Episode-2-2
俺は時間を確認して、携帯をポケットにしまう。現在時刻は六時四十三分、秒数不明。
鮮やかな夕暮れが視界に滲む。建物から落ちる影も大分深くなっていた。
「割と外れの方にあるんだな、家」
住宅街の一角へと足を運んだ俺と月森(プラスその他)。俺は両手にエコバッグを手提げして岐路に就いていた。だが、自分の家じゃない。
月森の住んでいる──女の子の家。そこに向かっている。妙な気分だ。
脳裏に妹の影がよぎり、俺は俯いた。
少なくとも今は……小夜実との生活の臭いが残る、あの場所には……戻りたくない。
「そういや、今まではどこに住んでいたんだ?」
月森は一週間前に転校してきたようだし、別の場所に住んでいた可能性が高い。
それとなく尋ねるが、反応が薄い。
無言の月森に変わって、フランが質問に答えた。
「転々としておったな。ユイの性格じゃからのう……大体は友達が出来る前に気味悪がられておしまいじゃ」
「ふ~ん……」
この学校でもすぐにそんな感じみたいだし、色々大変なんだろうな。
「とは言うても、勉学は家でもわしが手ほどきしていたからのう、無問題じゃ!」
いや、それは信用できない。
「何じゃ、そのあからさまに疑った顔は。見てみい、このユイの一般常識と道徳心を!」
淡々と歩を進める月森に目を配る。
まぁ確かに、こいつに教育されて変な影響を受けなかったのはすごいと思う。
ん……教育?
そうか、もしかして月森は親がいないのか。
「捨てられたのじゃ」
フランは淀みを含んで、言葉を地面に吐き捨てた。
「ユイには、薄まっていたはずのミルフォード家の血が色濃く残っておる。生まれつき『刻印』を持っていたのじゃ。その影響は様々な形で不幸を集めた」
俺と月森の足音が地面を鳴らす。
人気の少なくなった風景で、ふっと教会が目に留まる。
「教会か……わしも日曜日になると、ついふらっと覗いてしまうのじゃ。一応、信仰する対象があったからのう。日本では余り多くないようじゃが」
今時、石造りの風格ある教会は珍しい。隣の建物と比較しても、天へそびえるこの教会は一際に秀でて見える。見る人間が見れば、確かな拠り所になるのだろう。
「日本には仏教が根づいておるのじゃから無理もないがのう。それに移民も多くはない、まぁ日本人なら、気にしても精々、冠婚葬祭くらいじゃろ」
感慨に耽っていたフランだったが、すぐに目を離す。
そのまま教会を通り過ぎていく。
「つまり、月森は最初からお前が見えたのか?」
月森に話を促すが、とりあえず答える気配はない。
「ん~まぁ、正確に対話出来るようになったのは、ユイが三歳の時からじゃな。わしの姿が見えるユイが、カタコトで問うてくるのじゃ。お姉ちゃんは誰? とな」
家と家の隙間から伸びる、オレンジ色の光が視界を遮る。地平線に没する黄昏が別れを呼ぶ。
「ん~まぁ細かい話は追々じゃな。とにかく、ユイは色々なものが見えたのじゃ。それが原因で親に疎まれ、祖父母の家に回され……それから先は想像すれば分かるじゃろ」
「ああ、悪かったな。余計なこと聞いてしまって」
もう夕日も沈む、真っ暗な夜の時間が訪れる。
「月森……」
白銀の髪をした少女の横顔を見て、俺は表情を濁す。
振り返る。
ゆっくりと自然な姿で。
月森は、夕焼けに負けないほどの柔らかな笑顔で応えてくれた。
※
「おじゃましまーす」
月森の住む家に着いた俺は、ドアを開放して待機する家の主人に勧められて、いそいそと部屋内へ立ち入った。
木造建築アパート、家賃はまずまず。それほど金はかかってないだろう。
年数の経過した二階建ての外観は、お世辞を言うと素朴な印象のある建物。とは言え、俺と小夜実の生活していた所も豊かな生活環境だったわけじゃない。まして他人の家にケチをつけるのは言語道断だ。
玄関で靴を脱いで、多分、客用だと思われるスリッパに履き替える。
そして促されるまま奥へ進む。
月森が靴を整え、鍵をロックしチェーンもする。念入りだな……女の一人暮らしなんだから、当然か。侵入者が来てもフランじゃ何もできないだろうし。
「……どうぞ」
「あ、あぁ」
ごくりと唾を飲み込む。数歩進むと程なくして居間へと辿り着いた。
