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扉の先には短い通路が続いていた。
奥にもう一枚の扉。
まるで離れと店を繋ぐかのようなその短い通路の先に、目的の相手が居ると言う。
奥の扉を前に、ノックもせずに一思いにノブを捻った。
蝶番の軋む音と共に開かれる扉。
その先に広がっていたのは6畳ほどの小さな部屋。
赤い絨毯の設えられた見るからに高級感溢れる部屋の拵え。
壁一面に並べられた酒瓶の数々。
中身はおそらく、店先には出していない高級なものばかり。
他に目立った装飾は無いが、中央に置かれた緑色の半円状のテーブルと、その先にある横長のデスクが印象的。
そしてそのデスクには、椅子に持たれかかるようにしてヤツが座っていた。
「やぁ、来てくれて嬉しいよ!」
そいつは相変わらず表情が分からないほどにフードを深く被り、それでも嬉しさに弾むような声でそう口にするとガタリと椅子から立ち上がる。
「あれだけ煽って来てくれなかったらどうしようかと、ちょっと心配していたんだ。実際、昨日は来てくれなかったしね。寂しかったなぁ」
言いながらデスクを回り、スタスタと大量の酒が置かれた棚へ。
「ほら、そんな所に突っ立ってないで中に入って来なよ。応接テーブルは無いから『そこ』しか空いてる席は無いけど……何か飲む?」
言いながら指差すのは中央の半円状の――カジノテーブル。
俺はその1席に腰掛けると、並んだ酒の1つを指差す。
フードはその瓶を指差し確認すると、そのボトルネックを掴んで静かに丸氷の落とされたロックグラスへと注ぎ込んだ。
「これを選ぶとは中々目が高いね。あっちの世界でも結構珍しいものだと思うよ」
あっちの世界――とはもちろん生前の世界だと思うが、それを口にするフードの口調には懐かしみもへったくれも無い。
だから俺は、それに答えるでもなくこう口にした。
「いい加減、変な芝居はやめたらどうだ?」
「芝居? やだなぁ……」
フードはケラケラと笑いながらテーブルの対岸へと着くと、手に持ったグラスの一方を俺の方へと差し出して答えた。
「どこで気づいてた?」
「路地裏で勝負をした時。そりゃぁ、カードも『タネ』も同じものを使っていれば気づかない方がおかしい」
「あ~、なるほど。アレでちゃんと気づいてくれたんだ」
大きく頷きながら、そうかそうかと口元に笑みを浮かべるフード。
一方、ルルナは完全に分けが分からないと言った様子で俺とフードとを見比べる。
「カードって……? 『タネ』ってどういうこと?」
「ニシキドちゃん、死んでから最初にやったゲーム覚えてる? まあ、同じゲームやったか知らないが……」
「えっと……案内みたいなの受けた時にテンシさんとやったアレ? トランプから1枚選んで数字が高い方が勝ちって言うやつ」
「それだ。あのゲーム……実は『イカサマ』されていたと言ったら信じるか?」
「イカサマ!? だって私、あれ勝ったよ!?」
完全に初耳だと言った様子で声を荒げるルルナ。
イカサマされているのだから勝つのは当然だ。だって『俺も勝った』から。
「あのテンシ、わざと負けてたんだ。気づかなかったのか?」
「へ……?」
「気づいて無いと思うが、あの時使われたカード……かすかに『匂い』がついていた」
「匂い……何の?」
「香水」
「香水?」
明らかに怪訝な表情を見せるルルナ。
「使用する52枚のうちの2枚にだけ、香水で匂いが付けられていた。しかも、それぞれ別の匂いだ。あの時のテンシはその匂いをかぎ分けて、“もっとも弱いカード”をその手で選んで居たんだ」
「待ってよ、じゃあ何、わざと負けてたってわけ?」
だからそう言っているのに。
「で、でもそれなら2枚に匂いを付ける意味は……? そんなの、一番弱いカード1枚に匂いを付ければ良いだけじゃない」
「それが謎だったんだがな……不思議な事に、そのもう一方は“一番強いカード”だった」
そう、一番弱いカードと対になるように印が付けられていたもう一方のカード……“エース”。
