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「さあ、座りなよ。ゲームを始めよう」
パーカーに促され、俺はその小さなイスへと腰掛ける。
隣のイスにはおずおずとルルナが腰を下ろした。
「別に、参加しなくても良いんだぞ」
そう声を掛けると、彼女はしどろもどろと言った体ながらも首を横に振った。
「減らせるならポイントは早く減らしたいし……基本的には有利なんでしょ?」
もちろんトランプゲームである以上運の要素も絡んでくるが、それでも無理をして危ない橋を渡らなくとも良い程度にはプレイヤーの自由度がある。
バストさえしなければカジノゲームの中では比較的『戦いやすい』部類のゲームであることに変わりは無い。
むしろ、本懐はバストさせない事にあると言っても良い。
「引きとめはしないぞ」
「大きなお世話」
そうツンケンとする彼女であったが、若干の緊張というか気の迷いのような感情は表面上からも見て取れた。
おそらく賭け事と言うものは初めてなのだろう。まだうら若い少女だ、パチンコ店だって足を踏み入れた事は無いに違いない。
宣言した通り引きとめるような気はさらさらない。
ルール上1対1の勝負であるから足手まといとかそういう話はそもそも無いし、ギャンブルで夢を買う人間を引きとめるような無粋な真似をするつもりもない。
「ちなみに、いくら親対子の勝負だからと言ってゲーム中に子同士の相談は無しだよ。1ゲーム終わってから次のBETを行うまでの間ならアドバイスをしても良いけどね」
賭け事でそんな無粋な真似をするつもりはさらさらない。
俺は無言で頷いた。
「OK。じゃあルールはブラックジャック。ゲームはこの山1回分としよう。1デッキ分52枚。通常より少ない分、キミ達にとっては多少有利だと思うよ」
「ああ」
「分かったわ」
【ルールが確定されました。今回BETできるペケはプレイヤー側“5000”まで、です。配当はゲームのルールに従ってください】
ルールの確認と同時に『かぞえ~ル君』からメロディと共に音声が流れる。
「この間の説明で聞いたのと少し違うな……」
テンシからの説明ではお互いが賭けるタイプのBET宣言であった。
が、なるほどブラックジャックはそもそも親が賭けることは無い。
ルールによってBET数の判断も臨機応変という事か。
地味にハイテクな機能が憎い。
「最大5000か……」
最大で賭ければ1回の勝利で1ヶ月分の生活費が浮く話になる。
が、一度負けてしまえば今の俺にとってはほぼ破滅的。
肩慣らしの意味も込めて、あまり深追いはしないべきだろう。
「500で」
「5000!」
「は?」
「え?」
ルルナの宣言に一瞬言葉を失った。
「まて、お前何を考えているんだ」
「だって1ヶ月分の生活費じゃん!」
彼女は全く悪びれない素振りで言う。
俺は大きなため息と共に頭を抱えた。
「あのな……競馬とかと違って、これ1回で決まる勝負じゃ無いんだぞ」
「あ……そっか」
この女、本気で分かっていなかったらしい。
「一度宣言したポイントを取り下げる事はできないよ。500と5000でセット」
同時に『かぞえ~ル君』が淡い光を放ち、先にそうであったように白い文字で500及び5000と空中へ数字が浮かび上がった。
彼女の所持ポイントからすれば負けた所でまだ家賃1ヶ月分。
これも社会勉強……とでも思って貰おう。
「準備ができた所でドキドキのカードプレイだ。良い手が来ると良いね」
ケタケタと笑いながらパーカーがカードを配る。
配られたカードは以下。
イヅル――スペード4、ダイヤ9
ルルナ――ダイヤ6、スペード5
パーカー――ハートJ、非表示
軽く点数に関して説明しておこう。
ブラックジャックにおける数の数え方は少し特殊で、まず2~10に関してはそのままの点数として見て良い。
それに加えてJ~Kの絵札はすべて10。
一番特殊なのがエースで、基本は11と数えるが、これを11として数える事で役がバスト(21を超えてしまう)場合は1として扱う。
以上の手を使ってできるだけ21に近づけてゆく勝負である。