ふ~ん、俗に言うワンエルディーケーか。
基本的な設備。それに一室備えた、ごく普通の物件だ。小夜実と暮らしていた部屋はツーディーケーだったので、その違いに興味が沸いてくる。
「……ヒカル様」
「は、はいっ」
まじまじと観察しすぎて反応が遅れた。月森の声に一瞬どきっとする。
荷物持ってくれてありがとう、とお礼を述べられ、袋を提げて台所に向かっていく。洋室の中心にドンと置かれたテーブルと四つの椅子。ていうか事前に俺の名前を張り紙してあるし……。
ダッシュで張り紙をはずしに来た月森にビビりつつ、椅子を引いてくれたのでそこに座る。しげしげと部屋を見渡す。思ったよりも広い。一体これ何帖あるんだ。
想像以上の内装に戸惑う。前言撤回、一人暮らしの割りに金かかってるぞこれ。
気まずさを解消しようと、つい色々と見てしまう。
いつもクールな月森の性格から言って、どことなく殺風景なイメージがあった。だが、レースつきのカーテンは綺麗にまとめられ、本棚やタンスの各所にも細やかな飾りつけがしてあったり、内装のセンスと、女性らしい配慮が伺える。
四十か四十二くらいはある液晶テレビが、重苦しいニュース番組を、あっ……バラエティ番組に変更されてしまった、しかも俺の好きなやつ。エプロンを装備した月森がそのまま台所に戻る。
とにかく、予想を超えて綺麗で驚いてしまった。更にはファンシーなぬいぐるみや、可愛らしい座布団など意外と少女っぽい特徴的なものが設けられている。
いやぁ、月森の部屋って思ったより、
「思ったより、可愛い部屋じゃないか」
「おい。人の声色を真似するな」
早速ジャブを放ってきたか。
急に話しかけてくるフランに半ば愛想を尽かしつつも、こういう性格なんだと心に理解を強いる。
「どうじゃ、中々良い部屋じゃろ? 質素な部屋でも取り組み次第で華やかになるものじゃ」
「まあな」
「わしが色々と仕込んだからのう。さすが貴族の令嬢じゃろ?」
「まあな」
「もっと褒めても良いんじゃぞ?(ちらっちらっ)」
「あーそうかい……」
天井の電気に目をやりながら、なあなあにフランの言葉を聞き流す。
「しかし、このような雰囲気も悪くないもんじゃろ」
「ん……」
フランに奥の方へと視線を促され、台所でてきぱきと鍋の下準備をする月森を眺める。
しなやかな身体つき、手首や足首がとても細い。ピンク色のスリッパが足と一緒に小躍りしているのもオツだ。たまにずり落ちる靴下を押さえる仕草も、グッドモーションではある。
「しかし、このまま座っているのもアレだな。ちょっと手伝ってくるかな」
「……やめておくのじゃ」
中腰の俺をフランが静止した。
「どうしてだ?」
「どうしても何もないじゃろう。ユイはな、今までずっと一人ぼっちだったんじゃぞ」
引いていた椅子の動きを止めてしまう。
「誰とも食事を交わせず、歓楽を味わうことのない生活を続けておった。毎日、一人で食べる料理のどこが美味しいと言うのじゃろうか。一緒にいるわしは残念ながら幽霊……胃に物を通すことができぬ。どうじゃ見てみい、あの表情を」
言われるまま、俺は月森の姿を見つめた。
普段と同じ無表情のはずなのに、包丁で食材をさばく彼女の顔には熱意があった。
月森はずっと一人だったんだ。
だから、こうして自分以外の誰かが見守ってくれること、自分を理解し許容してくれる……そんな人物が近くにいることが、嬉しいんだろう。
「そうだよな。自分の為だけに作る料理より、誰かと一緒に食べる料理を作る方が、楽しいよな」
「そういうことじゃ」
俺は大人しく椅子に座った。こうして眺めていると、月森って女の子は本当に平凡な少女だった。運命ってやつに振り回され、ちょっとだけ付き合い方が上手にならなかっただけ。それだけだ。
俺の心が、少しずつ彼女への好感を持ち始めた。月森に対する、友情とも愛情とも取れない不思議な感覚。どことない親近感。凌真や小夜実と仲良くなった時、同じ気持ちになったかもしれない。
「まあ、余談はさておきとしてじゃの」
余談なのかよ。
「あの後ろ姿に……ムラムラッとせぬか?」
「…………」
まーた始まったよ。美談を交わした後はすぐこれだ。
