・四月三十日、ヴァルプルギスの夜
時間が無い。即時、行動開始。
ポリタンクに満載したガソリンを数珠繋ぎに抱えたまま、ボートの動力で向こう岸へ渡る。
一回につき二十個。計五回の往復で百。渡った後は綱引きの要領で岸に水揚げだ。
滑走路上にもZの影はチラホラと、だけど、向こうにボクの姿が見えてる訳じゃないだろう。
赤外線スコープではなく、自衛隊が放棄していった暗視装置を装備したボクよりもZの視力が良いとは思えない。
ガソリン満載のポリタンク、一つあたりは20kg程度だけれど、数が揃えば流石に重いな。
でも、たったの100個だ。キャリアーを使えば一度に100kg、五つは運べる。
一度の運搬量は五個、計20往復か。
まぁ、静かにやれないことも無い。そんなことより時間との勝負だ。
ガソリンのポリタンク、総重量2トンを半径100mの円周上に走りながら設置して回る。
Zが知性化したといっても、完全に何も無いところには集まらないようだ。
滑走路と滑走路の交わる巨大な交差点でも、飛行機の無い飛行場では何にも交差はしちゃいない。
むしろ、頭の良いZ達はLEDの光が眩しい空港ターミナル内にミッチリと詰まって寛いでらっしゃる。
こうしてみると、知性化してないZの方が無意味なところでうろついていた気がする。
中途半端に頭が良くなったお蔭、作業が進んで助かるよ。
羽田空港、メインテナンスセンター。飛行機のメンテナンスを行なう場所だ。
羽田空港、国内線ターミナル。国内便の離発着を待つ日本の空の玄関口。
羽田空港、国際線ターミナル。国外便の離発着を待つ日本の空の玄関口。
三つの明かりは未だに煌々と、そして、その内部には多くのZの姿が見える。
多くというより膨大だ。千か万か、解らないけど相当の量。
――――ここに避難して、パンデミックに遭遇した人々の成れの果てなんだろうか?
それにしては数が多すぎる気もするな。
ちなみに、よくものの例えに出される東京ドーム。実は半径100mの円に収まる構造だ。
それでいて観客席の収容人数は五万人ときたものだ。グラウンドを使えるならもっとだろう。
全員が立ち見客なら、さらに相当量が納まるだろうさ。ねぇ、Z?
ポリタンクの設置完了、ついでユニットA起動。大音量で流しだされる赤ちゃんの鳴き声。
赤ちゃんてのはどうして貰い泣きが大好きなんだろうね?
知性化したのかしていないのか、メインテナンスセンター、国内線ターミナル、国際線ターミナル、羽田空港の主要三施設からZの群れが全力で走って目指す姿が見える。
「千は居るな。……万も居るな。……あぁ、こんな埠頭で光が燦々と輝いてるから、日毎夜毎にZ達が集まる名所になってたのか。避難者の数だけじゃ無かったんだな」
これだけのZの波となると、正確な数はサッパリだ。
数万から十数万、下手をするなら数十万――――どうでもいいさ。
ガラス張りの空港や関連施設内部に異常な数のZが詰まってるとは思ってたけれど、まさかここまでとはなぁ。
これはさすがに忍び込めないね。――――見た瞬間に諦めた。
あとは、ユニットAの泣き声が、ターミナル内部のZを屋外におびき出すのをただ待つだけだ。
集まりに集まったところを一網打尽。超絶に簡単なお仕事です。
えぇ、ほんとに、とてもお仕事は簡単ですよ。誰か代わりに殺りません?
設置した燃料は2トン。彼等自身の体毛、油に洋服その他。
最近はメタボも社会現象の一つですから、盛大に燃え散ってくれると助かりますね。
着火剤には87式対戦車誘導弾 MMAT。有効射程は2kmだと言うけれど、戦車に穴を開けられるんだ、ガソリンに火を着ける位の芸当はしてくれるんだろ?
深呼吸を、一つ、二つ、三つ……十を数えて瞼を開く。
――――まだ、Zが集っている途中だ、気が早い。落ち着け。
――――十一、十二、十三、十四、十五、十六、十七……。
◆ ◆
「生存記録、三百九十五日目。四月三十日、天候は晴れ。記録者名、田辺京也。
――――アザミさんの呼吸音が妙だ。
咳の音もおかしい。肺炎の可能性がある。海水が肺に入ったおそれ。
クラリスなんて気休めの抗生物質じゃ無駄だ。
ちゃんとした治療設備が必要になる。
経口摂取も気管支炎により吐き戻して不可能。これじゃあ肺に入るかもしれない。
脱水症状も酷く、最低でも輸液が無いと身体が持たない。
治療可能な設備は――――どっちも国内線ターミナル内だ。
あぁ、Z満載のお家のなかだよ、こん畜生が!!」
ボクはヘッドセットを毟り取った――――。
◆ ◆
レーザー誘導に従って、飛翔体の対戦車ミサイルがガソリン満載のポリタンクを爆破。
気化、飛散した燃え盛るガソリンが次のタンクを燃焼、爆破。
途切れた爆破の数珠も、Zの焼けた着衣が過熱し再点火、加熱、気化、爆破。
ガソリンの熱量とZの毛髪、衣服、脂が加わり、半径100m内部を焼き尽くす。
豪炎は高々と燃え盛り、ちゃんとZ達の心を魅了しているようだ。
Zさん達、あんまり近くで強い炎を見つめ続けてると危険ですよ?
火には輻射熱ってものがあって、見つめすぎると目を焦がすんです。最悪、失明しちゃうんですよ?
