・五月五日、わかめの日
「え? フグの干物?」
「うん。フグ自身なのか、フグの血をつけただけなのか、とにかく物騒な干物が混ざっているんだよ。これは食べてみるまで見分けがつかない」
嫌な現実だけど、伝えなきゃならなかった。
もはや神奈姉の目分量料理こと、お粥三昧には我慢がならないと、まもりと朱音が干物を焼いている現場に出くわしたので口にせざるを得なかった。
「嫌な、世界なんだね――――」
らしくない感傷的な表情を見せる朱音には、困った顔でほろ苦く、眉と唇を歪めるしかなかった。
自分たちの摘んだ雑草の一本一本。その干草が、他の誰かが生きる役に立っている。
そのことを、彼女達はとてもとても喜んでいたのにな――――。
「田辺くんは、ずっと、こんな世界を見てきたの?」
「――――ずっと、じゃないよ。少なくとも、お家の中は綺麗な世界だった。ありがとう」
「そっか――――」
朱音がボクの胸に飛び込んできて、キュッと抱きしめるものだから反応に困った。
どうして彼女が泣くんだろう?
そして、どうしてまもりが窒息中のコイみたいに口をパクパクと――――。
どちらに反応すれば良いのか解らず、本当に反応に困った。
七対三で、まもりの変顔を指差して爆笑したい気分。三割で朱音を慰めたい気分。
「私達、ここに居ちゃ駄目なのかな?」
「駄目じゃないよ。ただ、他のみんなには、この場所があまりにも羨ましく見えるだけ――――ただ、それだけなんだよ」
「うん。ただ、それだけなんだね……」
でも、朱音のしゃくりあげる涙は止まらず、朱音の頭を撫でて慰めていると、まもりがパクパクの次は地団駄を踏み始めた。
すごく笑いたい。でも、我慢我慢。
それでも二人は強かった。
そういった人達が混じって居ても、自分たちの干草が役に立っていること自身は理解して、干草作りを続けると決めた。
――――女の子は強くて優しいな。
ボクなら完全に取引停止して、近づく者は皆殺し決定なんだけどな。
疑わしきは撃ち殺せ。どうせ誰にもバレないさ。それが世紀末の掟だもの。
◆ ◆
「生存記録、四百日目。五月五日、天候は小雨。記録者名、田辺京也。
四百日祝いって――――微妙だと思います。
一周年が三百六十六日目でしょ? それから三十四日、ちょっと近すぎるんだよね。
百日、二百日、三百日目はお祝いの日だったのに、今日はあんまりお目出度くない気分。
クリスマスと正月の間に誕生日が重なった子供って、毎年こんな気分になるんだろうか?
だとすると、不憫すぎるわぁ。残酷すぎて泣けてくるわぁ……。
今日はアザミさんの回復を祝って貴重なミカンと桃の缶詰を開けた。
やっぱり風邪には果物の缶詰だろうと思ったのだけど、甘味に飢えた宮古ちゃんがジーッと見つめていた。
生唾がゴクリと、テレビでしか見たことの無い飢えた子供の絵。
『宮古も食べる?』
『ううん、お母さんが全部食べて? はやく元気になって?』
――――なんて泣かせる親子愛。
でも、一口運ぶごとに鳴るノドの音。子供は正直だね。
『お母さん、まだこんなに一杯食べられないから、宮古と半分こしようか?』
『――――うん!!』
泣かせる。泣かせる親子愛の劇場でした。
三人娘? 風邪もひいてないのにビタミン類をねだってきたので、仕方が無いからビタミン剤をシートで渡しておいたよ?
ミカン缶よりも桃缶よりもずっと確実に栄養満点だ。みんな、泣いて喜んでいた。
ボクの頬に投げて叩きつけるくらい喜んでた。――――果物の缶詰は病人専用食でしょ?
ビタミン剤、酸っぱくて美味しいのに。たまに苦いけど。
……。
……。
……。
――――朱音が泣いた。泣かせてしまった。干物の処分ミス。かなりの凡ミスだった。
だから、本来ならアザミさんの完治を待って作業するはずの予定を前倒しにした。
一人で船を操り、一人で工具を操る。一人だけではちょっと辛く、危険な作業になる。
いけないことはない。なにせ、海にはぶつかるものがちょっとしか無いから運転が楽だ。
――――朱音に泣かれると、胸が痛い。
――――まもりが暴れると、腹が痛い。
――――それから、久しぶりに怒りを感じた。
他人の懐に手を突っ込もうとする人間。
他人を傷つけてでも、それを奪おうとする人間。
他人の都合よりも自分の都合。言葉で理解しあうことを忘れた人間。
売られたのは戦争だ。生き残るための戦争だ。もう、容赦の必要は無いと決断した。
まもりと朱音を殺されかけたんだ。
――――作業の現場は夜の東京湾。
やっぱり、ボクの手には人殺しの武器よりも、物騒な工具の方が似合っている気がする。
朱音が言ってたボクらしさって――――こういうことなんだろうか?
東京湾にぽっかり浮かんだゴルフ島。
――――なんで、こんなところにゴルフ場があるんだろ?
