・五月十九日、セメントの日
「生存記録、四百十四日目。五月十九日、天候は曇り。記録者名、田辺京也。
……ボクはもしかして、叩けば直る壊れたテレビか何かかと思われて、
『だからゴメンってば!!』
いるんだろう。確実に、絶対そうに違いない。
朝勃ちという言葉は耳にすれど、朝折られという言葉が初めて誕生した瞬間だと思う。
目覚める……いや、殴り起こされると、ボクの腕が薬物中毒患者のものになっていた。
『ごめんってば! また、京也が倒れた時のための練習なの!!』
プレッパーズは自分の腕で練習するって言うのに、根性の無い奴だ。
川上さん、まもりにも自主トレさせてあげてください。二百回ほど。
痛いってことは、まだ、優しい方の苦しみだと知った。
世界には、痛い以上の苦しみが山ほどあるらしい……。
ボクの語彙の少なさには飽きれるばかりだ。表現のしようが無かった、今日の朝の目覚め。
自衛隊の男性隊員達がなんだか幸せそうな顔をしていたので、奴らの今日のご飯は45倍だ。
明日のご飯も45倍だ。彼等が泣いて謝っても45倍だ。
米と、水と、45倍があれば人は生きていけるものだ。
そのうち、45倍以外食べられなくなるかもしれない。
しかし、また、川上さんには命を助けられてしまった。
――――これはもう、結婚を申し込む他ないのではなかろうか!?
まもり、その御盆、縦は痛いから止めて?
え? あぁ、平の方で叩くとへこんじゃうから縦って決まってるんですね。
へ~、川上さんは物知りだなぁ。ところで備品のなかにナース服があるのですが?
あ、着たくは無い? 解りました、諦めます。
え? でも貰っておく? ……はい、解りました。
理由は聞きませんけど、一度くらいは見せてくださいね?
まもりのナースルック? いや、別に興味ないから良いよ。
だから、縦は痛いんだって。でも、縦が正式な使い方なら仕方がないのか、ちくしょう……。
さて、起きても地獄、寝ても地獄、目覚めも地獄で寝つきも地獄。
――――これが地獄以外の何物だって言うんだい?」
ヘッドセットを外して記録終了。
まだ、平謝りを続けている、まもりの頭を撫で続けながら考える。
本当の地獄か……そりゃ、この天国のほかの全ての場所なんだろうなぁ。
神奈姉が居て、まもりが居て、朱音が居て、宮古ちゃん、アザミさんが居て……。
アザミさんだけは半分、こちら側の世界に来ちゃったけど、まだ戻れる。お母さんだからね。
まだ、誰も殺してない。まだ、誰も傷つけていない。だから、まだ、戻れるはずだ。
大久保さんは軍人さんだ。命を数で計って、より多いほうが正解だって言ってくれた。
たぶん、それは正解なんだと思う。軍人としての正解なんだと思う。
でも、ボクはプレッパーズだ。
そもそも、そんな計量カップは持っていない。だから心にエラーが発生した。
ただ引き篭もり、やり過ごす。逃げ回り続ける。全てが終わるまで、全ての責任から逃げ回る。
そんな男に、こんな生き方をさせたことが、そもそもの間違いだったんだよね。
こういうのは冒険野郎の生き様だ。プレッパーズ様の生き方じゃない。
さてと、もう時間が無いんだ。だから、さっさと片付けてしまおう。
プレッパーズとして、こうなる前に遣り遂げるべきだったことの全てを片付けてしまおう。
ボクは、ボクだ。葉書き職人のプレッパープレッパーさんだよ。
世界の終末から逃げ回る、ただの卑怯で卑劣な引き篭もりに戻るのさ。
◆ ◆
プロ仕様ダイヤモンドカッターで10x10mの正方形に溝を刻む。
プロ仕様ハンマドリルで適当に穴を開ける。
蛮族どもに捏ねさせておいたプロ仕様C4を保科さんがセット。プロ起爆。
流石は工兵さん。C4を捏ねるだけしか能の無い他の男どもとは違った。
ごめんなさい。北沢さんも、流石はヘリコプターの操縦士。
見事な手際でショベルカーを操ってくださいました。何故、出来るの?
