・五月二十九日、こんにゃくの日
ロクマルの羽音は風情なんてものを感じさせてくれるものではなく、定員を超えて詰め込まれた人達の姿には笑いすら感じた。
だから、ボクは笑顔で見送れた。色んな意味の笑顔で見送れたんだよ。
――――さよなら、ばいばい、またいつか、会えなければ良いね。
みんなが去った滑走路に一人でポツンと……あ、遠くの島に米軍の人を発見。
手を振ったら振り返してくれたよ。付き合いの良い人だね。
その手に狙撃銃さえ持っていなければ仲良く出来そうだけど。
どれだけ上手に隠れても、可愛い赤外線が見えてしまうのは人体の構造上しかたがない。
人間は恒温動物、変温動物のように、周囲の空間と同じ体温にはなれないんだからね?
さ、て、と、保科さんには悪いけど、この出鱈目なご自宅はお掃除だ。
あぁ、やっぱり素人さんは駄目だな。ここの柱が逆柱になってるじゃないか。
逆柱のお家には不幸が訪れるんだぞ? ジンクスだって用意の一つさ。
幸いここは羽田空港のD滑走路、ここが過去に墓地だったという話もないだろう。
古い合戦場あとで、死者の怨念が渦巻くことも無い、優良物件だ。
あ、一年前に戦闘があったばかりの土地だったっけ。羽田空港で起きたパンデミック。
逃げようとして走る人、追いかけるZ、諸共に撃ち抜いたキャリバーの火線。
今はのんびりと日向ぼっこに興じているZくん達も、元は人間だ。
国民ナンバー制なんかよりも、ドッグタグを配って欲しかったな。
血液型、年齢、宗教が解らないと、いざというとき埋葬に困るじゃないか。
仏教と一口に言ったって、鎌倉以降、宗派がバラバラで読経も違うんだからね?
ちなみに我が家は主にFSM教だ。
キリスト教の神様が、Zくんなんて冗談みたいな存在による世界の終末を用意してくれるわけがないじゃないか。
その点、偉大なるフライングスパゲティーモンスター様なら、Zくんを生みだすくらいのジョークセンスを持っている。
FSM教の教義は簡単だ。
飢えた者の腹を満たす。主に麺類が好ましいけれど、なければパンでもご飯でも良い。
病んだ者の傷を癒やす。主に奇跡が好ましいけれど、なければお医者さんでも良い。
平和に生きる、愛に生きる、電話の通話料金を下げる。素晴らしい教義ばかりさ。
そしてこれらは努力義務であり、必ずしも守らなければならないわけではない。
殺人、傷害、窃盗、強姦などの行為。これも、やってはならない罪であるとはされていない。
ただし、FSM様がちょっと悲しそうな顔をするだけなんだ。それが一番、心に堪えるよ。
米国から運ばれてきたチタン合金のパネルを組み立てる。
今流行の高機密住宅。窓には鋼線入りのポリカーボネイトを使用。
色や形は世田谷の我が家と同じだけれど、頑丈さでは負ける気がしない。
皆が帰ってくるまで、最低でもあと二年はあるんだ。
きっと、一軒目は完成できるだろう。本当の、世界の終末に耐えられる家がね。
◆ ◆
習うだけでも二年は掛かると言われていた。
看護にせよ、軍事にせよ、基本を覚えるだけでそれだけの時間が掛かるのは当然だ。
それだけの時間があれば、新しい出会いがあって、新しい友情があって、新しい愛情もあるんだろう。
神奈姉でさえ、ゴム山さんの写真を財布に忍ばせちゃう、女の子はそんなお年頃の落とし頃なんだ。
アザミさんは、帰ってこない。宮古ちゃんは佐渡島の友達と遊ぶのに夢中だろうからね。
朱音も戻ってこないだろうな。カッコイイ彼氏が欲しいんだろう? それは、ここには居ないよ。
まもり――――戻ってこない。アレはアレで活発な生き物だから、こんな狭い空間は嫌いだろう。
神奈姉――――戻ってこない。自衛隊で……いずれは鬼の名で呼ばれるようになるんじゃないかな?
