・五月十一日、バイオハザード
「生存記録、四百六日目。五月十一日、天候は晴れ。記録者名、田辺京也。
――――昨日、初めて生存記録をスッポかしてしまった。
四百四日坊主だ。なんだか悪い夢を見ていた。なんだか良い夢だったような気もする。
不思議な感覚。目が覚めてから目が覚めた。
――――この世界は地獄じゃない。天国でもない。この世界だ。そりゃそうだ。
自衛隊が誰を助けるか? そりゃ自衛隊が助けたい人に決まっている。
民間人? そんな使えない人間のために割くリソースなんて無い無い。
超頭の良い天才博士とかじゃなけりゃ、わざわざ救ったりしないよな。
正しい、実に正しい選択だよね。
だから俺も、正しい選択をするだけ。助けたい人を助けるだけ。うん、それだけだ。
やっぱりロジックはシンプルに限りますなぁ」
衛生兵とメディック。
自衛隊ではどちらの名で呼ばれているんだろう? メディーックって叫びたい。
目覚めると、自分の部屋代わりにしている車両の中だった。
付き添ってくれていた衛生兵の川上さんに、隊長っぽい無職の後藤さんを呼んでもらった。
「そういえば、防衛省内部には核シェルターが存在しないんじゃなかったんですか?」
「あぁ、防衛省内部に核シェルターは存在しない。ただしテロリスト対策の頑丈すぎるセーフルームが地下には備えられている。核シェルターと呼ばない限り、それは核シェルターじゃないからな」
まったくもって日本人らしい独自見解だ。
NBC兵器。核、バイオ、ケミカルの三大凶悪兵器。
そのどれか一つにシェルターが対応するなら、普通は他の二つにも自動的に対応してしまう設計だ。
防衛省の内部に核シェルターは存在しません。
ですが、対生物兵器用のシェルターは存在します。
ついでに核も防いでしまいますが、これは副作用です。決して核シェルターは御座いません。
――――そいつは素敵な話だね。日本語って便利。
「それで、協力の見返りとして俺達には何を提供してくださる予定ですか?」
「すまんが、それほど多くの見返りは期待しないで欲しい。まず、佐渡島や伊豆大島など安全な土地への移住権」
「要りません。ここがすでにそうです。むしろ、佐渡島や伊豆大島はここより安全なんですか?」
後藤さんが苦笑いを浮かべた。
人が死ぬとZになってしまう世の中なんだ。人がいる限り安全な場所なんてものは無い。
人口密度が薄いほどに、他所から隔離されているほどに、安全の度合いは増すんだからね。
今日の隣人、明日のZが標語になる日も近いことだろう。
「それで、先日の質問の答えなんですが――――どうして民間人は見捨てて、自衛官の妻子だけは助けるんですか?」
「――――シェルターの中には、俺の恩人の孫娘が居る。彼女を助けたい。それだけだ」
「それだけで、良いんですね?」
後藤さんはしっかりと頷いた。
ちゃんと尋ねましたよ? それだけで良いのかって。
「それじゃあ、俺が提案する滑走路使用のための条件は三つあります――――」
◆ ◆
「あの~後藤さん? どうしてこの少年が作戦会議に?」
大人の中に子供が一人。
吉村さん、かなり場を読んだ質問だと思いますよ。
「それが、ここの滑走路を利用するための条件の一つだからです。
え~っと吉村さん――――今までに殺したZくんは何人になりますか?」
部屋に落ちる一瞬の沈黙。……まさか、覚えて居ないんだろうか?
