・四月五日、ヘアカットの日
「生存記録、三百七十日目。四月五日、天候は大雨。記録者名、田辺京也。
我が牙城に、二人の入居者が増えたかもしれない。
未亡人という色気漂う女性。……あーゆーのも、良いかもしれない。
女の子、無い胸にフリルのブラをつけた生意気盛り。今のうちに餌付けしておけば、五年後が楽しみかもしれない。
トゲトゲの革ジャンを来たモヒカンくんはいずこに?
土砂降りの中、傘もささず、体の底まで冷え切った彼女達。
入浴させはしたが、あとになって風邪をひかないか心配だ。
戸部アザミ、29歳、たぶん事実上の独身。出来婚。
身だしなみには気を使っているのか、綺麗な髪と爪、あと黒の勝負下着がジャストフィットの美人さん。
旦那さんはMIA。作戦中に行方不明。
大阪でのゾンビパンデミック鎮圧に参加。現在、消息不明。
たぶん未亡人だけど――――不倫というのも良いかもしれない。
戸部宮子ちゃん、10歳。確実に独身。
髪はお母さんにチョキチョキして貰っているらしい。器用なものだ。
好き嫌いは無し。ハーゲンダッツァー朱音よりも確実に良い子である。
フリル付きのブラは知り合いのおじちゃんに貰ったお気に入りらしい。おまわりさん、事案発生中です。
二人ともボロボロの服を着て、大変な苦労をしてきた――――みたいな格好だった。
Z発生からたった一年なのに人生とは予測のつかないものだ。
……いや、Zの発生が予想できたならスゲーよ。
我等プレッパーズは、無意識のうちに未来予知を果たしたエスパー集団なのかもしれない。
こんどスプーン曲げに挑戦してみたいと思う。
――――氷川朱音が宮子ちゃんを気に入ったようだ。暇さえあれば抱きしめている。
オネムの宮子ちゃんと一緒に眠ってしまったが、悲鳴を上げて宮子ちゃんを驚かせないか心配だ。
宮子ちゃんの存在が氷川朱音の心の安定に繋がるというなら、それも良いだろう。
部屋の防音性を高め、バリケードZも完成した今、どれだけ叫ぼうとも大丈夫なのだが……心の問題が解決したわけではない。
彼女が叫ぶたびに、神奈姉とまもりの心が磨り減るんだよ。
ペットは心の治療に役に立つと言うしね。
犬と女の子、飼うならどっちか良いか。……犬が良いなぁ。
忠実だし、文句言わないし、フサフサだし。
女の子がフサフサは不味いじゃん? 鼻毛とかさぁ。
――――最近、腋は許せるような気がしてきた自分が怖い。
あれはあれで、エロスなのではないだろうか?
しかし女子、文句多すぎ。犬を見習え。
釣った魚に餌をやらないなんて言うけど、餌をやってもアイツら文句言うんだぜ?
文句を言わないのは神奈姉くらいだ。もう、比較対象が悪すぎて、神奈姉の株が連日のストップ高だよ。
このままでは神奈姉の彼氏を目にした際、うっかりトリガーを引いてしまいそうだ。
Zであれば許せよう。……Zでなかった方がこの場合はうっかりしてしまいそうだ。
難しい、あまりにも難しい問題だ……」
ヘッドセットを外し、記録を終了した。
時間はAM零時半。草木も眠らない丑三つ時には早い時間。
丑三つ時とは午前二時から午前二時半にかけての時間帯だが、江戸時代の人間がそんな時間に何の用があって起きていたのだろうか?
そもそも、太陽もないのによく正確な時間を把握できたものだと感心する。
その点、現代人には時計がある。腕時計よりもスマホの方が便利だけれど、やはり時間に特化した時計の方が電池切れもなくてよい。
多様な万能性はそれだけデッドウェイトになり、バッテリーの消費を早めてしまっては本末転倒だ。
携帯は、電話、メール、時計、充電、ライト、防犯ブザー、方位磁石、火打石、十徳ナイフ、機能が十八あれば良い。
つねに携帯するものだからこそ、災害時には強くなければならない。
背面に太陽光パネルを用いた俺のガラパゴスは最強のガラパゴスだぞ? 象亀だぞ? 亀は万年だぞ?
