・後藤弘信 三十六歳、サラリーマンは気楽な稼業だよな――――。
日本の人口が何人いるか知ってるか?
答えはだいたい一億二千七百万人だ。
日本の警察官が何人いるか知ってるか?
答えはだいたい二十九万人だ。
日本の自衛隊が何人いるか知ってるか?
答えはだいたい二十三万人だ。
たった二十九万人で一億を取り締まり、たった二十三万で一億を守れって言うんだ。
普通に考えて無理だろ? おかしいだろ? なんで俺達が病人の相手をしなくちゃいけないんだ?
警察官は犯罪者と戦うのがお仕事だ。
自衛官は敵国兵と戦うのがお仕事だ。
じゃあ病人と戦うのは? ――――医者に決まってるだろ?
当たり前のように駆り出されて、当たり前のように戦わされて、当たり前のように守らされて。
お前ら、頭おかしいんじゃないか?
民間人を犯罪から守るのは警察官のお仕事。
民間人を敵国から守るのは自衛官のお仕事。
民間人を病人から守るのは? ――――最終的にはお前ら自身の仕事だろ!!
日本の自動車が何台あるか知ってるか?
答えはだいたい八百万台だ。
一台あればZの十や二十は轢き殺せただろ?
そうすりゃ一億六千万殺人。平和な世界だハッピーだ。
でも、お前らはそうしなかった。ずっと自己防衛の責任から逃げ続けてきた。
自分が生き延びるために、他人を殺す責任からずっと逃げ続けてきた。
逃げることだけに夢中になって、助けてもらうことが当たり前になって、誰かを傷つける責任を取る気が無くて、さらには仕事の邪魔をして、結果Zを蔓延させて――――お前ら本物のバカだろ?
不死身のZと言っても無敵じゃない。
車で撥ねれば足やら腰やらの骨が砕けて動けなくなる。
大型車、トラックならもっと良い感じにグシャグシャだ。
戦うための武器なら幾らでも道端に転がっていたんだよ。
でも、誰もそれを手に取らず、逃げ回るためだけに使って、Zになった。
お前ら、なにを勘違いしてるんだ?
Zからお前らを守るのは自衛隊のお仕事じゃないからな?
Zは病原菌だが兵器じゃない。天然自然の菌だ。だから俺たちの仕事じゃ無い。
どうしてそれが、なんで俺らのお仕事扱いになって、なんで俺らが尻拭いしなきゃならんのかねぇ?
相手はバイキンさまだ。せいぜい拡大解釈しても災害だろ?
なら災害出動だ。土嚢積んで、架設テント張って、俺たちの仕事はハイお終い。
銃だの戦車だのの出番なんてないんだよ。民間人から民間人を守る義務なんてないんだよ。
その尻拭いをさせられた結果が刑務所行き?
勘弁してくださいよ大久保さん――――人が良すぎですよ。
俺達は、お前らを守る義務なんて無い。
そもそも、今の給与残高がどうなってるのか知りようが無い。
俺達は公務員なんだぞ? その辺の税務署のオッサンと変わりない立場なんだぞ?
なら、その辺の税務署のオッサンに戦わせればいいんだよ。
トラックに乗せて、ビュンビュン走らせて、バンバン跳ねさせてよ。
そんな訓練受けてない? 安心しろ、俺たちも民間人を殺す訓練なんざ受けてないから。
東京の方じゃ、酷かったそうだな。
最後の最後まで、ライフラインの死守や各地の地方方面隊との連携に勤めてた連中。
仕事じゃねぇのにZに隠れて働いて、今後十年は放っておいても動くようにと頑張ってた連中。
――――最後は民間人に殺されたってよ。
個人装備の無線で泣いてやがった。
最後の最後に――――自衛官であることが悔しいってよ。
女子供を抱えてんのに、仕事でもない仕事に尽くしてきたのに、最後の最後は民間人に裏切られた。
東京湾の地元漁師に陰湿な嫌がらせを受けて、船のエンジンを壊されて、漂流した末に死んじまった。
だから、辞表を叩きつけてやったよ。もう俺は自衛隊で居ることに嫌気がさしたんだよ。
叩きつけてやったってのは比喩表現だぞ? 正確には無線で告げてやった。
『佐渡島に駐留する自衛隊員は、本日、ただいまこの時刻をもって退職させていただきます。送れ』
一応、最後の最後だからな、きっちりとした敬語だったよ。
その後、無線でピースカギャースカビートルズとうるさいもんだったが、知らねぇよ。
『そもそもゾンビ退治もゾンビ逮捕も自衛隊のお仕事じゃねぇんだよ!! そもそも俺達は無賃労働者じゃねぇんだよ!! 働いて欲しけりゃ給料よこせや!!』
残念だ。敬語が最後まで続かなかった。
チャンネルに割り込んできて、爆笑だけしていく奴等の多いこと。
映画かなにかのイメージで、なんとなくゾンビ退治は軍隊の仕事ってイメージがあったんだろうな。
んなわけねぇだろ? 熊退治は普通、地元猟友会に任せるもんだろ?