盤面を見れば俺が13点、ルルナが11点。パーカーは10点+α。
若干、微妙な手だが特にヒットしない理由も無い。
「ヒット」
「私もヒットで」
ルルナの点数は11点。仮に次10を引けばドンぴしゃりの21となる(さらに言えば上記の通り10は比較的多い)ため『ダブル』でも構わないくらいだが……まあ、元々突き抜けたBETだし構わないだろう。
ヒットの宣言に対し、カードが配られる。
俺に配られたカードは――『ハート6』。
これで先ほどのと合わせて19。まあ、悪くない。
「あ、やったやった!」
隣でルルナが大はしゃぎしているのが耳に入った。
盤面を見ていれば彼女が引いたのは「クラブQ」。
見事21達成だ。
「スタンド」
「えっと、私もスタンド!」
「お嬢さん、なかなかやるね。OK、じゃあディーラーのオープンだ」
そう言いながらパーカーが捲った伏せカード――スペード6。
ルールに則れば親はヒットしなければならない。
「う~ん、美味しくないな。でもルールだからヒット」
良いながら自らにカードを配る。配られたのは『ダイヤ10』。
「あっちゃ、バストだ。親の負けだよ」
【コングラッチュレーション、アナタが勝者です! 配当500ペケを清算いたします!】
かつて聞いた気の抜けたファンファーレと共に浮かび上がっていた数値が青色へと変色する。
そうして俺のポイントから500ペケが引かれていった。
同じように、ルルナのポイントから5000が引かれてゆく。
「ひえ~、こんなんで良いんだ?」
隣で目を丸くするルルナ。
うん、この反応……初々しい。
一方でパーカーの数値からは合わせて5500が加算されてゆく。
チラリと見えた数値だが、ヤツのペケは既に5桁を切っていた。
「随分稼いでるみたいだな」
「まあね。気を取り直して次のゲームに入るよ。BETを決めてよ」
何食わぬ顔で次のBETを迫るパーカー。
あのポイントじゃ、5500程度はまだ痛くも痒くも無いのだろう。
「500」
「えっと……じゃあ1000で」
思わずため息が漏れる。
「お前な、もう少し小心者になっても良いんだぞ」
「だってちまちましたの嫌いなんだもの!」
そう、ぷりぷりと頬を膨らませて言うルルナ。
言いたいことはいろいろあるが、この際もう面倒だ。好きにさせてやろう。
「OK、配るよ!」
白い数字が浮かび上がるのを確認して、木箱の上をカードが舞う。
イヅル――ハート4、ハート1
ルルナ――ハート2、クローバー2
パーカー――スペードJ、非表示
「表の目は消えたか」
ブラックジャックにはいくつか特殊役と呼ばれるものが存在する。
基本は賭けたチップと同額が貰えるこのゲームであるが、その配当を2倍、3倍と増やすことができるのが特殊役だ。
ゲーム名ともなっている『ブラックジャック』も特殊役の1つ。
初手で21を揃える事により配当は2.5倍になる。
中でも『表』――スペードのJとエースで構成された21点。
より揃える事が難しくかつスタイリッシュなこの役の配当は掛け金の15倍である。
もともとそんな夢物語に賭けるつもりは無いが、大勝の目が1つ消えたという程度には覚えておかなければならない。
「ヒット」
Aを含めての盤面15点のため、とりわけ何のためらいも無くヒットを掛ける。ルルナもまたカードを要求。
配られるのは『スペード7』。合わせて22となってしまうのでAは1点として数え、総計は12点。
一方のルルナは「ダイヤ7」。合わせて11点――以外に引きが強いな。その点は関心しよう。
「ヒット」
追加のヒットを要求する。カードは『ダイヤK』。
「バストだ」
仕方ない。これはそう言うゲームなのだ。
「うん、まあ、良いんじゃないの?」
ルルナの引きはというと――『クラブ9』。計20点。十分な勝負目だ。
「えっと、これはスタンドで良いんだよね?」
不安げに俺に同意を求めるが、助言はルールで禁じられている。
通じると信じて、アイコンタクトでそれで良いと告げる。
「す、スタンド!」
「OK、ディーラーオープン」
パーカーの伏せカードは『ダイヤ2』。1枚ヒットし、『ハート5』を加えて17。
「ディーラースタンド。お嬢さんの勝利だね」
