・四月二十日、青年海外協力隊の日
「生存記録、三百八十五日目。四月二十日、天候は曇り。記録者名、田辺京也。
奴隷どもを総動員して冷凍ショーケースを屋根の上までリフトした。
縄で縛り上げ、人力で持ち上げるのだ。
今流行の高気密高断熱住宅の謳い文句は、『エアコン一台で家中暖か』だったはずだ。
ならば、『冷凍ショーケース一台で家中南極』になるはずだ。
自宅、斜め後ろの芝浦さん宅をまるまる南極化する計画。
流石に俺一人では屋根の上まで冷凍ショーケースを持ち上げる事はできなかった。
だが、今の俺には奴隷達が居る。
さぁ、ピラミッドの建造だ。あれは公共事業で給料支払われてたそうだけどね。
俺もちゃんと人間らしい食事という形で給金は支払っているから大丈夫。
冷凍ショーケースからエアコンのダクトホースを伸ばしてエアコン取り付け口に突っ込む。
外壁のコンセントから電源延長ケーブルで繋ぎ、ショーケースを稼動。
コードの接続部にはビニールテープで湿気対策を施して、あとはショーケース周りに風雨対策を施せば完成。
以前、エアコンの温度感知部分に細工をして冷気を延々と流し込んでみたが、エアコンでは冷蔵家は作れても冷凍家は作れなかった。
どうも、家庭用エアコンでは冷却温度に限界があるようだ。
今回はそのリベンジである。
暖かい空気は上に、冷たい空気は下に、理科の先生が言ってた。
確か、さらに芝浦さんのお宅は夫婦間の関係が冷え切っていたはず。
その怨念効果によって冷却も促進される事だろう。霊とかが出ると空気が冷えるって言うじゃない?
葉山誠司くん。キミに足りなかったものが、これだ。
デパートの地下、見たよ? ずいぶんと多くのものを腐らせていたね?
でも、創意と工夫さえあれば多くのものを凍らせて保存することなんて簡単なのさ。
食品を扱う惣菜コーナー、デリカの裏手には業務用の巨大な冷凍庫が眠っていたよ。
デパート内には家電を取り扱うテナントもあっただろう?
なぜ、食品が腐り始める前に、なんでその冷凍庫を動かさなかったの?
わざわざ口にはしないけど理解して欲しい。そして勝手に学んで欲しい。
ステンレスのものさしよりも柔らかい頭をしているんだからさ。
さて、これで堂々とハーゲンダッツをしまう事が出来る。
俺が食料保管庫に隠していることを知って、その中に持ち込まないよう見張り出したからなぁ。
抹茶以外のハーゲンダッツは芝浦さんの家に預かってもらおうじゃないか。
宮子ちゃんには食べ物の好き嫌いをなくしてもらうためなんだよ、と、説明しておいた。
わかってくれた。宮子ちゃんは良い子だ。いいかげん、抹茶味にも飽きたそうだ」
ヘッドセットを外し、記録終了。
ゾンビ映画を見せて、自分ならゾンビ相手にどう生き延びるか、考えてもらうことにした。
冷凍庫を屋根に差し込む豪快な工事で、食料保存の簡単な方法は教えた。
あとは、実地訓練を行えば……終了かな?
彼のハーレム、彼が守りたい女の子たちなんだから、彼が養うことが道理だよね。
彼が守りたいものは、彼の力で守ることが筋だ。
救援を求めた、なら、生きる気があるってことに違いない。
救援を求めながら、生きようとしないことは、絶対に認めない。
その時はこの手で殺してやる。それは、Zよりも性質が悪い生き物だ。
――――生きるための手助けならちゃんとする。
でも、人生を背負ったりはしない。もう、俺の背中には三人も乗ってるんだよ。
アザミさんだって、宮子ちゃん一人を背負うので手一杯なんだよ。
そう簡単に、他人の背中に乗っかれると思われちゃ困るんだよ。
◆ ◆
野外活動の訓練。
「ボウガンは持たないんですか?」
「走る相手の頭部に命中させる自信はありませんから」
左手にさすまた、右手にピッケル、迷彩服にヘルメットと篭手。
俺にはダボダボの迷彩服が、ゴム製品にはピッタリという事実に腹が立つ。
先に、口は貸すが手は貸さないと告げておいた。死んだらそれきり、普通のことだよ。
「Zは、目と耳と鼻で人間を感知します。人間自身とまったく同じですね。
ですから、二階の窓など発見され、急に飛び出してくることもあり危険です。
飛び出してきたZ、一体だけなら何とかなるでしょう。
ですが、そのガラスの割れた音を聞きつけた別のZが複数加勢に駆けつけたなら絶望してください」
ゴム製品が生唾を飲んだ。
一人で戦うと言うことは、そういうことだ。人間の手は二本しかない。数は暴力だ。