あのくじ引きでもっとも強いとされていた、そのカード。
俺はカンで2種類の内そちらを引いた訳だが。
「何故そんな事をするのか、地味に疑問だった。だがおそらくまた会う事も無いだろうと思って忘れ去ろうとしていたんだが……路地裏の一件でようやく分かった。あの時、エースにも香水が吹きかけられていた理由も」
言いながら、フードの隠れた瞳を視線で射抜く。
いい加減、正体現せよ。
「なぁ、テンシさん」
その一言に、フードは思わず噴出してしまったかのように腹を抱えて笑い出した。
その声は、今まで無理に出していたような少年らしい中性的な声ではなく、キャピキャピした完全に『女』の声。
「あっはっはっ、いや、ばれちゃった? ショタのふりは結構自信あったんだけどなぁ――」
言いながら、笑い涙の溜まった目元を指先で擦りつつそのフードを一気にはがして見せた。
第一に目に入るのは後ろで短く纏められたブロンドの髪。
フードの奥から現れた、その美しい髪に意識が吸い寄せられる。
次に目が行くのはその澄んだ宝石のような赤色の瞳。
吸い込まれそうなほどに輝くその瞳で命一杯に笑顔を作り、『彼女』はどっかりと椅子に腰掛けた。
「ああっ、あの時の受付のお姉さん!?」
フードを取った彼女へと思いっきり指を指しながら、素っ頓狂な声を上げるルルナ。
彼女はパーカーに短パンというラフな恰好ではあるが、それでも分かる気品あるお辞儀を一つ。
「どうも、お久しぶりです。ニシキド様、シノノメ様。息災で何より、レンゴクでのご生活はお楽しみになられてますか?」
そうテンシ・サキはよどみの無い口調で答えと、ニッコリとあの時のように笑顔を作ってヒラヒラと手を振って見せた。
「ふぅ……お待たせしました♪」
それから暫く、サキは着替えてくると言って出て行った後、30分ほどして部屋へと戻って来た。
先ほどの恰好とうって変わって真っ白なシャツに黒いタイトスカート、同じく黒のタイツに磨かれたヒール。大胆に開かれた胸元を押さえる黒いベスト。
髪の毛は綺麗にシニョンに纏め上げ寄り一層の気品を思わせつつ、開いた首筋に身に着けた銀の羽飾りのチョーカーが印象的だ。
「うわぁ……綺麗」
女のルルナでも思わず零れるその吐息。
受付の事務的なスーツとうって変わって『場に相応しい服』に身を包んだ彼女は、確かに魅力的であった。
「やっぱりコッチの方が落ち着きますね~。スーツは肩が動かしにくくって敵いません」
言いながら肩をぶんぶんと回して見せるサキ。
「なるほど、アンタがこの店の胴元ってわけか」
「あ~、それはちょっと聞き捨てなりませんね」
そう頬を膨らませて怒って見せた彼女は、すぐにニッコリと笑顔に戻るとその懐から名刺を1枚取って差し出した。
「『BAR:DEAD or ALIVE』のオーナー、サキです。よろしくお願いしますね♪」
そう改めて挨拶をする彼女。
「受付の時のテンシってのは?」
「う~ん、それはなんとも答えにくいんですけど……」
そう、唇に人差し指をあててうーんと唸って見せた後、サキはその指を上に向けて小さく振った。
「ああ、ほら、種族みたいなものだと思ってくださいっ。ニンゲンに対するテンシ、みたいな感じで♪」
とは言われても、所謂『天使』のように翼が生えているようにも、頭の上にわっかがある様にも見えない。
「でも綺麗だなぁ……」
そう相変わらず見とれているルルナ。
確かに、その佇まいだけ見れば天使と言っても過言では無いかもしれない。
「この世界には『テンシ』って言う者達はいっぱい居るんですが、皆、ぱっと見は分からないんですよ。だって私も、ニンゲンそっくりでしょう? テンシってのはレアキャラで、見つけられてかつその正体を暴くことが出来ると、とっても嬉しいボーナスがあるんです」
そう言うと、サキは両手を一杯に広げて声を張り上げた。
「ぱんぱかぱ~ん! なんと、シノノメ様には私に挑戦する権利が与えられま~す! しかもその勝負のレートは――通常の10倍!」
――10倍?
