・四月二十五日、DNAの日
「生存記録、三百九十日目。四月二十五日、天候は曇り。記録者名、田辺京也。
宇宙怪獣ひまわりの気象図によれば、明日には雲がかかり、明後日には雨が降るだろう。
残された時間が少ない中、クーラーボックスや発泡スチロールの箱に荷物や食料を収めて回った。
ボクも供養をした――――。
さようなら、ボクのコレクションたち。
ボクのいやらし本たち。さようなら……。
一斗缶の火葬場を前に、ボクは涙を流しながら別れを告げたよ。
紙は……重たいんだ。嵩張るんだ。別れを告げるほか無かったんだ。
ごめんね。グラビアの美少女たち……。エロビアの美女たち……。
母さんの骨壷の隣には、母さんの大好きなフラワーロックのブラザーたちを並べて飾っておいた。
これなら枯れもしないし、寂しくも無い。何が楽しいのか、神奈姉が腹を抱えて苦しんでいた。
その笑い声に反応してブラザー達がクネクネするものだから、エンドレスに腹をくねらせて神奈姉が死にかけていた。
――――神奈姉、仏前なのに失礼だよ?
宮古ちゃんが、アザミさんにヌイグルミは二つまでと説得されて困っていた。
どうしても五つの子を持って行きたいらしいが、与えられたクーラーボックスに入らなかった。
アザミさんが優しく諭す中、隣でボクは布団圧縮袋を使って可愛いこの子達をセンベイ布団に。
ほら、入ったよ!!
『京也くん、きらーーーーーーーーい!!』
泣かれた。
可愛いこの子たちがノシイカに変わり果てた姿は正視に堪えがたかったようだ。
ちょっと反省。
でも、お気に入りのブラやパンツを布団圧縮袋で圧縮すると、
『京也くん、すきーーーーーーーーー!!』
女の子の心変わりは怖いなぁ。
まもりはトイレだ。トイレがまもりだ。
――――いやね、本気で頑張るとは思わなかったよ。
トイレでも頑張ってね~と声援を送ったところ、
『うるさい!! あっちいけ!! あっちにいってよ!! お願いだから!!』
と、返ってきたから大丈夫。
流石はハーゲンダッツァー朱音。
一日で50近いハーゲンダッツを食べても、なんてことも無かった。
『あいだあいだに暖かいお茶とショッパイものを挟むのがコツなの。頭の悪い、まもりちゃんと一緒にしないで』
なるほど、そういう知恵を使う機会があったなら試してみよう。
生涯、使う機会がくることは無いだろうけども。
神奈姉は……ギュッてしてくれた。十秒だけ。
ちょっと短くないですか? あと、思ったより胸が無かったです。幻想でした。
おかしいなぁ? ボクの目測では……パットか? あれが胸パットというものか!?
そういえば微妙に硬かった!! 幻滅だ!! 女は魔性だよ!!
アザミさんには苦労を掛けてる。
もう時間が無い。眠るか、荷物を運び入れるか、車を走らせるかの三つだけ。
自宅で荷物をクロに搭載。
多摩川の中流域、二子玉川の河川敷で荷物を投機。
自宅に戻ってちょっと仮眠。
この繰り返しの単純作業なのに……どうして毎回、道を間違えられるのだろう?
そこが不思議だ。移動中にボクが仮眠をとれなくて困る。カフェインは胃にくるんだよねぇ。
――――本当は、わかってたよ。
いずれ、この家を放棄しなくちゃいけないことなんて。
ただ、今まで決断できなかった。
父さんが、いつか帰ってきたときにボクが居ないと寂しいかなって。
――――嘘です。
ただ、父さんに帰ってきて欲しかった。
でも、父さんが帰ってくることはない。
――――もう、父さんはZになってる。確実にだ。
夢を見てたのは皆だけじゃない。ボクもだったんだ。
ボクも、夢見るお姫様の一人だったんだよ。
――――でも、もうおしまい。これからは、ちゃんと前を向いて生きていくね。
父さん、母さん、どうか天国で見守っていてください」
ヘッドセットを外して記録終了。
深呼吸は、一つで十分。
あとは、しっかりと目を開けて、やるべきことを、やれることをただやるだけだ。
――――ただ、隣の部屋のイビキは気がそがれるなぁ。
誰だ? まもりか? まもりだろう?