一人撃ち殺すごとに、Zマークを銃に刻む程度の心の余裕は持っていて欲しいな。
あ、日本人なら正の字の方が良いのかな? 数えやすいし。
「八十七名。誤差は十人程度だ。……聞けて満足か?」
「わかりました。俺は確認できた限りで三千二百三十八名です。
ただ、大規模な破壊工作による殺害手段が多かったため、誤差は数万単位になります。
会議参加に納得してもらえるだけの殺害人数に足りていますか? もっと、必要でしたか?」
生唾を飲みこみ、吉村さんが参加を認めてくれた。やっぱり数は力だね。
単純に、この場でZくんに一番詳しい人間は俺だった。
長岡の油田で、ときおり出現するZくんを撃つだけなんて受身のお仕事はしてきていない。
常に攻めのポーズでZくんには対応してきたんだよ。Zくんと俺は無二の強敵さ。
「もう一度確認しますが、作戦の目的は陸上自衛隊、第十二旅団団長、大久保陸将補の孫娘である大久保沙耶さんの救出。それで間違いありませんね?」
後藤さん、山本さん、吉村さん、保科さん、川上さん、北沢さん。
一人一人の目を見て、頷き、確認をとった。ちゃんと、確認をとったよ。
「当初の作戦ではどうする予定だったんですか?」
「まずは空き地だったはずの、この滑走路上に避難民の受け入れ態勢を構築。
その後、光の少ない新月とヘリが飛びやすい天気を待って、救出作戦を実行。
まずはUH-60JA、ロクマル二機を使って銃撃により防衛省から外縁部にZたちを引き離す陽動。
その後、防衛省のヘリポートにCH-47JA、チヌークで二百名からの部隊を屋上から展開。
階段を破壊し、屋上、ならびに最上階を確保して、地上のZを狙撃しつつ陽動を開始する。
外壁を登ってきたZを撃ち落しつつ、エレベーターを使い地下階から避難民を救助。
なんとか調達できた四機のチヌークをフル活用してこの滑走路へ輸送する手筈だった。
Zの専門家の少年として、なにか問題点でも感じるか?」
後藤さん、案外普通に喋れるんだな。
しかし、外壁を登るZか――――流しておいたあの動画、一応は役に立ったんだな。
「まず、作戦に時間が掛かりすぎじゃありませんか?
それに、Zくん達を殺しすぎじゃありませんか?
防衛省からこの滑走路まで、運ぶあいだにどれだけの時間を掛けて、
さらには何千、何万のZを殺害するつもりなんですか?
もっと、穏便に行きましょうよ」
真っ当な意見を言ったはずなのに、とても白けた空気が流れている……。
はて? 俺は何かおかしなことを言ったのだろうか?
こういう時、まもりは拳で教えてくれる分、優しい――――のか?
「京也くんは今迄に、万単位のZを殺害してきたんだよね?」
「はい、生き延びるのに必要なだけのZを殺害してきました。
生き延びるのに不要なZを殺害したことは一度もありません。それはこれからもです」
どうやら長岡の地は相当に平和な土地だったらしい。
もしかして俺は、Zくんを殺したくてウズウズしてるモヒカンくん仲間と勘違いされていたんだろうか?
ときおり雄花は消毒するけど、Zくんを無意味に焼いたりはしないよ?
「なるほど、キミのことを勘違いしていたらしい。この東京では、それだけのZを殺害しなければ生きて来れなかった。そういうことなんだね?」
「はい、保科さんの仰る通りです。俺はZのことを死者や怪物だと思い込んで殺害したことは一度もありません。病気に感染させられた、哀れな被害者だと理解しながら常に殺害してきましたよ」
「そうか――――それは……失礼した。
キミの心は……いや、何でもない。作戦会議を続けよう……」
『いや、何でもない』って……中途半端に口に出されると気になるじゃない?
こういうメガネ系知的キャラは、思わせぶりな態度をとって聞き返されるのを待っているんだ。
なので、ここはスルーしてやろう。保科さんは、なんだかあのゴム製品を思い出させるんだよなぁ。
「Zの専門家な少年として申し上げますと、大久保沙耶さんを救助するには随分と大掛かりすぎる作戦だと思います。そっと忍び込んで、そっと浚って、そっと帰ってくればいい。今ここに居る人員だけでも十分可能な作戦ですよ?」
「――――それは本当に可能なのか?」
無職の後藤さんが訝しげに聞き返したので、たっぷりと自信をこめて頷いた。
たかだか女の子一人、簡単ですよ? たかだか50kg程度の物体でしょう?
