・川上美冬 24歳、悲しいお家――――。
Zの災害以降、軍医も医者も手が足りず、心理カウンセリングの研修を受けさせられることになった。
そのなかで、多くの時間は子供を見捨ててしまった親への接し方に費やされた。
親を失ってしまった子供への接し方の研修時間は、とても短い割り当てだった。
災害の性質から、親が犠牲になる状態では、子供も犠牲になってしまうから。妥当な割り当て。
木崎神奈ちゃん、木崎まもりちゃん、氷川朱音ちゃんは幸いな方だった。幸い過ぎる方だった。
田辺京也君が父親代わりになって、心も身体も一年間、守り続けてくれていた。
戸部さんのご家族は、アザミさんと宮古ちゃんが共に残り、親子関係で支えあっている。
じゃあ、田辺京也君は誰が支えてくれていたのか?
答えは、誰も支えてくれていない。彼だけが、この滑走路の上で一人ぼっちだった。
沙耶ちゃんを含めた民間人の心のケアを任された私だけれど、本当にケアが必要なのは京也君だ。
自責の念で心神喪失に陥るほどの過度のストレス。
それでありながら、24時間以内に復帰して、作戦遂行が実行できる行動力。
作戦が完了すれば、さらに酷い心神喪失。精神が錯乱状態に陥ってしまうほどに脆い心。
それが、正常な精神のはずがない。あまりに異常すぎるため、正常に見えているだけだった。
京也君を動かしているものは役職。役割。ただそれだけ。
女の子を助けるための、ただの機械として彼は稼動を続けていた。人の心は……ズタズタだった。
錯乱した状態から、一週間も経たずに復帰、適切な作戦指示を飛ばす彼。
一見、正常に見える異常な精神のままに、京也君は日常の業務をこなしていく。
作業をこなせてしまうから、誰も彼の内側に潜んだ異常な精神状態に気付くことができない。
――――悲しいな。十六歳の少年が、孤独のなかで、健気に振舞う姿がとても悲しいよ。
保科さんは自衛官らしく、この桟橋要塞の設計図を外側から順に武装をもとに判断していった。
でも、内側から判断していくなら、その診断結果は大きく異なる。
まず、中心に家がある。これは家族の象徴だ。
まもりちゃんは、一年前の世界だと言ったけれど、なら、どうして京也君の家なのかしら?
まもりちゃんに、一年前の世界をプレゼントするのなら、まもりちゃんの自宅に似るはずよね?
次に、家を守る実戦力を持つ牙の要塞。
家の外には恐ろしいものが一杯で、それから家を守らなければならない。
Zの溢れた世界では当たり前のことかも知れないけれど、それにしても重武装すぎる。
――――明確に、人間を敵視した造りをしていることも気になった。これはZのための武装じゃない。
最後に、威嚇するための要塞。
外の世界から自宅を隔絶するための、心理学的なバリケード。
ここまで来れば誰でも解る。田辺京也君は、外の世界の全ての人間を警戒、敵視している。
自分の家を奪い、破壊しようとする侵略者としてしか見做していない。きっと、私達も含めて。
だって、Zは威嚇に対して何の反応も示さないんだから。これは、人間のための威嚇装置。
彼の心の中を分析するなら、大事なのは中心にある家、家族だけになる。
他のものは全て厄介者の侵略者。近寄るな、触れるな、入ってくるなと吼えたける狂犬が彼。
私達の到来にたいして倒れながら、二十四時間以内に回復し、作戦を遂行できたその理由は簡単。
『さぁ、これで作戦は終わりだ。とっとと出て行け、余所者ども』
――――でも、皮肉なことに木崎神奈ちゃんからの要請で、私が引き止められてしまった。
後藤さんの任務が関東圏の偵察に変わって、偵察期間中は佐渡島に帰ることが出来なくなった。
奥多摩に移動することも出来たのだけれど、神奈ちゃんの依頼もあり、八名の民間人、沙耶ちゃん達の精神状態を私は優先させてしまった。
本当は、私達が出て行くこと。これが彼にとって最も重要な心のケアになるはずだった。
この桟橋要塞、人工島を含めた滑走路の全域が、彼にとっての重要なパーソナルスペースだ。
自分の家や自分の部屋に、親しくも無い誰かが侵入すれば、ただそれだけで心は安定感を失う。
見知らぬ誰かを残して、あなたは自分の家を出られるかしら?