消防車の注水式カッターと、工事用ポンプの排水式土木掃除機。
ほほう、吉村さんは音楽隊な上にスナイパーだったのですか。
いやぁ、流石はスナイパーの水捌きですねぇ。はははははは。
これで滑走路に10x10x10mの穴が三つ。
これに、保科さんが用意してくれたカバーを被せ、後は泥水建材が凍るのを待つだけ。
随分と簡単に300万リットルの容量が確保できました。やっぱり数は力ですな。
細かな詰めの処理は、保科さんが担当してくれた。流石はプロだ。動きに無駄がない。
食料の備蓄、よし。
燃料の備蓄、よし。
発電機械の予備、よし。
冷凍機械の予備、よし。
娯楽用品の用意、よし。
ビタミン類、薬品類、その資料類、家庭の医学書、よし。
パソコン、プリンター、通信設備、予備類、全て、よし。
生活用品、生理用品、美容化粧品……は、たぶん、よし。
川上さんには即席だけど、医療手当てのイロハを教えて貰っている。
山本さんには即席だけど、銃火器の扱い方を教えて貰っている。
無線とネット、双方で佐渡島と連絡も取れるし、いざとなればヘリを飛ばしてくれるらしい。
名目は関東圏の視察になる。その場合、要お土産になるけれど、その為の備蓄もある。
東京湾から漁師の人達を追い出した今、この滑走路上には完全な引き篭もり要塞が誕生した。
だから、ボクが居なくても、もう安全なんだ。
◆ ◆
「なんだか、久しぶりのナイトクルージングですね?」
「最近、京也さんが倒れてばかりだからですよ。……あんまり無茶をしないでくださいね?」
「嫌です。みんなの為に、今晩は無茶ばかりします。あとは、のんびりと過ごしますよ」
――――もう、本当に時間が無いから。
アザミさんには話してある。ボクには本当に時間が残っていないことを。
「どうしても、皆から離れなきゃいけないんですか?」
「……ボクには逃げ場が無いですから。そして皆には、あの滑走路がやっぱり一番安全なんですよ」
納得しながら満足してない、女の人の悲しげな表情だ。
――――ボクには甲斐性が足りないな。父さんなら……あ、旅行に連れて行かされるパターンだ。
久しぶりでのクロ二号による上陸作戦は、随分とスムーズに行なわれた。
なにしろ、Zくんの方がこちらを見かけると逃げていくんだから。
周囲一帯のZくんに、クロ二号は怖い怪獣だとでも思われているのだろうか?
――――それは、ゾンビとしてどうなの? キミ達、怪物としてのプライドはないの?
扇島。滑走路から多摩川を挟んで、もう一つ先の人工島。
東扇島基幹的広域防災拠点施設。
使われなかった防災設備のアレコレを運び出させて貰った。
扇島の冷凍倉庫内は、やはり冷凍しなければならないもの、冷凍された食品類の山だった。
目に付けば、服でもタイヤでも何でも、使えそうなものをはしけ船に積み込み、荷揚げは滑走路上の人達に任せたピストン式の泥棒家業。
「……みんなで逃げちゃ、駄目なんですか?」
「駄目とは言いませんけど、なかなかね。無理の方が近いですよ? 相手が悪すぎますから」
スタンドからは液体燃料を、セルフでなくても、地下タンクから直接汲み上げれば良いという結論に達した。
工業用の太陽光パネル……これで、家なら何十件分になるんだろう?
パネルは十分以上に集めたし、パワーコンディショナーの予備も沢山ある。
あとのことは保科さんが何とか世話をしてくれるだろう。
「……あのゴルフの島とかに隠れてちゃ、駄目なんですか?」
「すぐに見つかっちゃいますよ。相手はボクを、ちゃんと認識してるんですから」
よくよく考えてみると、酒店こそが一番保存食を置いてある場所なんじゃないだろうか?
