・保科基樹 26歳、優しい要塞――――。
バルカン砲の名前で知られる回転機銃だけど、正式な呼び名はガトリングガンだ。
バルカン砲はその中で一番有名だったから、日本では回転機銃の代名詞になっちゃったんだよね。
銃弾も砲弾も、一発撃つ毎に、銃身を超高速の金属弾と爆風が通過するんだ。
すると、高熱が発生して砲身が融け出してしまうんだよね。
だから、いくつもの砲身を連用することで、故障の原因を少なくしたものがガトリングガン。
銃身が八本付いてるからって一度に八発撃つ訳じゃない。発射するのは一番上の一本だけなんだよ?
映画ではクルクルと、数秒ほど予備回転を始めてから発射が始まるけど、現実は違う。
敵を捉えてから数秒のタイムラグなんてあったら、逆に撃ち殺されちゃうからね?
そんな欠陥兵器を使うくらいなら、回転しない一本の機銃の方が絶対に使いやすいよ。
だから、京也くんの自動機銃、タレットがクルクル回っていたのには、少し笑っちゃったんだよね?
銃身が回れば遠心力が働く。だから、むしろ当たらなくなるんだよ。あれはね、解ってて回してるんだ。
これから撃つぞって威嚇の為にね。
だから向こうには撃つ気が無い。それが解っていたから後藤さんは滑走路に降りたんだ。
それに本来なら、タレットは敵に見つからないように隠しておくものだ。
それが、相手に見つけてくださいと言わんばかりに設置されていた高射砲のタレット。
キャリバー50の射程は2km。空の世界を基準に考えると、あまりにも短い射程距離だ。
対するロクマルは4000mまで上昇できる。いくらキャリバーだって、垂直方向に4kmじゃ威力は出ない。
だけど、上から下に撃ち降ろす分には重力加速があるから、射程距離なんてほとんど無いも同じなんだよ。
そんな優しいタレットが、壊してくださいと言わんばかりに、この要塞には設置されていたんだ。
本命は隠された短SAM、地対空ミサイルだった。
威嚇のタレットに怯えなかった相手、攻撃してきた相手に向けるための本物の牙は隠されていた。
155mm榴弾砲、FH70の配置も実は、とってもおかしい。
これは、とても遠くを攻撃するための榴弾砲であって、近くの相手を撃つ大昔の大砲じゃない。
それが、わざわざ外からもよく見えるように四隅に配置されていた。何を狙う気なんだろうね?
滑走路の縁にはZの死体が仲良く並べられて、これでもかと要塞の危険性を示してくれていた。
素人目にも危険を教えてくれる。この要塞は、とっても優しい要塞なんだよ。
撃って殺すための兵器の数々が、並べて怖がらせるためだけに使われていた。
そして、撃って殺すための兵器の数々が、並べて撃って殺すためだけに使われていた。
まずは見た目で近寄らせないよう威嚇してくる。子供が考えたような兵器の配置でね?
けれど、それでも襲ってくるような相手には、本気で反撃する為の陰湿な牙の用意があった。
短SAMやタンクバスター、本命の兵器は見事に隠されて、起動用のドローンと共に配置されていた。
HELLポートもその一つだ。
丸にHのマークがあれば、ヘリの操縦士ならそこに駐機しちゃうよ。本能だ。
タレットを破壊して、余裕の顔で駐機して、一発でドカンと皆殺し――――。
勝って兜の緒を緩める瞬間を、よく解ってるよ。
あれは威嚇であり、素人だと舐めさせるための罠でもあったんだ。
猛犬注意、近寄るべからず。
そうキチンと示された要塞。これに近寄る奴は馬鹿だよ。うちの上官のことだ。困った人だよ。
大久保さんに一泡吹かせてやるとか何とか意気込んで一直線……実現は不可能だと知っていた。
百人用のシェルターだ。そこに千人を詰め込めば、濾過装置の許容量を超えてすぐに全滅する。
千人分の避難場所を確保する。ただその作業を行なっているうちに、全滅しているはずだった。
それを何時、口に出そうかと迷っているうちに、沙耶ちゃん達を助け終えていた。
――――あれ?
