二話
俺を待っていたって……。
「そう、キミを待っていた」
いきなりそんなことを言われてもさっぱり訳が分からない。なんだか体の感覚もあやふやだし。
それに、大学にすらお友達がいない俺に人外のお友達がいたとは到底思えないのだが。
「まあそうだろうね、ボクたちはちゃんと初めましてだよ」
初めましての割には随分と親しげだな。まるで凛と話して――凜は……凜は居るのか?
「いや、居ないよ。こっちに来たのはキミだけ」
俺だけ?
「キミだけ」
でもあの場には凜も――
「居たけど――居ただけ、だよ」
名前も分からない『何か』の言葉が辛辣に刺さる。
「思い出してごらんよ。キミと彼女との違いを」
俺と凜の……違い?
「そう、違い。キミがここにいて、彼女がここにいない理由」
違いなんて、朝一緒に駅に向かって、在って無いような内容の話をして、それで……それで俺は――
「キミは――死んだ」
…………。
「とっさに子供を庇って死んだんだよ」
『何か』に言われ、俺がなぜこんな所に居るのか、何をした結果ここに居るのか――すべてを思いだした。
俺はあの時、あの子の代わりに――轢かれた。文字通り身代わりになり轢かれてしまったのだ。
突然のことだったので自分でよく整理が付いてはいなかった。ただ、体はそんな中途半端な思考を置き去りにし、あの子のことを突き飛ばしていた。
幸いあのT字路は公園に面しているので突き飛ばした先は公園の花壇。擦り傷くらいで済んだだろうか。
その結果として俺は轢かれて――死んだ。
そういえば、ここで目を覚ます前――最後に意識があったとき、体中を鈍い痛みが支配していくのを遠退く意識の中で感じていた。
跳ね飛ばされて――言っても三メートルくらいだろうが――凜が駆け寄ってきた。
それで――ああ、泣かせてしまった。
いつ以来だろうか、凜の泣き顔を見るのは。随分と久しぶりな気がする。
涙で顔をくしゃくしゃにしながら俺のことを抱きかかえていた……ように思う。いかんせん意識飛びかけてたからな。詳しくは分からない。
凜が俺のことを呼んでいたようにも思うが、事故の衝撃で耳をやられたのだろうか、うまく聞き取れなかった。
こんな形で凜に辛い思いをさせてしまった。まったくもって兄失格だ。目のまえで死んでしまったのだ。凜のトラウマにならないことを祈るしかない。
突き飛ばした女の子に関しても……名前が思い出せない。すべてと言ったが、前言撤回。すまん、君の名前は忘れたが、自分を助けたばかりに人が死んでしまったという結論に至らないことを祈ろう。
祈ってばかりだが、しかしこんなことしかしてやれないのだ。
死んでしまえばそんなものだ。化けて出ることも、夢枕に立つこともできない。死者と言うのはかなり不便なものだな。
生きているときは正直言って得意ではなかったが、実際自分が死んで立場が変わってみるとそこまでではない。
「どう? 大体の状況は呑み込めたかい?」
ああ……おかげさまで大体はな。
「そう、それは良かった」
何がいいかは分からんが教えてくれ。
「何を?」
俺を待っていたというのはどういうことだ?
「どうもこうも、そのままの意味だよ」
――君が死ぬのを待ってた――と事も無げに。
「まあでもまだ『曖昧』なんだよね」
曖昧?
「うんん、何でもない。それよか、キミを待っていた理由を教えるのは簡単なんだけど、それに付随してキミは一つ、キミのことについて自覚しなければならない」
俺が……俺について自覚?
「そうだよ。今の君は――異常なんだよ」
俺が異常? ますます意味が分からなくなってきたぞ。もう少し話のレベルを下げてくれ。
「十分低いよ。これ以上下げたら、会話が全ぶ平がなの、ようじむけえほんみたくなっちゃうよ?」
すまん、俺の理解力がないのが問題だからもう少し戻してください!
「そこまで難しいことは言ってないよ。今の君は異常。それだけ」
だから、その異常の意味が分からない。
「うーん、そうかな。キミは、本当は分かっているんじゃないの? 分かっているけど無意識のうちにその考えを、無視している――誤魔化していると思うんだけど」
俺が俺を誤魔化す理由が見当たらない。
「しょうがないなー。本当はちゃんと自覚してくれた方が話が早いんだけどなー」
自分で自分を自覚するのは案外難しんだぞ。
「まあそれもそうか、じゃあちゃんと聞いててね?」
『何か』が一度目を瞑ると――そんな雰囲気を漂わせた後、消えた。瞬きの間に高速で移動したとかそう言う事ではなく、文字通り――消えた。視界から――消失した。
辺りを見回しても『何か』の姿は見えない。途方もなく広く、ただただ広い、何もない空間。
風も無く、暑くもなければ寒くもない、自分の存在すら曖昧になりそうな――異空間。
おいおい、こんなところにいきなり置いてきぼりとか洒落にならんぞ……。どうにかなりそうだ。
「本当にどうにかなると思う?」
突然後ろから声が聞こえた。先ほどと同じ、妙に俺の内へとすんなり這入ってくる、そんな声音の。
「それはそうだろうさ、今はキミの頭の中に直接話しているんだから」
振り向くとそこには『何か』が居た。
なんだ、その後付け感満載の設定は。
「後付けとは失礼な、ほら見てみなよ。口、動いてないでしょ」
そういわれはしたが、女性の顔をまじまじ見れるほど俺に耐性はない。
だが、少々流し見るだけでも彼女が口から声を発していないことが分かる。
……なぜ俺は今女性だと分かった? なぜ口を閉じていると分かったんだ? 目の前に居るのは――あるのは霧のように霞みがかった『何か』なのに……。
いやいや、今そんなことはどうでもいいんだよ。俺の――
「どこが異常か知りたいんでしょ?」
そう、それだよ。
「だから何度も言ってるように、現状キミがキミのままそうやって過ごしていることが異常なんだよ」
俺が俺でいることが?……何、いきなりの人格否定?
「違う違う、そんなんじゃないよ。ボクはむしろ今のキミの方が好きだから。おどおどするのは普通で面白くないし、つまらないから」
…………いきなりそんなこと言われても反応に困るのだが。喜んでいいのかもわからないし。
「喜んでよー、滅多にないんだよ? ボクがちゃんと気持ちを表現することは」
なら……まあ一応、ありがとうございます。
「うむ、よろしい」
で?
「で?」
さっきから一歩も進んでないんだけど。
「うーん、分からないかー。教えるって言った手前教えなきゃなんだけど」
こちとら聞く準備万端だぞ。
「じゃあもう本当に言うけどさ――」
かなり勿体ぶって告げられたそれは、やはり理解できないものだった。理解できないし、うまい落としどころすら見つけられない。そんな『何か』だった。
――キミは、どうして今、普通なの?