フランといれば溜息に困らなくて良い。
「ヒカル」
「何だよ」
「ユイを後ろから襲ってこい」
「ぶっっっ!!!!!」
俺はいつの間にか置いてあったお茶を、いつの間にか口に含んで、吹きだした。
口元を袖で拭う。手近にあった布巾でテーブルを清潔にする。
「お前、さっきと言っていることが全然違うぞ! 見守ってやれって言ってたあの時の口はどこに消えたんだよ!」
「それとこれとは話が別じゃ」
月森と違って、どんどんとフランへの評価が疑わしいものになってくる。
普通、男と女が一つ屋根の下とくれば、心配するのが身内の苦労だと思うんだが、こいつは事もあろうか積極的に娘とも言える月森を毒牙にかけさせようとする。
それにここアパートですよ。月森が一度叫んだ時点で、俺は御用だ。近隣住民に取り押さえられ、痴漢、いや強姦か……の容疑で現行犯逮捕。家宅侵入罪とかオマケされて社会の落ちこぼれとして、裏世界でひっそりと幕を閉じるハメになる。
「何じゃい、根性無しじゃのう! あんなに可愛くてエロい女の子が、お主の為に料理を作っとるんじゃぞ! 逮捕の一回や二回がなんじゃ!」
エロいは必要なんですか、そうですか。
「全く、そんな知らず気にせずの修行僧のようでは……………………ハッ、お主まさか」
「何だよ」
肩肘をついてバラエティ番組を眺める。スピーカーから、どっと笑いが飛んできた。この芸人、最近波に乗ってるんだよな~。
「あの、そのじゃな……」
何やら、よそよそしい態度をして、乙女全開の表情で尋ねてくる。
「……ホ〇ですか?」
「ぶうううううううううーーーーーっっっ!!!!!」
お茶がジェットスプレーみたいに霧状に噴射した。
何で敬語なんだよ!
途端に月森がお玉を握って、マッハの勢いでこちらに加速してくる。
「……詳しく話を聞かせるべき、そうするべき」
近い、近すぎです。月森さん目が据わってらっしゃいますよ、怖いです。
俺は誤解を解くために必死で説明した。が、中々受け入れてもらえず、果ては俺と凌真が意味深な男と男の友情を築いていると抗議して揉めた。意味深って何だよ。
小夜実といい、どうしてこうも食いつきがいいのか。
「……またフランの悪戯」
「あ、あぁ……」
あからさまに不機嫌な態度を取る月森は珍しい。暴力団の頭が泣いて逃げだすくらいの気迫で、月森はフランを睨みつけた。
「ヒカル様」
「は、はい! 何でしょう!」
思わず、統率された一兵士のような声がでた。
台所に立てかけてある布の巻かれた聖剣を持ってきた月森が、冷たい口調で喋る。
「ヒカル様にも、フランと付き合っていく上で、大事なことを教える……」
「はぁ……」
俺はちらりとフランを見た。
明らかに動揺してやがる。今にも崩れそうなスマイルで、月森のご機嫌を伺っているようだ。
「や、やめるのじゃユイ! わしは、わしはつい思ったことを口に出しただけで──」
ゴギャン! という鈍い音が部屋に轟いた。
月森が、聖剣を横に倒してフランの頭を叩いたのだ。
「うぎゃああああああああ!! 痛いのじゃあああ! 痛いのじゃあああああ!!」
空中で何回もローリングソバットを放ちながら、床に落ちて転げ回るフラン。その様子は、まるで殺虫剤をかけられた虫のよう。どうやら相当のクリティカルヒットだったらしい。
すっきりした顔の月森が俺に聖剣を渡した。
「……この聖剣は幽霊にも物理攻撃が効くから、こういう害虫を駆除するのにも、役立つ」
「ま、まじですか」
その事実よりも、今は貴女が怖いですとは口が裂けても言えなかった。
「この聖剣はヒカル様が預かってて。今は隣の椅子に立てかけておけば邪魔にならないから」
「分かった。でもいいのか?」
こくりと頷いた月森は、そのまま台所へ戻る。
少しすると、鍋の芳醇な香りが鼻に届いてきた。どうやら下準備が終わったことを伝えるつもりで戻ってきたらしい。
「聖剣を預かったようじゃな」
ひょいとタンコブの生えたフランが現れる。
「……お前、復帰早いな」
「うむ、慣れておるからの! ハッハッハ!」
うわぁ……てことは、普段からずっと……。
俺は月森への同情を禁じえなかった。