・四月十日、女性の日
「生存記録、三百七十五日目。四月十日、天候は晴れ。記録者名、田辺京也。
流石というべきか、しぶといというべきか、まだ戦闘が終わらない。さすがはプロだ。
数はあっても徒手空拳のZ。鉄製の扉を閉められればなかなかに破る事は適わない。
壁を登って侵入しようとするのも難しいようだ。……垂直の壁を登れるってことが凄い。怖い。
着実に、追い詰めている。数の暴力は偉大だ。戦争はやっぱり数だね。あと気合。
壁を登ろうとして撃ち落とされたZが積み重なって、一階の窓が埋まってしまった。
Z達は必ずしも仲間を踏みつけにしないわけではないようだ。普段のZと一味違う。……これは苛立っているのだろうか?
残すはあと六階。……長いな。
そこに人間が居ると確信を持てば、Zの行動は一途の一言。誠実さに溢れている。
そこまでして噛み付きたいか、食べもしないのに。
Zの行動原理は謎だ。本当に謎だ。
そして、そんなことよりお家に帰るのが怖い。
まもりがバレバレのサプライズパーティーを企画していたことを俺は知っている。
玩具でも聴診器、周囲の音を拾うには十分なんだぜ?
……昨日が誕生日だった。
サプライズパーティーに主賓が登場しないサプライズジョーク。HAHAHA!!
この日本人ジョークをまもりは理解してくれるだろうか?
無理だぁ~。パーでくるか、グーでくるか、ときおりキックだからそれはやめて。股間はやめてね?
……おっと、地獄の黙示録のご登場だ。ってほどではないか。
燃料を節約しているのだろう、パラパラと救助ヘリの音が……。
敵性飛行体。数……3。
――――手順を再度確認。
砲身に誘導ミサイルを装填。
次にレーザー照射でロックオン。
最後に肩に担いで発射、ヘリポートを封鎖。
それから神と悪魔に祈りつつ、Zとヘリに見つからないよう走って逃げる。
当たれば恩の字、当たらなければ死の字。当たっても瀕死の字!!
イロコイダウン、イロコイダウン、イロコイダウン。
手に三回書いて飲み込んだ。これで大丈夫。手の平は狭いな、七文字は書きづらかったぞ。
では、健闘を祈れ!! 何に!?」
◆ ◆
飯塚正哉二尉による再三の救助要請は拒否された。
周囲に放棄されていた装備類を拾い集めた結果、弾薬類に余裕はある。
だが、Zの数は幾千を数えた。幾万かもしれない。五十余の隊員で対応できる数を超えている。
まともな休息も無く、ただひたすらに撃ち続ける。もはや気力だけで戦っているようなものだ。
扉を閉めることで時間は稼げる。Zの数がどれほどでも、扉の面積以上の圧力は掛けられない。
Zを使った戦術自身は想定していた。
だが、使われる側になることは想定していなかった。
警察署の近くで大音量の子供の泣き声が流された時、即時に敵襲だと判断できた。
自分達も想定していた攻撃法だ。だから即座に反応できた。対策は沈黙を保つ事。
これはZの襲来に怯え惑った相手の失態を狙う策だ。あるいは、囲んでしまうことで行動を阻害する兵糧攻め。
あいにくと、備えなら一月分はある。屋上の給水塔には十分な水も、例えライフラインを外から止められてもしばらくは持つ。その間に雨の一度も降ることだろう。
96式装輪装甲車ならZをひき潰しながら走行することも可能だ。脱出後、音声を使って誘導しさえすればこの攻撃は失敗に終わる。――――はずだった。
三階部分、ガラスが割れる音。
それに続き三階から赤ん坊の泣き声。なぜ、赤ん坊なんだ?
