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我ながら馬鹿だなと、外の空気を吸いながらそう思った。
冷静になってみればあんなのプロパガンダの一環であるとすぐに分かるもの。
どこの誰とも知らない人間の幸運を、誰が喜ぶ?
誰が気にする?
そうであるならばあの放送の意味は単純。
――焦燥心を煽ること。この俺のように。
どんなに無関心を貫いても。
どんなにクールに振舞っても。
『生きる』という事に対する心底の気持ちは変わらない。
生物の本能とも言えるその気持ちを抑える事はできない。
だからこそ俺もまた、その扇動に乗り行動を起こしていた。
「もう、なんなのよいきなり」
が、何故ルルナが一歩後ろを追うように歩いているのだろうか。
少なくとも誘った覚えは全く無い。
「それはコッチの台詞なんだが……」
「洗濯物、ちゃんと干しなさいよ」
「ああ、すまん。忘れてた」
「あのねぇ……」
頭を抱えるように眉間を押さえるルルナ。
「嫌だけど共同生活することになっちゃったんだから、頼んだことくらい手伝ってよね。当番制とか、そう言うのは面倒だからやりたくないけど頼んだことくらいはさぁ」
「ああ、次から気をつけるよ」
「まったく、どれだけ信用したら良いんだか……」
そう言って彼女は大きくため息を一つつくと、とんと地面を蹴って俺のすぐ隣へと寄ってみせた。
ふわりと石鹸のような香りが肩口をくすぐる。
「で、どこ向かってるのよ」
俺は無言で黒い名刺を見せる。
「まさか、あのフード小僧の所?」
「小僧、か」
「何よ?」
「いや、何でも」
女はカンが鋭いとよく聞くが、意外とそうでもないのだろうか……?
それともルルナが特別ニブいのか……なんだかそんな気もしないでもない。
「何でまた勝負する気になったのよ。昨日はあんなに反対してたくせに」
「それは――」
――足手まといが居たから。
とは口が裂けても言えない。
「気が変わっただけだ」
「ふぅん?」
ウソは言っていない。
プロパガンダ放送に乗ってその気になった事は否定しないし、それに――
「――この世界の賭場に興味がある」
「賭場? バーって事は飲み屋なんじゃないの?」
「普通はな」
そう言うと、ルルナは頭の上におもいっきりクエスチョンマークを浮かべて首を傾げて見せた。
「昔から『そう言う場所』は飲み屋と決まってる」
「ドラマの見すぎじゃないの?」
「どうだかな」
ルルナはそれっきり興味無いようにきょろきょろと周囲の風景を見渡していた。
で……これはこのまま着いて来るつもりなのだろうか。
「あっ、そう言えば」
彼女は不意に思い出したかのように声を上げると、腕の装置のボタンを押して、俺の方へと向けて見せた。
「さっきさ、ご飯作って食べてその後片付けしたじゃない? そうしたらさ、減ってたのよ。ほんのちょっとだけど」
言いながら見せる彼女の罪の数字。
流石にその詳細までは覚えていないが、雰囲気的には数が減っているような気がしないでもない。
「いくつだ?」
「う~ん……たぶん、50くらい?」
自分の事なのに随分曖昧だな……
「これってさ、多分『アンタのために』ご飯作ったり片付けたりしたからそれが評価されたって事なのかな?」
「そうなんじゃないか……?」
適当に返事を返しながら、一応自分の数値も確認しておく。
――934982ペケ。
昨日、フードとの勝負で-2000。
ドリンクを買って1。
それ以外の変化は見られない。
「なるほど……かもな」
もう一度、今度は確かめるように頷いてみせた。
人のために働く。
なるほど、仕事で給料が出るのなら日常生活でもそうでなければおかしい。
どんな仕事も本を辿れば誰かのためになっている。
その理屈で考えれば、例え身内の家事や給仕でもそれは立派な『善行』になるわけだ。
「共同生活か……意外と考えられてるもんだ」
家賃の折半などの点を考えても、同居という状況は非常にありがたい。
だからこそ強制的にペアを組まされた最初の待遇にも納得が行く。
「それが、この世界での『普通』の罪の清算方法という事だな」
1回の食事で50……まあ、洗濯してもらったりと他にも善行に当たりそうな点はあるがとりあえず概算として。
3食用意すれば150。
他にもバイトやなんだと何か手に付ければ日におそらく200近くは稼げる概算。
