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少年Z  作者: 髙田田
四月・下
33/123

・四月二十二日、よい夫婦の日

「生存記録、三百八十七日目。四月二十二日、天候は晴れ。記録者名、田辺京也。

 ……今日はアザミサンとタクミサンの結婚記念日でした、まる」


 ヘッドセットを置いて記録を終える。これ以上、京也が記録すべきことは無い。

 十六歳、高校生の夏。黒髪の美少女が一人の若い自衛官と恋に落ちた。

 男の名は戸部拓海。……性犯罪者だ。淫行条例で掴まるべき性犯罪者だ。

 アザミさんの大学卒業を待ってからと結婚を約束しながら、十八歳の彼女との間に宮子ちゃんを儲けた紛れもない性犯罪者である。


 犯人は語る。――――つい、ムードに流されて。

 被害者は語る。――――つい、ムードに流されて。

 宮子ちゃんが語る。『ホテル? すいーとって高いんでしょ? ビルの天辺くらい?』高度の話ではないが、確かに高度も高いと思う。

 姦が語る。『それから? それからどうなったんですか!? きゃーーーーー!!』


 ……京也はそっと家を出て、一人黙々と作業に励むのであった。


 ◆  ◆


 当たり前の話だが、ガソリンとは燃えるものだ。

 燃焼という現象は、連鎖した酸化反応のことである。

 そのため酸素環境下に置かれた液体燃料は、酸化し、やがてはその燃焼力を失ってしまう。

 石油コンビナートに運ばれた原油がガソリンや灯油の形で保存されないのは、その鮮度を保つためだ。

 一見、どろりとした石のような石油であるが、実態は粘液状の有機物。

 その辺の豚の脂、ラードと変わりなく腐るものだ。

 新鮮なガソリンという呼び方も不思議なものだが、そういうものだった。


 酸化する。腐敗する。劣化する。


 これを防ぐために注意すべき点は二点。

 一つは紫外線に触れさせない事。

 紫外線に触れると中の有機分子構造が破壊されて、燃焼力が落ちてしまう。

 もう一つは酸素に触れさせない事。

 酸素そのものが無ければ、そもそも酸化することもない。

 実は、食品保存とあまり変わりのないものなのだ。保存方法としてはワインに似ている。

 アルコールも酸化すると酢になって燃えなくなるのだ。ワインビネガーが、これだ。

 簡単に述べると、冷所暗所で密閉容器に仕舞いこむことこそが一番の保存方法なのである。


 緊急時に備えて車の中に残してあった燃料に火が着かない、そんな事態にならないためにも、世紀末の社会では燃料の保存にも気を配っておきたいものだ。

 世紀末社会なのにバイクを乗り回していたモヒカンくん、彼はかなりのインテリさんなのだ。

 燃料となるガソリンを適切に保管しておくだけの科学的知識を持ち合わせている。

 バイクのメンテナンスも毎日のように欠かさず行っていたはずだ。

 オイル交換に始まり、点火プラグ、ブレーキワイヤー、チェーン、それぞれの部品の錆落とし。

 ときにはエンジン部分のオーバーホールさえやってのけたことだろう。

 それくらいしなければ二輪も四輪も自動車も長期間、悪路は走れないものだ。

 ……そんな素適なモヒカンくんはいずこに?


