・五月二日、緑茶の日
「おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん!!」
宮古ちゃんが出会い頭にしがみ付いて、大きく泣き出した。
――――うん、Zちゃんの姿そのものだね。なんで子供はハムハムするんだろう?
アザミさんは疲れ果ててるだろうに、宮古ちゃんの頭を撫でて慰めてる。
こんなときでも娘が優先なのかぁ。母親ってのは大変なんだなぁ。
――――うちの母さんとは大違いだ。
朱音が一緒に涙ぐんでいたので頭を撫でて慰めてみたら、一瞬で距離をとられた。逃げられた。
――――心、微妙どころじゃなくて傷つくわ。もしかして、鼻毛が出てたからですか?
少しは、身だしなみにも気を使おうかなぁ? ……あはは。
◆ ◆
昼過ぎに、またしても御来客。
なに? このD滑走路は東京湾の海路の一部か何かなの?
「食べ物と燃料をください」
――――そうですか、自分で勝手に盗って来てください。
羽田空港ならすぐそこですよ? 多摩川の対岸にも石油コンビナートがありますし。
銃口を向けられたので、即座に手榴弾一ヶで交渉成立。
昔の漫画にダイナマイト漁というものがあったけど、手榴弾でも漁は出来るものらしい。
つまり手榴弾は工具ではなく、漁具なんだね。新しい知識になった。
――――手榴弾で壊せるものって、実はあんまりなかったんだよね。
映画だと手榴弾一つで家一件とか吹き飛ばしてたのにさぁ。
実際はなんだか、もの凄く残念な破壊力しか無かったんだよねぇ……。
ゴム製品もそうだったけれど、自分が困っていたらなら他人が助けてくれる。
それをまだ当然のことだと思い込んでいる人たちが多い。
――――未だに、一年前の常識を引き摺っている人が多いみたいだ。
いまはもう、他人を助ける方法は身を削るしか無い時代になったのに。
ボクはね、誰かのお腹が減ってたら、顔を引き千切って与えられる器用な身体はして無いんだよ。
リアルだとグロテスクでしょ? あと、カニバリズムは嫌でしょ?
食べ物は手榴弾で水揚げた。これだけでも十分で良心的なサービスだと思う。
あとは、それを食べて、お腹を満たして、体力つけて、お願いだから自力で頑張ってください。
あ、燃料は上げられませんけど、魚を焼くための干草ならあげられます。
――――ホントはさ。一年前と今の世界って、まったく変わりがないんだよね……。
一年前。道端で身なりの良い誰かが倒れていたなら、そりゃ救急車の一つも呼んだよね?
でもさ、道端でどこかの汚いオジサンが飢え死にしそうになってても、何もしなかったでしょ?
自分の生活費の詰まった財布を握らせたこと、ある? ないよね?
ボクもさ、自分の生活費の詰まった財布を、握らせる気にはならないんだよ。お互い様。
ちなみに、羽田空港内のガソリンスタンドですが、フルサービスのスタンドでした。
なので、どうすれば給油できるのかボクにも解りませんでしたとさ。鍵とか何処にあるんだろ?
セルフのガソリンスタンドちゃん、あの時は守銭奴だなんて文句を言ってごめんね?
金さえ払えば人を選ばず給油してくれた。キミは本当に優しい子だったよ。
ガソリンスタンドでのバイト経験を尋ねてみたけれど、無かった。
船の操縦経験があるのか聞いてみたけど、無かった。
なので、あとは彼等の運と実力に全てを任せることにした。
一食分のご飯はさっき用意した。すぐに無くなっちゃったけどさ。
空港の方で銃声が何発か響いて、次に乱射になって、弾切れになったんだろう。無音になった。
人の悲鳴は銃声よりも小さくて、これだけ遠くなら聞こえないみたいだ。
盗み働きするなら夜を待つ、そのくらいの時間の余裕はあったと思うんだけどな。
自衛官の船頭を失った漁船は、チャプチャプと遠く小さく流れていった。
東京湾にも潮の流れはある。東京湾にも風の流れはある。
放っておけば、全てはどこかに流されていく。
どんな顔をしたって、どんな声をあげたって、全てはどこかに流されていくんだよ。
……。
……。
……。
白湯が、日本のお土産、空港土産のおかげで玉露になった。
それもティーパックという実にありがたくもあり、ありがたみを感じさせない形状のジャパン製品。急須が要らなくて便利だけどさ、風情ってものが……。
「京也くん、お魚釣れたー?」
「うん、沢山釣れたよ」――――手榴弾で。
「でも、バケツの中にお魚が居ないよ?」
「あげちゃったんだ。おなかが空いてた人達に」
「そっか、優しいね。京也くん、偉い偉い」
宮古ちゃんが頭を撫で撫でしてくれた。これはポッしろって合図なのかな?
ホッとはするから、もっと撫でて?
実際は縄で網を作った方が漁獲高はあるんだろうけど、そこまでボクらは飢えてない。
馬場さんなんて、釣り竿一本で一年を生き延びたと笑ってたからね。
ボクもそれにあやかって、ボウガン一丁で獲ったジョナサンを一羽、神奈姉に渡しておいた。
今日の夕ご飯が楽しみだな。鳥五目飯ってあったけど、鳥しかない場合は鳥一目飯なんだろうか?
