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少年Z  作者: 髙田田
四月・下
43/123

・四月二十七日、婦人警官の日

 雨が降っていた。風が吹いていた。

 その漁船がやってきたのは雨が小降りになった夜半過ぎのことだった。

 目測が役に立たない海の彼方に、それなりに大きな船舶が一つ見えたので、また眠りそびれた。

 船を双眼鏡で眺めてパッと正式名称が浮かぶほどの軍事通ではなかったが、解ることは一つ。

 軍用船はあんなに漁獲高がありそうな形をしていない。横っ腹に古タイヤとかも付いてない。

 これはZの大行進から逃げ出してきた難民船なのだろうと察しがついた。

 ――――滑走路に到着早々、厄介ごとの発生だ。


 滑走路の脇にまで寄ってきた漁船。確認できた乗船員は五十名ほど。

 いつかのニュースで見た、どこかの国の密入国船のありさまだった。

 その気は無いが、天然のネズミ返しとなったD滑走路はそう簡単に昇降できる作りではない。

 上部から人の手を借りるか、前もって昇降用の適切な道具を用意しておかなければ登ることすら適わない。

 だからこそ京也はこの地を第二のホームグラウンドに選んだわけだが、

「こちらは自衛隊です。民間人の救助活動中です。我々とともに伊豆大島へ避難しましょう」

 この密入国船の隊長と思われる若い人物からお誘いを受けてしまった。


 伊豆大島。このZの騒動から逃げ延びる離島としては最適な場所の一つだが、東京湾内を離れて一度は外海を渡らなければ辿り着けない島でもある。

 陸の上でもろくに運転の出来ないこの身の上。

 海の上に出れば良くて迷子、悪くて転覆であることを京也は重々承知していた。


 これは伊豆大島へ渡る大チャンスである。そう判断した上で京也は答えた。

「嫌です」

 小雨の中での回答は、実にさっぱりとした回答であった。


 ◆  ◆


 Zが十万単位で大行進を始めた地獄の中を、民間人を抱えながら走り逃げ回ってきた。

 漁港に停泊していた漁船を多少強引に拝借し、沖へ出た。ここまでは良かった。

 伊豆大島ではZが駆逐され、平和な地になったと聞きつけていたため東京湾の外へと一路目指し、出港させてからその問題は発覚した。

 漁船に給油がなされていなかったのだ。

 一年前から燃料類は全て政府の車両や船、航空機へ優先的に回されてきた。

 民間の漁船に残されていたのは、一年以上前に給油されたきりの残り少ない燃料だけである。


 沖に出てから、疲れ果てた頭のなかで、ようやく気が付いた。

 そもそも、この船は給油されてはいなかったのではなく、逆に油を抜かれていたのだと。

 わずかな残り滓の軽油を燃やして沖合いに2kmも進んだところでどうにもならなくなった。

 あとは潮に流されるまま、運良く給油可能な陸地付近に辿り着けることを祈るだけだった。

 丸二日を漂流のなかで過ごしていると、羽田空港が目に入った。

 空港の明かりは未だ生きていて、その内部にはZの存在が確認できた。

 だが、空港ならば使える燃料が残っているはずだと希望を抱き、甲板をオール代わりに船を陸地に近づける。

 漁船を手漕ぎボートの要領で埠頭付近に近けたところ、そこに人の気配を感じた。

 車両のエンジン音が聞こえる――――。

 自分たちが求める燃料が、すぐそこにあった。


「嫌です」


 民間人の救助のために伸ばした手は、すげなくも振り払われた。

「信じてください。私達は確かに自衛官で、」

「嫌です。銃を持って近づいてくる人をお家に入れちゃ駄目だって、ボクのお母さんが言ってました」

 自分が手にした64式を後ろ手に隠して苦笑い。

 どんな母親かは知らないが、確かにそれは大切な教えだ。

 私だって銃をチラつかせた人間を自宅には招かない。

「失礼した。こちらは陸上自衛隊士長の大田です。よろしければ、そちらの所属と階級を教えていただけませんでしょうか?」

「ボクの所属は――――自宅警備員? まさかの自宅警備員なのか? 階級は高校一年生です」

 若い声だとは思っていたが、服装に騙された。

 陸自のような、機動隊のような、あべこべ姿の彼は、救助すべき民間人の一人であった。

「我々はZ――――ゾンビの群れを避けて海に出ました。伊豆大島ではゾンビは駆逐され、平和になったとききます。我々はその島へ向かう途中なんです。キミも一緒に来ませんか?」

 少年は何かを考えて、それから答えた。

「嫌です」

 にべもない。

 その素っ気無い返答に苛立ちを覚えながらも三度目の説得を試みる。

「信じられない気持ちは解りますが、確かな筋の情報です。こんな滑走路に居座るよりも、ずっと良い話です。そう思うでしょう?」

「さぁ? ボクは自衛隊と警察がグルになって、女の人に酷い扱いをしていた現場を知っていますから。伊豆大島が、こんな滑走路より必ずしもパラダイスだとは思えません。どうでしょう、ここはお互い見なかったことにしませんか?」

