・田辺京也 16歳、ゾンビナオール――――。
深夜、クロ三号の中でただ呟いた。
「目を、縦に振ってみてくれないかな?」
羽田のターミナルでボクを監視していたZ達が一斉に目を縦に振った。
「イエスなら上下、ノーなら左右に振って欲しいんだ。良いかな?」
縦。
「ボクの名前は田辺京也。キミ達はボクという個体に興味を感じているのかな?」
縦。
「ボクを、監視しているの? 他の個体を守るために?」
縦。
「人間の脳が目覚めている時、キミ達は人間の身体を操れるの?」
横。
――――思ったとおりだ。だから、ボクを見張るのは夜だけなんだ。
「人間の身体に複雑な行動を取らせることは出来るの?」
横。
「それは、人間の脳が目覚めちゃうから?」
縦。
――――そりゃあ、眠っている最中に手足を激しく動かされたら、起きちゃうよね?
「たとえば、その建物の中の荷物を、ボクの近くに持ってくることって、出来るかな?」
縦と横が入り混じった。
――――作業の最中に、人間の脳が目覚める可能性があるからだろう。
「ごめんね。何日でも時間を掛けても良いなら持って来られるかな?」
縦。
――――Zくんたちが、抜きあし差しあし忍びあしで、人間を起こさないように……。
「たとえば、ボクが向かう先を前もって伝えておけば、その場所から離れていられる?」
縦。
――――これはいい。ボクの泥棒家業にはピッタリだ。
「たとえば、人間の体から出て行って欲しいと頼めば、出て行ける?」
縦と横が入り混じった。
これも、移動作業の最中に人間の脳が目覚める可能性があるからだろう。
「睡眠薬。人間の脳を眠らせる薬を使ったなら、どうかな?」
縦。
――――やっぱり、可能なんだね。
「……最後の質問。人間の体から出て、元の地中の世界に帰りたい?」
横。
――――でも、どうやら彼等は、知的生命体特有の好奇心に負けたらしい。
地上という新しい開拓地を得た。なら、もう戻れない。
これは、宇宙飛行士の気分なのかな? 冒険家の気分?
ずっと何億年も地中に存在し続けて、ようやく地上に出てきたんだ。何億年蝉かな?
都合の良いことに、地上には人間という乗り物があって、それに便乗することにした。
彼等は人間の脳を通して、地上の様々なことを体験し、様々なことを学んでいる最中だ。
それを止めて欲しいと言っても、中々には止めてはくれないだろう。
それは、子供の『何で?』を止める位に難しいお話だよね。
ゾンビナオールの開発には、随分と時間が掛かりそうだ。
知的好奇心旺盛な赤ちゃんを満足させるだけの、言葉と時間が必要なんだから。
ほんとうに、ずいぶんと時間が掛かりそうだよ――――。
◆ ◆
クロ三号。保科さんが考えられる限りの高機密の高気密。電波や音波を遮断する真夏の夜号。暑い。
ランダムな周波数の車体のブレにエンジン音、その他諸々を施した、対米軍仕様の情報隠蔽車両。暑い。
ねぇ、クロ三号? キミは冷房を搭載する気は無かったのかな? 相変わらず男らしい車だね?
暑い。
粘菌Z、その正体は――――自分でも良く解らないらしい。
固体とも群体とも呼べず、意思そのものが一つとも複数とも呼べない、そういう知性体らしい。
キミたちのその無尽蔵のエネルギー源は何処から持ってきているの? 答え、その辺。
――――全世界の科学者が、泣くよ?
