・四月二十九日、昭和の日
「生存記録、三百九十四日目。四月二十九日、天候は曇り。記録者名、田辺京也。
アザミさんが風邪をひいた。
とても寒そうにしていたので肌と肌、人肌同士で温めあおうとして、まもりに殴られ――――。
――――今日は、冗談に冴えが無いな。
昨日、出航した漁船は無事に辿り付いたのだろうか?
まさか、アザミさんと二人で三文芝居に打って出るとは思わなかった。
引き止めることも出来た。だけど、その必要性も感じなかった。
この雨の中に船を出して死にたければ、死ね。助けたいものを殺したければ、殺せ。
いっそ転覆して死ねばいいとすら思った。
でも、馬場さんはきっと、伊豆大島まで届けちゃうんだろうな。
やっぱり、どこか、心のどこかがおかしくなり始めているのかもしれない。
WACの彼女達。その命がどうなろうと、どうでもいい、そんな気しかしない。
いつまでボクはボクのままで居られるんだろうか?
ボクの泣き言を聞いてくれていた、母さんももう居ない。
宮古ちゃんのヌイグルミのように、母さんの骨壷を抱きしめて、泣き言を口に出来た日々はもう来ない。
家を捨てる。そう決めたとき、家族も捨てる。そう決めたはずだよ?
――――未練がましい。男らしくない奴だ。
ボクは無力だ。
Zの群れをなぎ倒す特別な力なんて持ってない。Zを治療する科学技術も持ってない。
出来ることといえばコソ泥だけ。卑怯な方法で一方的にZに感染した人たちを殺せるだけ。
――――ほんとはさ、ボクは何にもできないんだよ?
溜め込んだ物資をチマチマと消費して、誰かが何とかしてくれる、その日を待つことしかできないんだよ?
なのに、みんなが勘違いしてる。ボクなら何とかしてくれるんじゃないかって。
そんなことないんだよ? ボクは十六歳。学歴で言うなら中学二年生で止まったっきりだ。
――――そんなボクから燃料と物資を恵んでもらう? 銃を向けて? 大した自衛官様だよまったく。
父さんと二人、山奥の穴倉で十年を過ごすつもりが、大きく計算狂っちゃった。
なんだか、疲れちゃったな。めんどうくさいや。
今日は、D滑走路に電気の線を引き込む工事の予定。
あぁ、お風呂場も用意して欲しいって言われてたっけ。
うちのお姫様方は、本当に我侭でいらっしゃる。
――――たまにはお姫様にも頑張ってもらおうかな?」
◆ ◆
電気のコンセント。
その中身はあまり見かけるものではないけれど、実はとても単純な構造をしている。
電気を通す銅の芯に、その周囲には絶縁体。これを二本組み合わせれば電源ケーブルの完成だ。
そしてそんな感じのコードなら、放置車両の中には売れるほどあった。
どうせ雨の中でやることが無いからと、あまり重要性の高くなさそうな車両からケーブル類を頂いて、チマチマチマチマと銅線を結ぶ内職作業。
実はヘッドホンのコードですら理論上は電源ケーブルになる。テレビのケーブルですらもだ。
とにかく金属の糸が詰まったケーブルなら何だって良かった。
車の内装を強引に破り捨て、車内に張り巡らされた配線を剥ぎ取り、繋げ、絶縁テープで防水加工する。
車内の電灯から、カーステレオ、ヘッドライトにもテールランプにも電気は使われている。
つまり、車の金属板の一枚下は電気信号を通すためのコードの束で一杯なんだ。
これがなけばパワーウィンドーだって手動ウィンドーになる。
父さんが昔は手動だったんだぞ、なんてことを言ってたなぁと思いだしながら作業を続けた。
手動部分の手回しハンドルを発電機にしておけば、イザというときに役立ちそうなのに、なぜ廃れた?
こんな面倒くさい作業、お姫様達にやらせれば良いのにね。
『――――で、せっかくのケーブルを雑な作業で駄目にするのかい?』
自問自答の末、結局は自分が作業を行うはめになる。
自分だけが余りに出来すぎるものだから、割り振れる作業が無いというのも考えものだね。
少しずつ、覚えていってもらおう。もう、自宅のように全てが完備じゃないんだから。
風邪で倒れたアザミさんの傍には、神奈姉と宮古ちゃんが付き添っている。
まもりと朱音には、お風呂が欲しいというなら自分で作れと言ってみたが、どうなることやら?
