・五月二十日、世界計量記念日
「ここが……網走ですか」
「札幌だよ、札幌!! こんなにビルが乱立してる網走があるか!!」
「あ、今、後藤さんは網走の人を敵に回しました。網走なんて刑務所しかない場所だと思ってるんでしょ?」
「んなワケねぇだろ!!」
「じゃあ、網走に何があるのか具体的に答えてみてくださいよ? 刑務所以外に網走には何があるんですか?」
「――――え?」
「網走刑務所のほかに、網走には何があるのですか? さぁ、答えてくださいよ!!」
黙りやがった。……駄目だ、この男。
頭の中は鉄砲を撃つことしか考えてないんじゃないか?
「じゃあ、お前は何があるのか言えるのかよ!?」
「はい、ヤマダ電機があります」
「……おい」
「オートバックスとイエローハットもありますね」
「……おい、待てよ。真面目に言ってんのか!?」
「それから、網走港があります。知らないんですか? ア、バ、シ、リ、コ、ウ」
「し、知ってたよ!? 俺は知ってたよ!? 網走港だろ? あぁ、知ってた!! ちょっと、ド忘れてただけ!!」
ふん、後言い訳か……相変わらずカッコ悪い男だよ。
「後藤一尉!!」
「なんだ!! 北沢!!」
「着陸中に後部で漫才をしないでください!! 操縦が乱れます!!」
「あ~あ、死因は上官の無知か。お可哀想にねぇ?」
うぉぉ! 実際に乱れると、恐ろしいものです!
後藤さんの馬鹿が原因で死ぬのは嫌なので、ここは黙って起きましょう。
「じゃあお前は、札幌にビル以外に何があるのか知ってるってのか!?」
「サッポロビール!!」
あああ、揺らさないで!! 怖いっ!! 怖いからぁっ!!
◆ ◆
無事? 札幌市内、自衛隊の分屯地内に着陸した後は、警察車両。
いつでも葬式に使えるツートンカラーのパトカーさんと警察官がお出迎え。
「……ちゃんと、面会に行くからな」
「はい、ちゃんと面会に来てください。毎日ね? それから、これをお渡ししておきますね?」
ボクが手渡したのは一枚だけど非常に重たい紙。請求書だ。
宴会、摘み食い、その他の経費、諸々を大久保さん経由で北海道の貨幣価値に直して貰ったものだ。
この一年で、随分と物価のインフレーションが進んだらしい。
まさか、諸々を合わせたお値段が、五億円の大台を突破しているとはね……。
「ちなみに後藤さんのお給料ですが、北海道内にある新しい防衛省に行けば貰えるそうですよ?
給料が払われないのにやってられるかって啖呵、自衛隊内ではマジ受けしたらしいですね?」
あ、顔を両手で塞いじゃって真っ赤に。……ぜんぜん可愛くない。
ねぇ、山本さん。こんな男が本当に良いの?
物価に合わせてお給料もインフレーション中らしい。
後藤一尉の年収が一千万円越えだってさ、凄いなぁ……。
でも、ロマネコンティが七千万。ヘネシーのナポレオンが三千万。ドンペリニヨンのゴールドが一千五百万。
……もう二度と手に入らない、希少価値ってものが世の中にはあるからなぁ。
ゴッホの絵、みたいなものなんだろう。生産者が死亡し、たった一年でヴィンテージ化が急激に進んだんだろうな。
「大久保さんが同期のよしみで北海道の会計課を通じ、試算していただいた飲み食いの金額です。
これは第十二旅団団長に請求を? 防衛省長官? 防衛大臣? 後藤さん? 誰が相応しいと思いますか?」
――――大久保さん、今の後藤さんに対しては鬼そのものだなぁ。
数字を少なく誤魔化しても、ボクには全く解らなかったのになぁ。
誠実で、ありがたい話ですねぇ。
「では、御機嫌よう。ロクマルに積んだボクの私物。勝手に開けないでくださいね?
