・四月二十八日、英雄の日
「生存記録、三百九十三日目。四月二十八日、天候は小雨。記録者名、田辺京也。
お願いします。ボクを、もう眠らせてください。
彼女達が実力行使に訴え出たとき、止めを刺せる人間がボクしかいないので、眠れません。
もう、主食がカフェインになってシンドイです。
でも、耐えられちゃうのが若さってものでしょうか?
――――漂着してきた厄介者五十四名。その多くは現役自衛官の身内でしたとさ、まる。
もう、見捨ててもいいんじゃない?
純粋に民間人じゃないでしょ?
完全に身内贔屓でしょ?
なんだかやけに彼女達の要求が激しいなぁと思っていたら、迷彩服に機動隊の格好が、ボクの身分を勘違いさせていた模様。毎度のことですね。
年齢から判断して、階級的に自分の旦那の部下か何か程度だと思っていたらしい。
ちゃんと高校一年生だと経歴詐称したのになぁ。
馬場さんだけは自衛隊関係者ではなく、地元の漁師さんでした。
『鍵が無いのにどうやって漁船を?』
『ちょちょいっと直結させたんよ』
まるで映画のワンシーン、ちょっと見て見たかったです。
――――さて、ボクのお勧めはバスのような護送車ごと厄介者を海に放り込むことでしたが、アザミさんに止められました。残念。
今日は重湯ならぬ塩お粥の配給食。
ボク達もご飯にならないお粥なので、どっこいどっこいでした。
心優しい宮古ちゃんが、自分の飴を他の子供達に分けようとして止めるのに一苦労。
飴を持ってるくらいなんだから、もっと美味いものも持ってるだろうって……いっそ、暴動起こしてくれないかな?
キャリバー50の一掃射で文字通り一掃出来るのにな――――眠いのよ、ボク」
皆から離れた位置で今日の記録終了。
生きた人間は、Zよりもよっぽど苦手だ。
アレも欲しい、コレも欲しい。ただ人間に甘えたいだけの赤ちゃんZの方が無欲なくらいだ。
――――なんだか面倒くさいなぁ。
◆ ◆
「お嬢ちゃん方は、何とかして燃料を手に入れようと気張ってる見たいやが、坊主は何を考えとる?」
車両内にZが残ってないか確認作業を続けていると、馬場さんに後ろから声を掛けられた。
「強いて言うなら伊豆大島までのことでしょうか? 丸二日、絶食した上で雨ざらし。これから100km近い船旅に彼女達が耐えられるとは思えません。海風のなか、途中で誰かが死んで、船の上でゾンビが発生したら大惨事じゃないですか?」
「――――そうやな」
WACは女性といえど自衛官。
専業主婦や子供達を自分たちと同列の体力で考えてはいけないよね。
「今は粥に糖やビタミン類を溶かして飲ませて居ますが、昼からはミルク粥に、原料は乳児用の粉ミルクなので母乳の出が足りないようなら申し出てください。一応、大人用ですが、哺乳瓶の用意もありますから」
「――――哺乳瓶に大人用なんてあるんかっ!?」
残念、馬場さんが想像するようないやらしいものではありません。
「あるんですよ、これが。吸い飲みの先に脱脂綿を詰めて、ガーゼで止めれば哺乳瓶として利用できます」
要は、一度に多くの液体が入らないように工夫をするだけでいい。
赤ちゃんはミルクを飲むのがお仕事なのに、ミルクを飲み込むのが下手だからなぁ。
すぐにケフケフしちゃう。
「坊主は燃料に十分な当てがあるみたいやが、どこにあるんよ?」
「どこって、ここですよ? この車のタンクの中。大きな車は大体がディーゼル車。つまり燃料は軽油。タンクだってトン単位で入るようになってますから。これ一台分を譲れば十分でしょう?」
自衛隊が羽田空港に来て真っ先に行なったのは、おそらく給油。
緊急車両の見本市のようなこのD滑走路上。
並べられた車列のタンクの内部は、ほとんど満タンに油が収められているはずだ。
なにせ一台一台のタンクが大きい。トン単位で入るんだ。
大島までの燃料なら一台分を分け与えれば十分なほどだろう。
「なんで、お嬢ちゃん等にそれを教えてやらん?」
「教えたら船で飛び出して行くんじゃないですか? 周囲の人間の体力も考えずに」
彼女たちを一目見た瞬間、それは酷いものだった。
元々が栄養失調気味だったのだろう。ZかZになりかけか、判別するのも大変だった。
半数以上が低体温症を起こす始末。防寒対策も無く、飛沫舞う夜の海風にさらされ続ければ人間なんてこんなものだ。
Zちゃんは強い子だねぇ。もう少し弱くても良いのよ?
