・五月十七日、世界電気通信および情報社会の日
「生存記録、四百十二日目。五月十七日、天候は曇り。記録者名、田辺京也。
『私達、よいお友達で居ましょう』
女が男を袖にする古い常套句だけど、まさか自分が口にする立場になるとは思わなかった。
だって男の子なんだもん。
意味合い的には、同じ町内の付き合いでいましょうね。
こんな所だろうか?
神奈姉の場合は、
『ごめんなさい。気持ちは嬉しく……もないし。他人のままで居ましょう?』
まもりの場合は、
『えっと、ごめんなさい。無理! 無理だから!! 無理なの!! ごめんね!!』
よく性格の表れた告白の断り方だと思う。
神奈姉の正直は美徳だ。生理的に無理とか、まもりは本当に酷いことを言うよなぁ。
なぜ、『なにかあったら大変だから』で、ボクが告白のシーンを影で見守らなければならないのか?
神奈姉の場合は、なにかあったら盾になってね?
まもりの場合は、なにかあったらサンドバッグになって、憂さを晴らさせろ。
どちらにせよ、ボクが大変なことには違いない。酷い話だよ。
さて、後藤さんの場合は、口をポカンと開けていた。
皆さんは人工島に、ボク等は桟橋要塞に、ただ棲み分けを行なっただけなのにね?
桟橋要塞の面積は二十万平方メートル。坪数にして六万坪。東京ドームでたった四個分。
そこにボク、神奈姉、まもり、朱音、宮古ちゃん、アザミさん、山本さん、川上さん、沙耶ちゃん、日名子さん、他六名。
十六名で住むと、一人当たりたった三千七百五十坪。
――――狭い。狭すぎるんだよ日本の住宅事情は!! そこで棲み分けを行なうことにしました。
幸い、彼等にはUH-60JA、ブラックホークもどきという住居がある。
もどきと言うなと喚いているが、知らない。
対戦車ミサイルの一つも撃てるようになってから寝言は言え。
さて、彼等はこれで住居に困らないはずだ。
もどきの中にはレーション。軍用の携行食を積んできていた。
なので、八名の民間人、二名の女性自衛隊員へ優先的に支給させていただきました。
我々には彼等彼女等を扶養する義務が一切存在しないためだ。
供出が嫌だと言うなら結構、彼等彼女等には順当に餓死していただきますので悪しからず。
文句を言いたいのなら、宴会の費用、総額三百八十万円を支払ってからにしていただきたい。
喚くな、この無銭飲食犯!! 無職の上に罪を重ねたいのか!?
さて、このような事態に至った経緯は簡単でした。
陸上自衛隊員。それも男性隊員による犯罪行為。無断での無銭飲食。摘み食い。窃盗事件だ。
川上さんを通じて、固く禁ずると通達があったはずなのに、焼き鳥、オデン、鯖の味噌煮、ポテチ、チョコ、コーラ、ロマネコンティ、ヘネシー、レミーマルタン、タバコ、等々、物資と帳簿上の数が全く合わない。
ちなみにナポレオンとは酒の種類ではなく、コニャック等の熟成年数を表すものだと彼等は知らなかったらしい。
――――それでよく酒飲みを名乗れたものだな? 下町ですら与えるのが勿体無いくらいだ。
こうして発覚した無銭飲食の料金、並びに宴会で使用された経費の総額が四百万を越えたわけなのですが、どうお支払いして頂けるのか今から楽しみです。
幸い彼等は自衛官。上官に対してその補填の依頼を……え? 退職願が増える? 十万枚が四百万枚に増えるくらいじゃないですか?
一日一万枚書けば、一年ちょっとで終わりますよ?
さて、こういった次第で、男女の棲み分けが完了し、桟橋要塞は随分と住みよくなりました。
お茶を片手に、惨めな男性達の生活を眺める。これが選ばれし民の宿命と言うものです。
あ、川上さんには民間人の方々のケアをしていただかないとなりません。
山本さんには……えーっと、UVケアをお願いしていただかなくてはならないので、どうぞ桟橋要塞の方へ。
え? アイスやチョコのお菓子にカクテル類を自分達が摘み食いした件?