とにかく相手の狙いが包囲作戦ではなく、殲滅作戦に変わったことに気付かされた。
即座に防御線の構築指示を出した。だが、正面バリケードはZの数に圧倒されて即座に破られた。
一階正面、玄関内部まで防御線を下げ、再度構築。
署内最大火力。キャリバー50、12.7mm弾、毎分1200発。
軍用車に車載されていたそれを取り外し、土嚢と共に扇状に配置した六方向からの十字砲火。
それはZの体も頭も関係なく撃ち抜き、物理的に行動を止めた。手足が吹き飛べば不死身だろうと関係はない。数千程度の数ならこれで対応が可能なはずだった。
だが、数の威力を読み誤っていた。奴等は仲間の死骸の山を乗り越えて走ってくる。死を恐れる事のない無手の突撃。
Zの破片が飛び散るたびに玄関口に肉の山が構築されていく。肉による防壁が自然発生した。
水平射撃では肉の山に遮られてその威力を発揮できない。自然、銃口は上方を向かざるを得なくなった。
こうなれば、十字砲火による集弾効果も薄れてしまう。人間相手の戦術をもとにZを量ってしまっていた。死を恐れないことまでは計算に入れていなかった計算ミスである。
何百体か、何千体か、圧倒的な体積が一階入り口を埋め尽くし、やがて玄関陣地を放棄せざるを得なくなった。
二階部分、ガラスが叩き割られ、小数のZが侵入。
84式自動小銃を持った別働隊がこれを排撃。だが、二階からの侵入が止まることはない。
一階、玄関ホールの陣地を放棄、二階階段踊り場で遅滞行動を行いつつ別働隊との合流を待つ。
合流後、手榴弾の一斉投下により階段の破壊を狙う。成功。
ただし、Zは猿のように残った瓦礫に飛びつき、さらに登ろうと手を伸ばす。
射撃、撃ち落とすごとにその肉の体積が階下に溜まり、破壊した階段部が意味をなさなくなっていった。
三階に移動、署内に打ち込まれた何かを発見。それは一本の銛だった。
それには音楽を流す小さな機械が取り付けられており、そこからは子供の泣き声が流れていた。
銃座を使って破壊。苛立ち紛れに足で踏みつけにして粉々に砕くもすでに意味なし。
三階の窓からもZが侵入。これを排除。
素手で壁を登るだけの力があることを理解し、三階ならびに四階の放棄を決断。防火扉を閉め、侵攻の遅滞を図る。
五階、六階に存在する物資を掻き集め、最上階での篭城を決断。
爆薬類を総動員し、階段を破壊。これは流石に登ることは適わないようで、階下でこちらを見上げるZどもに手榴弾をプレゼントしてやった。
七階、窓から身を乗り出す形で壁面を登ろうとするZに銃弾を浴びせて落とす。
一時間経過、二時間経過、一向に止む様子はない。
ゾンビ映画で見た光景そのものだ。あぁそうだ、俺達はこう言う連中を敵に回していたんだ。
隊員の疲労が激しい。特に元警察官だった隊員は、長時間の戦闘に耐えるための訓練を受けていない。
幸い、Zの垂直登坂はそれほど速くは無かったため、交代で休憩を取った。五分刻みの仮眠。
速度は速くないが、その登坂能力は異常だ。垂直の壁面を指先の力のみを頼りに登ってくる。
おそらくZ特有の怪力が肉体の支持を可能としているのだろう。凹凸のある壁面が災いするとは。――――建築デザイナーが目の前に居たなら撃ち殺してやりたい。