しかし、なぜ皆が皆、燃料を欲しがるんだろう?
オールと釣竿があれば、この母なる海の上で生きていけるのにさ。
それを欲しがるなら、空港土産でちゃんと用意をしてあるのにな――――。
◆ ◆
「生存記録、三百九十七日目。五月二日、天候は晴れ。記録者名、田辺京也。
夕食は、またお粥と缶詰だった。真っ白なご飯が恋しいです。
滑走路の端っこに、カモメのジョナサンのお墓が立てられていた。
――――神奈姉、日本人は食べることが供養に繋がるんじゃなかったの?
今日は、滑走路から最も近い建物から電気の配線を引っ張ってきた。
行きがけの駄賃に、従業員用の小型冷蔵庫も失敬してきた。
冷蔵庫は重たいイメージがあるけれど、実際はそれほど重いものじゃない。
200リットル程度のものなら、たかだか50kg程度。建材Zと変わりない重さだ。まもり一匹より軽い。
やっぱり、冷蔵庫の唸り声は文明開化の音がしてとても良いなぁ。
社会人なら体調管理も仕事のうちだから、今日は休もうと思った。
毎日終電までサービス残業させながら口にされそうな社訓だけれど、確かにそうだ。
今日は終日休日だ。なにもしないぞと心に決めていたのに、それでも電気工事を終わらせてしまうボクは仕事病なんだろうか?
――――嘘です。最低でも氷嚢のための氷と冷水が欲しかったんです。
宮古ちゃんが心配するからって、無理をおしてアザミさんと滑走路の自宅に帰ってきてしまった。
――――ウチは我侭なお姫様ばかりで大変だよ。
たった一日、ボクが留守にしている間にも来客があったらしい。
その恫喝は銃声まじりで、朱音にとってかなり恐ろしい夜だったそうだ。
でも、耐え切った。――――悲鳴をあげることなく、宮古ちゃんを一晩ハムハムして耐え切った。
おかげで、なんだか宮古ちゃんから逃げられている。よだれって結構臭いもんね。
東京湾を西側沿いに南下してくると、自然の流れとして、この羽田空港に辿りつく。
陸地から離れるのは怖いからと岸辺を移動してくると、この滑走路にぶつかる。
そういう理由で、お客さんが多いようだ。
まずは強請り、断ると、次は銃口を向けての強請り。
そこで危険な強盗さんには84mm無反動砲の砲口を向けることでお帰り願った。
バズーカ砲って、その見た目が怖くて良いよね。
あ、これは勝てないぞって一瞬で理解できちゃうイメージがあって助かる。
――――銃口を向けた時点で、話し合いなんて無い。話し合いの余地も無い。
人質が居るからこそ、包囲されている~なんて口にするんだ。人質が居ないなら即射殺だよ?
漁師――――だった人達は、わりと話が通じて助かる。
余ってたら真水をくれん?
釣り糸に使えそうなテグスとかない?
網を直すのに使えそうな縄とかあると助かるんだけど?
彼等は小さな離島を中心として、海の上での共同生活を送っているそうだ。
Zちゃん。走るのは早くても、泳ぐのは苦手らしい。そのうちにふやけて魚の餌だそうだ。
大人でも泳げない人って多いからね。数日も水に使っていれば肌もふやけちゃうよね。
そんな平和の海に飛び出してきたのが自衛隊という名の海賊団。
『伊豆大島へ避難させてやる』を謳い文句にして漁船に乗り込んでくるそうだ。
どうみても海の素人ばかり、誘いを断ると銃を突きつけられるため困ったものらしい。
そこで、今日獲れた魚となけなしの燃料を手放して、お引取りを願っているそうな。
『――――ガソリンの船に、お望みどおり重油入れて海に流してやったわ。
大島に行きたければ自分たちで勝手に行く。このアホどもが』
だ、そうですよ?
うん、海の男たちは怒らせると怖いね。
陸の上ではプロフェッショナルな陸自の方々も、海ではアマチュアどころかズブの素人さまだ。
『銃を持ってるからって偉そうに。頭ごなしに命令しやがって、何様のつもりだあいつ等は――――俺達を見捨てたくせによ!!』と息巻いておりました。
なるほど、馬場さんがWACのお嬢さんがたを見下していたわけだ。
基本的に皆、プライドが高い人達ばかりで気が荒い。海の男って感じだね。
まさしく海の男なんだけどね。
そんな人達が数千から一万少々、ドッコイ東京湾内で生きておりました。
Zが現れても、江戸っ子はそれなりに逞しく生きておりましたとさ、まる」
ヘッドセットを外して記録終了。
可能や不可能は別として、最後まで任務の遂行に従事したい気持ちは理解できる。
でも達成不可能な任務を前にしたとき、心が溺れて藁を掴んだ。
彼らに与えられた最後の任務が、心の最後の拠り所だったんだろう。
たとえ、強盗に成り下がったとしても達成するべき任務、か――――それはボクもだよ?
銃口を向ける前に御免なさいの一言が口にできたらなぁ。
大島への逃亡を諦めて、皆で謝って、漁師になっちゃ駄目だったのかな?
それじゃあ任務放棄だから駄目なんだろうなぁ。
うちの神奈姉はジョナサンを放棄しちゃうくらいなのに――――命が勿体無い。
まさか、お魚も目玉がついてたら調理できないってことないよね?