良いんですよそんな細かなことは、ボクがそんなに小さな心を持った男に見えますか?
なんだか桟橋の向こうがうるさいですけど、これは神奈姉が予告したことだ。
綱紀粛正のため、有言実行しなければならないボクの心の痛みこそ理解していただきたいものですね。
泣いて馬謖を斬る、このボクの心こそが辛いのだと、何故貴様らは理解しないっ!?
ではごきげんよー、また明日ー」
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何日ぶりの生存記録だろう?
これぞショック療法だとでも言いたいのか、意識を取り戻し、即座に物資の現状確認をして絶望した。
ネズミ害なら致し方ない。なのに、言葉を持つ人間達の手によって、無断で食い荒らされていたんだ。
食料だけではなく、銃器や弾薬類まで……生きるための食い逃げなら許しもしよう。だけど、娯楽のための盗みは許せない。
それだけは断じて許してはいけないことだ。
ボクは心を鬼にするまでもなく彼等を見捨てた――――お前等、その一摘みが神奈姉達の寿命の一摘みだと理解しているのか?
女性たちの摘み食いは仕方が無い。女性にとって生きることは甘いものを食べることだ。
つまり、娯楽と生存が等号で結ばれているのだから、摘み食いの十や二十は許される。
それが母さんの教えだった。母さんの場合は、百や二百は軽く越えていた。父さんも許してた。
それに、川上さんはボクの命の恩人だ。
――――まさか、点滴にアルコールを混入して毒殺されかけようとはな。
山本さんは……ダメンズウォーカーだから、優しくしてあげなければならないんだよ。
――――なんだか、つねに長続きしないんだって。恋人に貢いじゃって、貯金、無くなっちゃうんだってさ……。
――――まぁ、沙耶ちゃん含めて全員が人質なんですけどね?
アザミさんに対する宮古ちゃんみたいなものでさ。彼等がここに来た理由、そのものがこちらの手にあるんだから。
◆ ◆
大久保さんとの会話は実に有益なものだった。
北海道の日本政府が掲げるスローガンは『求む! 即戦力!』だった。
世界が世紀末になる前にも見たスローガンだけど、ボクならこんな会社は絶対にお断りだと思った記憶がある。
つまり、それだけ自社には余力がありませんとアピールしているわけなんだからね。
新人を育てる余力はありません。即戦力の皆さん、一番の下っ端として入社してください。
意訳すればそういうことでしょ? 穴の開いた船に乗りたがる人なんて居たのかな?
大久保さんは、自分に出来る最大限の口利きをしてくれると約束してくれた。
つまりそれは、石ころを右から左に動かす程度のことはしてくれるということだった。
ハーメルンの笛吹きZを見つけ、日本の要所を守る功績を上げながら、その功労は数年後か数十年後に与えます。
――――気が向いたらね?
本当に面白いことを口にする政府だよ。
昔からそうだったような気もする。民間人がどれだけ頑張っても金一封は五百円だっけ?
オリンピックの金メダルは百万円くらいだっけ?
オキシトシンが無理なら、別の何かで応じるという考えすらない。
つまり、彼らはボクの功労に報いる気が一切無いことを示していた。
はい、日本政府の考えはよく解りました。
長岡の油田が開放されたなら、燃料くらい提供しましょう。その一言も無いんだからね。
佐渡島や伊豆大島で作られた野菜や米の類はいかがでしょう? その一言もないんだからね。
――――きっと、民間人の功労に報いるという発想自身が存在しないんだろう。一年前と同じでさ。
自衛隊、日本政府と繋がりを持っていても、ボク達には何の得にもならない。はい、終わり。
桟橋要塞と人工島の端っこ、これがボクと政府の距離を表していた。
おや、男性隊員間で食料を巡る醜い争いが……。
こちらでは優雅な夕食会が行なわれているというのにねぇ?
