表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミルフォードの刻印  作者: モカブレンド
Episode3-夜明けの救世主-
22/26

Episode-4-3

「……お主には、何から何まで世話をかけるのう」


 凌真の亡骸を倉庫の壁に横たわらせる。


「コヨミの魂もかかっていたとはいえ、お主は本当に良かったのか? ユイの身体は聖剣の恩恵を離れて、残すは聖水の効力頼み。じきにそれも消えてしまうじゃろう。あるいは、既にその身が侵され始めているやもしれぬ」


 安らかな凌真の寝顔を焼きつけて、俺は背を向ける。


 俺は聖剣でフランをぶっ叩いた。


 ぷぎゃあ、という異質な泣き声で叫んだ。


「おっ、効いた。本体にぶつけるのは初めてだからなぁ」


「いいぃいぃぃ、痛いのじゃ! 一体何をするのじゃ!」


 俺はふて腐れる少女の前で、ごほんと咳払い。


「お前なぁ、それじゃダメなんだよ。いいか、月森は誰かの無事を願ってる。それは、お前の命だって同じだ。あいつは自分が助かりたいのと同時に、俺にもお前にも同じくらい幸せを与えたいんだ」


「お主……」


 俺は月夜を見上げた。


「だから月森の……唯の為に、俺達はちゃんと生きなきゃいけないんだよ。命を軽視するのは、もう終わりだ。例え短い一生でも、あいつに背を向けちゃダメなんだ」


「お主は……本当に変わったのぅ」


 頭をさするフラン。俺は微笑を浮かべる。


「生きる為なら何度だって変わるさ。これから、もっともっと変わっていくんだ。俺はもう、誰かを守れないなんてのは、嫌だからな」


 変わる……それが俺の中で生まれた、新たな決意。


「さて、そろそろ行くかの……む、どうした?」


 空中に浮くフランが、俺に尋ねてくる。


 俺は息を引き取った親友の手を握っていた。


「……悪い。あと少しだけ、ここに居させてくれ」


 自分の表情がどうなっているのか分からない。ただ、戦いの緊張が抜けた俺の身体に、震えとなって大挙してくる感情の起伏があった。


「……今夜は、月が綺麗じゃからの。場所はフラン・ミルフォードがもっとも関係の近い建物じゃ」


「ああ、さんきゅ……性格の悪い幽霊でも、たまには役に立つんだな。お前のそういうところ、俺は好きだぞっ」


 軽はずみな口調でフランをからかう。


「はっはっは! 言いおるわい! では、先に向かってるからの。ヒ────いや」


 言葉尻を切って、何やらむず痒そうな顔で俯いている。


 フランは何でもないと口にして空に駆けていった。


「凌真……」


 俺はそのまま、晴れやかな素顔の親友を見守っていた。


     ※


 漆黒の闇が全盛の高みに到達しそうなほど、空が塗り潰されていた。日常の最中にあるというのに逸脱した雰囲気が街並みの静けさを冷ややかに宣告する。


 しきりに並ぶ建物の中で、それは異質以外の何者でもなかった。真っ暗な空間の中で、普遍的な輝きを放つように、この時間には似合わない光彩をまとわせている建物があった。


 教会……現代日本では民衆に親しまれる日常的な建築物、のはずだが、今の俺にはそのような意味があるとはとても思えなかった。


 カテドラルのような大聖堂よりも小さいが、縦長に創りあげられた特徴的な教会から、見まごうことのないほどの黒い波動が表面から滲みでている。一般人なら目視できないはず。この刻印と聖剣が危険信号を俺の脳に伝えているからだろう。


 長身でも安心して入れそうな木製の扉が、厳かに客人を待ち受けていた。


 丸い輪っか型の取っ手が対になってあるが、自分は客じゃないので叩く必要はない。警戒して体躯をこわばらせながら、ひっそりと扉に近づいて、押した。


 蝶番が扉の軋みを受けて、ぎぎぎと鈍い音をひったてる。


 想像よりも扉は軽く、背中で押したのが馬鹿らしいくらいに簡単にひらいた。独創的な形をしたシャンデリアの暖光が瞳にふんわりと吸いつく。瞳孔を見開いてしげしげと周囲を散見する。