つまり、誰も、戻ってこない。
皆は新しい明るい未来を目指して歩き始めた。ボクは一人、ここに残った。
これからは滑走路と佐渡島の距離が、ボクと彼女達の心の距離になるんだよ。
物理的な隔たりは、そのまま心の距離になるんだよ。近ければ親しく、遠ければ疎遠になる。
いままでは、ボクに頼らなければ生きてこれなかった。
ストックホルム症候群じゃないだろうけど、生存本能がボクの好意を求めさせた。
異常な状況下で結ばれた男女は、平和のなかでは長続きしないんだってさ……。
ボクに頼らなくても生きていけるようになった。――――なら、ボクは用無しだ。
役立たず。世界が終わるその前から、世界の終わりに備え続けた頭のおかしいプレッパー。
近くに居たから気付かなかった。だけど遠くに離れれば、ボクの異常さに気が付くだろう?
この一年、どれだけの人間を殺し続けた異常な殺人鬼だったかってことにさ。
看護の勉強を覚えたなら、それがボクだけの為に使われるのは勿体無いよね?
軍事の訓練を受けたなら、それがボクだけの為に使われるのは勿体無いよね?
だから、誰も戻ってこない。お盆帰りをするにはヘリコプターが必要だしね?
個人の我侭で飛ばせるほど、ロクマルだって安いものじゃないだろう。
そして、普通の男の人と、普通に幸せになって、普通の家族を作るんだ。
――――それが、彼女達の幸せだ。
皆は明るい未来を目指した。ボクはこの場で、暗い未来を目指す。世界の終末だ。
羽田空港D滑走路をメインにした、本物の不沈空母を建造するんだ。
核攻撃の直撃弾には耐えられないだろうけど、ちょっとした天変地異程度なら耐えてやる。
収容人数は千人程度で良いかな? 百年でも、二百年でも、三百年でも、耐えて見せるさ。
チタンフレームにプラスチックコーティング。忘れちゃいけない低反発コート。
雨にも負けず、風にも負けず、噴火にも負けず、隕石にも負けず。放射能にも負けない。
そんなシェルターをボクは造りたい――――。
Zの危機は、ひとまず去ったよ。でも、二歩目は闇。三歩目も闇なのさ。
Zのパンデミックが収まったからといって、隕石が落ちてこない保証は無いんだよ?
新しい油田からWくんが湧いてくるかもね? エイリアンの侵攻は……ちょっと無理かな?
後藤さんも皆も、まるでボクが未来を見ていないかのような扱いをして引きとめた。
けれど、ボクはちゃんと未来を見ているんだよ? みんなと違う、暗黒の未来をね?
アメリカンドリーム。その全額を、未来への備えに回させてもらうさ。
それでも、やっぱり寂しいものだね。一人ぼっちっていうのはさ。
昨日までが賑やかだったから、余計にいっそう、寂しく感じるのかな?
涙がずっと止まらない。作業もずっと止まらない。
一度、手を止めてしまえば、命が止まってしまいそうな感覚だから。
メールがあった。佐渡島に無事に到着したってさ。人が一杯で驚いたってさ。良かったね?
……。
……。
……。
注文した通りのパーツたち。
ただ、順番どおりにパーツを嵌め込んで行くだけで完成するはずのシェルターハウスが、嵌らない。この野郎!!
釘を使わない日本の宮大工の技術を、あのアバウトなアメリカ人に求めたボクが馬鹿だった。
コンマ台の微妙な差、金属だから、熱膨張が関係してるのかな?