あぁ、言わんこっちゃ無い。目が見えなくなった足取りで、フラフラと火の中に……。
だけど、ボクは綺麗な火祭り、ヴァルプルギスの夜に見とれているZさんほど暇ではないのです。
アザミさんをボートに載せて東回り、炎の位置とは逆回り。
お祭り騒ぎに乗じ、こっそりと国内線ターミナルに忍び込ませてもらいますね?
日々、走り回って疲れてるのは自分だけ、そう思ってたのは思い上がりだった。
日々、アザミさんだって、ボクに付き合い無茶を繰り返していたんだよ。
毎回、道を間違えるくらいに前後不覚の状態になりながら、それでも付き合ってくれていたんだよ。
彼女は地図が読めなかったんじゃない――――ただ、疲れていたんだ!!
アザミさんが大人だからと、ボクが甘えすぎてた。
アザミさんは大人で、母親で、か弱い一人の、女性だよ。
一年間駆けずり回ってたボクと同列に無茶の出来る身体じゃなかったんだ。
間違えた――――。
油断した――――。
あの勘違い女は――――。
最初から沈めてやれば良かったんだ――――。
あんな三文芝居に命を張って、馬鹿じゃないのかアンタはホントに!!
――――あぁ、もう、間に合ってくれよ!! チクショウ!!
◆ ◆
大きな炎の反対側。強い光の影になる方角から空港の中に飛び込んだ。
京也がアザミさんの手当てをしている間、私は診療所の外の見張りを続けている。
だけど、Z達は私達には眼もくれず、死を叫び続ける大きな炎に向かって走り去っていく。
そうして大きな炎を見つめていると、やがてボーっとしたようにフラフラと炎の中に消えていく……。
あれ? Zは火を恐れるんじゃなかったの?
『巨大な炎の輻射熱だよ。水晶体や網膜が濁っちゃえばZだって火の避けようがないでしょ?』
……これじゃ見張っている方が、むしろ見つかっちゃうんじゃないの?
京也の手で、アザミさんの細い腕に点滴の針が刺された。見てるだけで痛そう。
――――じゃなくて、どうして注射なんて出来るのよ?
『注射器を購入するのは別に違法じゃないからね。緊急時のために針を刺す自主トレはプレッパーになりたいなら必須科目だよ?』
……うん、それは生涯なりたくないわ。
昔から妙に肘の内側に絆創膏が多いと思ったら……自分で自分に注射する小学生が居るか!! 普通、注射されたくなくて泣きわめく方でしょうに!!
カーテンやブラインドを閉め、懐中電灯の明かり一つの作業なのに京也は機敏に動いていた。
むしろ、懐中電灯一つの中で作業することに慣れきっているみたいだった。
めまぐるしく動きながら、アザミさんの頭部、首筋、脇には氷嚢を、身体には毛布を掛けて寝かしつけている。
宮古ちゃんは朱音ちゃんが預かったままだ。アザミさんを心配してついてこようとして泣いていた。
お姉ちゃんは私と一緒に京也に指示された荷物を持ってついてきている。
今は静かにバリケードを作ってるところ。最悪、十秒持てばいい。京也はそう言った。
静かに、音を立てず、ゆっくりと机なんかを立て掛けて、簡単なバリケードを作っている。
でも、必要なさそう。Z達は自らの足で炎に向かって、そして飛び込んでいってしまっている。
火に魅せられ、近づき、目を焼いて、飛び込む。
その繰り返しに……私の目の方が耐えられなかった。
――――人の姿をしたものが、どんどんと炎の渦に溶けていく。
『とりあえず、今、出来ることはした。出来ることしか出来なかった。
あとは、アザミさんの体力次第だよ。どうにか……もって欲しい』
当たり前のことだけど、京也はお医者さんじゃない。
だから聞きかじりのような情報を継ぎ接ぎして、なんとか必死になって足掻いてた。
今この瞬間も、空港内の無線接続のインターネットを使って、他に出来ることは無いか調べている。
診療所の冷蔵庫にしまわれた薬品の名前を検索しては、その効用を調べて回っていた。
五分おき、三分おきにアザミさんの体温を測って氷嚢の位置を変え、めまぐるしく動き回っている。もう、それくらいしか出来ることがないんだろう。
あ、京也、メール着てるみたいだけど?
『ごめん、忙しい。代わりに読んどいて?』
――――私が読んでも仕方がないと思うんだけど?
こんな世界になっても、まだ通販の勧誘メールが届くのって不思議。
もしかして注文すれば届けてくれるのかな? それは気合の入った通販屋さんだ。
そんなことトボケタことを考えながら、京也のメールをチェック……ちょっと他人の日記を覗き見てるような罪悪感。
葉山さんからのメールが届いていた。
どうやら葉山さんの中では京也が自己献身的な精神を発揮して、自宅と運命を共にしたことになっているみたい。
それは、ちょっと笑え……ないか。だって、今がまさにそうなんだもの。
――――これが、アザミさんじゃなくて私でも、こんなに必死に――――なるに決まってる。
それが京也だ馬鹿野郎。優しくするなら誰か一人に決め――――お姉ちゃんだけになっちゃうか。
昔から八方美人でどっちつかずで、その癖、お姉ちゃんにだけはベッタリ甘えて……やっぱり京也は甘えさせてくれる年上がタイプなのかなぁ?
葉山さんのメールを読み進めていく。
京也へのメールというよりも、葉山さん自身の近況報告。まるで日記のようになっていった。
『To 天国の田辺さんへ』
このメール、後で相当からかわれるんじゃ?
なんて思ってたら、一つの動画ファイルが送られてきていた。
送り主は、エリカ=ハイデルマン……えーっと、これは男の人かな? 女の人かな?
私はそれが気になり、ついつい、その動画ファイルを開いてしまった。