・エリカ=ハイデルマン 20歳、CDC――――。
天才と呼ばれた。昔から。
でも、だからこそ誰とも話が通じなかった。
飛び級に飛び級を重ねて、ようやく話が通じるようになったけれど――――こんどは私が子供だった。
相手から見れば、おませなローティーン。恋の相手にはしてもらえない。
私に愛を告白する人も居たけれど、それは生理的にお断りした。
――――周囲もペドフィリアは立ち去れって。飲み掛けのコーヒーをぶつけてた。
少し、面白かった。
いつの間にか、私を守る若き騎士達の垣根が出来ていた。
この騎士の園を破って、私を攫ってくれる王子様は何処? ただし、少女愛好者の方はお断りしますね?
結局、王子様はあらわれず、誰も破ってくれなかったわね。私の色々なもの。
天才だから、どの道でも選べるようで実は選べなかった。
小さな子供に自分の身体を弄られたい、そんな患者はいるかしら? それは特殊な人達よね?
自然と研究職の道を選び、そして、CDCの研究員にスカウトされた。
細菌は、私よりもずっと小さいし、相手も選ばないわ。――――え? これが私の王子様なの?
細菌と愛を育むつもりはなかったけど、これが世界を守る仕事だと思うと発奮した。
誰も傷つけることもなく、多くの人を助けられる、素晴らしい仕事だと誇りに思っている。
世界が平和だったとき、私達の活動は世界の全てに及んだ。
何処でどんな疫病が発生し、なにが元凶で、どう対策をとるべきか、細菌を相手にした戦場の最前線。
一年前の世界には、アメリカと繋がりのない国なんてなかったから。
だから、アメリカに繋がる全ての国が私達の活動範囲であり、守るべき人々だった。
けれどもZ、彼は私達の常識を覆した。
感染方法は、接触感染というにはオゾマシイ、噛み付きという増殖手段。
そればかりに目がいっているあいだに、今度は死者が蘇って活動を始めたのだという。
まるで映画やゲームの世界からの来訪者だ。そもそも当初は病気かどうかすら解らなかった。
地獄が一杯になったんだ、そんな非科学的な結論を認めてなるものですか!!
その感染源も原因は不明。
誰が感染者で、そうでないかを見分けるための手段も見つからなかった。
ようやく遺体の遺体のなか、頭を吹き飛ばされた誰かの中から見つけ出した粘菌。
この子の発見自身も厄介なものだった。
何しろ、異常なまでの嫌気性を持つ粘菌なの。
解剖する端から絶滅し、分解して、その正体を隠してしまうんだから。
彼を見つけ出せたのは完全に偶然ね。
皆が疲れ果て、うっかり常温で放置されていた、切り取られた腕が腐っていなかった。
それをよく眺めてみれば、断面に瘡蓋のようなものが発生していて、それこそが彼の屍骸だった。
誰かさんの体のなかでカクレンボしていた彼を、ようやく発見できたのは一ヵ月後。
酸素環境下では見つけられなかった元気な彼を、ようやく見つけ出してやったわ。
さぁ、貴方は何処から来たの?
何処かの密林の沼? 何処かの研究所の細菌兵器? 何処かの動物の身体の中かしら?
該当無し。彼の親戚は、この地球上、把握する限りの細菌の中には存在しなかった。
もしもし? あなたはどこか遠い星からやってきたとでもいうの?
遊星からの物体Xだと仲間達は苦笑いしたけど、そんな古い映画を私は知らなかったので、一緒には笑えなかった。
答えは、太古からの粘菌Z。粘菌の胞子。それが発見された場所は……CDC職員の車の中。
本人は疲れ果てた皆を笑わせる冗談のつもりで混ぜたガソリンの試験管から、胞子が発見された。
手分けして、他の職員のタンクからも抽出し、調べてみた。
ガソリンタンクの中で、胞子の姿の彼等は出番を待ちわびていたのだ。
感染源は、石油。
一瞬で蒼ざめた。人の動きは止められる。食物の動きも止められる。いざとなれば動物も絶滅させられる。
でも、石油だけは止められない。
即座にどこの油田から出たものか追跡調査し、新しく掘られたメキシコ沖の海底油田であることまでは突き止めた。
だけど彼はすでに多くの石油コンビナートに侵入し、一滴でも混じった原油の中で増殖を開始していた。
粘菌Zは原油のフリをして、世界を旅して回っていたの……。
皆さん、明日から、全ての石油燃料を使わないでください。
ははは、いったい、何処の国の何処の住人がそれに従ってくれるのよ?
感染を防ぐ方法は存在した。
息をしなければ良い。それは大げさだけど、二十四時間、科学防護服を着て生活をすれば良い。
だけど、すでに感染している私達が着る必要は無かった。
車で毎日、同乗して出勤してたなんてね。――――こいつには、心の底から馬鹿にされた気がした。
胞子の萌芽条件はすぐに解った。
ある程度、酸素濃度が低い環境と湿気を得ると、胞子は活動を開始する。
駆除の条件もすぐに解った。酸素環境下に置けば良い。たった、それだけ。
えぇ、人間の全神経組織を酸素に晒し続ければ良い。随分と簡単に治療できるわ。人間も死ぬけどね。
そして、酸素に晒すのを止めれば、生き残った胞子がもう一度、爆発的な速度で人体を汚染してくれる。
ねぇ、貴方は強い子なの? 弱い子なの? 死んだり生き返ったり、随分と卑怯な子よね?