酒の肴といえば缶詰だ。酒と缶詰。魚の干物やらビーフジャーキーやらドライフルーツ。
……うん、間違いない。酒店こそが保存食を一番扱ってるお店だ。
調味料とか、お菓子とか、そんな小さなものも売ってたりするしね。
「でも、京也さん。――――このままで、本当にいいんですか?」
「良いんですよ。色々、迷惑かけますし。湿っぽいの、嫌いなんです」
最近では、医者と薬局が別々になっているから薬局を探った方が早くて助かる。
ドラッグストアの名前の割にはドラッグ以外の扱いの方が多い気もするドラッグストア。
船の予備、はしけ船の予備、鋼材、木材、ポリタンク、忘れちゃいけないトイレットペーパー。
考えられる限り、目に付く限りの荷物を集めて回った。一欠けらでも残せるだけの荷物を漁った。
あ、最後に一つ、宮古ちゃんがお望みの、お姫様な天蓋付きのベッドも。
「みんな一緒じゃ駄目なんですか!? みんな一緒で良いんじゃないですか!?」
「向こうの御指名はボクだけですから。ボクだけなんですよ。――――特等席なんですよ」
アザミさんは、夜が明けるまでクロ二号を走らせて、ボクの我侭に付き合ってくれた。
最後のほうは膨れっ面で、あまり話してくれなかったけど。ずっと、泣いてたからね。
『――――女の人を泣かせるような男になっちゃ駄目よ?』
うん、その通りだね、母さん。女の人の涙はキツイ。男の人の涙は笑える。
◆ ◆
「用意、出来たのか?」
「えぇ、お陰様で。そちらこそブラックホークもどきの調子は戻りましたか?」
「誰が悪さしたんだろうなぁ? 見つけたら、お仕置きしてやらんとな」
「では、その方はブラックホークもどきから紐なしバンジーの刑に処しましょう」
「死ぬわ!! 俺を殺す気か!?」
無職の人、改め、後藤の人、改め、陸上自衛隊、第十二旅団、後藤弘信一尉がボクを拘束した。
罪状、防衛省内における大量殺人行為。手錠じゃなくて結束バンドってところが自衛隊っぽいね。
――――ボクは、防衛省のなかで一つのルールを破ってしまった。
生き延びるため以外の殺人行為。自身の緊急避難とは無関係の殺人を犯してしまった。
だから、ボクはあの時、本当に立派な殺人犯になってしまったんだ。
皆が眠りについたままの早朝未明。
ブラックホークもどきこと、ロクマルの羽が回り始めた。
見送りは、眠気にフラフラとするアザミさんだけだった。
元自衛官である大久保さんは言った。
『貴方は、防衛省で七十二人の命を奪いました。一千二百八十一名の命を救うためにです』
……つまり、七十二人を殺したんだ。助けた数は関係ない。
百人助ければ、医者には一人を殺す特権が与えられるのかな? 答えはNOだ。
大久保さんを罰すれば士気に関わるが、ボクを罰する分にはなんら問題はない。
むしろ、綱紀粛正に繋がるほどだ。民間人の勝手は許さないという姿勢を政府が示す良い機会。
あの混乱の中、地下のシェルター方向ではなく階上に逃げだした人が居た。上に逃げる本能だね。
彼女がインターネット電話を使って伝えたその凶行は、まさに卑怯にして卑劣、外道そのもの。
シェルター前に居た罪無き人々を焼き殺し、安全なシェルター内部から人々を誘い出し、Zの群れに襲わせた地獄からの使者――――その名は田辺京也。
ハーメルンの笛吹きZを探すよう、防衛省に警告した民間人の名も田辺京也。
同じ名前が二つも重なるなんて、不思議なこともあったものだ。
シェルター前の監視カメラ映像に映っていたのはボク。
非道にも病気の人々の顔面を焼き払い、一方的にピッケルで穿ち殺して回った殺人鬼だ。
こうして全ての線が繋がってしまった。忘れがちだが、日本は未だに法治国家だったようだ。
バレなければ良い。でも、バレてしまっちゃ、駄目なんだよね?
殺人の通報があり、画像の証拠があり、犯人が目の前に居てしまった。
だから、捕まえるほか無いんだよね。そうしなければ、後藤さんの首だけじゃ済まないんだ。
自衛隊と言う組織が、大量殺人犯を見逃した。そんな事実があってはならないんだから。
この際だ、目の前の後藤の人も刑務所まで道連れにしてやろうかな?
こうしてボクの楽しい楽しい、長い長い北海道旅行が始まった。
……少年法って、まだ有効なんだろうか? それだと、いいけどな――――。




