・大久保沙耶 18歳、安全な部屋――――。
その部屋はアメリカなどではセーフルームの名前で知られていた。
でも、パニックルームとも呼ぶらしい。――――え? どっちなの?
防衛省に核シェルターは存在しない。
なぜなら、ミサイルを迎撃するミサイルが配備されてるからなんだって。
じゃあ、ミサイル以外の災害には対応できないんだね。
自衛隊って地震の時に頑張ってるのに、自分達は地震対策してないなんて、なんだか変。
そうしたら、お爺ちゃんがコッソリ教えてくれた。
『防衛省の地下には、セーフルームがあるんだよねぇ。
核爆弾にも耐えられる頑丈なのがね? でも、呼び名はセーフルームなんだよ。
だから、防衛省には核シェルターはないんだよ。日本語は本当に便利だよねぇ』
お爺ちゃんボケた? セーフルームは英語だよ?
『おっと、これは一本とられちゃった。沙耶は賢い子だねぇ。
でも、この話、みんなには内緒だよ? お爺ちゃんと二人だけの秘密だよ?』
――――賢い子の沙耶はちゃんと覚えてました。
だから、皆がゾンビから逃げようと外に向かって走るなか、お母さんと二人でセーフルームに向かって走った。
外に逃げようとする人たちと、地下に逃げようとする人たちに分かれて、私は地下に篭った。
お爺ちゃんは自衛隊の偉い人だから、きっと、私を助けに来てくれる。
――――そういう考え方は止めなさいって、いつもいつも言われてたけど……。
知ってる人達は、セーフルームのことを知っていた。
そしてそこは、『選ばれた人』のための部屋だった。
なのに、私がうっかりとその存在を口にしちゃったから――――大勢の『選ばれてない人』が一緒に押し寄せてきて……。
セーフルームは沢山の人達で埋め尽くされた。
パニック状態。だから、やっぱりパニックルームかな?
百人の人が三十年間生きていける施設。
だから、千人の人なら三年間は生きていける施設。
――――じゃ、無かった。
一枚の布団で眠れるのは一人に決まってる。
百枚の布団で眠れるのは百人に決まってる。
じゃあ残りの九百人は? 椅子や、机や、床、そしてロッカーの中。
百人の人が快適に過ごせるだけの発電機の電力。
千人の人が快適に過ごせないだけの発電機の電力。
ご飯だけはあった。ご飯しかなかった。
一年間。何処からともなく防衛省の中にあらわれた食料品の類。それは、ここから運び出された食料だった。
外ではゾンビ達が二十四時間扉を叩き続けて、それが空調のダクトを通してシェルター内に響きわたって、ずっと、うるさかった。
空調だってそう。百人用の空調は、フル稼働しても千人を快適に過ごさせてはくれない。
汚物……。ご飯を食べたら、絶対に出ちゃうもの。だって私、アイドルじゃないし。
排泄物の処理装置も百人用。千人分を処理するには全然、機械が追いついてくれない。
水の濾過装置だって百人用。千人分を処理するには全然、機械が追いついてくれない。
三日目、我慢の限界を迎えた『選ばれた人』たちが騒ぎだした。
『ここは、私達のために用意されたシェルターなんだから!! 勝手に入ってきた奴等は出ていきなさいよ!!』
自衛隊の人達は厳しい訓練を受けていた。
だから、これだけ不快な環境でも、ちゃんと我慢してくれていた。
だけど、その奥さんや子供達はそうじゃなかった。ただの、普通の、甘ったれた人たちだった。
我侭を喚き散らして、『選ばれてない人』たちを口汚く罵り始める。
『アンタ達が居なければ、もっと快適に過ごせるのに!!』
ヒステリックな叫び声。――――それは、私にも向けられた。
『アンタのせいよ!! アンタが余計なことを口にするから!! 全部アンタが悪いのよ!!』
私は、お爺ちゃんの孫娘で、『選ばれた人』で、裏切り者だったらしい。
安全のためにセーフルームの中に線が引かれて、『選ばれた人』用の部屋と、『選ばれてない人』用の部屋に分けられた。
四日目、『選ばれた人』用の領域が広くなった。
五日目、『選ばれた人』用の領域が広くなった。
六日目、『選ばれた人』用の領域が広くなった。
――――私は、裏切りものらしい。『選ばれた人』だけど、それを皆に教えた裏切り者。
生まれて初めて殴られた。――――手の平で叩かれたんじゃない。拳で殴られた。
『選ばれてない人』のなかにも階級があって、『選ばれた人』の裏切り者の私は一番下の下。
お母さん。巻き込んで、ごめんなさい。
まず、将官と呼ばれる人の家族が『選ばれた特別な人』たち。王様。
次に、佐官や尉官と呼ばれる人の家族は『選ばれた人』たち。貴族。
その下は下で、平民。
それから――――自衛隊に関係の無い人達は、みんな奴隷。
ルールは簡単。上の人の言うことは絶対。お終い。
――――また殴られた。私の体臭が気に入らなかったそうだ。
なら、シャワーくらい浴びさせてくれれば良いじゃない!!