 正面で目を引くレッドカーペット。付近には横長の椅子が所狭しと並んでいる。最奥で重鎮するような風格を成した祭壇と天井にある薔薇窓のステンドグラス。


 そして、どんなものよりも一番に視線を奪われる存在。


 ──棺おけが、教会の中央に安置されていた。


 俺は教会の中に入り、棺おけに歩み寄る。


 その聖櫃と呼べるまでに不思議な佇まいをしたものは、一人の少女を包み込んでいた。


「小夜実……」


 それは紛れもなく、あの日の夕方……決定的な運命によって穿たれた、俺の義妹の姿だった。


 花が大量に敷かれた棺で眠る少女。さらさらの白粉をまぶしたような肌が血の気を目立たなくしている。その身には純白のウェディングドレス。白い手袋で両腕を組み、ウェディングヴェールが小夜実の鼻筋までを覆い隠していた。


 俺の大事な妹、小夜実。


 悠久の流れが織りなす僅かなひとときを感じた。その瞬間だけは全てを忘れて、ただ小夜実の寝姿を、ずっと────────。




「──────────あ……………………が、はっ……………………」




 遅れてやってくる、鈍い痛みがあった。


 最初は蚊に刺されたくらいの刺激だったはずが、徐々に鈍痛を増していく。


「小夜……実…………?」


 俺は放心した表情で、ゆっくりと視線を降ろした。


「やぁだ、お兄ちゃぁん……もお小夜実のこと過去にしちゃうのぉ?」


 俺の横腹を黒色で彩られた魔剣が貫通していた。俺は一瞬だけ意識が飛んで、重くなった身体を小夜実の肩らへんに預けてしまう。


 顔をあげた小夜実からヴェールがすっと落ちた。


 甘ったるい声が、俺の耳内を濡らすように滑り込んできた。


「どうしたの、お兄ちゃん……眠くなっちゃった? だめだよ、こんなとこで寝ちゃぁ。それとも、小夜実にぃ、抱きつきたかったのかなぁ」


 子供っぽい声の中に大人の雰囲気を内包させている。妹の息が俺の耳から脳髄まで刺激する。


 ふいに小夜実の下唇が耳たぶに触れて、蒸れた部分を掻くようなほんのりした感覚が耳の裏筋を抜けていく。温い熱を帯びた、生を意識させる妹の呼吸が伝わってきた。


 失念という油断に完全支配されていた。


 俺は小夜実を助けにきたのに、この惨状。自分のやるべきことを思いだし、何とかしてこの危機を脱しなければ。


「うっ…………くう……」


 必死にあがいて、少しでも小夜実から離れる。


 身体をよろめかせて後退する俺に、小夜実は怪しく微笑んだ。


「何で、どうして離れて行っちゃうの、お兄ちゃん……? 小夜実、ずっっっとお兄ちゃんを待ってたのに……寂しかったんだよぉ……?」


 垣間見た小夜実の表情はほんとうに儚げで、まるで捨てられた子犬のようだ。しかし、瞳という無垢なるレンズ……その奥に深くゆらめくものは何を捉えているのか。


 痛みを堪えて小夜実に返事をする。


「だ、駄目だっ……俺は、小夜実を守る為に、来たんだ……」


「小夜実を守る……? 何から守るつもりなの?」


 魔剣をひき抜いた胴体からずぶりと音が奏でられた。ぼたぼたとこぼれ落ちる雫。紅い絨毯が、何事もなかったかのように俺の血液を吸った。


 逃げていく俺の姿を映した彼女の目が、ぱちぱちとまつげを動かしている。やがてそれは、手に入らないものを悲しむ心から、手に入らないことを許さないという意志に進化していくようだった。


 圧迫された怒気をはらんだ言葉が、小夜実の口内から静かに吐きだされた。


「やっぱり、お兄ちゃんは小夜実のこと何も分かってくれない。だから、わたしがお兄ちゃんの……いえ、お兄様に────教えてあげるの」


 俺はかろうじて、棺おけから距離をとることができた。傷口を押さえて正面を見た瞬間、棺おけで眠っていた小夜実が、ぶわん……と一人でに浮きあがった。


 妹の身体を七色のオーラがまとっている。独立した魔剣が宙を泳ぎ、滲みでる黒い液体が、少女の全てをかき抱いた。途端、純白の花嫁衣裳が黒い絵の具をぶちまけたように染色されていく。