 ガソリンなどは揮発性を持つ。

 そのため、いつのまにか空になっていた。何てことにならないよう専用の密閉容器を用いたい。可能な限り閉じ込めよう。

 もちろん、自然放電をおこしてしまうバッテリーにも要注意だ。

 セルが回らなければエンジン始動にまでいたらなくなってしまう。バッテリー上がりという状態だ。

 そんな時は手回しセルという、エンジン始動用の手回し発電機を使うと良い。もの凄く疲れるぞ。

 いざ、というときに溜め込んでおいた物資が使えなければ、計画倒れも良いところだ。

 物資は溜めるだけじゃない。保存方法にも気を配らなきゃいけないのさ。

 ――――運転免許も持っていない癖に、そんな知識だけは豊富な京也であった。


 ポリタンクのなかにスプレー缶から二酸化炭素を注入。タンク内部の酸素を追い出す。

 酸性でない気体であればわりと何でも良い。なんならドライアイスでも構わない。お菓子の中の脱酸素剤なども有効だ。

 サランラップでタンクの口を閉じ、蓋を閉めて外気と完全遮断。

 揮発した油分と酸素が反応すると蟻酸や酢酸に変化するため、あらかじめイオン化傾向の高い鉛をタンク内に塗布しておくのも良いだろう。

 この保存方法は食品の腐敗にも有効だが、嫌気性の高い細菌の中にはボツリヌス菌などの毒性の強いものも多いため、食べ物にはお勧めはしない。

 食品の腐敗は防げるが、食中毒の元となってしまう可能性が大だ。


 先日はセルフのスタンドに入り、クロの側面に設けたスライドドアから現金をしこたま入れてポリタンクに給油。

 スタンドが空になるまで往復を続け、怒りの一撃で飲み込まれた現金を回収。

 Zくんが訪れる前に走って逃げるを繰り返した。今日はその後始末の日だ。


 96式装輪装甲車のクロは軍用車。かなりの大喰らいである。

 燃料が満タンなら500kmを走行できるが、リッターあたりの走行距離は3km。

 国の定めたエコ車の基準とは程遠い車である。通勤用車両には絶対にお勧めしない。

 とにかく、今のうちに燃料を確保しておかなければ年内には走れなくなるだろう。

 そう思い、ドラム缶、ポリタンク、一斗缶。

 ありとあらゆる入れ物を用意して昨日は駆け巡ったのだけれど、

『私、今日が拓海さんとの結婚記念日なんです♪』

 ――――あ、おめでとうございます。

 幸せ気分いっぱいのアザミさんに水を挿すのも躊躇われた。


 平和を……平和な時代を、演出しすぎたのかもしれない。

『――――だけど、それがキミの望みだったんだろう?』

 ですけど? そうですけど? それでも釈然としないものを感じるんですよ!!

 男の子は女の子のなかに雑じって一緒にキャッキャできませんから!!

 生々しいんですよ!! 女同士の恋話って!!


 惚気話の後は、皆でお祝いのケーキを焼く予定らしい。

 冷凍された貴重な卵を使ったお菓子作りのスイーツタイムだ。

 ミルクには乳児用の粉ミルクが使われるのだから、超高カロリーなケーキになる予定。


 こういったことは意外なことに、まもりが上手だ。

 そして、何でもかんでも目分量な神奈姉は苦手だ。

 朱音は食べる事なら任せろと胸を張り、宮子ちゃんもそれに続くぺったんこ。


 女の子達が台所でキャッキャウフフとお菓子作りを楽しむなか、一人、油に塗れる自分……これこそ男の姿じゃないか!? 目から零れるのは心の汗さ!!

 ガソリン、わりと目にキツイね。安全メガネネガネ。


 そういえば……鳩の卵って食べられるのだろうか?

 冷凍すれば有精卵でも無精卵だ。ときおりドロリとした雛が出てきてもご愛嬌。

 むしろ当たりということにしておこう。あのゴム製品にメール発注しておこう。寄越さない場合は脅迫撃砲だ。命中弾もご愛嬌。


 何年、何十年をシェルター内部で過ごすとき、一番大事なものは心の平和。

 だから俺は自分を戒め続ける。常に不味いくらいが丁度いいんだ。

 幸せを求め始めれば、誰かを踏みつけにしなければいけないんだよ。

 ……美味と甘味に弱い女達には、なかなか理解されない戒めなんだけどさぁ。


 ◆  ◆


 金銭が世界の血液なら、石油は世界の食物だ。

 まず、石油を食べなければ始まらないのが現代社会である。

 一年前、日本の食料自給率はカロリーベースで約四割だった。

 つまり、輸入食料が無ければ十人に六人は餓死してしまう計算だ。


 ――――だけど、本当の計算式は違うんだ。


 原子力を除いた日本のエネルギー自給率は5%。石油の生産量に至っては0.4%。

 トラクターやコンバインだって当たり前に燃料は消費する。農業にだって電気は当たり前に使われる。

 明治以前のようにクワを持ってカマを持って、それで四割の食料自給率が保てるだろうか?