◆ ◆
天井からバナナが一本ぶら下がっています。そこにお猿が二匹と棒が一本。
それからドラム缶と一斗缶、コンクリートブロックに板材や布切れ。工具類。ホースやブルーシートまで必要なものはちゃんと用意したました。
では、これらを使って完璧なお風呂を作りましょう。
「ドラム缶は……湯船よね?」
「コンクリートブロックは?」
「……京也? ちょっと京也?」
「ごめん、今、内職に忙しい。それくらい自分達で考えて作って」
猿に棒を与えてみた初めての研究者の気持ちがわかった。これはかなり楽しい。
海風を遮られるように、四方をバスのような大きな車両で囲み、ブルーシートで覆われた天井の下、二匹のたぶん女子高生が悩んでいた。
チマチマと電源コードを600m分、それも二本で1200mを接続する間、暇つぶしを楽しむための知育ゲーム。
ウキーウキーと二匹が頑張っているうちに、どうやらコンクリートブロックの上にドラム缶を置くところまでは解ったようだ。
ただ、その先で悩んでいた。
一生懸命、外からクーラーボックスの水を運び、二人がかりで水張りを試みたらしい。
ただこのドラム缶という文明の産物。ただものではない。
その包容力は逞しく、内容量は200リットルを超える。
つまり水を容器一杯に張るだけで200kgを運ばなければならない。
参考までに一般的な浴槽も200リットルほどの容積なので、自宅のお風呂場をみると大体の大きさが理解できるだろう。
ドラム缶をブロックの上に設置。
えっちらおっちら雨に濡れながら、40リットルの雨水入りクーラーボックスを運んできた二匹がドラム缶を前にして挫折した。
彼女達は、いつしかテレビで見たドラム缶風呂の再現を想像していたのだろう。
だがしかし、そもそもドラム缶とは液体を封入するための容器である。
つまり、都合よくポッカリと口が空いているわけではないのだ。
上面の蓋が開放されたドラム缶の方が圧倒的に数は少ない。それは古くなったドラム缶の再利用だ。
「ね~え、田辺く~ん?」
「あ、ごめんね。今、忙しいんだ。ブヨ腹さん」
「それ初めての呼ばれ方だわよ!!」
「まぁまぁ、気にしない気にしない、ブヨ腹ちゃんは私の親友だよ?」
「親友がそんなこと言うかな~? それはホントに親友なのかな~? このシックスパッド」
「そこまで割れてない!!」
ムキームキーと二匹で喧嘩してるくらいなら風呂作りと向き合ってくれないかな、ホント。
用意した工具の中から使えそうなものを二匹は選び出したようだ。
ノミ、そして木槌。その気合の入った匠のいでたちに京也は思わず言葉と息を呑んだ。
ちなみにドラム缶は缶である。なので、専用の缶切りが普通に存在する。
ちゃんと工具の中には缶切りも用意してあったんだけどなぁと考えながら、二人のやる気に水を挿すのも悪いと思い、口を慎んだ。楽しそうだったから。
ガンガンと原始的に殴りつける二匹の雌猿。
徐々に、徐々にだが、確実にドラム缶には穴が開いていく。
この調子ならきっと、昼までにはギザギザな穴が開くことだろう。
ガンガンガンバレ。
◆ ◆
アザミさんの体調も考えて昼はお粥。そろそろご飯が恋しい。
ご飯が恋しいのであって、芯の残った米粒は恋しくない。神奈姉の目分量料理の成長に期待する。
江戸の昔には一日二食だったというが、労働者は三食だったらしいので、皆で食べた。
アザミさんの容態を見舞って――――神奈姉の下着姿に出くわし、宮古ちゃんのヌイグルミを投げつけられた。
このクロ二号の中では、下着姿の肌も露なアザミさんと神奈姉がくんずほぐれつ熱交換……いかんいかん、うっかりと歩けなくなるところだった。
その頃、ドラム缶に穴を開け終わった二匹のお猿は更なる絶望と戦っていた。
ドラム缶とは元々、油類などを封入するもの。内部の油汚れが酷く、雨の中、ワッシワッシとデッキブラシで磨いていた。