――――彼のための訓練だ。わざわざ俺の手を汚す気はない。
彼がZになってしまったら、正当防衛の一撃を加えるだけでおしまいだ。
約束は、ちゃんとした。
「では、ここからは小声でいきましょう。決して大きな声を出さないでください。
出した瞬間にボクは全力疾走で逃げ出しますので悪しからず」
ゴム製品が頷いた。
Zの基本的習性は座学で伝えた。後は、実践だけだ。
そもそも座学で伝えられることなんてほとんど無い。
――――人の殺し方を、教室で学べるわけがないんだ。
上層階の窓に気をつけながら、道の端をそろりそろりと歩く。
カーブミラーを指差す、丸く歪んだ鏡に一体のZの姿。何度追い払っても戻ってくるな……。
葉山誠司も目視確認して頷いた。ここからが本番だ。
ピッケルの先で地面を叩くとコンコンとこぎみよい音が鳴り、Zの耳を楽しませる。
もっとその音を聞きたいのだろう、カーブミラー越しに見える姿が大きくなっている。
後方の安全確認。Zの影なし。
前方の状況確認、Zがこちらを認識、俺の前方に位置した葉山誠司に向かって全速力で襲いかかる。
勢いはある。だけど、その対応は簡単だ。度胸さえあれば。
Zは力が強い。Zは足が速い。Zは頭がちょっと良い。
――――でも、たったそれだけだ。数が同数なら負けない。機動隊の皆さんが教えてくれた。
対象に向かって真っ直ぐに突き進むその一途さは素適だが、それだけに読みやすい。
ごめんなさいと接触お断りの左さすまたを前方に突き出す。それだけで引っかかる。
Zと人で唯一変わらないものがある。それは体重だ。
全力疾走中のZの突進力は激しいものがあっても、一度、足を止めてしまえば人間と変わらない。
相撲なら互角の勝負ができる。屈んで、重心を下げることを知らない分、Zの方が相撲じゃ不利だ。
機動隊の皆さんが、Zの群れを簡単に押し留められた理由がここにあった。
重心を低くして踏ん張ることだって技術の一つなんだよ。
衝突。その直前にバックステップ。体が仰け反って押し倒されないよう、前傾姿勢を維持。
衝突の威力は地面に逃がす。無理に踏ん張らない。流されるままに、靴底を小気味よく滑らせながら圧されるままに下がり、やがて停止。
こうなれば体格の良い葉山誠司の方が圧倒的に有利な状態だ。
Zが手を伸ばしても届かず、歯を鳴らしても意味は無い。
……一度や二度くらい失敗して無様を晒すと思ったのに、嫌味なゴム人間だなぁ。
流石はサッカー部のエース……で、イケメン? さらに学校のアイドル? それから神奈姉の財布の中に写真が入ってた?
「……やっぱ帰ろうかな」
俺がボソリと呟くと、右手のピッケルがZの側頭部を穿った。
ボウガンと違い、キチンと空気穴の開いた頭蓋内部には即座に酸素が供給され、内部の粘菌が死滅。Zはすぐに活動を止めた。
Zを倒したのは初めてでもないだろうに、葉山誠司がさすまたと、ピッケルと、倒れたZを交互に眺めて何かを考えていた。
「どうかしましたか?」
「……いえ、もっと頭を使っていたなら、誰も死なせずに済んだんだと思ったら」
彼が涙ぐみそうになるが、それは困る。反省もいいが、後悔と感傷は後回しだ。
危険地帯でラブシーンを繰り広げても、映画のように待っていてくれるほどZくんは気長ではない。
俺に任せて早く行け、から、三分ほどグダグダと、ダダを捏ねたりキスしたりと時間を無駄にする連中は、無駄にした時間のことをどう思っているのだろう?
「結果論ですよ。誰かが死ななければ食料はもっと早くに底を尽いていたはずです。それに、こんなチャチな武器よりも、もっと強力な武器を沢山持ちながら、Zの数に圧倒されて負けてしまった人達をボクは知っています。下手に強さを手に入れると足元を掬われるんでしょうかね?」
コブラの機関砲ほど強ければ足元の掬いようもないのだろうけど。
そもそも、ヘリの足元は掬えなかったわ。
「……そういう、ものですか」
「はい、そういうものですよ」
二体目、三体目、四体目……あと一億ほど勝手に倒してくれても構いませんよ?
年齢の差がそのまま体格差になるのか、彼にとってはZの突進の勢いを殺すのも簡単なことのようだ。
二年の年齢差……か。
「僕が田辺さんの歳の時には、たしか、もう180センチありましたね」
……ゴム製品よ、その程度で自慢か?
ンドゥバくんは小学校六年生で180超えてたからな!!