 ――――刹那、理解が及ばなかった。

 だが、混沌とした状況下では、そういったこともあるかもしれない。

 無法地帯。男の暴力をかさに、男の下卑た欲望を満たすような連中が現れても、不思議では無い――――。

「――――わかった。キミの信頼を得るのは無理そうだ。――――そこで頼みなんだが、キミ達が保有している燃料を少しばかり分けてくれないか? ゾンビの襲撃から逃げ延びて漁船に乗り込んだまでは良かったのだが、運悪く空になってしまってね。こちらは漂流中の情けない身の上なんだよ。船には女性と子供が50名ばかり。伊豆大島まで届けるためにはどうしても追加の燃料が必要なんだ」

「……つまり、救助に来たのではなく救援を頼みに来たんですか? じゃあ、やっぱり嫌です。うちには息子が十五人、娘が二十人、嫁が三十人に旦那が五十人居ますから、分けられる燃料なんて1ミリリットルも無いんです。ごめんね?」

 どんな乱れた家族構成だ。

 ――――交渉が決裂した。

 そもそも、交渉でもなんでもないな。これは一方的な物乞いだ。銃を持っているぶん性質が悪い。

「……頼むから、我々に実力行使をさせないで欲しい」

 大田士長、以下、五名の自衛隊員が海上の小船から64式小銃の狙いを定める。

「お願いですから、ボクに実力行使させないでください」

 京也が84mm無反動砲、カール君を構える。

 直撃しなくとも、その爆発の煽りだけで不安定な漁船は簡単に転覆してしまうことだろう。

「――――なぜそんな物騒なものが?」

「滑走路上に落ちてたんですよ。どうも羽田空港内でもパンデミックが発生したみたいです。この滑走路からどうにかして脱出した自衛隊の人達が残してくれた置き土産ですよ。流石は自衛隊、派手な武器を使うんですね」

 向こうは既に身を伏せて、手鏡越しにこちらの位置を確認している。

 こちらからの銃撃は滑走路の底面に阻まれ当たらない。向こうは鏡をもとに砲身だけをこちらに向ければいい。

 もはや、無駄な脅迫だった。

 いくら相手が素人の少年でも、地の利は向こうに、火力も向こうにある。

「空港内にも、多摩川を挟んだ対岸にも燃料油は沢山あるはずですから、横着しないで自分達で盗ってきてくださいよ」

「……わるいが、そんな危険を冒せないんだ。銃を扱える者は私たち五人だけ。ゾンビの群れの真っ只中に突っ込んで、何処にあるかもわからない燃料油を取ってくるなんて不可能なんだ。――――お願いだ、私たちに燃料を恵んではくれないか?」

 沈黙。そののちパンと拍手のなる音。

「そうだ、漁船の皆でオールを使って海を渡れば良いんじゃありません? ほら、これで解決だ」

「いつの時代の船だと思ってるんだ!!」

 指を掛けていた引き金に力が入り、思わず発砲。

 発砲音に自分が驚いた。撃つまではトリガーに指を掛けるな、その原則すら忘れていた。

「いや~、わりといい考えだと思ったんですけどね~。そろそろ正当防衛で撃っちゃっても良いですか? これ、一回、撃ってみたかったんですよ。無反動って言うくらいだから、本当に反動が無いのかなって」

 実際、波と潮流の少ない湾内であればオールだけでも船は動かせる。

 ただし、潮の流れに逆らってとなれば、川を逆流するようなものだ。太平洋の迷子となって、幽霊漁船になること請け合いだろう。

 必要十分な情報は手にした。漁船は動かせず、ろくな武装も人員もいない。伊豆大島ではゾンビの殲滅に成功したらしい。そしてなにより、銃撃を受けたんだ。

 売られたのは喧嘩じゃない――――戦争だ。心の中でスイッチが冷たく切り替わる。

 もう、彼女たちを生かしておく理由が京也には一切無かった、のだが――――。


 ◆  ◆


「いや、こんなところで戸部二尉の奥様に出会えるとは思いもよりませんでした」

「私こそ、こんなところで大田さんと再会できるなんて」

 WAC、女性自衛官の大田士長はアザミさんの知り合いだった。

 だからどうしたと言うわけでもないのだけれど、こんなご時世になっても世の中は狭いものだなぁと感じる。

 自衛隊代表者の大田さん。漁船を動かしていた馬場さん。それからアザミさんと火を囲みながらこれからについて相談していた。

 アザミさんの知り合い。無碍にも出来ないが、有碍にも出来ない現状が歯がゆい。

 六人分の物資に、五十人の加算は負担が大きすぎる。――――アザミさんは解っているんだろうか?