オイルだって油汚れなんだから洗剤を使えばいいのになぁ。そう思いながらも、彼女達の鬼気迫る表情に口を慎んだ。
彼女達のやる気を削ぐような非情な真似、ボクには出来ないよ。
満足行くまでブラシがけを行ったあとは、コンクリートブロックの上にドラム缶を再設置。
再度の水張り。計200kgを二人がかりで流し込んでハイタッチ。
なんだ、やっぱり仲が良いんじゃないか。
安心したのも束の間、今度はブロックの下に熱源を仕込む方法が解らないようだ。
コンクリートブロックの寸法は15x19x39センチ、縦長にして置いた場合で39センチである。
傍には一斗缶、焚き火に使うイメージのある一斗缶。
ちなみに一斗缶の丈は高さが35センチである。
もはや口にするまでも無い一般常識だが、一斗缶とは液体を封入するための容器であり、都合よく上面に大きな口が開いているということは無い。
二匹がその手にノミと木槌を持ち直し、ガンガンとリズミカルな音を立て始めた。
一斗缶にも専用の缶切りがあるんだけどなぁ……。
二人の熱意に水を挿すのも悪いと思い、黙して語らない。ちゃんと空気を読んだ。
コンクリートブロックを縦に積み直すため、泣く泣くドラム缶から排水。
コンクリートブロックの一番長い辺を使ってドラム缶を設置しなおし、三度の給水。
一斗缶に灯油を注ぎ、着火を試みるが失敗。
油が満載でも、芯がなければ簡単に火はつかないものだ。
液体の全面に熱が吸収されて発火点まで辿り付かないからだ。
そこは仕方が無いし危険なので、知恵を貸し、一斗缶に芯となる布材を入れると簡単に火がついた。
文明の火が灯ったことに、キャッキャと喜ぶ二匹がズズズイっとドラム缶の下に一途缶の焚き火を押し込んだ。
後はドラム缶の中の水が、一斗缶の焚き火で煮立ってお湯になるのを待つだけ。
――――なのだが、待てど暮らせどお湯になる気配が無い。
ブロックの高さが39センチ、一斗缶の高さが35センチ。
酸素吸入のための隙間が4センチしか無いなら、そりゃ酸欠で消火されるよなぁ――――。
そう思いながら不思議がる二人を眺めつつ、京也はチマチマと内職を続け……。
「京也!! 作って!! お風呂!!」
「田辺くん!! 作って!! お風呂!!」
――――二匹のお猿さんにはこの知育玩具、少々難易度が高すぎたみたいです。
まず、二匹が苦労して運んできた水を放り出します。
次に、コンクリートブロックを平らに並べ直し、その真ん中に開けた空間に布材を置きます。
ドラム缶をブロックの上に置いて、四方のバスの屋根に設置したクーラーボックスに溜まった雨水からホースを使って200リットルを給水。
無理に外から運ばなくっても、ホースの先を少しだけ吸えば後は自動で水は上から下に……サイフォンの原理って知らない?
あぁ、知らない。車からガソリンを抜いたりする方法なんだけどね。
最後に一斗缶の側面に穴を開け、ポタポタと、こぼれた油が布材に染み込む様に設置します。
布に火を着けます。お湯になったらかき混ぜましょう。終わり。
あぁ、そうだ、入浴中に油が足りないなと思った場合は、備え付けの灯油を一斗缶に注げば自動で再加熱されるから――――。
なぜだろう? 二人にペシペシと叩かれた。
グーでないだけマシだが、意外とグーよりもスナップの利いたパーの方が痛かったりするんだよね。鞭で叩かれたみたいでさ。地味に痛いよ。
◆ ◆
「まもりおねーちゃんも朱音おねーちゃんも凄いねー、お風呂だよ? 二人だけでお風呂作ったんだよ?」
うんうん、凄い凄い。その面の皮の厚さが。
ボクが想定していたものは、水蒸気式湯沸かし器。
板材とシリコン剤、それからブルーシートで湯船を作り、そこに外部熱源としてドラム缶の湯沸かし器を用意するつもりだったのだけど、なぜかゴエモン風呂になってしまった。
……まぁ、お姫様二人が初めて頑張ったんだ。
ボクも頑張らないとな、ギザギザなドラム缶の穴のヤスリがけを。ゴリゴリっとな。