「レアキャラですから、そういう仕様なんですよ。ほら、すぐ逃げるけど倒せば経験値がっぽりな液体金属とか居るじゃないですか。あんな感じです♪」
言いながら、こう、手でうねうねっと液体金属状のモンスターの姿を表現してみせるサキ。
「それは……昨日、路地裏で勝負した時も適用されてたのか?」
「あ……あはは……」
その質問に、サキはバツが悪そうに目を逸らした。
思いっきり。
「実は……はい。言わなきゃバレないかなぁと思って」
レアキャラが自分からエンカウントしに来るなよと言いたい。
と、言う事はブラックジャックの本来のBETは500――パチンコが安いらしい世の中だ、機械的にプレイすディーラー相手のカードゲームならそんなものと言うことか。
「で、ですね。こうしてわざわざ来てくれたって事は、もちろんしてくれるんですよね、勝負。ね、ね?」
そう、迫るように顔を寄せるサキ。
そんな俺の腕をルルナが強く引っ張った。
「なんか胡散臭いし、やめておこうよ。それにさっき大勝ちしたじゃない。それで暫くは大丈夫じゃないの?」
先ほどの『ごきぶりポーカー』での勝ち分は72000ペケ。
90万をぶっちぎっていた俺の罪状は、今やその数値を大きく減らし『878982ペケ』となっていた。
「いいや、まだだ」
そう言って俺はルルナの手を振りほどく。
「さっきのは単なる余興……時間つぶし。本来俺は、こいつと勝負するためにここに来た。ああ、白状するさ、ニュース番組のプロパガンダに載せられて、一時の感情で部屋を飛び出した。だけど……さっきので思い出した」
「……何をよ?」
怪訝な表情でルルナが問う。
俺は真っ直ぐに彼女を見返し、こう答えた。
「――俺がどんな世界で生きてきたのか」
そう口にした際の自分の表情がどんなものであったのか、それは自分では分からない。
だが、少なくともどこか引きつったような顔を見せたルルナの表情を鏡に、ろくでもない顔をしていたんだろうなと、そんな事だけは感じていた。
「流石ですっ、シノノメ様はそうでなくっちゃ! でないと私の眼に狂いがあった事になっちゃいますしね」
サキはパチパチと拍手をしながら俺の言葉を迎え入れる。
そうしてパチンと一つ指を鳴らすと、何処からとも無くA4サイズ程度のバインダーが手品のように手中に現れた。
「シノノメ・イヅル、24歳。無職。東京近郊のベッドタウンに住み、バイトや大会で生計を立てる。その競技は――」
バインダーに挟まれた1枚の紙。
俺の生前歴とでも言うのだろうか、それを読み上げるようにつらつらと言葉を並べるサキ。
その口から、言葉は紡がれた。
競技は――ギャンブル。
「主にポーカー大会の大会荒らしとして有名だそうですね。国内外問わず、優勝経験豊富だそうで。一方で、いわゆる裏賭博にも精通……こちらもまた、ご立派な成績で」
「よく知ってるじゃないか」
「神様のメモ帳にウソは書かれていませんからねっ」
そう言いながらサキは再び手品のようにバインダーを消してみせた。
「そんなシノノメ様ですから、きっと楽しい勝負になるって期待してますよ、私♪」
サキはニコニコと笑顔を振り撒きながらも、その瞳の奥に煌々とした輝きを灯して俺の瞳を見据えていた。
「裏、賭博……?」
その単語に以外にも反応を示したのはルルナだった。
目を見開き、どこか虚ろな表情で、かみ締めるよう口の中で連呼する。
「おい、どうした?」
その腕を掴もうと手を伸ばす……が、触れる前にパチリとその手をはたかれた。
何だって言うんだ、急に。
「まぁまぁ、いたいけな同居人はほうっておいて早く勝負しませんか? もう、うずうずしてるんです。勝負方法はなんでも良いですよ? トランプでも、ボードゲームでも――」
「――ブラックジャックだ」
間髪居れずに、そう切り出した。
「アンタが昨日言ってた特殊ルール。それでやる」
そう口にした瞬間、サキの笑みはきゃぴきゃぴとした人懐っこいものからねっとりとした、どこか妖美な雰囲気のものへと様変わりする。