 社会が石油を食べなければ、食料だって生まれない。


 田舎に行けば、食べ物に溢れているはずだ。

 皆が夢見た――――幻想だった。妄想だった。

 そもそもZが徘徊する世界で、まともに農業が出来るはずが無かったんだよ。

 日本人はファンタジー世界の住人じゃないんだからさ。

 農作業中にゾンビが出てきても平気な人間なんて居やしなかった。

 不作。凶作という意味ではなく、そもそも作られなかったという意味での不作。

 飢えた。死んだ。Zになった。彼等が徘徊し、他の誰かをまた飢えさせた。


 死人の出ない街なんてない。死人の出ない村なんてない。

 あるとしたらそこは無人の廃村だ。Zが徘徊する、都市伝説のZ村だけだ。


 意外なことに、都市部を除けばZそのものはそれほど多くを殺さなかった。

 経済の流れに出来た血栓が心臓に突き刺さり、日本という国を滅ぼしたんだ。

 国の保護がない人間なんて、弱いものだった――――。

 政府の備蓄食料にありつけた幸運な人達と、頼らずとも生きられる強い人間達だけが生き残った。

 今の日本の総人口は何千万か、何百万か、何十万か……何万か。

 水力発電所の電気で賄えてしまっている東京の街が、それを表わしている気がした……。


 そんな危機的な食糧難のなかでありながらも、宮子ちゃんが素適なことをしてくれた、

「お父さんとお母さんのお祝いだから宮子がケーキ作るね!!」

 無謀な宣言によって始められた10歳児はじめてのケーキ作り。

 ありがとう!! アザミさんに代わって俺がお礼を言うよ!!


「手伝い? そんなもの要らぬわ!」

 と、ばかりに姦し三人娘を台所から追い出したらしい。はっはっは、豪気よのう。

 そして始まる糸電話越しのホットケーキ作り。気合は十分、知識は皆無。作る姿はカタストロフ。

 卵の殻がアクセント。ちゃんと冷凍前に滅菌処理済みだから安心して食べられるね、この炭酸カルシウム。

 ポリポリでモッちゃリとしたケーキらしき物体を食べながら、俺は甘くて美味しいよと口にした。

 砂糖が入っていればどんなものでも甘いに決まっているでしょ?

 ちゃんと口に入れる前に蜂蜜でコーティングもしたしね?

 あと、美味しいにも色んな意味がある。芸能人とかが美味しいってよく言ってたじゃない?


 スイーツの比較対照がパピコ、ガリガリくん、ハーゲンダッツの姦し三人娘は形容し難い苦悶の表情を浮かべている。それってムンク? ムンクの真似なの? 似てるわー。

 アザミさんが泣いているのは、きっと娘の愛の深さのためだろう。


 それから宮子ちゃんがとっても健気な事を言ったんだよ、

『今日はお父さんの分もお祝いなんだし、私の分もお母さんが食べてあげて?』

 娘の愛の深さに二倍、アザミさんが涙した。

 母娘の家族愛って素適だわ。俺も泣いちゃいそう。


 人の不幸は蜜の味ってホントだなぁ。

 宮子ちゃん。このケーキとっても美味しいよ。味以外は。

 蜂蜜のコーティングで舌を滑らせ、噛まずに飲み込む、コレ大事。蜂蜜の喉越しが美味しい。

 普段から言ってるでしょ? 不味いくらいがちょうど良いって。日頃から練習しとけばよかったんだよ。


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