『削ったり足したりは、現場の環境に合わせてね?』流石はメイドイン合衆国だ。
半田付けなら得意だけど、まさかチタンの粉を使ったチタン付けをアーク溶接で行なうことになるとはね。
大久保沙耶ちゃんが教えてくれた。石切りさんの名称の謎。
あの地下シェルターから助け出された時、ボクがブリキのキコリさんに見えたそうだ。
でも、まもりの奴が、木よりも石を切ってる方が多いと教えたから石切りさん。
オズの魔法使いに出てきた、暖かい心を持たないブリキのキコリ。
暖かい心が欲しいと嘆いていたブリキのキコリ。
――――女の直感って怖いね。大正解だよ。
ブリキのキコリ、元は人間だったのさ。
東の悪い魔女の呪いを受けて、自分の腕を切ってしまった。
知り合いの鍛冶屋に頼んで腕をブリキに変えたのさ。それでも頑張って仕事を続けたのさ。
なんでかって? 恋人のため、愛のためさ。婚約者が居たんだよ。
でも、彼がキコリの仕事を続ければ続けるほどに、魔女の呪いで自分の体を切ってしまう。
どんどん、どんどん、体はブリキに入れ替わり、最後には頭までブリキになってしまった。
それでもキコリの仕事を続けるんだから、凄いよね?
自分を壊して、壊して、壊して、全てを失っても、まだキコリの仕事を続けるんだよ?
なんでかって? 恋人のため、愛のためさ。婚約者が居たんだよ。
――――愛が、重たい。愛は、重たいよ。重たすぎるんだよ。
暖かい心を取り戻して、ブリキのキコリは幸せになれたのかな?
ブリキのキコリが暖かい心を取り戻したからって、ブリキの彼を婚約者は愛してくれるのかな?
それは悲劇のお話だよ? 暖かい心は、愛は、きっとブリキのキコリを最後まで壊しちゃうよ?
愛のためにブリキになるまで頑張ったのに、もう、愛されることのないブリキ男を壊しちゃうんだ。
臆病じゃないライオンは、もう普通の肉食獣だ。
知恵のついた案山子は、もう立ち尽くす仕事なんてやってられないよ。
でも、ドロシーは何も知らないんだ。三回かかとを合わせてサヨナラさ。メデタシ、メデタシ。
――――五年後、十年後、二十年後……。
神奈姉が、まもりが、朱音が、自分達の旦那さまと子供を抱えて逃げてくるかもしれない。
だからボクはシェルターを造るんだ。誰にも、何にも負けない、頑丈なシェルターを造るんだ。
でもさ、本当はボクを愛して欲しかったんだ。
だけど、ボクは彼女達の代わりに備えなきゃならないんだ。
だから、ボクはいつか愛を失うんだ。彼女達は、人間なんだからね?
世界で一番安全なところは、何も無い荒野だよ。
何も無い荒野に、技術を持った人が閉じ篭もり続けるのは辛いことなんだ。
人は誰かの役に立ちたい。人は誰かの役に立って認められたい。それが、人間なんだもの。
だから、無人の荒野には誰も用が無いのさ。ボクの他には用が無いのさ。
荒野は荒野だ。人生の終わりまで留まり続ける場所じゃないのさ。
シェルターはシェルターだ。人生の終わりまで住み続ける場所じゃないのさ。
プレッパーズはプレッパーズだ。人生の終わりまで愛し続ける相手じゃないのさ。
……。
……。
……。
涙を流し続けるくらいなら、一緒に行けば良かったんじゃないか?
今からだって遅くないよ? 米軍の人に送ってもらえば良いじゃないか?
こんな荒野に一人残って、シェルターを造るのなんて、もう止めちゃいなよ?
でも、ボクは石切りさんだから、ね?
仕事、続けなきゃ。さぁ、お仕事の時間だよ!! 働け! 働け!!
この仕立ての悪いジグソーパズルを組み立てる仕事が待ってるぞ!!
今日も明日も明後日も、ずっとずっとず~っと仕事が待ってるぞ!!
報われない愛のための仕事が、ずっと待っててくれるんだよ? ――――良かったね、ボク。
永遠に、永遠に、愛のために働き続けることが出来るんだよ? ――――良かったね、ボク。




