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ブリーフィーング! みなさま、エレベーターにご搭乗ください?!

次の朝は、ツアーの出発時間の1時間前の出勤でいいと言われたが、モモは初めての添乗(と言っても、見習いの「サブ添」だけど)が楽しみで、それより大分早く着いてしまった。

修学旅行のときの添乗員さんは走り回っていたし、モモは今日、2ボトムセットだったリクルートスーツのパンツの方を履いてきた。準備万端!


「おはようございます!」

と声をかけながら事務所に入ると、所長がこの間と同じようなくたびれたスーツ姿で、すでに支度を始めていた。

ツアーの旗、ツアーバッチ、顧客名簿、行程表・・・


「おはようさん。

昨日は初日なのに事務所にいなくて悪かったね。

泉ちゃんが、『モモちゃんがかわいい』って喜んでたよ。

今日は、よろしくたのむな。」


初めてあったときより、ずっと親しみやすい口調で、やさしそうな人柄が伺えた。

きっとこっちが地なんだろう、前回みたいな怪しい感じも、おかしな感じもしなかった。

この間は、知らない人をリクルーティングしようと思って、所長自身も緊張してたんだろうとモモは思った。


所長自身の準備が終わったようで、モモにも行程表が渡され、簡単に今日の流れが説明された。


「今回の『満開のエルダーフラワーの香りにさそわれて~賢者の里日帰りツアー』の立ち寄り先は、午前に錬金術博物館の入場、このチケットはクーポン精算。『食事処・梟乃巣』での中食なかしょくを挟んで・・・」


「しょ、所長、なかしょくって何ですか?」


「ああ、中食はランチのことだよ。ちゅうしょくっていうと、朝食と紛らわしいだろ? だから、真ん中の食事。」


「クーポンセーさんとは?」


「クーポンでの精算。入場観光の入場料の精算が、うちからクーポンを出して、月締めで請求書を送ってもらうっていうこと。

現金払いしか認めてくれないところは、添乗金から払うけど。

あとは、すごく厳しいところは事前入金というパターンもあるかな、少ないけどな。

それで、午後にエルダーフラワーの林の『哲学の道』の散策と『賢者庵』で賢者を囲んでのお茶。最後に土産店訪問。物販のKBは20パーだから、ガンガン売ってな!」


「け、けーびーとは?」


「キックバックだよ。

お客様のお買い上げになった合計金額の2割をウチに戻してもらえるんだ。

ここ、博物館も林も、賢者の里の中の施設は全部1つの団体だから、博物館のクーポンと、このKBで相殺してもらえたりするんだよね。あとの経理が楽なんだよ。」


その他、添乗員の仕事は「行程管理」で、ツアー行程が円滑にすすむように、「お金、人、時間の管理」をすることだと念を押される。

本来なら、ガイド業務は添乗員の仕事ではないし、お客様に満足いただけるような細やかなサポートは、仕事ではないんだけど、そんな雑用も暗黙のうちに、仕事の中に入っている、と所長が説明してくれた。


今回のお客様は全部で4名様だという。


(ずいぶん少ないけど、バスを借り切ったら、赤字!?)とモモは心配になった。


もうすぐ集合時間のはずのに、所長はのんびりしている。

集合場所の記載がなかったけど、ここから新宿や東京駅に出るなら、間に合わなくない?!とモモが焦っていると、所長がようやく、


「じゃあ、そろそろ行こうか、モモちゃん。」

と腰を上げた。


所長にまでモモちゃんと呼ばれて、ちょっとこそばゆい。

お兄ちゃんは、モモ太郎だの、ピーチ姫だの、変なあだなをつける名人だが、普段は友達やクラスメイトにはモモちゃんと呼ばれてきた。

でも、この年代の男性とは付き合いがなかったので、変な気分だ。


エレベーターを降りて、ビルの前で所長が立ち止まったので、モモは所長にぶつかりそうになった。


「まだ、誰も来てないね。」

「えっ、ここが集合場所なんですか。」

「そうだよ。」


「異世界旅行社」と書かれたツアー旗の棒を延ばして待つ。


(こんな裏道の雑居ビル前が集合場所なんて! 人通りはないので、恥ずかしくはないけど、このあとどうやってバスまで移動するのか、聞いてなかった)とモモは思った。


そうこうしているうちに、上品そうなおじいちゃま、おばあちゃまカップルがやってきた。

モモの父方のおじいちゃんと同じくらい、七十代か。


「あら、土和富さん、おはようございます。今日は岸さんじゃないのね。」

と、所長に声をかける。どうやら常連さんのようだ。


「はい、福多さん、いつもご愛顧ありがとうございます。

岸は先日、結婚退職いたしまして・・・」


「まあ、おめでたい。その話はあとでゆっくり聞かせてね」

中年の女性の三人連れがやってくるのを見て、おばあちゃまは場所を譲った。


(あれ? 2足す3は5人。今日は4人じゃなかったっけ?)