トイレの中に居るはずのまもりだろう!? リビングに居るはずの朱音か!? そのどっちかだろう!?
◆ ◆
エリカ=ハイデルマンは日本の民間人から送られてきたデータを前にして、頭を抱えていた。
Zは生者か死者か、一年たっても収まらない議論に終止符がついてしまったからだ。
結論。Zは生者だ。知性を残したままの生きた人間だ。
フランケンシュタインの通り名で知られる怪物。
彼の正式名称は存在しない。生みの親である博士が名前を付けなかったからだ。
彼はフランケンシュタイン博士が死体を継ぎ接ぎして作り出したただの人間であり、心を持つ一人の男性だった。
ただし、皮肉なことにフランケンシュタイン博士には美容整形外科の才能はなかったらしい。
その容姿はひどく醜く、その巨躯もあいまって、誰からも恐れられ愛されることがなかった。
そして、人々が排斥を続けるうちに、彼は怪物であることを求められ、そして怪物そのものにされてしまった。
ほんの僅か、誰かに愛さえ与えられていたなら、怪物になどならなかったのに。
自分たちは愛されたかった、ただそれだけの存在なのだと――――Zが語った。
オキシトシン。信頼ホルモンや愛情ホルモンといった俗名で呼ばれる脳内物質であり、赤ん坊が母親に抱きしめられたとき、あるいは、授乳の際に多量に分泌される脳内物質である。
これを多量に投与されたZは、その凶暴な活動を沈静化させ――――理性を取り戻した。
肺が利用できないため会話は出来なかったが、キーボードを使ったコミュニケーションは可能であり、Zであったときの状態を指先でタイプしてくれた。
『ただ、寂しかった。ひたすらに、寂しくて、ひたすらに、怖い世界』
母親を見失った迷子の子供がパニック状態となり、ただひたすらに愛情を求め続けた結果。
その行為がZのパンデミック。ただ、全力で抱きついて、全力でしゃぶりついた。それだけ。
映画のように、死者であってくれれば良かったと思うのは不謹慎なのだろう。――――だけど。
彼らの脳は未だに生きていて、パニック症状さえ収まれば、理性的に振舞えることが証明されてしまった。
この情報を公表してしまえば、ここから先は怪物退治ではなく――――完全な殺人になる。
今までの行為も全てだ。たとえ正当防衛だったとしても、見知った誰かを殺害した記憶は心の中に――――。
『今は、気持ちが、暖かい。母さんと、一緒に、居るみたいだ』
今はまだ、この実験結果をエリカただ一人しか知らない。
これを公表した際に起きる事態の大きさを考慮して、発表を逡巡した。
体内から粘菌Zだけを都合よく排除する薬は未だに開発されていない。
どうやってもZが死滅する前に、人体が壊滅的なダメージを受けてしまう。
そんな効果なら火にくべた方が簡単で安上がりだ。ガソリンで十分だ。
『怖かった。とても、とても、怖かったんだ。今は、安心』
Zを効率的に駆逐する、毒、ウィルス、なんでも良い。
軍から、国から、世界から、ありとあらゆる機関から求められていた。
ただし、飲まず、食わず、呼吸もしない彼らに有効的なそれは未だに発見されていない。
いまさら彼らに意思があり、いまさら彼らを治療する機会なんて、誰も望んでいなかったのに――――。
オキシトシン投与サンプル体が回復を見せた電子記録。
その消去は、あと一度、エンターキーを押せば事足りた。
Zと共存できる可能性なんて、いまさら誰も望んでなんか――――ッッ!!
エリカ=ハイデルマンは無表情なコンソールを前にして、ただひたすらに、泣き崩れるばかりであった。