私なら無理。一緒に居ることも無理。落ち着かない、そわそわする、イライラする。
それが、今の彼の状態。だから、ロクマルへ男性隊員を移動させることに私は同意した。
――――ちょっと、面白かったし。
京也君にとって、女性が傍にあることは大した苦痛にはならないようだった。
私なりに理由を調べ上げると、それは丁度一年前、母親を亡くしたことに起因するみたい。
宮古ちゃんがアザミさんに抱きつく瞬間に見せる、憎しみにも似た羨望の眼差し。
他の民間人、沙耶ちゃん、湊ちゃん、小鈴ちゃんにも同様の反応を見せていた。
彼の心の中心は、家であり家族。
なのに、その家の中に、いまは誰一人として残っていない。
ただいまと口に出しても、家の中に木霊するだけの、空虚な空間。
それが、田辺京也君、十六歳の心の中身だった。――――それは、悲しすぎます。
知らないうちに涙が零れだしていた。
後藤さんばかりにやけに噛み付くのは、おそらくは父性の代償なのだと思う。
だから、優しく接してあげてくださいねってお願いしたのに……。
アルコールを点滴に混ぜる始末。もう、近寄らせること自身、止めてしまおうかしら?
大久保さんの言うことを素直に受け入れるのは、お爺ちゃんだからだと思う。
きっと、大久保さんは心外だと怒るかもしれないけど、お爺ちゃんの言うことだから素直に聞いてくれる。
十六歳で思春期の男の子。父親に歯向いたがりの盛りなのに、歯向う相手が居ない虚しさ。
なにしろ困ったことに、後藤さん自身の精神年齢がほぼ一緒なんだから、父親役に向いてない。
北沢さん……。アル中の父親は、ちょっと……。
大久保沙耶ちゃんよりも、田辺京也君の方が重症だというのに、誰もそれに気付いていない。
そんな京也君に逮捕状が降りた。私達の作戦に従事した結果、発生してしまった殺人罪。
私達が来なければ、彼は女の子達に囲まれて、ゆっくりと時間をかけて心の傷を癒していけたはずなのに――――。
その訴状を聞いた京也君は――――ニッコリと笑った。
この笑顔は以前に一度だけ見た。私達が防衛省に突入する、その寸前に見せた笑顔だ。
何の感情を表している笑顔なのか、よく解らない。でもそれは、心の底から見せる笑顔だった。
後藤さんに頭を下げて、一日だけ護送を待って欲しいと彼はお願いした。
それだけの義理はある。それ以上の恩義もある。もともと、私達が被るべき罪なんだから。
そうして、皆に別れを告げてまわるのかと思えば……彼は誰にも逮捕について話さなかった。
万が一の時を考えて、私に看護医療のイロハを女の子達に教えて貰えるよう頼んできた。
万が一の時を考えて、山本さんに銃火器の扱いのイロハを教えて貰えるよう頼んできた。
工事を始め、荷物を集め、荷造りを始め、あれこれと計算し、何処ぞとなくメールを飛ばしたり。
京也君は、万が一の時を考えて、私達に女の子達のことを託した。
つまり、九千九百九十九は帰ってくるつもりなんだと理解したとき、ゾワリと鳥肌が立った。
警察に逮捕されれば、自分は終わりなんだと普通の子は思うはずでしょ!?
なのに彼は、警察すらどうにかして帰ってくるつもりなんだと理解してしまった。
そんな京也くんが、北海道に向けてロクマルで飛び立った。
私の、ただの予感なんだけど……彼は、必ず帰ってくる気がする。
あるいは、北海道そのものをどうにかして、帰ってくる気がする。
防衛省。飄々とした顔で、沙耶ちゃん達を助けてきた時のように帰ってくる。
でも――――京也君が帰ってきた、その家の中には誰も居ないのよ?
保科さんが頑張っているけど、そこに貴方の家族は誰も居ないのよ?
それは、きっと悲しすぎる。形が丁寧になればなるほど、悲しすぎる。
誰も居ない、空っぽの家をプレゼントされた京也君は、どう感じるのだろう?
――――そうだ、邪魔をしよう。邪魔をしなきゃいけない。
京也君の心が壊れないように、家をちょっとだけ残念な感じに改造しよう。
元と全く同じ家を見て、家族が居ないことを自覚してしまえば、今度こそ取り返しの付かない事態になりかねない。
ここは、邪魔をしましょう。そうしましょう。
でも、具体的には、どうしようかしら?
まずは私の部屋、山本さんの部屋、沙耶ちゃんの部屋もくっつけて……。
あ、神奈ちゃんや、まもりちゃん達の部屋を広げて、京也君の部屋を無くしちゃいましょう。
私の部屋は六畳……いえ、八畳? どーんと十二畳でどうかしら? これは――――夢が広がるわね!!
「山本さ~ん! ちょっと相談があるんですけど~!!」
ジェットバスとウォッシュレットは必須。これはすぐに決まった。
ウォークインのドレッサーも欲しいところよね?
――――さて次は何にしようかしら? 保科さん、頑張ってね?