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窓から差し込む光は、いつだって穏やかで優しいクリーム色。
「アマレット、今回のお題は夜毒虫だよ。一滴で二十頭の象が殺せる毒があるから、取り扱いには気を付けて。君の美味しい料理、楽しみだ」
上機嫌な美青年が、私の目の前で鍋の蓋を取る。
覗き込んだ視線の先には、こぶし大の丸々と太ったいも虫が三十匹ほど。
緑と紫の毒々しいマーブル模様。
小さなお手々がうごうごと動いて、まあ可愛らしい……なんて思うかっ!
「王女様もあなたも、私が人間だって忘れてない?」
キッチンの肘掛椅子に座ってクロッシュレースを編んでいた私は、にこにこと笑うシグ=ロウを睨んだ。
「どういうこと?」
「毒のある生き物の調理は、人間には危険だってこと」
「怒ってる?」
「怒ってる。私は、あなた達とは体の仕組みが違うの。知ってるよね?」
「アマレットは相変わらず怒りんぼうだね。そこがいいね」
「いや、あのね」
「でも君の料理は美味しいから、仕方ない」
返ってきたのは、噛みあわない言葉と極上の笑顔。うう、眩しい。
シグ=ロウを一言で表すと、超絶美形紳士。
色白で彫りの深い顔立ち、美しいラインを描く鼻筋に、薄い唇。瞳の色はくすんだ青。長めのプラチナブロンドを緩く後ろに流し、高い身長とまっすぐに伸びた背筋には、細身のスーツとネクタイがよく似合う。いや、パジャマを着てもシャツ一枚でも、彼の美しさはまったく損なわれないんだけど!
一方の私は、アマレット・シグ=ロウ。便宜上彼の名前をもらっている、黒髪、紫色の瞳のフランス人だ。子供の頃、頬の色を褒められたけど、シグ=ロウをすぐそばで見ていたら、自分の容姿に自信なんて持てるはずがない。自分で作った袖ありのワンピースが、少しは可愛さを演出してくれてるといいんだけど。
私が人間のコミュニティにいたのは一九五十年代で、ここに来たのは十八歳の時。それ以来、外見的には年を取っていない。
私は彼の笑顔に一瞬くらっときたのを咳払いで誤魔化して、眉根を寄せて訴える。
「あのね、前に別の生物の毒に触れて私の手が爛れたの、シグ=ロウも覚えてるでしょ」
「うん。君は脆い生き物だったんだって、驚いたよ」
「それはよかった。傷はあなたが治してくれたけど、あのときはそりゃあ痛かったのよ。今度のだって、いくら治るとしても……」
ひらりと降ってみせる右手には、シミ一つない。でも、あの時の衝撃は覚えてる。
シグ=ロウは鍋の中を覗きこみ、上目遣いに私を見た。
「じゃあイ=タン様の依頼を断る? それで君は良いんだね?」
鍋の蓋が閉められ、うごめくいも虫が視界から消える。
代わりに彼の瞳が猫の目のように縦長になる。
薄い唇の奥、発達した犬歯の奥に、蛇のような細い舌がちらりと見えた。
たまに見る彼の本性。その度に、本能が恐れを抱いて背筋がぞっとする。
だけど。
「シグ=ロウ」
「ん?」
私はぎゅっと膝の上で両手を握った。
「魔王の娘に好意を寄せられてるのは誰だっけ?」
「僕だね」
「じゃあ、扱いの難しい食材で料理を作れって、彼女が私に命令するのは?」
「君に対する嫌がらせかな」
しれっと答えるシグ=ロウ。小首を傾げて、可愛いったらない。
私は椅子から立ち上がり、大好きな人を叱りつけた。
「あなたと一緒に住んでるって理由で嫌がらせされちゃ、たまんないわよ! 料理を作るのは大歓迎だけど、せめて取り扱い注意じゃない食材にして!」
あっという間にもとの端正な容姿に戻った彼は、ふふっと甘く笑った。
「怒ってる君は可愛いね。それに免じて、僕も手伝うよ」
悪魔とは。
人間を堕落させ、迷わせ、時に命を奪う、非道な魔物だ。
シグ=ロウは男爵階級の貴族悪魔で、ここは人ならざる者が住む魔界。
彼が仕事で家を出ている時以外は、小さいけれど居心地のいい我が家で、私達は一緒に暮らしている。
彼にとって私は、珍獣とかペットとか、そういう類の生物だ。
ペットに「可愛いね」とか「よくやったね」とか、よく言うでしょ。そういう感覚。私はそのうち「よーしよしよし」って頭を撫で回されるんじゃないかと思ってる。
彼は意外と仕事が忙しいらしい。家に帰って、じっと窓の外を見ているときは、たいてい仕事のことを考えてる。
悪魔の仕事……想像すると良くないことばっかり浮かぶけど、世話になっている身で文句を言うのは気が引ける。だから、なるべく聞かない、考えないようにしてはいる、けど。……人殺しとか、してたら嫌だな。
でも。どんな疑惑があっても。私は、彼に魅かれてしまう。
彼がいたから今、ここに私がいる。
それは、私が彼に魅かれるには十分な理由だ。
存在そのものに恋してるんだから、いくら頭を抱えてもどうしようもないことだ。
さて。頭を抱える事案がもう一つ。
最近になって、魔界の王の娘、イ=タン様が私に料理の課題を出すようになった。
シグ=ロウ曰く。
・難しい食材の料理に失敗して、シグ=ロウがアマレットに幻滅する。
また、
・料理の注文を介して王女様とシグ=ロウの距離を縮める
……というのが目的らしい。
それを当の本人から聞かされる私の立場って、何?
シグ=ロウはまったく何とも思ってないから、って正々堂々教えてくれるけど……もやもやは止まらない。
王女様の気持ちが分かっててスルーしているシグ=ロウは鬼畜だ。
相手は王族だし、彼女の用意する、珍しい食材を使った料理が食べたいから繋がりは切らない、らしいんだけど、彼に片思い中の私としては、なんだかもどかしい。
私は今日もせっせと、大好きな人と王女様の逢瀬の為に料理を作る。
……すっごく腹が立つのだけれども!