たぶん、まもりより軽いくらいですよ。絶対に、まもりより軽いくらいですよ。
◆ ◆
「えっとね? 京也くん? 皆はね、貴方のことを信用していないわけじゃ無いんだけど~、民間人を作戦に参加させるのはどうかなーって思ってるのよ」
空の上まで来ておきながら、山本さんが取り繕うようにして語る。
しかし、俺の作戦を聞いた上で納得し、置いてきぼりは有り得ない。
そもそも、今回の作戦に使用する物資は俺のポケットからの持ち出しだ。嫌なら返せ。
「解りました。じゃあ別行動にしましょう。ボクは一人で防衛省の中に勝手に入ります。
皆さんは生きようが死のうがご自由に、どうぞ皆さんも勝手にしてください」
いざとなればヘリに見捨てられても――――うん、川までなら辿り着けないこともない距離だ。
「子供を戦場に連れて行きたくない大人の気持ち。ガキにはわかんねぇかなぁ?」
「お願いですから、三十六歳無職が大人を語らないでください。ガキの気持ちを察してください」
「おまっ! 世の中には言っていい事と悪い事があるんだぞ!?」
「違います。世の中には言っていい相手と言ってはならない相手が居るんです。後藤さんは言っていい方の相手です」
「京也くん。キミは十分に大人だよ。実に正しい」
「おう、すげぇ良いこと聞いたわ。三十六歳無職に大人を語られたくはねぇよな!」
後藤さんの怒りの矛先が、保科さんと吉村さんに移った。
俺には俺の理由があって、この作戦を成功させなくてはいけないんだよ。
こんな素人の集まりに任せて、作戦に不参加なんてありえないんだよね。
彼等には彼等の、俺には俺の、それぞれの目的がある。――――それは普通のことだよね?
「……むしろ、皆さんが足手纏いにならないか不安なんですけど? いっそ、俺一人で行かせて貰えませんか?」
「断る。部隊は必ず組以上で活動するものだ。もしもZに死角から襲われたらどうするつもりだ?」
「どうもなりませんよ? ほら、このZ対策防護服ビッグダディ。齧れるものなら齧ってみてくださいよ」
後藤さんの前にモコモコの腕を突き出す。
頑張って齧ろうとするが、歯が擦れるだけで、どうにもならない。人間は壁には噛み付けない生き物だ。
「ね? それよりも後藤さんの迷彩服、何に紛れるつもりで着てるんですか? もしかして陸自で流行のファッションか何かなんですか?」
この東京砂漠。コンクリートジャングルに緑は少ない。
建物の中では何一つ隠してくれない迷彩服を着て、後藤さんは何が楽しいのだろう?
夜なら単純に真っ黒の方が目立たないだろうにさ。
「解ったよ! お前が先頭で構わん。あとは作戦道理、発砲と大声は禁止だ。以上!」
顔を横にして不貞寝のフリをする後藤さん。
その顔を見て楽しそうに笑う山本さんと川上さんの女性陣。
それに苦笑いを浮かべる吉村さんと保科さんの男性陣。
――――なんだか人間関係が解った気がするな。あとで姦し三人娘に話してやろう。
◆ ◆
夜。防衛省、上空に到達。
――――作戦行動を開始。
まずはガソリン、軽油、灯油の三種混合液体燃料を詰めたポリタンクに、手榴弾をテープで貼り付けた状態で投下する。
第一目標、防衛省正面、雑木林。
1、2、3、4、爆破。
空中で爆音。続いて燃え盛る炎が油と共に、防衛省前方の罪の無い木々を舐める。
――――あれ? 手榴弾って手離してから三秒後に爆発じゃなかったっけ?
あぁ、1から数え始めるから数字がズレちゃうのか。
第二目標、防衛省脇、正面玄関口付近。
0、1、2、3、爆破。よし、今度のタイミングはバッチリだ。
燃料油を三種混合にしたのは範囲の拡大と延焼時間をより長くするためだ。
ガソリンは良く爆発して広がってくれる。灯油や軽油はよく残留し続け火を残してくれる。
第三目標、防衛省北東、グラウンド、かな?