皆、暗黒巨人だと怯えて逃げ回ってたんだからな!!
あれだけデカけりゃ肌の色とか関係ないからね!!
もう、野外での戦闘訓練も馬鹿らしくなったため屋内戦闘訓練に移行。
空き巣とも言う。家主がちょっと病気になったからって、お家から盗んで良いわけじゃない。
鍵の確認、オープン。
車の確認、自家用車スペース無し。
玄関のドアを軽くノック、無音。
コンビニで拾ってきたもう食べられない食品を静かに放り込み、玩具の聴診器をドアに当てたまま音の確認。
足音、アリ。
「数は?」
「……一人、だと思います」
「そこは、一体で。その方がカッコいいじゃないですか」
……Zを人数で数えるのは、これで後から心に厳しいんだよ?
ゾンビの数え方は、匹か体だ。人じゃない。Zも同じで良い。
「一体。……近いです」
「では、どうぞ、ご自由に」
ドアノブを静かにゆっくりと回し、扉は素早く開ける。
基本は同じ、左手のさすまたを突き出し、Zが引っ掛かるのを待つ。
判断を間違えて複数なら扉を閉じて全力で逃げる。
Z1、小学生、女の子、低身長。慌てて左手を下げるが間に合わず。
咄嗟の前蹴りが胸を打った。容赦がない男だな。
Zの筋力がどれほどでも、体重差は覆せない。蹴りの一つで簡単に吹き飛んだ。
転倒したZ。さすまたで動きを止め、振り上げたピッケルで――――降りない。
ちょっと、埃に、汚れた、痩せぎすの、小学生の、小さな女の子。
両手を伸ばし、葉山誠司を求めるその姿は、人間のそれと何ら変わりない。
「七人の女の子と、目の前の女の子。心のなかで天秤に掛けてみると良いですよ?」
――――切っ先が、素早く降りた。狙いは即頭部、横からの一撃だった。
玄関先で靴のサイズを数える。大人が2、子供が1。
悲痛に顔を染め、近くにあった布地で少女Zの顔を覆う。
……そういうことするから、女の子が寄って来るんだよ。それはフラグだぞ?
まずは静かに全ての扉を閉めて回る。
壁向こうの人間を知覚できるのは映画の中のゾンビだけだ。
一階、二階、全ての襖や扉を閉めてから、一つ一つを軽くノックして回る。
ノックする前後で音が変われば、そこにはZの影がある。
冷蔵庫などの唸り声を上げる家電もあるが、Zは声を出したりしない。
そもそも嫌気性の粘菌Zだ。わざわざ肺に酸素を取り込んで自殺を図ったりはしない。
このまま脳への侵食が進んで自発呼吸が戻ったとき、アッサリ自滅しちゃったりすると助かるんだけどね?
火星から長期計画でやってきたはずの宇宙人がウィルス一つでコロッといっちゃった映画みたいにさ。アイツら、長い時間をかけて地球の何を調査してたんだろう?
「……無音、居ません」
しっかりと確認し、解放。押入れやクローゼットの確認。
ただの小さな物音なら、映画のゾンビのようにバーンと出てくることが無い。
Zくんにはその奥ゆかしさを大切にして欲しい。
ゾンビそのものではなく大音量で驚かせる手法は邪道だと思う。
キッチン、床下収納や、シンクの下、それから冷蔵庫をノックして確認する。
「……こんな所に居るんですか?」
「居たんですよ。以前。Zが怖くて、それで少しでも安全な、見つからないところを探して……お化けから逃げだした子供のカクレンボみたいなものだと思ってください」
葉山誠司がゆっくりと頷いた。
正直、この時点で居場所は解っていた。二階、開いていたドアの先……天井裏だ。
天井裏に隠れ、そして、餓死したのだろう。少女の痩せ細った体がそれを示していた。
親の方が子供に優先して食料を渡し、先に逝った。
自分の限界を悟って、女の子を、下へ逃がした。ただし、無駄だった。
人の武器は知恵、Zの武器は身体能力。
洞察力で負けていては話にならない。知りたくないことまで解ってしまうくらいじゃないとな。
一階、キッチン、クリア。窓とカーテンを閉める。
一階、夫の寝室、クリア。窓とカーテンを閉める。ゴム製品を投げつけてやる。
一階、妻の寝室、クリア。窓とカーテンを閉める。ゴム製品を投げつけてやる。
「なんで毎回、投げつけるんですか!?」
「悔しいからだ!!」
「田辺さんの家には四人も女の子が居るんじゃないんですか!?」
「お主には一生わかるまいよ!! このゴム製品め!!」
一応、小声である。
一階、トイレ、クリア。薄手のカーテンを閉める。
一階、脱衣所、ならびに、浴室、クリア。
二階、物置、クリア。窓とカーテンを閉める。
二階、子供部屋、ノットクリア。僅かに何かが動く音がする。