防衛省の中での京也くんは、静かな猟犬を思わせた。
吼えず、無駄なく、ルートを確保し、躊躇いなく人を殺し、どこの特殊部隊だよという手際で任務を遂行。
沙耶ちゃんだけで良い、何度も繰り替えされた言葉の違和感。だけど、僕は口を挟まなかった。
後藤さんだって、山本さんだって、皆が気付いていた。
吉村くんだけは、微妙。北沢さんは……傍のお酒に気もそぞろだった。
だけど、あんな展開になるとまでは思いもよらなかったよ。
沙耶ちゃん達だけを連れて帰る。そういう意味だと認識していた。
なのに、まさか内部の千人を暴走させるなんてね……。
彼は、沙耶ちゃんだけを助けると言っていたわけじゃなかったんだ。
沙耶ちゃん以外はどうなっても良いんですね? そう繰り返し尋ねていたんだ。
表の優しい顔と、裏の猟犬の顔。この優しい要塞そのものの姿だった。
表では、甘くて攻めやすく、裏では、陰湿極まりない牙を研ぎ澄まして待っている。
その行為が、シェルター内部の人口を適正な数まで減らすための間引きだと、すぐに理解できた。
それだけを見れば優しい顔。だけど自衛隊幹部の家族が大勢Zになった事実は、日本政府の咽元に噛み付いた。
『Zを銃弾で皆殺しにしろ』
その命令には、防衛省内部に残った自衛官の家族も含まれるに決まっている。
オキシトシンの投与によって治療の見込みが出てきた今、その命令に喜んで従える自衛官なんて居ない。
だからもう、自衛隊の人間が政府から降される命令に怯える必要も無いんだよね。
自衛官の誰一人として、病気の民間人を皆殺しにする役回りなんてやりたくないんだからね?
『Zを殺せ!! 俺達の安全のために!! ゾンビ野郎を皆殺しにしてこい!!』
じゃあ、お前がやれよ……ほら、銃も貸してやるから!! 使い方も教えてやるよ!!
――――これが、自衛官の本音だ。敵意を持たない病人を撃ち殺したい殺人狂じゃないのさ。
京也くんの行動のどこまでが計算だったのかは、さっぱり解らない。
もう優しいのか陰湿なのか優しいのか、訳が解らないよ。京也くん?
佐渡島じゃ結局、一発も撃てなかった意気地なしの僕としては、とっても有難いんだけどね?
防衛省のなかでも誰一人、刺し殺せなかった意気地なしの僕としては、とっても有難いんだけどね?
『京ちゃんは、優しすぎるから』
神奈ちゃんが言っていた言葉が繰り返される。
優しい人のことなら解るよ。でも、優しすぎる人のことは理解できないかな?
京也くんに頼まれた冷凍施設。内容量は三百万リットル。
缶詰やレトルト食品だって、常温よりも氷点下のほうが長持ちするに決まってる。
これだけの量があれば……二十年や三十年、軽く過ごせるんじゃないだろうか?
神奈ちゃん達は今、川上さんや山本さんに基本のイロハを習っている。
それは、もしも京也くんが帰ってこれないときのために頼んだことだそうだ。
よくもまぁ、そこまで女の子たちに尽くせるものだと思う。
それも、幼馴染とはいえ、恋人じゃない女の子のためにね?
優しい子じゃなくて、優しすぎる子か。ちょっと、これは真似出来ないな。
でも、なんだか応援してやりたくはなる。――――かな?
壁を作って、穴を掘って、物置を作って、本職とはいかないけど、自衛隊流なら僕にも造れる。
彼が帰ってきたときに、驚くくらいのものを造っておいてやりたくなるよ。
僕は優しすぎる人間じゃないけど、優しい人間だと自分を思ってるからね。
――――ただ自分が傷つくのが怖い、弱虫なのかもしれないけどさ。
それを乗り越えた先が……京也くんの錯乱状態なのかもしれない。
本当は、僕たちが手を汚すべきだったんだよ。
そうすれば、京也くんが逮捕されることも無かった。
でも、京也くん以外には沙耶ちゃんは救えなかった。ジレンマだ。
この桟橋要塞にも設計図は存在した。
まずは、人工島に設けられた倉庫や電気の設備群。
桟橋要塞の概略図。威嚇用の兵器と殺戮用の兵器。
そして、その頑健な要塞に守られた、ただのお家だ。
この家の図面は、世田谷にあった京也くんの自宅そのものらしい。
材質は大きく変わってしまうけど、間取りを似せて作るくらいのことは可能だと思う。
若洲には木材の置き場があるし、金属材だってその辺の建物を壊せば手に入るんだしね?
それにね、実は材料の殆どは揃ってたんだよ。あとは、時間と人手だけだった。
威嚇するための要塞と、攻撃するための要塞に守られた、ただの一軒家。
随分と馬鹿げた構想だと思ったけど、これが京也くんにとっては何よりも大事なものだったらしい。
時間さえあれば頑張って、きっと自分一人の力で造り上げたんだろうね……。
たった家一軒。これを守るためには、随分と重武装な気もするんだけど。
優しすぎる京也くんの心は解らないなって答えは、まもりちゃんが泣きながら教えてくれた。
『一年前の世界を、私達にプレゼントしたいんだ。京也の馬鹿は!!』
――――女の子へのプレゼントは、安全すぎる一軒家。それは優しすぎだよ京也くん。
あのね、あんまり女の子を甘やかしすぎると……。
これは僕が語ると墓穴になるから内緒にしておこう。
一年前の世界か……どんな世界、だったかな?
誰かが困っていたら助けてあげる……この滑走路の上の世界、そのものだった気がする。
――――でも、思い出って美化されがちだから話半分ってところかな?
本当は、そんなに優しくも無かった気もする。特に女性関係は。そんな気がする。