0、1、2、3、爆破。
これで三度の爆音に火の海。防衛省内部のZ達は好奇心につられて動き出したはずだ。
正面玄関からZが走り出て来るのを確認。ヘリポートに着陸する。
無点灯状態。スコープ頼りのハードランディングだが、北沢さんはアッサリこなしてくれた。
約束通り一番に飛び降り、暗視装置ON、ヘリポート、Zあり、数3。
「こんばんわ~」
人声の呼びかけに反応してZ達が全力疾走を開始。前面2、左1。
ライオットシールド操作。ストロボライト照射。
盲目状態の前方、Z1を穿つ。左面からのZの突進をシールドで受け止めると、前方から盲目状態のZ2が絡みついて倒れた。
ZがZに噛み付くところは初めてみたな……あるいは視覚を奪い続ければZ同士で、今はどうでも良いや。
即頭部を、穿つ、穿つ。これでお終いだ。
ヘリポートを再度確認。Zの影無し。
作戦通り、爆竹を雑木林の火災の中に投下開始。
より激しい破裂音につられ、地下からもZが居なくなることを祈る。
今日は何に祈ろうか? 毎度のことながら、悩ましい問題だよ。
今日は――――明治天皇にでもしておこう。明治神宮、唯一の神さまだ。
最上階、鍵、オープン。シールドを構えたまま突貫。
Zあり、数1、振り向く前に――――穿つ!
背後安全確認。後藤、保科、吉村の無事を確認。ちっ――――視界の邪魔だな。
エレベーターまでの最短ルートを辿りつつ、防火扉等を閉めて回る。
――――Zくんが知性化して、ドアノブの開け方とか覚えてないだろな?
進行を再開。
前方、Z3、小声で声掛け、振り向き様にストロボ。
人間と認識される前に、穿つ、穿つ、穿つ。前後左右、安全確認。
防火シャッター類を降ろしながら最上階のエレベーターホールまでのルート確保を続ける。
無事、エレベーターホール到着。エレベーターの到着を待つが……無駄に待たせるな。
ドアが開くと同時に、穿つ! どうせ、エレベーターの上に隠れ、飢え死にでもしたんだろ?
キミ、悪いがその登場の仕方は古すぎなのだよ?
せめて、エレベーターの天井から登場したまえ。
考え方が古いZくんをエレベーターの外に放り出して乗り込んだ。
続いて地下階へ、なんと直通。
ゲームと違い、防衛省内部の通過にIDやエンブレムは必要ないらしい。
「台座を動かすパズルとかも無いの?」
吉村さんが首を残念そうに横に振った。残る二人も。
ただし、パズルは無いが要人用の隠し部屋はあるらしい。それは少しだけ朗報だった。
最下層。地下階。
ピッケルを振り上げた状態でエレベーターのドアが開くのを待ったが、空振りに終わった。
――――扉が開いた瞬間にゾンビというのは、来客を迎えるための礼儀だと思うんだけどね?
ここからでも金属を叩く音が聞こえる。シェルターの方角。
通路奥に存在するシェルター、もといセーフルームの扉をZくん達がドンドンと叩き続けている。
Zの数は詳細不明。五十以上、百以下。
ここでも爆竹の音は聞こえているのに、一向に反応を見せる様子が無い。
なるほど、爆竹の音よりも確実に人間が存在するシェルター内部に興味が向いているんだな。
後藤さんが銃を構えるものだから、思わずライオットシールドでわき腹を殴ってしまった。
身悶えしているが、まもりよりは余程に優しいツッコミだ。
彼らは全員がシェルターの方を向いてくれている。
わざわざ、こちらを向いていただく必要は無いと思うんだよね。
静かにピッケルをシールドに引っ掛け、背負った火炎放射機の発射準備を整える。
――――天井に火災報知器らしきもの、スプリンクラーは、無いな。うん、これで問題は無い。
高速で水平移動しつつ、人の顔の高さに合わせて二重三重、火炎放射器で扇状に薙ぎ払った。
眼球、耳、鼻腔が首より上についている以上、Zくん達はこれでヘレンケラーよりも何も感じられないだろう?
あとは、燃え盛る顔面を、ひたすらに、穿つ、穿つ、穿つ、穿つ、穿つ、穿つ、穿つ、穿つ。
後藤さん達も意図を理解したのか、取り付けた銃剣の刺突でZの頭部を穿ち始めた。
シェルター前に陣取って居たのは50以上、けれどシェルターの扉にとりつける人数には限界がある。
何十人でも何億人でも、シェルターを叩ける人数に違いは無い。叩ける手の数は面積分だけだ。
しかし、ここ二週間ほど殴り続けたZくんの血と汗と涙の結晶だろうか?
