・五月五日、こどもの日
東京湾で生き残っている漁師達は、安全な地面を持っていないわけではない。
第一海堡に第二海堡。
明治時代に作られた東京湾の大砲島なのだけど、現代にもいまだに残る海上要塞だ。
なぜ残り続けているのかといえば、観光名所だから……ではない。
作ったは良いが、解体費用が膨大にかかるかららしい。
土壌汚染やら何やら、綺麗に解体するのは難しい。だから、残り続けた。
嵐や高波が近づいた時には、この海堡のどちらかに漁師達は避難し、身を寄せあうことで生活しているそうだ。
ここが雨水の貯水池でもあり、唯一の安全な陸地でもあった。
第一と第二。二つのものがあると、なぜか人間は勢力を作りたがるものらしい。
ボクらが移住してきたD滑走路は三番目の埠頭として、危険視されているようだった。
第一海堡の王と第二海堡の王にとって、第三の王の発生は脅威だったのだと89式自動小銃を前にした島本さんが懇切丁寧に教えてくれた。
網元の王が支配する島は二つがともに島であり、植物が生え、釜戸の火くらいにはなる。
暑さはともかく、寒さを凌げるだけの土地ではある。
そこに、日々、東京ドーム何倍分もの土地から干草を気前良く投下したところ干草相場が大暴落。
いっそ、ボクを第三網元に任命して保護して貰わないか? と、本人不在のうちに話が進んでいたそうだ。
――――迷惑な話だね。
ウチにはお姫様は一杯だけど、王は不在なんだよ。
魚には詳しくなさそうな小僧っ子どもだ。
フグでも食わせて殺してしまえと第一網元さんは仰ったらしい。そのお使いが島本さんだ。
ついでに言うと、第二網元さんも仰ったらしく、島本さんの身に覚えが無い毒干物もあった。
Zを怖がって自分達は近寄らなかったのに、いざZが近寄らないと解ると自分達の領土扱い。
結果として、両方の網元が共にD滑走路を欲しているそうな。――――きわめて迷惑な話だね。
強盗どころか国取り合戦だとさ。――――まさしく戦争状態だ。
そこで、より緑も多く、面積も広い魅力的なゴルフ島を案内しておいた。
もちろん、第一、第二。両方ともの網元さまに伝えておきましたよ。平等に。
ちなみに千葉方面の漁師が第一海堡、東京や横浜方面の漁師が第二海堡の網元さまに属するらしい。
そして、海に逃げ出してきた自衛隊への冷遇は、両方の網元さま揃っての命令だったそうだ。
馬場さんは、そんな網元を嫌って一人で暮らしてたらしい。
元々、地元の人間ではなかったらしく、どちらにも馴染めなかった。
――――あの自衛隊のお嬢さん方は、運が良いんだか悪いんだか。
話を聞く限り、両方の網元が共に暴力的になっている。
元々は、粗暴ながらもわりと面倒見の良い人達だったらしい。
だけど、徐々に暴力の片鱗を見せ始め、強権的に振る舞い始めたそうだ。
一年間、自分の裁量を超えた人数を従えるために恐怖政治を行い、そして元の人格すら歪めてしまった。
暴力以上に人を従えられるものが無いから――――相変わらず、悲しい話だね。
二人の海王。
魅力的な離島。
それを欲しがる多くの漁民。
その期待に応えなければならない二人の暴君。
――――あとは勝手に燃え上がれ。結末ならとっくの昔に映画で見たさ。
島本さんの船は小型の漁船だけれど帆船。
本当は、自衛隊の人間を少数なら、あるいは皆で手分けをすれば、全ての人を大島まで連れて行けたそうだ。
でも、しなかった。出来なかった。
自分自身の恨み辛みもあったけれど、二人の網元がそれを許さなかったからだ。
自衛隊の銃口に対して、頭を下げたように見えるのを嫌がったんだろう。
暴君は暴君であることを求められる。弱気なところなんて見せられない。舐められちゃおしまいだ。
――――結局、脱出を手伝うところか嫌がらせまで命令されたそうだ。
島本さんは、そう語ってからボクに謝罪した。――――フグ毒の件か、自衛隊の件かは知らない。
そもそも、自衛隊の人達を見殺しにした件についてはボクも同罪だから、謝られても困るんだよね。
◆ ◆
同日、佐渡島。
往復、六十時間かかるはずの輸送は、たったの十時間で済んでしまった。
フェリーが出航前から海難救助の信号を出していたからだ。
海上保安庁と海自の船がやってきて、陸の上の民間人を海難救助した。
海に一歩でも飛び込めばそりゃ立派な海難事故だ、ひでぇ理屈だ。
後藤一尉がその詭弁に苦笑いを浮かべた。
「あの狸。――――見た目は狐なんだがなぁ」
新潟にあるもう一つの油田。岩船沖の海底油田を守る海上自衛隊に打診してあったのだ。
海難事故の救助は正当な自衛隊と海上保安庁の勤めだ。
面積はともかく、重量としては、油が入っていない石油タンカーは万単位の人数を乗せられる。
人間が六万人でも、たかだか三千トン。石油タンカーは数千から数万、下手をすれば数十万トンを積載可能な船である。
むしろ、油が入ってないために重心が高くなり、かなり危険だったらしいが、そこは海の男だ艦隊勤務。波を捻じ伏せてやってきた。
あとは可能な限りの機材をコンテナ詰めし、コンテナと共にCJ-47JA、チヌークで空輸を繰り返す。
民間人の安全が先。自衛隊は後。最後まで大久保陸将補は自衛官としての務めを果たしきった。
