・田辺京也 16歳、ゾンビトマール――――。
ゾンビトマール。その原型はゾンビマトマール。ユニットAのことだ。
音さえ出せるのなら、理性あるZを利用する必要は無い。
赤ん坊の泣き声が聞こえさえすれば、Zはそこに集る。
『また、欲を出して本当のことを言わなかったんだね?』
最初から全ての手札を曝け出すなんて馬鹿のすることさ。
『美人には曝け出したのに?』
……美人には仕方ないでしょ?
『うん、美人なら仕方ない』
うん、そうでしょ?
Zは流水を嫌がる。ただの水でも嫌がる。水に入れば溺れてしまう記憶が残っているんだろう。
だから、ドローンを使って離島にZを誘導し、閉じ込めてしまう案は元々あった。
ただ、実行力が無かった。ずっと行なえなかったし相手も多すぎた。
初めて行なったのは、あの強盗団の基地だった警察署での軍事利用。
集合地点を警察署内にすることで、Zくんたちに強盗団を襲わせた。
『罪の無いZくん達がいっぱい死んだよね?
まさか、あんなに激しく抵抗するなんて思いもよらなかったよね?
腐っても自衛隊と警察官、二日に渡ってZくん達を殺し続けて……いったい、何人死んだのかな?』
数千か、数万か……最初に襲ってきた人数。
やり口から見て、大したことの無い連中だと思い込んでいた。
あんな見え見えの罠。母娘が、こんな地獄で生きていられるわけないじゃないか。
『ま、そこは俺も納得だ。
一年間、Zを相手に生き延びてきた相手を舐めすぎだよね?
――――相手もキミも、双方ともに、敵を舐めすぎたんだよね?』
そうだね。ボクも相手を舐めてたよ。元自衛官と元警察官の集りだってのにさ。
銃だって、いっぱい持ってたって言うのにさ。……すぐに片が付くと思ってたのにな。
プロトタイプ、ゾンビマトマールは成功した。
でも、玩具のドローンでは、せいぜいが10kmの誘導が限界だった。
そんな近くに離島は無いし、その時のボクでは橋を落とすことも出来なかった。
そしてアザミさんと合流し、初めてCDCに私見を添えた英論文をメールした。
反応してくれたのはエリカ=ハイデルマン。オキシトシンを注射すれば、Zが沈静化するって、
『嘘を吐かれたんだよね? 何で嘘を吐かれたのか、解るかな~? 解らないかな~?』
……彼女も、人間だからさ。色々としがらみがあったんだろう?
それに、彼女は後から謝罪もしてくれたし。ボクにNYの実情を示して警告もしてくれた。
おかげで世田谷の自宅から逃げ延びて、事なきを得られたんだ。
『……それだけじゃ、無いんだろう?』
即座にゾンビマトマールの情報を流さなかったことかい?
確かにそれを即座に流していたら、NYの市民をもっと早くに追い返すことが出来ただろうさ。
使うべきものはドローンとスピーカーだけだ。理性あるZを使う必要なんて無かったんだから。
『御明察。キミが彼女にゾンビトマールについて情報を流し始めたのは、空港に辿り着いてからだ。
オキシトシンで理性を回復できる。その情報に食いついたのであって、善意じゃ無かったよね?』
あぁ、認めるよ!! オキシトシンを投与したZをドローン代わりにすることで、もっと動的で複雑な誘導が行なえる。
その作戦の功績が目当てだったさ!! でも、返答は無かったんだ。
『無視されて、焦ったのかい?』
あぁ、焦ったよ。ただ、彼女は彼女で隔離されてたみたいだからただの行き違いだね。
『う、そ。それだけじゃない。ホントはさ、ただで情報盗まれたって、思っただろ?』
――――思ったよ。思ったさ。何か悪いか!?