人はどうして争うのでしょうか? あ、人工島部分には真水が無いんだっけ。炊飯不能状態だ。
まぁ、アレだ。マリーは言った、ご飯が無いなら雑草を食べれば良いじゃない?
表現は悪いが、ボクは無能な八名の民間人にも、ちゃんと食事を振舞っている。
北海道の基準では、神奈姉、まもり、朱音、宮古ちゃん、アザミさんも無能扱いだろう。
あるいは、ボクも無能扱いだろう。DIYには自信があるけど、本職の方々には敵うまい。
つまり、北海道に移住すれば、ボクたちは底辺の貧民としての生活が確定しているんだ。
おそらくゴルフ島や海堡に住む漁師達、佐渡島で土を耕している農家の方々のほうがまだ評価が高いはずだ。
なにしろ、彼等はその道においてのプロなんだから。
わるいが、こちらはどの道においても広く浅くのプレッパーだ。どの道においても需要は無いのさ。
要するに、首都への移住条件は大卒以上。または、現場経験者のみだった。
――――そんなところ、お断りだね。……向こうから断られるか。
食わせていただいている女性達の末路なら、身に染みるほど知っている。
女性は、最終的に女性自身を売り物に出来る。それが大問題なんだよね……。
そんな身の上に、彼女達をさせてなるものか。
ススキノって、北海道だったっけ?
北海道では未だに貨幣経済が生き残っているらしい。
そして、各省庁の官僚が、第一種国家試験をパスしたと言う理由で高給を頂いているそうだ。
その実働能力に関わらず、だ。――――日本人らしいと言えば、日本人らしい考え方だよね。
今の日本に防衛省、警察庁、農林水産省と厚生省。それ以外の存在が必要なの?
道作りなんて、もう自衛隊が直接やっちゃってるそうじゃない。
北海道ではロシア、対馬では朝鮮、沖縄では中国と向き合っている。
安全な離島を求める需要は高い。特に、その国の支配層にとっては。
……日本って、馬鹿みたいに住める離島を持ってるからなぁ。海堡だって、その一つだ。
開戦はしていない。暗闘は実行中。
今回のような破壊工作、日米安保に引っ掛からない戦いが日夜行なわれているそうだ。
長岡油田再確保の作戦は即日のうちに実行された。
運悪くZになってしまった自衛官や警察官も存在する。
彼等にオキシトシンを投与して、理性のあるうちにZくん達の誘導を依頼した。
チヌークで地上に運んだ選挙用の街宣車でZを誘き寄せながら、長岡から外向きに連れ出したそうだ。
あの車が役に立つ日が来るとはね、有害な騒音しか出さない車だとばかり思ってたのに。
こうしてウグイスZ達の手により長岡の油田、他、要所の多くが開放された。
ここまでが大久保さんから聞けた話だった。
もはや、大久保さん自身が民間人の身の上。
たとえ功績をあげたとしても、軍事機密の深い部分までは現団長を通さないと解らないらしい。
『あまり仕事の邪魔をするのも何ですからねぇ』と、ご隠居として尋ねて回るのは控えているそうだ。
あと、魚が釣れないとボヤいて居た。早く沙耶ちゃんを抱きしめたいとも。
沙耶ちゃんは、未だにボクとお爺ちゃんの間で心が迷っているらしい。
たまに、何も言わずに手を握ってくる。ボクも何も言わない。そのうち震えが止まるまで、何も言わない。
これで、最低限の回線と関係は確保できた。
だから、もう、後藤さんたちは要らない。民間人も不要だ。
物資を減らすだけの人間なんて要らない。必要の無い人間なんて、もう要らない。
――――まるで、首都の北海道と一緒だね。結局答えが一緒になるなんて、皮肉なものだね。
簡単に言おうじゃないか、日本政府なんて要らないよ。
三行半なら、こちらからあげるね――――。