――――なにが、一緒に伊豆大島に行きましょう、だ。行き先は地獄への直行便だろうに。
道連れにするつもりだったようだけど、お生憎様。地獄へは一人で行ってくださいな。
「バズーカ砲を向けたり、女の世話したり、気忙しい坊主やね」
「もっと、銃弾を撃ってくれれば良かったんですけどね。そうしたら心置きなく撃ちこめたのに」
「俺なら一発目でもう反撃しとるけどな?」
「――――相手は女の人ですから。ヒステリーの一発や二発は覚悟してましたよ」
「坊主――――大人の男やな!!」
「いえ、残念なことに子供の男です」
なにが気に入られたのか、そのあとも馬場さんが後を付け回してきた。
せっかくだから、映画でよく見る直結でのエンジン起動を教わって見た。
結果、今時の乗用車は完全に直結対策されているということが解りました。
馬場さんカッコイイところを見せられなくてションボリさん。
「……しかし、これは、酷いもんやなぁ」
手錠を嵌められ、そして頭部を撃ち抜かれたZの死骸。
「あぁ、なるほど、今日からはそうしましょう」
「何がよ?」
「眠る前には自分で手錠をしてもらうんです。そうすれば、睡眠中にゾンビ化しても他人を襲わなくて済むでしょう?」
「――――そうか。そういう見方もあるな。仲間に手を出したらアカンとおもて自分で手錠を……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
不良漁師のわりには意外に様となる読経姿だった。
◆ ◆
――――車両内の確認作業を一通り終えて帰ってくると、アザミさんの咽下に包丁が突きつけられていた。
なんだ――――これで、終わりなのか。
心のトーンが一瞬で落ちるのを感じた。
「燃料を寄越せ。伊豆大島にみんなを送り届けることが、私の任務だ!!」
大田士長、他四名が、自衛隊から強盗団に成り果てていた。
銃を取り上げられ、武装解除された中、どうにかして刃物を手に入れたのだろう。
滑走路にたどり着いてまだ時間が経ってない。危機管理が万全じゃなかった。
あるいは、知り合いだからとアザミさんが包丁を渡してしまったのかもしれない。
護身用にリボルバーのSAKURAは携行している。だけど、アザミさんに当てない自信は無い。
――――どうする?
「あ、あのね、京也くん!? えーっと、助けて!! 殺されるー!!」
大根役者とはこのことか。心のトーンに落ちる限界はないみたいだ。
助けて欲しい? ……えぇ、解りましたとも、全力をもってお助けましょうとも!!
クロ二号の後部ハッチを空けて、中で怯えていた皆の傍から、ゆっくりと84mm無反動砲を取り出す。
そして、ボクは構えた。避難民を乗せた護送車に向けて。
「お、おい、坊主、本気やないよな!?」
「向こうが本気らしいんですから、こっちだって本気を出しますよ? 包丁は危ない、バズーカ砲はもっと危ない。子供でも解る理屈です!! 冗談で振り回して良いものじゃありません!!」
大田さんの目的としているものは、民間人を護送するという任務。
なら、その敗北条件は民間人の全滅だろう。このバズーカ一発で全てお終いだ。
「アザミさんを解放してください。さもなくば……撃ちます。車両には貴女がたが欲しがっている軽油が満タンですから、さぞかし盛大に燃えると思いますよ?」
包丁の刃先が震えている――――これは、危ないかな?
テロには屈しない、その心がけは立派だね。
でもテロ同士だと、どちらも不幸になるだけか……。
「馬場さん。その辺の車両から船に給油してください。彼女達は今の状態で、出発したいようですから。お望みどおりにして差し上げてください」
行きたいと言うなら行かせよう。それが彼女の判断だしね。
「――――坊主、解った。残念やったな」
「はい、とても残念です――――」
◆ ◆
給油が済むまで、アザミさんの喉下には包丁が突きつけられたままだった。
車両を滑走路の淵に寄せ、燃料タンクからホースを使って給油開始。じつにアッサリとした作業だった。
位置エネルギーは偉大だね。
「坊主! 名前、なんて言うんよ!?」
「田辺、田辺京也です!!」
「――――解った! 憶えておく!! 助かったわ!! 絶対に大島まで送り届けたるからな!!」
馬場さんは、この先のことが解っているのだろう。
何人が死ぬか、何人が生き残るか、あとは本人の体力と気力次第だ。
「……京也君。こんなことになって、すまなかった!! 本意ではなかったんだ!! でも、仕方がなかったんだ!!」
大田士長の軽薄な謝罪が聞こえた。
強盗は、ただの強盗でしょうに。――――ん? もともとは自衛隊の物なのかな?
「気にしないでください!! それにきっと、謝る相手が違いますから!!」
人質として乗せられたアザミさん。
発進後にライフジャケットを着たまま海に突き落とされるそうだ。
まぁ、自業自得のうちだと思う。包丁を手渡したのはアザミさんなんだから。
こうして難民船のような漁船は、D滑走路をあとに伊豆大島を目指して出港した。
小雨降る湾内から伊豆大島へ向け、外の海へ――――。