長岡の油田から護送された民間人が五万強。
第一師団と第十二旅団の混成旅団の自衛隊が五千弱。そして、戦える意志保った者は五百余り。
こんなざまで佐渡島の全島民、五万六千のZと戦えるのか? 後藤一尉はいぶかしんだ。
海自からも海上からの支援砲撃を勧められたが、大久保団長はこれを断った。
監獄仲間をこれ以上増やさないためにである。
陸将補の取った手段は背海の陣。
海、そして民間人を後ろに、そして士気の落ちた者たちを、最前線に未だ戦う気力を失っていない者を順に置いて。開戦。
CH-60JA、米国名ブラックホーク、和名ロクマルの羽音と拡声器による人の声につられて飛び出してきた万単位のZの群れ。
それに対して、最前列の者達は躊躇うことなくブローニング50の大口径の銃弾を撃ちこみ肉を砕き、骨を飛散させた。
その姿に悲鳴を上げる民間人たち。そして、その悲鳴を耳にした四千五百の自衛官たち。
民間人が悲鳴を上げたのは、Zか、それともその惨たらしい死に様かは解らないが、悲鳴が確かにあった。
それを耳にした瞬間、心に迷いを抱えていた彼等の中で、敵と味方がハッキリと区別された。
たとえ、病人でも、たとえ罪が無くとも、たとえ同じ国の人間でも、我々は背後に居る人々を守らなければならないのだ。
五百の兵で五万六千のZに打ち勝つことは不可能だっただろう。
だが、五千の兵ならば容易いことだ。
相手は徒手空拳。何も持たずにただ走ってくるだけの病人である。
89式自動小銃の有効射程は500m。たとえ相手が全速力で、たとえ頭部の他には効果が薄いとしても、狙い、定め、撃つ。三発に一発は当てられる。
外れた弾が、別のZの頭部に命中することだってある。
一人が十回、それを繰り返せば、ことは終わる。
四方八方から襲い来る百万の軍勢ならまだしも、一方向から駆けてくるだけのZの群れなど相手ではなかった。
撃った。撃った。撃った。よく解らない感情に吐いて、それからまた撃った。
背後から聞こえる民間人の悲鳴が収まるまで、ただひたすらに、それを続けた。
相手を罪無き人、同じ日本国民と知りながら、撃ち続けた。その経験は、悪夢でもあり、勲章でもあった。
民間人の悲鳴を耳にしながら、それでも撃つことを決断できなかった者は身の程をわきまえた。
俺は工事や整備に専念するわと苦笑いを浮かべて誓った。それも大事な仕事の一つだ。
本土からの無線が都合よく封鎖され、小隊規模に分かれた部隊が小さな集落に残るZの影を確認して回った。
佐渡市中心街から始め、大隊規模でのZの殲滅作戦。
ことは実に手早く、二日でおおよその作戦は終了してしまった。後は細かな後詰だけ。
民間人の人々には頼もしい背中を見せて守られたという信頼感を、四千五百の腑抜けには悲鳴で活を入れ、五百の者には――――これといってなにもなく。
陸上自衛隊、第十二旅団団長、大久保利通陸将補は考えていた。
いずれ大事な作戦のとき、うちの旅団は重要な役割を果たすでしょうねぇ。
長岡の油田なんかよりも、ずっとずっと、大事な人達ですよ。
――――狸で狐の最後の仕事がこれで終わった。
官民が同じ方向を向いていれば、話は早かった。
仕切りの壁は、閉じ込めるものではなく、守るためのもの。
監視台と銃を持った歩哨も、見張るものではなく、守るためのもの。
私達には出来ない農作業を、どうか、よろしくお願いいたします。
頭を下げられ、逆に恐縮するのは農家のオジサンオバサン連中だ。
こうして、大久保陸将補は第十二旅団団長の席を降りた。
罪状。虚偽の命令発布により行なわれた佐渡島における民間人への大量殺人。
――――長岡で百万のZに呑み込まれ、Zの身になりながら、あての無い治療薬でも待てば良かったんでしょうかねぇ?
自慢の顎鬚を撫でながら考えてみた。――――それは、ごめんですねぇ。
事実、佐渡島の島民、五万六千のZだが、埠頭という何ら遮蔽物もない平坦な地を選んだからこそ勝てた。
手持ちの銃弾の数が足りず、こっそり海自から弾薬を融通してもらったほどだ。
長岡の油田で百万のZの相手などとてもとても。
英断のように見せかけて、実際は尻をまくって逃げたのだった。単純な弾薬不足が原因だ。
国会では徴兵制の導入を考えているそうだが、その兵士に銃の扱いを覚えさせるための銃弾があるなら、古参の兵士に持たせた方がマシというもの。
米も野菜も弾薬も兵士も、無から生まれてくるわけではない。
伊豆大島に習い佐渡島でも弾薬節約のため、民間人にも竹槍を持っての体操を行なってもらうことになった。
これは軍事演習ではない。あくまで竹を使った新しい健康体操だ。
なにしろ死ななくて済むんだから、これは健康体操に間違いない。
『えい! やあ! 鬼畜米兵!!』
誰かの掛け声で笑いが生じる。
Zが発生した直後、即座に自国民である米軍を帰国させたアメリカへの不信感は根強い。
アメリカの軍人が病気の日本人を射殺するわけにもいかない。だからそれは正しい判断なのだけれど、民間人からすれば見捨てられたというイメージなのだろう。
伊豆大島に続き、佐渡島もこうして小さな平和を手に入れた。
大久保元陸将補は、今日も漁港の端の方で釣り糸を垂れている――――わりと坊主の日が多い。