もしも刑務所に入っちゃったら、ボクへの差し入れ、誰にも出来ないんですから……」
結束バンドで血の巡りが悪くなっていた手のソレが切られ、ステンレスの輪っかが嵌められた。
……礼状出されて読み上げられて、手錠嵌めらると、本当に逮捕されちゃったって感じだな。
もう、逃げられないって感じだよ。逮捕された、その時点で犯人になった気がするもんだね。
でも、仕方ないさ、この位は。ボクはボク自身が決めたルールすら破っちゃったんだからさ。
自分達の生存に関係しないZに被害は出さない。簡単で、難しいルールだったな。
ボクにルールを破らせるとは、ハーゲンダッツァー朱音め、お前は罪深い女の子だよ――――。
◆ ◆
ボクが未成年と言うこともあって、強面の刑事さんの他に婦警のお姉さんも一緒についてくださいました。
なので、思春期のボクは、おっぱいから視線を逸らすのに大変な労苦を支払わされました。
「お前が田辺京也で間違いないな?」
「はい、ボクの名前は田辺京也です」
「……そうか。じゃあ、この写真に見覚えはあるな?」
一枚の写真。そこにはボクがシェルター前のZ達に向かって、火炎のビールシャワーを浴びせかけている楽しげな図が写し出されていた。
ボクには、この写真に見覚えが……。
「ありません」
ボクの答えに、強面の刑事さんが眉をピクリと歪めた。
指先で強く、写真の一部、写真のなかのボクであろう人影を指差して、
「ここにハッキリと、お前の姿が映ってるだろうが!!」
そんなことを仰られました。
……と、言われましても、ボクには本当に見覚えがないんですけれども?
あぁ、なるほど。ボクにはピンと来ましたね。
「あの、鬼瓦警部。良いですか?
ボクのような人影がこの写真に写っていることと、
ボクがこの写真を見たことが在るかどうかは別の話だと思うんですよ?
あと、逆光の一枚なので、ハッキリではなくボンヤリとしか写っていません。
これはカメラマンに文句を言ってください」
隠し撮りされた一枚なんだ、ボクに見覚えが在るはずないじゃない?
だって、ボクは一人称視点だしね。三人称視点の画像に見覚えがあるかって聞かれてもねぇ?
それになにより、カメラマンの腕が悪いよ。これじゃあボクかどうかなんて解らないよ。
「そうだな、確かにそうだよな。……って、舐めてんじゃねぇぞ?」
「三笠さん、三笠さん、落ち着いてください。
……えっとね、この写真に写っているのは、キミ、で良いのかな?」
おっぱい刑事の婦警さんが割り込んでくれて一安心。
なので、ボクも出来る限りの誠実さを持って答えた。
「――――さぁ? 最近のCGって凄いですからね。
それにこれって何処で撮られた写真なんでしょうか?
場所が解らないと、ボクも思い出しようがなくて困るんですよ。
もしも行ったことのある場所なら、思い出せるかもしれないんじゃないかなぁ?」
「あぁっ!? これは、旧防衛省の地下シェルターの前で撮られた写真だよ!! 思い出したか!!」
「……なるほど、すみません。ちょっと電話してきてもらえますか?
今の防衛省に、旧防衛省の地下にシェルターが存在するかどうかを確認してください。
どうか今すぐにお願いします。話はそれからにしましょうよ」
机をバンと叩いて、鬼瓦警部が立ち上がった。
署内の電話から防衛省に確認を取りに立ち上がったのだろう。顔は怖いのに律儀な人だなぁ。
いつまでも借金のことでゴネ続ける後藤の人に、爪の垢でも飲ませたいくらいだ。
「三笠さんはね、悪い人じゃないのよ? ちょっとだけ怖い顔してるけど、優しい人なの。
それで、ここに映ってるの、本当にボクじゃないのかな? もう一度、確かめてくれる?」
鬼瓦さんの顔は怖いけど、心は優しい人なんだね!
お姉さんの顔は優しいけど、心は怖い人なんだね!
うん、わかったよボク!! 見た目は子供、頭脳も子供だからね!!
「しっかりと確かめました。やっぱり場所からして解りません。
しかし、この美少年は何処の誰なんでしょうか? 羨ましいくらいに格好が良いですね」
お姉さんは苦笑い。ちぇっ、乗ってくれても良いのにさ。
しばらくして不機嫌な顔を隠さず、鬼瓦警部が帰ってきた。
「……存在しないってよ。旧防衛省内に地下シェルターなんてもんはねぇってさ」
「不思議ですね? 世界は謎に包まれていますね?
存在しない地下シェルターの前で撮られた写真にボクらしき人影が?
……まさかこれは、チュパカブラの写真か何かなのでしょうか!?」
お姉さんは一瞬笑いそうになったが、鬼瓦警部はチュパカブラが解らなかったらしい。
全年齢に通じるUMAって、ネッシーくらいなのかな?
「んなわけねぇだろ!! じゃあ、こっちの写真はどうだ? 見覚えあるか!?」
たぶん、シェルターのインターホン越しに撮影された画像だろう。
だから、鼻毛は切っておけって常々言われてたのにさ……こんなところでも後悔するなんてなぁ。
人生って先が読めないよ。だから女の人は、あんなに熱心に無駄毛処理を……。
「これは、インターホンかなにかの画像じゃないですか?