二階、サンルーム、クリア。……さすがに家庭菜園にはなってないよなぁ。残念。
「誰だと思いますか?」
「……母親、でしょう? 玄関先に男性の靴がありませんでした。まるで、並んだ靴に一つだけ穴が開いたみたいに。旦那さんだけが外に出て、犠牲になったか、何か、なんでしょう。食べ物の類も米粒一つ残ってませんでしたし」
正確な判断だ。
ムカつくー。
「それで、どうしますか?」
「……楽に、してあげましょう。娘さんと同じように」
優しい男だ。四方八方美人だ。そりゃモテモテさんだわ。
Zに止めを刺す事が優しさになるのかは知らないが、彼にとっては優しさなんだろう。
「その危険、七人の女の子と天秤に掛けてでも?」
――――息が詰まった。
常に選択だ。踏み込むべきか、留まるべきか。
その結果、得るものと失うもの、その大小、可能性の多寡。
自分にとって大事なものは何なのか見失ったとき、自分すら見失う。
――――だから、俺も今回限りだ。
「……この部屋はそのままに、しておきましょう」
俺は頷いた。俺も、そうする。一階で眠る少女の母親のために、俺達が危険を冒す理由は無い。
今までもそうしてきた。これからもそうする。そうしたい。――――そうしなければならない。
「ウチのように安全地帯の確保を目的とするのでなければ、無理をする意味はありません」
「それは――――厳しいですね」
厳しいのは言葉か、心にか。
静かに家捜しを続け、荷物を肩掛け鞄に放り込んでいく。
より重いものを積載できる背負い鞄で無いのは、咄嗟のときに投棄できないからだ。
肩掛け鞄はZに向かって投げつけられる。背負い鞄は逃げる際の重りでしかない。
コンビニやデパートで日用雑貨類を大量に手にした今、個人宅で得られるものにあまり価値は無いのだが、それでも持って帰る。
たとえ洗剤一つでも、あって邪魔になるものでもない。
しかし、結婚しても男とはいやらし本から解放されないものなんだなぁ……。
訂正。個人宅で得られるものにも価値はある。超、価値はある。
帰宅途中、10体以上のZ集団を発見。最近、集団で行動するZの姿が多い気がする。
ついに寂しがり屋をこじらせたか? ボッチZは卒業か? やめてください、数の暴力怖いです。
カーブミラーや手鏡を使った偵察で、曲がり角の先の状況は把握できる。
ピンク色した、まもりに持たされた私物の手鏡。
その色合いに趣味が悪いなと口にしたところ、
『それ、お姉ちゃんのお下がりだけど?』
物凄く高貴な品性を感じさせる手鏡に変化した。
まるで魔法のようなマジックミラーだなぁ。俺の大事なお守りだよ。
◆ ◆
「それで、やっていけそうですか?」
「やっていって、欲しいんですよね?」
正直に頷いた。俺は彼等を養うために生きているわけじゃない。
葉山誠司は確かに好少年で、身体能力も高く、思考力も順応性もある。
たった数日で、教えるべきことは教えてしまった。
研究と発見に一年かかることでも、広まるのは一瞬。あとは習熟だけ。数をこなすだけだ。
マグライトを使った駆除法は、実地で目を眩まして体感してもらった。
真っ白な暗闇に陥るというのはさすがに初体験だったらしい。これは面白いので何度も目潰しをしてやった。無闇に手を振ってもあたりませーん。
眠る前、見上げた蛍光灯の残光。あの光が視界一杯に広がった状態で戦える人間はまず居ない。もちろんZも同じだ。
何度かZ役を俺が務め、さすまた、マグライトの使い方を練習した。未だに目がチカチカする。
ボウガンも、小型のピストルボウガン、大型のロングレンジボウガンを使い、練習に練習を重ねる。
そうしているうちに日が暮れた。
食品の保存法はどうするのか尋ねたところ、デパートの地下階そのものを冷凍庫にしてしまうそうだ。
それは豪快だなぁ。体格も良いし、前世はアメリカ人か?
空調を制限し、上階から冷気を流し込み続ければ、やがて地下は南極化する。
たとえそれが無理でも冷凍庫の扉に穴を開けて、数珠繋ぎにしたクーラーボックスなどに冷風を送り込めば冷却空間は拡張可能だ。
目が覚めた彼は、確かにカッコイイ高校生の先輩だった。
……うん、みんなに会わせなくて良かったわ。
――――セーフ。
彼は今から一晩かけて七人の女の子の説得に入る。
……せっかく手に入れた安全で快適な場所から連れ出すんだ……相当の覚悟が要るだろうな。
まぁ、頑張って説得してくれ。そのためのゴム製品はいっぱいだろ?




