは震える口を何度か動かす。

 鼻とヒゲは弱々しく動くけれど、結局、意味のある言葉は出てこなかった。


「お嬢さん、放っておきなさい。そいつはもう死ぬよ」

 背後からしゃがれた声がして振り返ると、滑り台より大きな足長蜘蛛がいた。

「毒に強いトルネル族は、大鎌使いの毒消しの薬として用いられていて、奴らの大好物なんだ。そいつも追い掛け回されたあげくにここに来たんだろうが、もう立つ力もないじゃないか。放っておいても大鎌使いが持ってくよ。奴らはトルネル族なら死体でも食うからね」

「死体でも?」

「そうさ。大抵のものは腐ると美味い」

 そう言うと、蜘蛛は長い足を器用に動かして去っていった。

 

 わざわざ足を止めて声をかけてくれた、見た目は怖いけど優しい魔物。

 そうかと思えば、通りを行く者の流れはいつもと同じ。様々な形の生物が、自由気ままに行き交っている。 

 案外、ここも人の世と変わらないと思う。

 世界は色々な思惑を持つ生物で溢れていて、自分一人ではどうにもならないことばかり。


 もう一度、ウサギもどきを見下ろした。

 怪我をしたトルネル族は、再度、見えないはずの瞳で私を見た。

 他人を構っている暇はない。自分のこと、シグ=ロウのことで精一杯。

 シグ=ロウの笑顔が、なくなってしまって後悔するのは私だ。あの優しい悪魔がいなくなるなんて絶対に嫌だ。

 そう思う、のに。目をそらせない。

 トルネル族の白濁した目から、光る雫が一筋、流れた。

 雄弁な涙だった。死にたくないんだって、わかった。


「……身体を起こせる? 木に背中を預けて。手を貸すから」

 私はウサギもどきの前に跪き、彼に触れた。

 ぼろぼろと崩れる毛皮は温かかった。鼓動が伝わってくる。力を振り絞って体を起こす相手は、死ぬことを受け入れていない。


「そう。良い子ね。何も食べてないんでしょう。ここに……」

 一瞬だけ迷って、とっさに周囲を見回す。その拍子にくらりと眩暈がして、片手をついて倒れるのを堪えた。

 もう一度見渡せば、誰もかれもが素通りしていく。

 助けはない。

 なら、何かできるのは私だけだ。


「ここに温かいスープがあるわ」



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