腐るだろうという当ては無かった。彼らには腐敗菌を跳ね除ける性質があったから。
凍り付けばどうだろう? マイナス八十度。まぁ素敵。丁度、ドライアイスの出来る温度ね。
解凍したら元通り。まぁ、菌ですもの。あまり期待はしてなかったわよ。
耐熱温度は七十度。これも素敵ね。人体のタンパク質は五十度までしか耐えられないのに。
順当な餓死を待った――――どこからどうしてカロリーを補充しているのか、彼等はいつまでも元気なままだった。
経年劣化……それすらも怪しい。
鋼鉄の扉を叩くたび、彼らの手は破壊される。だけど、その穴を増殖した粘菌が埋めてしまう。
その質量の補給源も不明。彼を研究すれば、永久機関が手に入るかもね?
ありとあらゆる薬剤。
人体に有益なものから有害なものまで、片端から試しても無駄だった。
有効な薬は一つだけ。人体の神経系を腐らせる腐り毒。蛇の毒だけだった。
寄生する先を無くした彼は、胞子だけを残して完全に死んだ。もちろん、人間だって死ぬわよ?
――――何より解らないのは、人間にしか寄生しない、その性質。
類人猿、哺乳類、爬虫類、鳥類、魚類……全てに対して完全に無害。
終末論者が大喜びの結末だったわ。神の裁きの日が来たんだってね。
そんなに神に裁かれたいなんて、マゾヒストか何かなの?
予防に失敗。治療にも失敗。ふてくされていた私の元に一通のメールが届いた。
それが私に回されてきた理由は、その英文の意味がよく解らないからだそうだ。
『日本人の書いた英文だ。半分、日本人の血が混じるキミなら読めるだろう?』
無茶を言うな、無茶を!! お互い、疲れてたんだと思う。
なになに? Zは、愛に飢えている? 彼等はまるで赤ちゃんだ。
――――これは素敵なポエムね。なるほど誰も読む気がしないわけよね。
だって、まったく韻を踏んでないんだもの。
抱きついて噛み付く、それに最もよく似た行動をとる生き物は人間の赤ちゃん。
彼等は赤ん坊のように縋り付いているだけであり、行動原理は愛情を求めているだけ。
それがゾンビ映画などの先入観に人類側が汚染された結果、怪物に見えているんだってさ。
――――ふーん。ロマンティックな解釈ね。
いつものごとく、毎日のように送られてくる素人の考えた民間療法の一つ。――――じゃ、なかった。
彼は、治療法ではなく、一つの対症療法を確実に示していた。
飲みかけのコーヒーをグイッとあおると、舌を火傷したので、チビチビと飲み直してから立ち上がった。
それから私は、CDC職員として許されないことを行なった。人体実験だ。
脳の一部に活動が見られる以上、彼等は生きた人間であり、人権も生存権も認められている。
今までは頭を吹き飛ばされた、死体を相手にした実験だった。でも今回は、生きた人間が相手。
一つ間違えば、殺してしまう。一つ間違えなくても、私が火炙りにされてもおかしくない。
でも、一人で全ての責任を負う覚悟を決めて行なった。一部のCDC局員の暴走ですむように。
結果から言えば成功。それも大成功。
私が人体実験を行なった? ――――Zの当人から、事後に治験の承諾を得たわよ?
でも、Zを皆殺しにすることに世論が傾く中、この結果がアメリカ全土を混乱に陥れることも理解していた。
すでに殺してしまった人数が多すぎた。発見が、遅すぎた。
社会は銃弾による単純な解決を望んでいた。それだけの銃弾がアメリカには、世界にはある。
本当は、助けられたのに……銃弾で解決してしまった思いは、世界に混乱をもたらすでしょうね。
私は発表を躊躇った。皆に相談することも躊躇った。
話してしまえば、皆を巻き込んでしまうことになる。
でも私は皆に相談した。チームだったからだ。それがCDCだったからだ。
皆が実験結果に喜びを表し希望に満ち溢れ、それから絶望の崖へと突き落とされた。
私達はCDC局員。アメリカの機関の局員だ。だから、その研究成果は全てアメリカに帰属する。
簡単に言うなら、それは私達だけが知っていれば良い情報。他の国には洩らしてはいけない国家機密。
私達の研究成果は、アメリカの外交カードの一枚になる。
カード一枚につき、アメリカがどれだけ儲けられるか。
それを判断するのは私達ではなく、政治家達の仕事だった。
だから、発表されなかった。
だから、発表できなかった。
その理由。対症療法というのなら、オキシトシンよりも銃弾の方が遥かに安価だったから。
オキシトシンの大量生産設備を整え、その後に情報を流したなら、アメリカは莫大な国益をあげられるから。
その間、他の国々では延々とZとの争いを続け、疲弊を続けてくれれば良い。
相対的にアメリカは超大国の座に帰りつくんだ。まさに、アメリカンドリームよね。
――――つまり、アメリカの国益の為に、アメリカの国民を、政治家たちは見捨てた。
国民の命よりもマネーこそが国益らしい。実に、超大国らしい価値観に、反吐が出た。
私の父さんは軍人だった。
こんな俺からお前のような頭の良い娘が生まれるなんて――――母さんは何処かで浮気をしたんじゃないか?
その冗談を口にする度に、父さんの夕食だけがオートミールになるんだったっけ。
そうなるって解ってて言うんだもの。実はオートミールが大好きだったんじゃないの?
母さんが犠牲になったときには銃弾で対処された。
父さんは噛み付かれたとき、部下に自分を撃つよう命じたそうだ。
俺を他の人間を襲わせる怪物にするな、だってさ――――格好つけちゃって……バカ。
それなのに、政治家の皆さんが考えるのは――――国民の命よりも国益?
面白いじゃない。すっごく面白い冗談じゃない!! とっても面白い冗談じゃない!!
私が教えてあげるわ!! 命の価値ってものはドルの札束よりも高いものなのよ!!