・木崎まもり 15歳、平和の型――――。
自慢じゃないけど、京也に喧嘩で負けたことは無い。
それは、おなじ幼稚園の頃からずっとそう。
私と京也が喧嘩になって、私がぺチンと叩くと、フワッとした感覚がして、京也が泣き出す。
私と京也が喧嘩になって、私がぺチンと叩くと、フワッとした感覚がして、京也が泣き出す。
私と京也が喧嘩になって、私がぺチンと叩くと、フワッとした感覚がして、京也が泣き出す。
そして、京也は涙を流したまま走り出す。
その先は、お姉ちゃんだったり、お姉ちゃんだったり、お姉ちゃんだったり。
『まもりちゃんが、まもりちゃんがぶった~!! ふぇぇぇぇぇぇん!!』
『こら! 京ちゃんを虐めちゃ駄目でしょ!!』
私が悪い魔王で、京也がお姫様、お姉ちゃんが王子様。
私が悪い魔王で、京也がお姫様、お姉ちゃんが王子様。
私が悪い魔王で、京也がお姫様、お姉ちゃんが王子様。
ねぇちょっと、そこの田辺京也くん? それは少しばかり、おかしくないかしら?
だから、お母さんに相談して、私は空手を習うことに決めた。
――――そんなに叩かれたいと言うのなら、本気で叩いてあげるわよ。
空手を習い始めて三ヶ月、幼稚園児の部でも、それなりに学べることはある。
当てると痛いので、寸止め。それが幼稚園児の部のルール。
たまに当たっちゃって泣いちゃう子もいっぱい。そんな幼稚園児の部の可愛い空手。
お姉ちゃんの目の前で京也と喧嘩になり、私が平手を――――寸止めした。
京也の顔は自分から横を向いていた。……ああそう、今までのフワッとした感触の理由はそれ?
京也が冷や汗を掻いて、お姉ちゃんはお腹を抱えて大笑い。
思い出してみれば、京也の頬っぺたに紅葉の後がついていたことは一度も無かった。
私に恥を掻かされたと思ったのか、次の日、京也が空手の道場に殴り込みを掛けてきた。
空手、一緒に始めてくれるんだと思って、ウキウキしてた私がバカでした。えぇ、大馬鹿でした。
京也は一日だけ、ビンタの練習だけをして帰っていった。……もの凄く悪い予感がした。
私が寸止めをすると、今度はペチンと音がなった。
僅かに頬を寄せ、それから首を振ったんだ。
『まもりちゃんが、まもりちゃんがぶった~!! ふぇぇぇぇぇぇん!!』
……寸止めに対して、寸当り。面白いことするじゃない?
だから、今度は寸止めしなかった。
フワッとした感触がして、
『まもりちゃんが、まもりちゃんがぶった~!! ふぇぇぇぇぇぇん!!』
え? なんで? なんでなのよ!! なにが起きたのよ!?
小学校に上がってから、京也がその種明かしをしてくれた。
最初から止めるつもりの動きと、振り切るつもりの動き、たった二種類なら簡単に見分けられたそうだ。
――――ねぇ、京也、アンタこそ空手を本気でやってみる気ない?
『え? やだよ。空手弱いし』
キレた。自分のやっている空手を馬鹿にされて、小学生の私は本気で怒ってしまった。
正拳突き。中段の水月狙い。――――絶対にやっては駄目だと禁止されていた技なのに。
当てて、捻り、突き通す。子供の拳でも、子供の柔らかなお腹が相手なら、十分に内臓を傷つけかねない危険な技だった。
正しく当てれば、相手がよろめく事はあっても吹き飛ぶ事は無い。
でも、京也は吹き飛んだ。自分から飛んで上手い具合に棚にぶつかって、本棚から本がドサドサって。
その音にお母さんが飛んできて、京也の無様な姿と私の固まったままの拳を見て大激怒。
『大丈夫です。ちょっと、胸を叩かれただけだから。あ、でも神奈姉に優しくして欲しいなぁ』
ちょっと、随分と余裕じゃない!!
私がお尻をパシンパシンと叩かれてる目の前で!!
お姉ちゃんたら頭を撫で撫でまでして!! 二人でニヤニヤ笑いで見てんじゃないわよ!!
私と違って、お姉ちゃんは京也を確実に痛めつけてた。
抓る、捻る、地面に押し倒して踏む。それは、女の子としてどうなの?
合気道の合の一字も無い、愛の無い攻撃は京也にもよく効いた。
そんなとき、京也が逃げ込む先はお母さんの沙也香さんだった。
『神奈姉が虐めるの~』
『我慢! 男は我慢よ? 女の我侭は全て受け止めるの。京司さんを見習いなさい!!』
『――――沙也香。お前はそれで良いと、本当に思っているのか?』
京司さん、どうして沙也香さんと結婚したの? しちゃったの?