インターホンって映ってる本人には見えないものなんですけど、もしかしてご存知ではない?」
アナログ世代にも程がありますよ鬼瓦警部。
インターホンの画面に本人側を映して何が楽しいんですか?
「つまり、これにも身に覚えは無いってか?」
「そもそも、これも何処で撮影された画像なのでしょうか?
撮影された場所が解らないと、ボクだって思い出しようがありませんよ?」
人生の中で、インターホンを押した数は数知れず……あれ? あんまりない。
あぁ、まもりや神奈姉の部屋には直接入ってたからか。たまに落とされそうになったけど。
まもりの奴め、色気づきやがって。見られたくないなら鍵を閉めておけ。
神奈姉は、しっかりと鍵を閉めてたから覗けもしなかったけど。おしとやかだね。
「香取!! アレ持って来い!! アレ!!」
「……あのビデオですか? でも、相手は子供なんですよ?」
「いいから持って来いって言ってんだろ!! 自分が何をしでかしたのか見せてやれ!!」
鬼瓦警部がおっぱい刑事に用意させたのは、一台のテレビとVHSのテープ。……生き残ってたんだねテレビデオ。
ガチャコとテープをデッキに差し込む。その姿が懐かしい。
動画の中でボクはシェルター前のZ達に向かって火を放ち、顔面を火達磨にして……。
そして、それを、手に持った登山用のピッケルで、一撃、二撃の惨劇か……。見てて辛いよ。
「これを見て、どう思う? どう思うかって聞いてんだよっ!?」
「可哀想……。可哀想だと思います……」
「三笠さん、怒鳴らないでください!! 相手は子供ですよ!!
……ねぇ、ボク? あの画面を見て? ホントに可哀想だと思うでしょ?」
「はい、こんな悲惨な動画を見せられる。ボクがホントに可哀想です。
――――幼児虐待で訴えますよ!?」
机の脚がバンっと蹴られた。可哀想、机さん。ごめんね?
「おめぇは幼児って歳じゃねぇだろ!?」
「三笠さん!! 止めてください!! まだ子供なんですから!!」
ボク、怖いよ。怖いよ……ボク。
誰か、誰かこの人達を止めてください!! 怖いんですボク!!
「それで、この動画は何処の映像なんですか? もしかしてゲームの画面ですか?
そこにボクっぽい人まで合成して……これはかなり卑劣な嫌がらせだと思うんですよ。
まさか、国家ぐるみの罠か何かじゃないでしょうか!? アルミホイルの帽子をください!!
頭の中からボクの心を盗み聞きするんでしょ!? あぁ、警察は汚い!! 卑怯だぞ!!」
――――そう、怖いのはボクなんだよね?
日本を破壊する爆弾を、北海道の内部に呼び寄せて彼等はいったい何をしたいんだろうか?
機密区画前の画像と、インターホンの画像……こんなものが何処から流出したって言うんだ?
防衛省が確実に隠蔽したはずの代物なのに、一刑事が持ってるなんて、おかしいな話だよ。
「……そりゃ、防衛省の地下の……存在しないシェルター?
あぁ、畜生!! 良いんだよ認めりゃ!! 自分がやりましたって、一言認めちまえば!!」
なんて投げやりで横暴な官憲だ。刑事と書いてデカと呼ぶ理由が良く解る。
でも、鬼瓦警部はあんまりやる気が無いのかな? あまりにも投げやりすぎる。
「5W1Hは大事だと英語の先生が言っていました。
いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように。
そもそもボクは、何の罪で逮捕されたのかも、よく知らないんですけど?」
苦悩する後藤さんを見つめるのに忙しくて、起訴状をよく聞いてなかったんだ。
とっても笑えた。
「見りゃ解るだろ? ちゃんと、手錠を掛ける前に起訴内容を読み上げただろ!?
殺人罪だ! 殺人罪!! それも凶悪な大量の殺人事件だ!!
通報があって、こうして証拠映像があって、ここにお前が映ってるんだから!!
あとはお前が一言、認めりゃ良いんだよ!! それで事件は解決なんだよ!!」
……最近のCGって凄いよねぇ。リアルなグラフィックが売りなんだなぁ。
「だから、何処なんですか、ここは?
身に覚えがないどころか、場所にすら覚えがありません!!」
「ここに、こうして、お前がキッチリと映ってるんだぞ!? しらを切る気かテメェ!!」
「三笠さん!! 落ち着いて、落ち着いて。ね? この画像に映ってるのは、キミなのかな?
私達は、それを聞きたいだけなの。それを教えてくれる? この人は、キミなの?」
「――――この画像に映っているのは……生き別れの兄じゃないでしょうか?