なにがデコだ、なにが多機能だ、いざと言うときに使えぬ道具は道具ではない。
それはスマホに傾倒するまもりへの愚痴だった。
二階の窓から田辺京也は外を眺めていた。苛立つことでドーパミンが働き頭は冴える。
ときおり、空想の世界に没頭してしまうのはご愛嬌だ。
今日になるか、明日になるか、明後日か……厄介事が起きないと言うことはないんだろうな。
そう結論付け、田辺京也は土砂降りのなか窓の外を眺め続けた。
◆ ◆
音。
金属の音。
カチャリ、カチャリ、カチャリ、鍵の音。
オモチャの聴診器が階下の音を拾い上げた。
ドアと壁を繋いだカンヌキが外され、三つの鍵が開けられた。
次は、どう動くのだろうか。アザミの動きを待つ。
宮子ちゃんを起こし、多少の食料を盗んでいく……というなら良いだろう。
盗みはよく無いが、『火垂るの墓』ですら学ばなかった二人には良い薬だ。
刃物の類は神奈姉とともに片付けた。居直り強盗になることも出来ないだろう。
窓。
カーブミラーに人影。
土砂降りの中、傘もささずにご苦労様なことだ。
ひとまるまるまる。作戦は結構だよ。ガチャリとドアノブが回され、ガタンと音を発てた。
残念、うちの鍵は三つじゃない、五つだ。
不測の事態に慌てたのだろう、ガタンガタンと玄関の扉が乱暴に揺らされる。
最初は、扉を開けさせるための囮役を疑った。
さすがにそこまで短絡的では無かったようだ。
次は、毒殺を疑った。
風呂場で衣服は脱がせたが、女には女の隠し場所がある。……男にもあるけど、そこから出した毒で殺されるのは嫌だ。
だから完全にお客様扱いして食事はレトルト、毒物混入の機会を与えなかった。
できれば、ただの泥棒であることを期待した。
ただ盗み、ただ去るというなら、それで良かった。
最後に、押し込み強盗を……最初から予想していた。
鬼平犯科帳。嫌いじゃないよ。
大店に奉公に入った女性を引き込み役、深夜に扉の鍵を開けさせる役に使う手口。
ボロボロの衣装は良かった。母娘という哀れみを誘う組み合わせも良かった。でも、それだけだ。
靴が、新しすぎた。食料を探して回る生活をしていたなら、あんなに綺麗な靴なんて履いてない。
髪が、綺麗すぎた。宮子ちゃんの髪をアザミさんが整えられるのは解る。それじゃあ逆は?
爪が、綺麗すぎた。男の背中に手を回したとき、傷つけないよう切らせてたんだろ? 前に見たよ。
下着、エロすぎた。服がボロボロなのに、なんで下着はエロティックなんだよ。何と勝負する気なんだ?
あとは、やっぱり鼻毛かな。母娘の二人暮しなら、そこまで気を使わないだろ?
……モヒカンくんって全部の項目をクリアしてるよな?
お友達になりたい。かなり決め細やかな、清潔感溢れる彼だ。
物、なら許せた。切羽詰れば盗みくらいする。
でも、狙いは家。それは確実に死ねと言っているようなものだ。
そして、強盗たちがウチの可愛い三人娘になにをするかは想像に難くない。
それは、流石に、許せない。さよならバイバイ、来世でも会いたくないです。
神奈姉、宮子ちゃん、驚かせちゃうけど、ごめんね? 他は知らない。むしろ聞いて驚け。
「あーあー、マイクのテスト中。マイクのテスト中。コホン、我々は包囲されている。無駄な抵抗をして全身全霊をもって迎撃するつもりである。投降はしない。繰り返す、投降はしない。この法の無い世界でも、我々は言葉の力を持って戦う。きっと、分かり合えるはずだ。だって、人間同士じゃないか。話し合えば分かり合える。そうだろ? 世界のルールが変わったって、人の心まで変えさせはしない。ボクは言葉の力、歌の力を信じてる!!」
外は土砂降り、大声で歌ってもかき消されるような雨の音。
だから、家の周囲に取り付けた拡声器を通してZの皆にボクの歌声を届けるんだ。
「ぜーっ! ぜーっ! ぜーっとこい!! こっちのにーくはうーまいぞ!! あっちのにーくもうーまいぞ!! そのへんのにーくもうーまいぞっ!! どろぼのにーくもうーまいぞっ!! ぜーっ! ぜーっ! ぜーっとこい!!」
土砂降りの雨の透き間をぬって、俺の美声がこだまする。
言葉の力は偉大だ。俺の声に説得されたZ達が、四方八方から全力ダッシュで向かってきている事だろう。
Zは中途半端に頭が良い。たとえ道をバリケードZで塞いでも、その隣のコンクリートブロックを乗り越えて進んでくる。
銃声、見えない拡声器を破壊しようと狙っているようだ。
でも、そんなことより全力で逃げた方が良いと思うけどね?
もう、逃げられないだろうけどさ。
「――――べつに、身体を売って生計を立てる仕事は、Zが存在するまえからあったことだし。
――――べつに、それを不純だとか、汚らわしいとか、そんなふうに思ったりはしないけど。
――――べつに、あの子の復讐というわけでもないんだけど。
それで苦しみ、死んじゃった女の子が居るんだよね。
手首を切って、一人寂しく死んじゃった女の子が居るんだよね。
そっちも命懸けで食料手に入れてきてるわけだし、それくらいの役得があってもいいと思うよ?
そのことを苦痛に感じず、お前等に助けられてる女の人も居るとは思うんだけどさぁ……。
……俺が気に入らないから、お前ら死んじゃえ♪」
銃声、銃声、銃声、悲鳴、銃声、悲鳴、銃声、悲鳴、悲鳴、悲鳴、銃声、悲鳴。
Zの足は早いなぁ。……やはり日本が独自に開発した超人Zなのだろうか?
これで人さえ襲わなければ完璧なんだけどなぁ……。
そういえば、でっかいハムスターの車でZ発電をやってる動画もあったっけ。
見たときは引いたけど、あれはあれでアリなのか? アメリカ人は常に豪快だ。
Zを人類の敵ではなく、有用な資源として考えて……。
それはご自宅に在住する人権団体に叩かれるな、きっと。