それが一ヶ月続けば6000ペケ。
折半される家賃や光熱費、生活必需品の買い物などを考えてもおそらくいくらかお釣りが来る。
50万くらいであれば数十年から3ケタに行くかどうかの年月で清算が可能になる。
「懲役100年――と考えれば妥当な線か」
現実と違って100年だろうと生きられるだろう。
この死後の世界なら、罪を償い切るまでずっと――
「ちょっと、何一人で納得してるのよ」
いつだかそうしたように、俺の顔を覗き込むようにして顔を寄せるルルナ。
「キミ、そのまま俺の世話係になる気無い?」
「冗談!」
そうか。確実に罪を清算できるんだがな……
「でも、1回ご飯作って50なら……やっぱりあの賭け事やったらもっと手っ取り早くペケを稼げるわよね」
それこそが甘い誘惑。
ギャンブルの手招き。
「それは現実世界だって同じだろう。普通の人が1ヶ月寝る間も惜しんで働かされて手に言える給金を、ほんの小1時間スロットのリールとにらめっこしていただけで手に入れられるんだ」
「そう……よね」
言いながら、ルルナは決まりが悪そうに目を伏せた。
生前の話になれば急にリアリティでも沸いたのか。
煽てには乗りやすい性格のようだし、馬鹿な事だと理解してくれれば良いんだが。
「そこまで分かってて、なんでアンタは行こうとしてるのよ」
結局そこに戻ってきてしまった。
「そうだな――」
だから俺は、それ以上問いかけられる事が無いようにこう答えた。
「――馬鹿だからじゃないか?」
目論見どおり、それっきり彼女がその話題を切り出す事は無かった。
その時の、まるで俺を誰かに重ねているかのような視線に僅かな既視感を覚えながら。
――『BAR:DEAD or ALIVE』
その酒場は昼間行った商店街の裏。
ちょうど、昨日フードと一戦行った路地の先に小さく店を構えていた。
昼間だというのに店名の書かれたネオン光は煌々と輝き、既に開店しているであろう事をこんな場所を通るかも分からない通行人へと知らせていた。
「これが、その名刺のお店……?」
想像していたのと違う、とでもいいたげにルルナは眉をしかめる。
「どんな所だと思ったんだ」
「そりゃ、バーってんだからこうもっとお洒落な感じというか……」
「カフェじゃないんだぞ」
「うるさいわね、つべこべ言わずに入りなさいよ」
そう半ば押し込まれるように俺はやや煤けた店のドアへを手を掛けていた。
吊るされた鈴が軽やかな音で入室を告げる。
同時に俺へと集まる店内の視線。
蝋燭の明かりで照らされた店内は薄暗く、外は現代的な世界であるにもかかわらずここだけ中世かそこらにタイムスリップでもしてしまったのではないかと思う風貌。
木製のテーブルは3組ほど、正面にはカウンター。
所狭しと並べられた酒類は生前のそれに似てどこか心地いい。
壁に掛けられたアンティークな絵画や銃(本物か?)が揺れる炎の明かりに照らされてよりシックな印象の店内を演出していた。
向けられた視線は5つ。
1つはカウンターの奥から。おそらくバーのマスターであろう、整ったスーツ姿の初老の男。
1つはカウンターの手前から。マスターと話し込むように一人でカウンターに座ったガタイの良いヒゲ面のオッサン。
残る3つは唯一埋まっているテーブルから。3人の男達が辛気臭い顔でグラスを傾けている。
彼らは何を語るでもなくただその視線を俺達へと向けてきて居たが、その時俺は確かに感じ取っていた。
この空気。
訝しげな視線に隠された、どこか狩人のような鋭い眼光。
間違いない――賭場の空気だ。
「いらっしゃいませ、当店は始めてでございますね。よろしければカウンターへ……それとも、そちらのフィアンセとテーブルでゆっくり語られますか?」
マスターは慣れた手つきでカウンター、そして開いている奥のテーブルを順にその手で指し示す。
「フィア――そんなんじゃありませんっ!」
後ろでけたたましく否定するルルナを他所に俺はどかりとカウンターの一角へと腰を下ろした。
半ば放置された状況のルルナもそそくさと俺の隣に腰掛ける。
「何にいたしましょう」
「キューバ・リブレ」
「畏まりました。お嬢様は?」
「へ? え、あ、えっと……ジンジャーエールで」
「はい、少々お待ち下さい」
こういう場所は慣れていないのか明らかに落ち着きの無いルルナだが、そんな事は知ったこっちゃ無い。