自分の仲間が破壊される件については、よく理解できていないらしい。
人間を守りはするけど、その頭が吹き飛ばされても、別に構わないらしい。
粘菌や胞子を火で焼かれても、酸で溶かされても、別に構わないらしい。
ボクの私見。
本体は別の次元に存在し、感覚器官の一部が粘菌Zとして突出しているのだと考える。
無駄毛の一本二本が抜かれたり焼かれたりする、そんな感覚なんだろうね。
つまり、Zくんは男の子だ。女の子なら、迷わず自ら処理するはずだもの。
ボクは、ただあまりにも彼等の活動を邪魔しすぎたため、障害物に感じたらしい。
人間という乗り物を、あまりにも壊されすぎるのは、少し迷惑に感じたらしい。
――――ごめんなさい。全部、ボクが悪かったんですね。
羽田空港にミッチリと詰まっていたのは、空港の出す二次レーダーの信号が楽しかったそうだ。
DJ羽田。彼はその信号波で、今夜もグルーヴィーにZくん達を酔わせているらしい。
Zくん達はZくん達なりに、Z生活を楽しんでいた。
地上の見るもの、聞くもの、触れるもの……感覚にあるものの全てが新鮮だ。
――――その頭が吹き飛ばされる感覚すらも、また新鮮らしい。とても頭が痛い話だよ。
そりゃあ解るよ? 解りますよ?
地中にウン十億年、その暗闇から出てきたお登りさんの気持ちは、解んないな。
箱の中に閉じ込められて哲学していた知性体が、箱の外に出られた気持ちは、解んないな。
これは、帰って貰うための説得の糸口すら掴めない大問題だね。
それは全人類に対して、
『進歩することを止めませんか? 成長するの止めませんか? 新製品の開発は止めましょう!』
こう、口にするのと同じことだ。その答えは絶対にNOだよね?
誰だって、今よりもっと良い暮らしを求めているんだから。
今よりもっと、今日よりもっと、明るい明日を目指して歩き続ける宿命なんだ。
地上というものを知ってしまったZくんにとっても、もう後戻りの出来ない宿命なんだ。
でも、言葉があれば交渉や譲歩、妥協点を見つけることくらいは出来る。
ボクはプレッパーであって、科学者でもネゴシエイターでも無いんだけどなぁ……。
そして、ボクは卑怯で卑劣なハガキ職人のプレッパープレッパーさんだった。
無知な粘菌Zくんたちに対して、ボクとだけ独占交渉をして欲しいと頼んだんだよ。
かわりにボクは、昼間に襲ってきた場合を除き、キミ達の乗り物を破壊しないという約束をした。
答えは縦。はい、これで契約成立だ。あとは、彼等の誠実さを信じたいと思う。
全権大使のリチャードさんは、合衆国はZ研究において他国の百年先を行っていると公言した。
じゃあ、ボクは、何十億年先を行っているんだろうか?
ボクは今、ゾンビナオールを通り越してゾンビアヤツールを手に入れたんだからね?
――――悪いね、リチャードくん。
ボクはアメリカ合衆国大統領ですら顎で使える男なんだよ?
なにしろ言葉一つで、粘菌Zを人から取り除ける世界で唯一の人間なんだから。
奇跡の人として、宗教の教祖にもなれそうだ。――――ならないけどね?
◆ ◆
Zくんと対話可能であることを世界に発表すればどうなるか?
想像も及ばないほど、恐ろしい結果を招くことになるんでしょう?
人間同士ですら話し合いで解決できない世界に、Zくんを連れて行ったらどうなるか。
世界各国が自国に都合の良いことをZくんに吹き込んで、支離滅裂の大混乱になるだろう。
平和利用と軍事利用は両天秤だ。
平和に使えるものは、必ず軍事としても使えるものだ。
Zくんと対話できるという事実を伝えられるほど、ボクは人間を信用していない。
いや、信用出来なくなったんだ――――ゾンビトマールの一件で。気付く順序が逆でよかった。
ボクにとっては、ボクだけが知っていれば良いことさ。
あとは、Zくんだけが約束を知っていれば良いことさ。
相手は、軍事利用されても、それを新鮮な感覚として楽しんじゃうZくんなんだよ?
ボク一人だけが知っていれば、それで良いことだ。人間のことは人間自身でなんとかしなよ。
いい加減、ボクだって学んだ。
世界は善意に満ちていない。善意の種からは善悪の花が咲く。
そして、善意の花はすぐに萎れて、悪意の花は咲き誇り続ける。永遠に、永遠になんだ。
――――そんなことのために、ボクの友達のZくんは利用させてあげないよ。絶対にだ。