七階に侵入。別働隊が排撃。
正面部分に意識を集中しすぎていた。
警察署の裏側に回り、絶望する。……そこは一階下がるごとに広くなる、階段状のデザインになっており、背面から見ると、七階は三階にしかならなかった。
建築デザイナーが目の前に居たなら必ず撃ち殺すと心に誓った。
警察署でありながら、戦闘のことを一切考えられていない作りであることに今更ながら失望した。
だが、近隣でこれ以上に堅牢な建造物も存在しなかった。
地域に密着した警察署としては、下の階ほどフロアが広く作られているのは正しい形なのだろう。
七階からのラペリング降下により正面玄関前、96式装輪装甲車に搭乗、Zを外部に誘導する作戦が立案される。
作戦遂行は立案者自らが立候補。背面の守備を最小限に、正面側壁面のZを一斉排除。
残り少ない手榴弾を用い、地上のZを牽制。可燃物と使いどころの無かった84mm無反動砲を用い、正面玄関に炎の壁を形成。Zの波が一瞬止む。
ラペリングによる降下開始、隊員は無事、地上に降り立った。
隊内から歓声が湧きあがる中、二階、三階、四階、五階、六階、それぞれの階層内部に到達していたZが窓から飛び出した。人体の雨に押し潰され、隊員は死亡……この戦闘における初のZ化が認められる。
屋上、狙撃手の手により勇気ある隊員には安らぎが与えられた。
残されたラペリングロープを掴み、Zが上ってくる姿を確認し、フックを銃座で叩き破壊。Zはロープと共に落下した。
屋上、狙撃手から救難要請。Zが側面からも壁を登りつつあり、人員を回して欲しいとの要請。
だが、階段は先ほど崩落させてしまった。
そこで最上階、七階の中央会議室、天井部に向かって84mm無反動砲を発射。三発目にして屋上への道が開く。
爆風による負傷者三名。いずれも軽症。聴覚に異常が認められるも、既に誰も彼もがそうだった。
壁面を登るZの撃ち落とし作業を継続しつつ、屋上に続く階段の構築を開始。
完成した階段を昇り、屋上の扉にバリケードを構築。
七階の放棄を決断。物資搬送を急ぐ。銃弾に限らず、何もかもだ。
屋上に到達。七階でZの打ち落としを行う隊員と交代し、屋上からの打ち落としを開始する。
七階会議室の階段を手動で破壊。破壊した隊員はラペリングロープを使い、屋上に持ち上げられた。
再度、救援要請。――――拒絶。
Zを十分に引きつけ、その落下による巻き込みを狙うよう指示。
弾薬当たりの効率化を図る。
再度、救援要請。――――拒絶。
弾薬はある。だが、人手が足りない。
絶え間ないZの波が、休息を許さない。
再度、救援要請。――――拒絶。
隊内に絶望感が広がる。
飯塚正哉二尉が救援要請ではなく恫喝行為に出た。
『アンタらが東京でしでかしたこと! 避難民を見捨てて逃げ出したこと! この無線で伝えてやろうか!? AMでもFMでも無線のバンドは対応してるんだぞ!! なんなら短波を使って全世界に放送してやろうか!? 解ったら上層部の人間にとっとと繋げ!!』
再度の救援要請は承認された。
隊内に沸き起こる歓声。到着は一時間後の予定。
脱出の準備を整え、屋上で待機の指示。そんなものはもう終わってるよ!!