「“親の特殊役”“ヒットorスタンドの選択”それを認めるって言うんですね?」
「ああ。ただし、俺からも一つ、ルールの提案がある」
これが一番大事な部分。
この勝負で、少なくとも『対等に闘う』ための逆転のルール。
――こちらのカードも1枚、クローズで行う。
「本来、1枚クローズはディーラーにのみ適応される一種の『運試し』要素。それを子にも認めて貰いたい」
「……ふっ」
そう切り出すと、サキはふと、口元から笑みを噴出した。
「ふっ……あははははははっ! 良いね、それ良いよ~! つまり、こう言いたいんだよね?」
“お互いに相手の手を読みながら、勝負する。心理戦をやろうって”
「そして……私にも、賭けさせるんですねっ?」
「もちろん、アンタにも掛けて貰う。『これは対等な勝負だ』」
対等な、を強調し俺は言う。
これが俺の逆転のルール……親と子のルールを対等にする。
そうするとあら不思議。
親対子のゲームでなく、1対1のプレイヤー同士のゲームに様変わりだ。
「OK、それでやりましょう! でも、ちょっとルールを纏める必要がありますね。いくつか明文化して紙に書いておきましょう」
サキはパタパタと自分のデスクへと掛けてゆくと、その上に置いてあったメモ用紙を1枚とペンを取り上げる。
追加ルール――互いに特殊役は有効。
追加ルール――ヒットorスタンドの選択は互いに有効。
追加ルール――互いに、1枚目に配られたカードはクローズ(裏向き)にする。
「そうなると、カード配りはどうしましょう? どちらかが配ると、それだけで不公平になります」
「それは問題ない。彼女にやらせる」
そう言って指差すのはルルナ。
「……え、私?」
ルルナは自分が指名されたことにハッして、やや上ずった声で答える。
先ほどの呆けた様子から一転、いつもの調子に戻ったようにも見えるが……なんだったのだろう?
「ニシキドちゃんはカード配りでイカサマできるほど起用じゃない」
「確かに、それなら公平性はありそうです」
「アンタ達ね……!」
額に青筋を立てるルルナの苦言は他所に、ルールとして書き加える。
追加ルール――カードはニシキド・ルルナが配る。
「ヒットの順番は?」
「1ゲームずつ交互だと面倒ですね……ひと山使い終わる毎に交代でどうですか?」
「なら勝負は2ゲーム。1ゲームをカードの山1つ使い切るまでとしよう」
追加ルール――1ゲーム1山とし、先行ヒットは1ゲームごと交代とする。
「ああ、あと、もちろんこれもだ」
追加ルール――ダブル、インシュランス等の掛け金変動行為も互いに権利を有する。
「良いんですか? 自分の首を締める事になるかもしれませんよ……?」
「ああ、構わない」
その分、掛け金は上がる。
そういう『手法』は先ほど確認済みだ。
「ああ、あと、もう一つだけ……」
言いながら、サキはルールへと追記する。
追加ルール――ひと山として使うカードは2ケース、計108枚を使用する。
「追加と言うほどでも無いですけどね。ひと山54枚だと簡単に『数える事』ができますから」
そう言いながら悪戯っぽい笑みを浮かべるサキ。
「そこまで記憶力は良くないつもりだが」
とは言うが、おそらく覚えられるだろう。
「よしっ、できました!」
ぱんと一つ手を打って、メモ用紙に書かれた内容を彼女はもう一度確認するように読み上げた。
これが、今回の変則ブラックジャック――ツイン・ジャックの特殊ルールとなる。
追加ルール1――互いに特殊役は有効。
追加ルール2――ヒットorスタンドの選択は互いに有効。
追加ルール3――互いに、1枚目に配られたカードはクローズ(裏向き)にする。
追加ルール4――カードはニシキド・ルルナが配る。
追加ルール5――1ゲーム1山とし、先行ヒットは1ゲームごと交代とする。
追加ルール6――ひと山として使うカードは2ケース、計108枚を使用する。
追加ルール7――掛け金変動の宣言も互いに権利を有する。