「すみません、今日のツアーのことを話したら、友達がどうしても来たいと・・・」

と一人の女性。

友永さんが代表者として、申し込みをしているグループだ。

モモのお母さんよりは年上で、母方のおばあちゃんよりは若い。五十代かな?


所長はあっさりと、

「いいですよ、ツアー代金だけ今、精算させてくださいね。」

と言い、お金を受け取った。

所長は新しく増えた「郷田祥子さま」あての領収書を切って、渡す。


(えっ!万券が何枚も。私の1か月のバイト代より多そう!

あ、でも、こんな少人数だから、ツアー代金が多くないと赤字だもんね。

薄利多売の反対だね!)

モモは、就職候補先の赤字の心配がなくなり、少し安堵した。


ツアーバッチは一応予備を用意していたので、全員に渡すことができた。


こっそりモモに

「現地着いたら、関係個所にGo-Show1名って連絡しないとな。」

と声をかける。


モモは「ごうしょうって何? 豪商?」と思ったが、レクチャーしてもらえる時間はなさそうだったので、あきらめた。


「では、みなさまおそろいですので、出発いたします。」


所長は、普通の顔をして、事務所のビルに入っていく。

お客様もそのあとをぞろぞろとついていく。


(えっっ?!)


状況のつかめないモモだけが、フリーズしながら、でも、置いていかれては大変!とそのあとを追った。


小さなエレベーターホールにつくと、所長は、


「本日は、『満開のエルダーフラワーの香りにさそわれて~賢者の里日帰りツアー』にご参加いただきまして、誠にありがとうございます。

本日の添乗員は私、土和富が務めさせていただきます。

また、本日は、見習いで時谷がご一緒させていただきますので、何かありましたら、お気軽にお申し付けください。」


と改めて挨拶をした。

老年カップルは常連さんのようだったし、ニコニコして挨拶を聞いているが、女性三人組は落ち着きなく、しかし真剣な目をして、耳を傾けている。

ひょっとしたら、初めてここのツアーに参加するのかもしれない。


「みなさまにお配りしたツアーバッチは、みなさまが当社のツアーに参加されているということの証明です。

現地での魔除けや翻訳機能もついていますし、迷子になられたときの、探索時にも使用いたしますので、決してお取りになりませんようにお願いいたします。」


(え、え、え~?! 所長、今、魔除けとか翻訳って言わなかった?!)


モモも今回は簡易名札として、直接名前を書き入れたツアーバッチをもらっている。

もらっているけど、特別なものには見えない、ごくごく普通のツアーバッチだ。


モモがおろおろしているうちに、所長はツアー旗でおんぼろエレベーターのボタンを押す。


(な、なんて無精な・・・)


とモモが呆れていると、エレベーターが開いた。

5人乗りのはずのエレベーターだから、2回に分けないと乗り切れないだろうと思っていたのに、全員が乗り込んでも、まだ少し余裕がある。

しんがりだったモモが乗り込んだのを確認して、所長は「閉」ボタンを押したが、そこには階数を示す数字のボタンは1つもなく、ただ「開」と「閉」しかない。


モモは自分の目が信じられなくなった。


エレベーターは大きくなっているし、階数ボタンは消えている。

さっき、所長とビルの下に行くまでに乗ったときは普通だったのに、こんな短時間で改装工事が終了するものだろうか。


一瞬体が浮遊するような上昇感があり、数十秒の沈黙が訪れた。

いや、モモが長く感じただけで、本当はほんの数秒だったのかもしれない。


カタンと小さな音を立てて、エレベーターは停止した。

ドアに誰も触れていないことを確認してから、所長が「開」ボタンを押すと、そこには森が広がっていた。

◆旅行業界用語まとめ


<ブリーフィング~Briefing>

旅行業界、航空業界でよく使う言葉で、相互が発言する会議Meetingではなく、一方的に状況を説明することです。


<中食~なかしょく>

昼食のこと。朝食と間違えないために言う。

類似例 四月→よんがつ 七月→なながつ


<クーポン精算>

旅行会社が発行するクーポン券を用いて支払いとし、主に月ごとに精算する方法。


<KB~ケービー>

キックバックのこと。売上に対して、一定パーセントを還元する。

旅行業界ではその他、売上にかかわらず送客手数料が発生する仕組みもあり、格安ツアーのツアー費以外の収入源となっている。


<行程管理>

添乗員の仕事。お金、人、時間の管理をして、ツアーが円滑に進むようにする。


<Go-Show~ゴーショー>

予約のないお客様がツアー当日に集合地にいらっしゃること。

反対言葉 No-Show ノーショー

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