「やったやった、ちょろいじゃない!」
2連続の勝利に明らかに浮かれるルルナ。
こういう姿を見ていると、老婆心ながらなんとも胸が痛い。
「あまり強く張るなよ」
「大丈夫大丈夫、なんとなく分かってきたし」
そう言えば、いつの間にか俺への警戒心が薄くなっている気がする。
ルールの整ったゲームの上では流石に気も緩んでいるのか。
ありがたいといえばありがたかった。
ゲームに負けた俺は500ペケの罪状加算を受ける。これで先ほどの勝ち分とイーブン。振り出しに戻ってしまった。
「が……コイツの言い分もあながち間違いでは無い、か」
実際の所、俺が必要としているのは500だとか1000だとか、そんな小額のポイントではない。
差し迫って万単位。可能であれば6桁単位のポイントの減額が必要とされているのだ。
あまり大きく貼ることは得策では無いが……1ゲーム1デッキと考えればあまり悠長にもしていられない。
少し大きく張ることも必要なのかもしれない。
「1000だ」
「お、上げてきたね。どんな心境の変化?」
「いろいろな」
パーカーはおちょくるように口ぞえして来たが、俺は出来るだけ平常心を保ったまま返事をする。
あまり弱みを見せる必要は無いというもの。
「2000で行ってみようかな」
コイツは一度負けた方がいいと思う。
他人を蹴落とす趣味は無いが、今は素直にそう思う。
「じゃあ配るよ!」
イヅル――ハート10、スペードK
ルルナ――ダイヤ5、ハート9
パーカー――ダイヤ8、非表示
「スタンド」
何も考える必要は無い。俺は配られた瞬間そう宣言した。
「私はヒットで」
突っ張るルルナのヒットは『クラブK』。
バストだ。ざまぁみろ。
「え~、うっそ!?」
「だから言わんこっちゃ無い」
もっとも、点数的にはヒットして正解なのだが……やはり『こういうゲームなのだ』としか言いようが無いのがギャンブルの悪い所だ。
「残念だったね。じゃあ、ボクの番だ」
パーカーの伏せカードは『スペードQ』。俺の目に負けているが、ルール上スタンドしなければならない17オーバー。
「残念だけど、ボクの負けみたいだね」
敗北宣言でポイントが変動する。
俺はマイナス1000。
ルルナは先ほどまでの勝ち分から差っ引いてマイナス4000。
パーカーはプラスの6000。
「最初のお嬢さんの勝利が利いてるね。いや、痛いよ」
言いながらもそんな事微塵も思っていないようなおどけた口調でパーカーは頭を掻く。
「さて、折り返しだ。もう半分、勝負しようか」
それから、残る山であと3回ほどゲームが続いた。
結果は俺、ルルナ共に1勝2敗。
終了時の点数としては、俺がトータルマイナス2000。
ルルナもマイナス2000。
パーカーがプラス3000となった。
「うん、概ねルールには慣れたんじゃないかな」
そう言って、パーカーが使い終わった山を再びシャッフルする。
まるで俺たちの同意も得ずに、もう一戦をするかのように。
が……その気であるならば、俺もやぶさかではない。マイナス2000ぽっちのポイントでは焼け石に水。
まだ家賃分さえ稼いでいないのだ。
「それにしてもお兄さん、レンゴクに来たばかりなのに随分がけっぷちの状況みたいだね」
ヤツが言っているのは俺のポイントの事だろう。ゲーム中にもオープンでポイントの増減は行われる。その数値に目が行かないという方がウソになる。
「生憎な。できるならもう少し稼がせてくれると嬉しいんだが。アンタは随分余裕もあるみたいだし」
「悪いね、八百長は引き受けてないんだ……でも」
そういい含めて、パーカーは静かに、しかしハッキリとそう答えた。
「必要なら、チャンスをあげてもいいよ?」
「……なんだと?」
不意に場の空気が変わった。
それはそう、先ほど商店街でヤツに始めて出会った際に感じたような、捕食者に見初められた獲物の気分。
賭博場に溢れているようなどろどろとしながらも張り詰めた嫌な空気が、一瞬で場を包み込んだ。
「言っただろう、BET数は不利なルールであるほど……逆に言えば、複雑なルールであればあるほど跳ね上がる。だからボクが、このブラックジャックにルールを付け加えてあげようと思ってね。そうしたらそう――」