熱かった。火傷する程に熱いシャワー。
バスルームの中で逃げ惑う私に熱水を掛けながら笑ってた……アイツ等、笑ってたんだ。
――――そして奴隷の仕事が出来ちゃった。『選ばれた人』たちの玩具係。
自衛隊の人達は必死になって止めようとしてくれた。
でも、駄目だった。人ごみの影で行なわれる陰湿な苛めの数々。
ドンドン、バンバン、四六時中続く不愉快から目を逸らすため、愉快な玩具が必要だった。
一番偉いのは将官の奥さん。二番目は佐官の奥さん。三番目は尉官の奥さんなんだって。
旦那さんが偉いと奥さんも偉いの? ねぇ、アンタたちって馬鹿じゃないの?
自衛隊の人に相談してみた。
でも、上官の奥さんには……やっぱり逆らいづらいんだって。この意気地なし!!
でも、出来る限りは助けてくれた。でも、出来る限りはほんの少ししか無かった。
――――女の苛めと階級社会って……男の人には、やっぱり解らないみたい。
◆ ◆
火傷が膿んで、ゾンビになった――――。たった一週間で人殺しが発生。
ゾンビになっても将来的には治療の可能性があるからと、肘と膝の関節を脱臼させて動きを止められた。
手錠をすると自分で手首を引き千切っちゃうから、こうして動きをとめるしか仕方がないんだって。
芋虫ちゃん。それが彼女の名前。
本当の名前は綾ちゃん……私と同じ、奴隷の子。
綾ちゃんが部屋の一つに閉じ込められて……同じ部屋に奴隷の子が放り込まれて、
――――その鬼ごっこの様子を見せ付けられた。
『アンタのせいよ? アンタがここに招き入れたからこんなことに……あ~あ、可哀想ねぇ?』
何処までも私のせい? ――――ふざけんな!! このクソババア!! 私の体臭よりもテメェの厚化粧のほうが臭いんだよ!!
頭突きをかましてやったお返しは、綾ちゃんとの同棲生活。
動かない手足で、それでも這いずってくる綾ちゃんから、必死に逃げ回った。
逃げて、逃げて、逃げ回っているうちに……ようやく自衛隊の人が助けにきてくれた。
――――終わらなかった。
次は、お母さんがターゲットにされた。お母さんが苛められた。お母さんが芋虫ちゃんの部屋に――――私は泣いて、頭を下げて、謝罪した。
土下座した頭の上に足の裏が乗せられた。グリグリと顔を地面に押し付けられた。でも、私はただひたすらに謝り続けた。
『これからは私に逆らわないことね? 解った?』
はい、畏まりました。大奥様。今までの無礼を、お許しください。
◆ ◆
奴隷の寝床はロッカーのなか。
起きてる間もロッカーのなか。
トイレは、ロッカーのなかのバケツ。
一日一回、外に捨てにいく時だけ、一人だけ出られた。
あとは、奥様たちの遊びの時間に連れ出されて、玩具にされた。
たまに、芋虫ちゃんが、増えた。何匹か、増えた。
日付、わかんない。時間、わかんない。昼なのかな? 夜なのかな? ご飯、いつかな? お水、いつかな?
突然、大奥様から呼び出された。お母さんと、同じロッカーの二人の子も一緒。
お外の人とお話をしなきゃいけないみたい。
『妙な事を口にしたら、解ってるわね?』
――――はい、解っております。大奥様。
オズの魔法使い。ブリキのキコリみたいな男の人と話をしていたら、突然、扉が開いた。
建物の外に、助けが来てるんだって。上のほうに乗り物が待っていて時間が無いんだって。
キコリさんに手を握られて、キコリさんと一緒に走った。
どうしてエレベーター? 階段の方が早いんじゃ? もしかしてキコリさんはブリキだから階段が苦手なのかな?
建物の外で上のほう。屋上にヘリコプターが止まってた。
叫び声、あ、大奥様の声だ。――――どうしてだろう?
――――大奥様、どうかなさいましたか? なにか、私めに御用でしょうか?