京也が口にした、空手が弱いという言葉が本当に理解できたのは中学二年のときだった。
型稽古。一人で踊るダンスのようにも見えるけど、実際はシャドーボクシングに近い。
架空の相手の動きに合わせて、守り、攻め、避け、裁き、身体に空手の動きを覚え込ませる。
京也が何気なく一言、
『じゃあ、熊相手の型見せて?』
――――は? 馬鹿にされてるのかと思ったけど、まぁ、軽い気持ちで……一歩も動けなかった。
『じゃあ、犬三匹相手の型見せて?』
『じゃあ、今度はね、刀と槍を持った侍が五人』
悔しくて泣いた。相手の動きの想像はついた。
だから、適切な動作が空手の中にもあるはずだった。
でも、無かった。何一つ無くて、熊に食われた。犬に噛み千切られた。侍に切り捨てられた。
じゃあ、アンタならどうするのよ!! 見せてみなさいよ!!
京也は逃げた。脱兎よりも早く。パルクールっていうんだと後になって知った。
私は死んで、京也は生き残った。――――言葉にならない敗北感。
『生き残ったもの勝ちじゃない? 殺すことなんて、不意をつけば誰でも出来ることなんだし』
――――その考え方にはゾッとした。空手の全てを否定されたみたいで。
空手が十段でも、銃弾の方が強いに決まってる。
毒でも火でも何でもいい。空手なんて、相手が空の手の人間しか相手に出来ないんだもの。
今でも空手が弱いとは思わない。でも、世の中にはもっと強いものが沢山あった。
熊とか? ライオンとか? カバとか? 象とか? Zとか?
少なくとも自衛隊のみんなの方が、私よりも遥かに強い。
空手には、一瞬で300mの距離を詰め、相手を倒せる素敵な技なんて存在しない。
近づく前に、手にした銃でバババと撃たれてハイお終い。逃げることすらままならない。
隠れても建物ごと吹き飛ばされる。空手十段なら戦車やヘリコプター相手の型とかあるのかな?
隠れたり忍んだりして、気付かれずに近づいて……それは忍者だ、空手家じゃない。
朝稽古。身体を鈍らせないように朱音ちゃんを連れまわして空手の稽古を始める。
拳を突き出し、手刀を奔らせ、上段中段回し蹴り。
ねぇ朱音ちゃん? もう少し気合を入れて? 案山子を相手にするよりやりづらいよ?
私が身体を動かす姿を、京也がボンヤリと眺めてる……頭の中はきっと、『平和だなぁ……』って気持ちで一杯。
だから、それで良い。京也が少しでも、ほのぼのしてくれるなら、それで良い。
これは平和の型だから。これは平和な時代の型だから。
Zが一体の型。まずは棒で距離をとって、斧か何かで頭を割る。
Zが二体の型。うまく、二体を直線状に重ねて、一体ずつ、二撃で仕留める。
Zが三体の型。八九式自動小銃を三点バーストにセット、出来れば三回以内で仕留めて隠れる。
頭の中での型は出来ている。でも、きっと私には実践出来ない。
相手が病気の人間だって知ってしまっているから、私の身体は動いてくれない。
だから、私の代わりに京也の身体が動いてる。京也はZが百体の型も千体の型も知っている。
それどころか、銃を持った人間を相手にした型も知っていた。ケーキやお酒で接待漬け。
――――卑怯卑劣の極みよね。
もしも、京也が私の勧めるままに空手を習っていたなら、きっと今頃は皆で仲良くZになっていたと思う。
『え? やだよ。空手弱いし』
あのときは殴っちゃって、ごめんね?
でも、ニヤニヤ笑いしてたから、帳消しね?
◆ ◆
悔しいな……。武術は心技体なんて言うけど、人を殺せる心って、どうなのかな?
そんなものより川上さんみたいに、人を癒せる心と技術と、身体を持ちたい……。
なんでそんなにいやらしい体つきなの? ナースだから? ナースになるといやらしくなれるの?
川上さんに銀のオボンの縦チョップで叩かれた。それも的確に、痛い。
京也がまた倒れた。だから川上さんに習いながら点滴の練習中。
ごめんね? 今日は十七回も刺し直しちゃった。でも、そのうち上手になるからね?
点滴中は、大きいほうは出ないけど、小さいほうは出る。
でも、オシメを変えるのも大変なので、尿の道からブスっと……。
うわぁ~、痛そ~。え? 練習ですか? 解りました!!
この不肖、木崎まもり! 何度でも刺し貫いて見せます!!
え? 一回で良い? またまた~、何回でも刺し貫いてみせますってば。
まな板の上の鯉ならぬ、寝台の上の京也。幾らでも捌いてみせますよ!! くふふふふ~。
幼稚園からの積年の想いを込めたこの一刺し、喰らいなさい!!
え? もっと優しくですか? でも、なんだか硬くなってるから、思いっきり刺さないと……。
あぁ、適当にペシペシと叩けば柔らかくなる? 解りました! では、適切にスナップを効かせてっ!!