核を含むシェルターだというのに、それでも多少は歪んでいる。相変わらず凄い腕力だな。
理性がなくならないなら、是非とも欲しいこのパワー。
……オキシトシンを投与された疲れ知らずのZが戦場で大暴れ、か。
――――現実的過ぎて洒落にならないや。ZにZを始末させる……嫌な予感しかしないよ。
名目上はテロリスト対策のセーフルーム。
外からは簡単に開けられそうに無いが、インターホンが付いていた。こいつは家庭的だなぁ。
さ、て、と、火炎放射器を後ろの三人に向けて壁際に移動するよう促した。約束だ。
後藤さん、保科さん、吉村さんの三人は火の先を向けられたことに驚きながらも従ってくれた。
これは素直で助かるね。
インターホンを押してもピンポーンと音がしないので、中と繋がったのか良く解らない。
「救援部隊の方ですか!?」
「はい、救援個人です。そちらに陸上自衛隊第十二旅団団長、大久保利通さんのお孫さんがいらっしゃると思うのですが、インターホンに出していただけますか?」
なにやら、わいわいがやがやと内部がうるさい。
どうも、シェルターに閉じ込められているこの二週間の間に色々とあったらしいね。
「今すぐに、お出ししないといけませんか?」
「はい、でないとこのまま帰ります。ついでに大量のZでも連れてきましょうか?
あぁ、あと、沙耶ちゃんのお友達やその家族の方も連れてきてください」
年増女の怒鳴り声が聞こえ、内部ではガヤガヤと喧騒が続き、数分後になってようやく若い女の子の声が聞こえた。
「私が大久保沙耶です。お爺ちゃんの部下の人ですか?」
「うーんとね。お爺ちゃんの知り合いの知り合いかな? キミを助けに来たんだ。このドアを開けてくれるかな?」
「ねぇ、貴方。さっきから何を仕切ってるの? 所属と階級を言いなさいよ」
――――女の子との素敵な会話に割り込んできた、空気を読まない年老いた野太い女性の声。
えーっと、どなた様でしょうか?
「所属は自宅警備員。階級は基本的に下僕ですが何か?
あぁ、すみません。俺自身は自衛隊でも警察官でもないただの民間人です。
でも避難用の乗り物なら、ちゃんと防衛省の建物の外に待たせてあります。
ですからシェルター……じゃなかった、セーフルームの扉を開けてください。
救出に掛けられる時間がもう残って無いんですよ。だから早くお願いします」
映画のように機械的なアラーム音が鳴り響くことも無く、無感動にドアが開かれた。
まず目に入ったのは偉そうな厚化粧の年増。家族には欲しくないタイプの女性だね。
次に目に入ったのは片目の周りに青痣を作った、薄――――濃厚に汚れた少女。
小さい子だ。まだ中学生だろうか?
隣に居るのが沙耶ちゃんのお母さん、なのかな?
お友達が二人と、その母親も二人に父親も二人。
合計すると十二人か。プラスのことの装備類。
――――エレベーターの重量制限は大丈夫かな?
皆が皆、とても疲れ果てた、暗く沈んだ表情を浮かべていた。
うん、このシェルターの中で何があったのかは知らないし、これからどうなるかも知~らない。
「この子が沙耶ちゃんで良いですか? お隣は、その母親でよろしいですか?」
後藤さんたち三人に尋ねてみると頷いた――――ので、
「急いで!! 時間がありません!! 走って上の乗り物へ向かいましょう!!」
俺は沙耶ちゃんの手を掴み、いきなり走りだした。
よろけそうになる沙耶ちゃんを引き摺る形になったのは、ごめんね?
後藤さんたち三人もすぐに後から走ってきて追いつき、エレベーターに皆で飛び乗った。
なんだ、二十人以上乗れるエレベーターだったのか……なら、もう少し欲張れたかもな?
閉のボタンを押してドアを閉じ、続く行き先はもちろん最上階。
最下層から最上階まで、辿り着くには時間がかかった――――。
「おい、クソガキ!! どういうつもりだ!! 作戦と話が違うじゃねぇか!!
今回は少人数による救出作戦の実地試験! 本当の救出作戦は後日のはずだっただろ!?」
「――――作戦目的は大久保沙耶の保護。事前に何度も確認したはずですが?