六つ子のうちのチョロ松だと思います!!
いや、トド松? 十四松? とにかくボクじゃありませんね。
ボクは鼻毛を切るタイプの男性ですから、こんな無様な画像映りをするわけが無いんです」
一つだけ嘘をついてしまったが、これは男の矜持というものなんだ。仕方が無いよね?
「……つまり、自分は誰も殺してない。そう言いたいんだな?」
「いいえ、それ以前の問題だと申し上げているんです。どうぞ、まずはこの画像の現場が何処であるかを示してください。ボクよりも防衛省と話をしたほうが早いと思いますよ?」
「三笠さん……」
「いい、香取つれてけ……」
「嫌です! 存在しない殺人の逮捕状を持ってきて拘留される覚えはありません! 即時、防衛省に確認をとり、この画像が何処のものであるかを確認してください!! それまでボクは、この取調室からトイレと睡眠と娯楽以外では出ませんよ!!」
「香取!! 茶を飲ませろ!! しこたまだ!!」
「……はぁ~い」
なんてやる気の無い返事。
――――むしろ日本のことを思って否定したというのに、この扱い。
北海道とは随分と酷いところだね? 北国には人情ってものが無いのかな?
◆ ◆
シェルター前に居たのも、自衛隊の家族だったんだろうか?
それなら中に居た人達がZとして助かったのに、自分達の家族は殺されたのだとボクを恨んでも仕方が無い。
あるいは、中に居た人達の家族かもしれない……。
NBC兵器対策されたシェルターのことをよく知らず、せっかく中に避難した家族を外に連れ出された。
その逆恨みなのかもしれない。
5W1Hはホントに大事だよねぇ。
今、札幌に、誰が、ボクを、殺人犯として、ヘリで呼んだのか?
謎が積み重なるばかりだ。滑走路がどうにかなっても若洲がある。今はまだ自衛隊の皆も居る。
ほんの数日で、みんながどうにかなる心配は無いと思う。思いたい。
――――くそっ、心配だな。
七十六人のZを殺しました。五人のお姫様のために。それでボクのお話はおしまいなんだよね?
続きがあるとすれば、それは無駄骨でした。が、続くだけだよ。
日本政府や自衛隊と繋がりを持っても、ボクの役には立ちませんでしたとさ。お終い。
アメリカの貧困層がどうしてドラッグ販売を辞めないのか、解ったような気がする。
馬鹿らしいんだ。恵まれた生まれの、恵まれた人達の、恵まれた上から目線の説教が。
――――Zを一人も殺さずに生きてこられたお坊ちゃんが凄んでも、全く恐怖が感じられない。
人を殺せば箔が付くとは思わないよ? でも、人に殺されかければ胆は据わるみたいだ。
押し込み強盗に殺されかけたっけ。フグの干物で殺されかけたっけ。銃で撃たれたこともあったっけ。Zはいつでも全力だったっけ。
北海道はZの発生が遅れた地であった。
そのため、初期から大した混乱が無かった。
死体の頭には銃弾を撃ちこめ。それが大阪の惨事の教訓だ。
立地的にも放置車両などが自衛隊や機動隊の動きを妨げることも少なかった。
機動隊が全域に展開し、Zの騒動そのものを未然に防げた数少ない土地の一つだ。
元々自衛隊が多く駐屯していたこともあって、平和と秩序に溢れている。
きっと、鬼瓦警部とおっぱい刑事、その双方がZの頭の一つ、穿ったことも無いのだろう。
――――だから、足りない。
害意が足りない。殺意が足りない。覚悟が足りない。何一つ足りていない。
だから、あんなにも優しい瞳をしていられるんだね。
この人達は、次の瞬間には奪い、殺しにくる獣の瞳をしていないんだよね。
正直、ちゃらちゃらしている吉村さんの方が百倍は怖いんだよ?
あれで、二秒後には銃を撃ち終えているかもしれない人なんだもの。
甘い言葉に優しい恫喝。たったそれだけのことで心が揺れ動く、ここは優しい世界なんだね。
それはとても良いことだよ。羨ましいことだよ。でも、どうしてなんだろう?
ここには住みたくないと、ボクが感じてしまうのは――――。
何人もの刑事さんが取調室に現われては去っていった。
皆、同じ質問を、何度も何度も聞き返すのは何故なんだろう?
毎回、違う回答を考えるボクの身にもなって欲しい。即興の大喜利だって楽じゃないんだよ?
笑いを取れるのは十のうちの一つ、あとは怒りを買ってしまう。
なんて笑いに厳しい取調室なんだろう? ボクはこれでも精一杯、頑張っているというのにね?