言いながらパーカーは値踏みするように指を折り曲げ数えるが、俺には分かる。おそらくヤツの答えは既に出ているのだ。
なぜならば――
「……1ゲーム、BET最大『20000』は難くないよ?」
――これがコイツの魔窟。
ブラックジャックで親が大勝する事はそうそう無い。大体は負けこんで来た所で子がゲームを降りてしまうからだ。
そんな中でパーカーがこれだけ自信を持って稼いでいる理由。
コイツは『コレ』で、稼いでいたのだ。
「……どんなルールを付け加える? 話はそれからだ」
「なぁに、簡単だよ。ブラックジャックの特殊役は知ってるよね?」
特殊役――さっき説明した『表』がその1つであるが、ブラックジャックに用意された特殊な配当役だ。『ブラックジャック』を除いて滅多に見ることは無いが、それを揃える事で何倍もの配当を受けることができる一攫千金の手である。
「特殊役の配当を親側にも認めさせてくれたらおよそ『10000』ペケ」
「それは親が特殊役を完成させた場合、俺たちが支払う額に掛かるという事か?」
「その通り」
パーカーは何一つ悪びれる素振り無く頷く。
「え、何? どういうこと?」
「お前は少し黙ってろ」
「何よ~!」
明らかに理解していなさそうなルルナをとりあえず黙らせて、俺はヤツへと続きを促す。
それで10000ならばまだあるのだろう。
BETを20000にするための、もう1つの条件が。
「じゃあ、もう1つの条件」
パーカーはビシッと指を一本俺の顔面目掛けて付きたてながら話を続けた。
――親にもヒットorスタンドの選択権を与えてくれれば最大『20000』のBETができるよ。
「は……っ!」
思わず引きつった笑みが浮かんだ。
親が機械的にヒットとスタンドの処理をするからまだ価値の目があるものに選択権を与えろと?
それはもはやギャンブルじゃない。
圧倒的に親が有利な出来レース。
親に賭け金と言う名のゲームの参加料を払い続けるだけの、そんな一方的な蹂躙が行われるだけだ。
「もちろん、その場合は『ディーラー完全後手』のルールは廃するよ。もちろんヒットorスタンドの選択権は子が先だけど、親と子でその選択権を1回ずつ持ち回りだ。もちろん、ヒットしたカードはすべてオープンカードにする」
それは一重に先に子の引きを見ることができる親が圧倒的に有利と言うこと。
そんなルールを、このガキはいけしゃあしゃあと言いやがった。
「誰がそんな勝負を受けるかよ」
やっていられない。
そんな勝負を引き受けるくらいなら、パチンコだロトだに賭けた方がまだマトモなくらいだ。
それにまだ『一般的な清算法』の存在も不確かな状態。こんな身を削るようなことをせずとも生きてゆく方法が、あるハズなのだ。
「良いのかなぁ。パチンコも確かにあるけど、1玉1ペケにも満たない配当だよ?」
またもや思考を見すかされたようにそう口添えられる。
「それでも答えはNO、だ」
俺は迷う素振りを見せる事無く、キッパリとそう言い切った。
「そっか、残念だなぁ」
仕方ないと言うようにパーカーはカードをポケットへと仕舞うと、入れ違いに1枚の名刺を取り出し木箱の上へと滑らせた。
「もしも、もしもだよ。気が変わったらここにおいでよ」
渡された黒い名刺の表には『BAR:DEAD or ALIVE』というお店のロゴと共に、住所と思わしき地名と番地が記されている。
「そのお店に行って裏面を見せたらさ、ボクの事を呼んでくれると思うよ」
そう言われて裏返したそこには、丸っこい女のような手書きの字で『挑戦権』と書かれていた。
「いや、んなモンいらない――」
そう、名刺から目を離してパーカーへと投げ返そうとした時であった。
木箱を挟んだ対岸に、既にヤツの姿は無かった。
「あ、あれ、どこ行っちゃったんだろう」
同じように名刺を覗き込んでいたルルナもまたヤツの存在を見失ったようで、周囲をぐるぐると見渡している。
この路地、隠れられそうな場所こそあるものの、道自体は一本でそう見失うような所じゃない。
まるで最初からそこには居なかったかのように、パーカーの存在は一瞬にして消え失せてしまった。
この黒い名刺だけをその場に残して。