◆ ◆
飛来した三つのヘリの機影に警察署の屋上からは歓声があがる。
田辺京也は一人、砲身にミサイルを装填。覗き窓を広げ、誘導用レーザーの照射準備を始める。
屋上に着地、あるいはホバリング状態で停止したところを87式対戦車誘導弾で撃ち落す。
上手くすればヘリは落ち、屋上の強盗達も巻き添えになって全滅することだろう。さらに上手く行けばZに気付かれる事もなく、残りのヘリ2機に追い回されることも無く、無事に家に辿り着いて、まもりに顔面を叩いてもらえるだろう。
……宝くじの一等とは言わないが、二等が当選するくらいの確率でな。
とにかく意地で撃ち落す。巻き添えで全滅させる。それだけできれば御の字だ。
食料は、ある。燃料も、電気も、娯楽も用意した。水は、雨水を溜められるように庭に貯水池を……Zが踏み荒らしちゃったな。そこはなんとか自力で頑張って。
細かな事はセキュリティマニュアル、メンテナンスマニュアルを読んでね。
あとは――――父さん、ゴメン。
神奈姉、できれば母さんの遺骨、お墓に納めて欲しい。――――もしも、Zの騒動に解決の日が来たならさ。
『現在、合流地点に接近中。脱出の準備は整っているか?』
『あぁ、全員屋上にあがって待ってるよ。早くしてくれ、こっちはZと四十八時間以上戦い続けなんだ!!』
『了解。急行する。屋上で待っていてくれ。四十八時間に渡る戦闘、ご苦労だった。もうすぐに楽になる』
バラバラと音を立てながら飛来する、スリムなヘリが高空から警察署の屋上に近づいた。
レーザー照準を合わせようと覗き込む京也が首を傾げた。
兵員輸送ヘリ、UH-1、イロコイのスタイルは太っちょだ。
飛来したヘリはスリムな……AH-1S、コブラ。
被弾面積を下げるために細く作られたそのスマートなフォルムは空対地攻撃機、対戦車ヘリコプターだった。
飯塚正哉二尉は近づきつつあるその姿を見て、理解した。
強者は弱者に屈しない。身のほど知らずの恫喝行為、その代償は報復攻撃だった。
『貴官等に伝言がある。貴官等が民間人の住居を襲撃し、強盗及び殺人行為を行っていたことは把握している。貴官等を正式に自衛隊から除名し、一凶悪犯としてこれを殲滅する。二階級特進は望むな。通信以上。送るな』
自衛隊が都市部を見捨てて防御戦を張りなおしたことなど、とっくの昔に世界に知られていた。
だが、都市に残った彼等を勇者にしてはいけない。
それでは逃げ出した者達が、まるで悪者になってしまう。
大義は忍辱とともに命令に従った者達にこそある。他の隊員が非情の命令に苦しまなかったとでも思ったか?
貴様等は望んでこの地に残ったのだから、この地で死んでこい。この殺人鬼ども。
――――双方、発射。
京也がコブラの登場に混乱する中、銃声にすら聞こえない連続した爆音が響く。
コブラの鼻先に取り付けられたM197、分速750発。20mm弾の機関砲。
機関銃ではなく機関砲と呼ばれる三連装のガトリングガンは、人もZもコンクリートも容易く撃ち抜く。そして跡形もなく粉砕する。
10秒、20秒、30秒。警察署を三角に囲んだ三機合計一千発の砲弾で丁寧に嘗め尽くされた警察署は、屋根と呼べる構造を無くしていた。もちろん、その砲弾の雨のなかで生き残れる人間など居ない。
京也が唐突な展開に呆然とする中、風に煽られてようやく土煙が晴れた。そこに残っていたものは、元は七階建ての、今は五階建ての警察署であった。
◆ ◆
――――今度こそ、タマとはお別れだった。
数えることが馬鹿らしいほどのZの群れ。空を飛ぶコブラが若干数を連れ去ったとはいえ、異常といえるZ密度の中では身動きが取れない。
アパートの電源で充電を終えたタマが走る。
ずっと、ずっと遠くまで走る。
そして泣いた。おぎゃあおぎゃあと泣き続けた。泣きながら、まだ走る。電波が届かなくなるまで、ずっとずっと遠くまで。
胸が、痛かった。いつだって、痛かった。
タマは拾ったものではなく、買ったものだ。父さんと母さんからの、最後の誕生日プレゼント。
……勝手に買ったものだけどさ。
こんなことならただのラジコンにすれば良かった。でもそれは結果論。解ってた。
京也は少し落ち込みながら、それでもいつもの笑顔で家の玄関をノックした。
サプライズをサプライズスルーされたまもりの機嫌を取るのは大変だった。
とても大変だった。ガリガリくんが三本……チョロイ。腹を壊すぞ?
矢玉に使ったミュージックプレイヤーのことは、まだバレていないようだった。