勝手について来たのだから慣れろ。
が、彼女は落ち着き無くきょろきょろと店の内装へと視線を巡らせていた。
「お待たせいたしました」
程なくして目の前に差し出される黒いカクテル。
俺は一口、グラスに口をつけると懐から先ほどの名刺を取り出し店主の前へと差し出して見せた。
同時に、一度は四散した店中の視線が再び集まったのを背中へと感じた。
「あるヤツに紹介されて来た。ここに来れば合えるってな」
言いながらカードを裏返し背面の文字を見せる。
店主はそれを見ると一瞬眉をピクリと動かして反応してみせたが、すぐに元の仏頂面に戻ると静かにカードを俺の方へと押し戻してきた。
「当店ではまず、ご来店いただいた方に1杯お飲み物を飲んでいただき……他愛のないお話はそれからとさせていただいております。渇いていては、舌も饒舌に回りませんでしょう」
OK、それがこの店の流儀なら。
俺は何も答える事無く、二口目を含んだ。
「うわっ、これ辛ぁ……マジもんの生姜汁じゃん」
そう、顔をしかめながらグラスを傾けるルルナ。
ジンジャービアか……以外に手が込んでるな。好感が持てる。
俺はグラスを傾けながら目線だけで店内の顔ぶれを見渡した。
店主は――違う。
カウンターの男も――違う。
ここからではよく見えないが、後ろのテーブル席の男達も違う。
少なくともこの店内に、あのフード野郎と目される人物は見当たらない。
もちろん、フードを脱いだ姿で潜んでいれば話は別だが……それはあり得ない。
「――キューバ・リブレ(自由万歳)か。粋なモン頼むじゃねぇか、兄ちゃんよ」
不意に、2つ席を離れて座るカウンターのヒゲ面の男がそう声を掛けてきた。
「生前のしがらみから解き放たれて自由だ、万歳ってか。よっぽど辛い人生だったんだろうよ」
酔っているのか、頬を赤く染めてご機嫌なその男は身体を開いて俺のほうへと向き直りグラスを掲げてみせる。
「病気だってならねぇ、死にやしねぇ、そんな世界だいくら飲んだくれたってかまわねぇ。自由万歳!」
そう言ってグラスの中身(前に置かれたボトルからおそらくバーボンだろう)を一気に煽った。
「ねぇ、あの人話しかけてるけど……」
「無視してろ」
やはり経験が無いのか、どうしたら良いのかも分からず俺へ顔をよせてヒソヒソと助けを請うルルナ。
だが、こういうのは適当に話を合わせるか無視するのが一番。
そして、強い酒を煽ってるヤツは後者が一番。
「――ごちそうさま」
そう言って、俺はカラになったグラスを店主の前へとこれ見よがしにおいて見せた。
「ありがとうございます。さて、こちらのカードですが……」
先ほどの言葉通り、酒を飲み終えた俺の手元からカードを拾い上げると店主は静かにその裏の文字を眺める。
「申し訳ございませんが、本日はこの筆跡の持ち主はお越しになっていないようです。ご覧の通り、この中にいらっしゃると仰られれば別ですが」
「いや、この中に居ないのは分かっている。だから呼んでくれよ、そうアイツから言われたぜ」
「おやおや……これは困りました」
言いながら店主は小さく笑みを浮かべると、カウンター奥のこれまたアンティークな壁掛けの受話器へと手を伸ばす。
そうして一言二言受話器へと言葉を掛けると、「畏まりました」と一言。俺の元へと帰ってきた。
「申し訳ございませんが、ただいま用事を済ませているとの事で少々お時間を頂きたいそうで。よろしければもう1杯、いかがでしょうか?」
「いいや、ならここで待たせてもらおう。水をくれ」
これから勝負をしようってのにアルコールなんて入れていられるか。
最初の一杯は礼儀だとしても、それ以上はお断りである。
「自由万歳ってぇ言った割にシケてんなぁ。もっと飲もうや、な」
カウンターの男は執拗に俺に話掛けて来るが、徹底的に無視。
俺はあのフードと勝負しに来たのであって酔っ払いと語らいに来たんじゃ無い。
頼むから、話しかけないでくれ。
「つれねぇなぁ……そうだアンタ、人を待ってるんだろ?」
そう言って、男は席を1つ隣へと詰めて来る。
そして、先ほどとは違うトーンで一言、こう言った。
――待ってる間、オレとひと勝負しねぇか?
その言葉に、思わず俺は男と視線を合わせた。
男はそんな俺の姿を見てニヤニヤと口元をゆがめ、バーボンを瓶ごと口へとあおっていた。