「それで、燃料補給のお願いの件なんですが……その~、京也さん?」

「嫌です。今では血の一滴よりも貴重な石油燃料ですよ? さらに五十四名分の食料も要求ときましたから。もう、撃っちゃえば良いんですよ。こいつら、物も食わないし文句も言わないZよりもよっぽど性質の悪い生き物です」

「て、手厳しいな。京也君は――――」

 本当に手厳しいなら、有無を言わさず沈没させてますが?

 大田士長がキュルルルと可愛い音をさせて抗議するので、この世界で精一杯の贅沢。雨水の白湯でもてなしていた。

 たったこれだけでも体が温まるし、文明の香りがするだろう。

 本来ならブブ漬けを出したいところだが、あいにくブブ漬けは高級品だ。

 馬場さんは、ゆっくりと味わうようにして白湯を飲んでいた。雰囲気は、少し疲れて静かな人だった。

 密入国者風味のすし詰めだった民間人たちは今、適当な護送車に詰め込んで外から鍵をかけてある。

 エンジンをかけて、暖房もかけた。

 ――――たったそれくらいでも感謝して欲しいものだというのに……飯まで求められた。

 少量の米と砂糖を溶かした程度の粥だが、振舞う分にはちゃんと振舞っておいた。

 大人数で暴動を起こされても困るしね。


「京也さん。どうしても都合がつかないんでしょうか?」

「簡単ですよ。羽田空港内にも給油所がありますし、多摩川を挟んだ向こう岸は石油の備蓄の為に作られた造成地です。自分たちで行って盗って帰ってくれば万々歳でしょう?」

「だ、そうですけど、大田さん達、どう?」

 首が横に振られた。

 地図が無い。容器が無い。運ぶための動力が無い。武器は旧式の銃のみ。

 そしてなにより、WACの彼女たちには実戦経験がほとんど無い。

 後方支援に回されていた彼女たち。Zの大暴走により荒川の封鎖が破られた際、民間人の避難を任され、それきり上とは連絡の取れない立場らしい。

 敵地に潜入し、まんまと物資をせしめて帰ってくる。そんな特殊な訓練は受けていなかった。

 こっそりと忍び込むもZに発見され、発砲して応戦。

 そして後は数の暴力で潰される姿が目に見えるようだ。

 銃は撃つな。棍棒として使え。そんな基本原則すら知らないんじゃZになりに行くようなものだろう。

 ――――が、

「こっちはそれを命懸けでやり遂げて手に入れてきた物資なんですから、無償で供与しろというのは虫が良すぎる話だと思いませんか? 欲しければ自分達で盗ってきて下さいよ」

 ボクが気を配るような話じゃないよね?

 そちらが逃亡の準備を怠けてた。そのツケが回ってきた。

 たったそれだけの話じゃないですか?


「タダとは言わない。伊豆大島に辿りついた際には必ず物資の返却を約束する」

「物資、どうやって運ぶんですか? きっと向こうはこちら以上に燃料不足の状態でしょう? 伊豆大島に油田があるとは聞きません。現地の自衛隊は燃料と食料を返すための物資を気前よく提供してくれるとでも?」

 どうして大田さんが子供も騙せない嘘を平気でつくのか不思議だった。

 少し、この世界に、慣れすぎた。人を助けないことに慣れすぎたのかもしれないな。

 だめだ。現在進行形で人助けをしている彼女達の心の声が、ボクには解らなくなっている。


「――――1週間、いや、三日分の食料で良いんだ。そうすれば現地での受け入れ態勢だって出来る。燃料だって、大島までたった100kmを走れさえすれば!!」

「具体的な数で言ってやらんと嘘になるぞ。五十四人が一週間。一日二食でも……どれくらいや?」

 うちの父さんと同じか年配の馬場さんが、ようようと重たい口を開いた。

「756食分です」

 でも、計算は人任せらしい。みごとなアナログ脳だ。

「一日一食なら人間一人が二年生きられる食料や。大島まで100kmやけど、あんなに人を乗せた状態じゃなぁ。軽油で500リットルから、下手すれば1000リットル必要になるぞ? それを返せる当てもなくただ譲れってのは、確かに虫の良すぎる話やぞ?」

 船ってリッターあたり、そんなにも進まない乗り物だったのか。

 多摩川脱出は川下りの遊覧船にしておいて良かった。


 Zの徘徊する空港に忍び込み、その目を盗みながら500リットルから1000リットルの燃料を盗み出す?

 それはボクでも難しい。安全に車内作業で給油が出来た、クロの居た昨日がすでに懐かしい。

 クロも川岸に置いてきたんだから、そのうち雨に流されてドンブラコとやってこないかなぁ?


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