ここは東京ゲートブリッジに南北を貫かれ、それ以外に本土との繋がりを持たない造成地の離島だ。
つまり、橋の南北を破壊することによって、海賊の皆さんが咽から手が出るほどに欲しい安全な離島が生まれる予定だ。
橋の解体と表現すると、大げさな工事に感じるが、これはそんなに難しい工事ではない。
簡単に言えば、支えとなる金属を切断する。たったそれだけの簡単な工事だ。
もともと巨大な橋とは、梃子の原理で長い板の先にかかる強い加重を、鉄筋などで強引に繋ぎ止めている巨大構造体。
ワイヤーがあればワイヤーを、鉄骨があれば鉄骨を切断してしまえば自分の重さで勝手に崩れ落ちる。
簡単に言うなら、建造物は大きければ大きいほど、実は自重で壊しやすいんだ。
東京タワーなんて、四本足の一本でも折れば、バランス崩して自分から倒れちゃうでしょ?
――――まぁ、記録してても仕方が無い。さっさとこの橋を壊してしまおう」
ヘッドセットを外して記録終了。
橋桁に寄せた船、海上交通警察署から拝借してきた海上パトカー……これはパトシップなの?
船に乗せてきた今回の切断用工具、水道のホースを橋の鉄骨構造に巻きつけた。
中身はアルミと酸化鉄の混合粉末。
男子憧れの金属切断法。サーマイト法。別名はテルミット反応だ。
どんな鋼材を使ったとしても、千二百度を超えてしまえば融点を超えて液状化してしまう。
液体の鉄では橋は支えられない。テルミット反応は二千度を越える。理論上は完璧だ。
巨大な橋というのは建築工学、応用力学の芸術的な産物である。
そのために、一箇所に歪みが発生すれば全体にその影響が波及するものだ。
巨大ビルは一階部分の支柱を破壊すれば、上層階の重量がそのままビルの崩壊を手助けしてくれる。
橋の場合はその長さだ。梃子の原理で解るように、岸や橋桁から離れるほどにその加重は増す。
縦だろうが横だろうが、建造物は大きく複雑なほどに脆くて壊しやすい。
支えを増やすほど重量は増し、工費も上がるし、工期も延びる。
だから建築工学と応用力学を駆使して芸術的に安上がりにした結果、壊しやすいんだよね。
工具のキャリバー50に曳光弾を装填し、鉄骨に巻き付けたゴムホースを狙って発射。
――――ふっ、はずれだ。運の良い奴め。
もう一度、発射。もう一度。もう一度。さぁ、もう一度だ!!
――――あのさぁ、この銃さぁ、反動が強すぎると思うんだよねぇ?
波で揺れる船の上から50m先のゴムホースに当てるとか出来るわけがないと思わない?
有効射程が2000メートルとか嘘だよ嘘。たぶん、本社からリコール掛かってるよ、この工具。
泣く泣く、もう一度橋桁を上り、軽油の入ったポリタンクを的として鎮座。
工具のキャリバー50に曳光弾を装填し、発射。発射。発射。発射。発射。
――――ふっ、命中だ。ボクの銃口から逃れられる獲物なんて居ないんだよ。命中するまで撃つからね?
爆発するように飛散した燃え盛る軽油がゴムホースに着火、そのままテルミット反応により二千度の金属熱流に変わった。
溶断法。高熱に融かされ、切断された鋼材が自重に耐え切れずにねじれはじめる。
橋全体が横方向にねじれ、ねじれ、ねじれ、そして、ついに横倒しになりポキリと折れた。
キャリバー50による工事音に文句を言いに来たZさん達も巻き込む不幸な崩落事故でした。
最初の一射目で直撃させていれば、こんなことにはならなかったというのに……反省。
こうして、南側の橋を落とした後は北側の橋だ。
北側の橋に回って見たところ、南側とは同じ橋とは思えないくらいに昔ながらの橋だった。
一言で言えば、短い橋で単純な構造。昭和の橋だ。つまり、むしろ壊しにくい。
有名な話だけれど、アスファルトはガソリンなどの絞りかすから作られる重油の一種である。
とはいえ、実際にアスファルトのみで道路が作られる訳ではなく、砂利やその他のものも混ぜて作られる。
アスファルトは砂利のつなぎ成分だ。二八蕎麦で言うところの二。うどん粉のつなぎ成分にあたる。
標準的な路面の成分は、砂利などが9。アスファルトが1。
だけど油は油。熱すればちゃんと燃える。そして繋ぎを失った砂利は道路ではなくただの砂利にも戻る。
ペットボトルに、軽油、灯油、ガソリンの混合油を入れて投合。
橋の下からでも、その橋の上に乗せるくらいは――――ポチャン!
あ、今のは練習だから。
二十リットルのポリタンクを橋の下から橋の上に投げられる怪力をボクは持っていない。
ボクは、スーパーマンじゃない。まもりじゃないんだよ。
健気でひ弱なプレッパーだ。卑怯、卑劣、引き篭もりが売りのプレッパーだ。
適当に油をペットボトルで道路に撒き、適当に発炎筒に火を付け、適当に橋の上に放り投げる。
混合油に火がついて、次に熱せられたアスファルトが糊の役割を忘れ始めた。
煌々と燃え盛る炎。――――だけど、今回の主役はキミじゃないんだよね。
羽田空港の火祭りへ参加できなかったZくん達が、花火大会よろしく橋に詰め掛けて、橋の上を埋め尽くしていく。
ボクはただひたすらに橋の上に油を投げ続ける。加油! 加油!
その声援にあわせ、Zくん達もただひたすらに橋の上に集り重量を高めていく。
やがて、みんなの熱気に鉄筋が融け始め、重なり合ったZくんの重量に耐えかね、自然の成り行きとして橋は崩落。これもまた、いたましい事故でした。
――――あとのZくん達の片付けは、海賊様達ご自身達の手でやってもらおう。
さらにその後のことは、しーらない。