後日の大規模な本当の救出作戦は、やりたければ自由に実行してください。お約束通り、滑走路を使っていただいても結構ですよ?」
――――滑走路使用の条件として提示した条件その二。
それは、Zに対して大規模な被害を与えず、シェルターまで到達できるかどうかの実地試験だった。
でも――――シェルターに辿り着いたその後の約束まではしていない。
残念なことに俺は軍属ではないので、自衛隊の命令系統の外の人間なんですよね。
「京也くん? 確かに目的は達成できたわけだけど……僕達にも前もって話しておいてくれても良かったんじゃないかな?」
寝ぼけ具合もゴム製品にそっくりだな。
「保科さん? もしかして、俺が民間人だってことを忘れましたか?
俺が誰を助けて、誰を助けなくても自衛隊とは一切関係のない出来事です。
まさか、自衛官の皆さんが助ける人間と助けない人間を選別するおつもりだったんですか?
――――もしかして、助ける家族の順番は、旦那さんの階級順とかなんですか?」
俺の素直な厭味に対して、後藤さんが舌打ちを鳴らした。
自衛隊の作戦ならば、オールオアナッシングに決まっている。
シェルター内部の人間を全員救うか、全員見捨てるほか無かったはずだ。
保科さんが、その現状に対して苦々しげな表情を浮かべていた。
――――目的は大久保沙耶の救助。
だけど、彼等は彼女だけを助けるという選択肢を持っていなかった。
だからこそ、滑走路に避難民の受け入れ準備を必要とする大掛かりな作戦計画だったんだ。
「あのさ、難しい話わかんねぇんだけど……お前、今、相当酷いことしたんじゃねぇの?」
「さぁ? 他の方々はシェルターに戻って、今まで通りに快適な暮らしを過ごせば良いだけなんじゃないですか? 次の救助を期待しながら」
「あそこは嫌です!! 嫌なんです!! お願いいたします!! 私を戻さないでくださいませ!! ロッカーに入れないでくださいませ!! 旦那様!!」
沙耶ちゃんが急に屈み込んで亀のように丸まった。つられて残る二人の少女達も。
その動きに固まる三人の男たち。――――どうせ、こんなことだろうと思ったよ。
密室のエレベーター。感じるのは濃厚な、人間特有の老廃物と体臭の吐き気を催す匂い。
彼女達の親達だけが、抱きしめて、撫でて、慰めていた。子亀の背に親亀か。
慰め方もわからず固まってる男達なんかよりも、親の愛はよっぽど強いね。
最上階、Zなし。屋上のヘリの羽音よりも玄関先の爆音と炎の方が気になったらしい。
子亀達は親亀と後藤さん達に任せて強引に階段まで走りきった。
幸い、爆竹の音がZ達の注意をひきつけたままでZには出会わず。
時間にすれば十分と少々。ちょっと、説得に時間がかかっちゃったかな?
――――野太い女性の悲鳴が聞こえた。
地上からここまで割と距離があるのに、ずいぶんと立派な大声だねぇ。
あぁ、避難用の乗り物は防衛省の建物の外にありますって沙耶ちゃん達に向かって告げたから、自分達のため豪華リムジンでも玄関先に横付けされてると勘違いしたのかな?
――――屋上って、建物の外じゃないの? 俺、なにか日本語を間違えましたか?
核シェルターをセーフルームと呼ぶよりは、正しい日本語を使ったつもりですけど?
だって、セーフルームは英語ですし?
爆竹をバラ巻きながらの陽動作戦を終了。
突然現われた予想外の追加メンバー八名も乗せて、ブラックホークもどきは無事にヘリポートから離陸した。
作戦は成功だ。俺の作戦は成功だ。彼等の作戦も成功だ。
なのに――――なんで俺がそんな鬼のような眼で睨み付けられるんだろうね?
ヘリの羽音に掻き消されて地上の音は聞こえないが、幾千万のZくん達が防衛省内に走りこんでいく姿が見える。
さて、千人のうち、何名様が先着で無事にシェルターの中まで戻れるでしょうか?
どうせ、お偉い人達から先に地上に向かって逃げ出したんでしょう?
誰が救われる人間を選ぶのか? うん、そんなの自分自身に決まってるじゃないか。
――――HAHAHA!! 現状は地獄だぜ!!