『全然? それが、に、ん、げ、ん、だもんね?』
そうだよ、それが人間さ。ボクは人間なんだ。
初期型のゾンビトマールでは未だ情報が足りないのかと思い、改良に改良を重ねた。
初期のゾンビトマールでは、外部からのオキシトシンの継続投与が必要だった。
だから、改良に改良を重ね続けた。
今のゾンビトマールは、初期に比べて随分と洗練されたと思いたい。
ボクの知る限りのZの特性、その全てを注ぎ込んだ一大作戦だ。
建材Z。ZはZを襲わない。なら、理性あるZで囲んでしまえば動けなくなる。
ユニットA。Zは光や音に敏感だ。一箇所に集めて囲んでしまえば動けなくなる。
Zは集団で行動したがる。なら、理性あるZで大集団を形成すれば、離れようとしないだろう。
Zの学習能力。Zは学習する。なら、お互いで抱きしめあいをさせて、オキシトシンを自身の脳内で供給させればいい。
一箇所に集め、理性あるZによって囲み、お互い優しく抱きしあうことを学習させる。
そうすれば、Zの集団の内側だけで全てが事足りて、彼等は外を目指さなくなるんだ。
彼等の青い鳥は、自分の脳の中に居たんだよ。赤ちゃんだから引き出し方を知らなかっただけさ。
今、NYのZたちはロングアイランドで優しく抱きしめあい、脳内バカンスに夢中だろう。
こうしてZの動きは止まった。これが、ゾンビトマールの完成形だ。
Z自身によるオキシトシンの自己循環モデルだ。ゾンビ&サークルと呼ばれても仕方が無いね。
『焦ったのかい? ここまで情報を送り続けて、まだ反応が無い時は?』
……焦ったよ。見当外れの的外れを送り続けて、相手にされていないんだと思ったよ。
でも、良かった。想像は的中した。ちゃんとアメリカでは成功してたんだ。
『ふーん。なら、どうして日本の政府にはゾンビマトマールのデータしか渡さなかったんだい?
Zはそれを学習し、ゾンビマトマールは、いずれ効力を失うって決まってるのに』
――――政府の反応を見たかった。ゾンビトマールはボクに切れるカードの最後の一枚だ。
でも、その返礼は金一封ですらなかった。遠い未来、あるかどうかも解らない謝礼だったよ。
『失望したのかい?』
まぁ、ね。どうやら日本政府は、国民の貢献は当然のことで、無料のものだと思ってるらしい。
つまり、一年前と何の変わりもない国だったってことさ。
……どこかの少年が、たまたま発見しただけのアイディア賞だ。
文部大臣賞くらいもらえるかもね? でも、それだけさ。
『怒ったのかい?』
まぁ、ね。ボクの切り札には感謝の言葉を一つだけ。
その癖、ボクの手札を自分達の外交カードとして堂々と切ろうとしたんだから。良い面の皮してるよ。
彼等は未だに何とか省の中でポスト争いでもしてるんじゃないのかなぁ?
『どうするのさ?』
どうもしないさ。大久保さんが教えてくれた。
今の日本の惨状は、今の政府を選んだ自分達の選択の結果なんだ。ボクは選んでないけどね?
もう、飽き飽きだ。だから、ボクは、もう関わらない。勝手に生きて、勝手に死んでくれ。
今じゃ死んでもZにしかなれないけどね?
『それに巻き込まれる子供達はどうなる?』
――――それって、ボクたち自身の事じゃないの?
『確かにそうだ、その通りさ。世界中で大人の選択に子供が巻き込まれるだけさ。
だから、ゾンビマトマールを流布したキミには罪が無いんだよね? そうなんだよね?
巻き込まれるのは、何万かな? 何十万かな? 何百万かな? 何千万かな? 副次効果を入れれば億単位かもねぇ?』
――――それで? 母さん一人の方が、ずっと重いさ。
その時から、ボクの心の天秤は壊れっぱなしなんだよ。
認めてしまえば、もう、何も感じない。――――感じられないんだ。
『そうやって人生を斜に構えて、苦しみを上手く避けたつもりになってりゃ良いさ。
お前がホントウに壊れる、その日までな?
――――あぁ、それから覚悟しておけよ。今からお前は、地獄に落ちるからな』
地獄なんて、もう慣れたもんだよ。なにせ、地獄暮らしをしてるんだからさ。
地獄なんて、もうボクの友達みたいなものだよ。
『あぁ、そうかい。まぁ、そう思うならそうなんだろうよ。
――――警告は、ちゃんとしたからな?』
◆ ◆
「まもりちゃん!! 軽くです!! 軽く!!」
「え? 京也相手に軽くって言うと、こんな感じですけど?」
寝台の上、ガクガクと震え、口から泡を吹く少年が一人。確かに地獄に落ちていた。