退職理由は一年に渡る給与未払いだ。もう、これ以上無い完璧な理由だな。
親方日の丸とはいえ、俺達もサラリーマンだからな? 給料が払われねぇなら働くこともねぇよ。
まさか、自衛隊と警察官は無給でも死ぬまで働けってか? 笑わせんじゃねぇぞ社畜ども。
なんでこんな真似をしたのか――――。
そりゃ自衛隊さんに助けて貰う為だよ。僕達は罪の無い民間人です。自衛隊さん助けてー!!
俺達は助けない。自衛隊さんは助けてくれる。これは良いご身分だわ。憧れの素晴らしいご身分だな。
完璧すぎるだろこれ?
――――そもそも、もう戦うための弾薬が残っていない。
一万や二万のZなら相手に出来ても、一億なんて数は相手に出来ない。五万でも怪しいところだ。
民間人が五万と、元自衛官の民間人が五千なら、なんとか勝負に――――ならねぇよなぁ。農家のおじちゃん達、腰曲がってるからなぁ。
いっそのこと、佐渡島国でも建国するか? なんてな。
――――そりゃ、元々の島民たちを、ほぼ皆殺しにしておいて虫の良い話だ。
佐渡島にも生き残りは居た。数百人ほど。屋根裏やら、地下室やらに隠れてたそうだ。
ドイツ人から隠れてた、ユダヤ人の……アンネの日記って言ったか? あんな暮らしだ。
Zに怯え、泣き喚くことも出来ず、歯を食いしばって生き延びた一年間。
――――なんて健気なものじゃなかったけどな。
大型トラックを暴走させてる間に、商品かっぱらって逃げ回ってたそうだ。
おいコラ待てよと思ったが、俺たちだって作戦は似たようなもんだったな。
クラクション鳴らしまくってるうちに別働隊がこっそりと盗みだすんだよ。これなら多少の銃声も隠せた。
こちとら軍用車だ。たかだか素手の病人なんか相手にも――――防弾ガラス割られてビビッたなぁ。
あいつら何で出来てるんだよ? 鋼板へこますって、どういう腕力してるんだよ?
佐渡島でも生き延びる気のある奴は、ちゃんと生き残っていた。
佐渡島でも助けてもらう気しか無い奴は、みんなで仲良くZだ。
助けて貰った気持ちが半分、友人知人を皆殺しにされた気持ちが半分。ちょっと複雑な表情だったけどな。
でも最後は、苦笑いで受け入れてもらえたさ。生き延びるためだ、しかたねぇよってな。
それで、決めたわけだ。
僕はもう自衛官を辞めて、今日から普通の男の子に戻ります。
ただ、毎日を健やかに生きるために頑張る佐渡島の島民になります。
銃や弾薬、その他諸々の兵器や物資は退職金代わりにいただきますってな。
――――わけのわかんねぇ上の、わけのわかんねぇ命令なんざ、もう聞きたくねぇんだよ。
なんで防衛省からの脱出にウチを回さなかった?
ウチらの家族よりも長岡の油田がそんなに大事だったのか?
残された機材の方が大事だったか? Zはモノを壊さねぇからなぁ?
政府の要人気取り一人のために回せるチヌークはあっても、ウチらの家族に回せるチヌークはないってか!?
上もクソだ。上の上の政府もクソなら、上の上の上の民間人もクソだ!!
『まぁまぁ、後藤くん。人間、そんなに完璧なものじゃないですからねぇ。
都心からの避難を諦めた自衛隊が、身内だけを助けるわけにもいかなかったんですよ。
血の涙、自分だけが流してるとは思わないでくださいよ』
――――やっぱり俺は尉官どまりだな。将官なんてなれそうにない。佐官も御免だよ。
民間人のご機嫌取りのために、仲間の家族を見殺しにするなんて選べるかよ――――ちくしょう。
でもね、大久保さん?
僕たち今日から普通の男の子に戻りましたから、好き勝手にやらせてもらいますよ?
――――ニコニコとした澄まし顔で流されちまった。これも大久保さんの手の平の上でしたか?
相変わらず狐みたいな狸親父だ。一度はこの顔を泣かせてみたい。
たしか、大久保さんのお孫さんが防衛省のシェルター内に取り残されてるんだったよなぁ?
良いこと考え付いちゃったね、俺は。