 衣装の九割が黒で埋め尽くされる。残った一割の白が模様としてデザインされ、その純粋な輝きが完膚なきまでに封殺されていた。左の手袋が消滅し小夜実の薬指に指輪がはめられる。そして、手のひらにある刻印が怪しく輝いていた。


「ぐっ……これが、今の、小夜実の姿…………!?」


 魔剣が主の右手に帰還を果たし、あてがわれる。栗色の髪が波動にあおられて揺れ、現人神が降り立つようないでたちでゆっくりと地面に足をつけた。妖美な表情にはめ込まれた瞳から、敵を屠るまでの圧倒的な威圧感をぎらつかせる。


 美しき原罪者が、果実のような艶っぽい唇から言葉を発した。


「……ふふ、そうですよお兄様。わたしは生まれ変わったの。そして今宵、わたしはお兄様と結ばれる。お兄様の精神を傀儡に染めて、その肉体と一つに繋がる……」


 頬を上気させた小夜実は、かつかつと足音を立てる。


 俺は横腹を押さえつつ様子をうかがった。とにかく時間を稼げれば聖剣が傷を癒してくれる。安全マージンさえ取ってしまえば。


「お兄様……時間を稼ごうとしてますよね。どうして、わたしから離れようとするんですか? わたしはお兄様の大切な妹なのに……」


 今の義妹は魔剣に翻弄されているだけで、自分の本心を見失っている。


 とりあえず時間、時間を……。


 俺は距離をあけようと身体を動かした。そのとき、左手から激痛が走った。


「があああああああああああっ!!」


 声を荒げて痛みに抗った。そろりと目を開けてみれば、そこに指輪がはめられていることに気づかされる。俺は強引に指輪を取ろうとしたが、同じ激痛が全身を巡った。


「だ~め、ですよぉ……わたしとお兄様の愛の証明なのに、どうして取っちゃうんですかぁ。そんなことをしたら天罰が下っちゃうんですよ……」


「ぐ、小夜実……」


 俺へのおしおきとばかりに、可愛げに頬を膨らませている。だが、そのあどけなさは泡沫と消えてすぐに淫靡な物腰へと落ち着かせてしまう。ここにいるのは俺の知っている小動物っぽい女の子ではない。闇に魅了され獲物を刈り取る悪の花嫁だった。


「小夜実……ぐ、うあぁぁっ……!」


 右手の腕力で聖剣を斬りあげる。


 しかし、その行為が返って事態を切迫させることになってしまった。小夜実は俺の攻撃よりも早く魔剣で右手首を切った。血の噴水があがり悶えるが、すぐに魔剣による傷口の修復をされて痛覚の刺激だけが残る。


 俺は聖剣を持ちきれずに、床に落としてしまった。


「……ごめんなさいお兄様。でも、お兄様が悪いんですよ。お兄様がわたしを可愛がってくれないから、こんなことになっちゃうんです」


 聖剣を手放したことで、その恩恵が消えた。回復しない痛みを抱えた身体は、足払いを受けて絨毯の上に倒れてしまった。仰向けの身体に小夜実の影が浮かぶ。


「……ああ、そうでしたね、ごめんなさい。お兄様はわたしの太ももが大好きなんですものね。思慮の浅はかな妹をお許しください。今、支度を整えますので……」


 品のある会釈をしてから、小夜実は丈の長いウェディングドレスを斬った。黒い衣装が剥がれ落ちミルク色のしなやかな太ももから足元までがあらわになる。そんな場合じゃないというのに、少女の色香に惑わされた脳が、演劇の幕から現れた白い肉肌を凝視してしまう。


 その様子に感銘を受けたような小夜実の美声。


「あぁぁぁぁ……素晴らしいですお兄様ぁ……今のわたしを見つめるお兄様の表情……とてもいやらしくて、背筋にぞくぞくきてしまいます……」


 恍惚に身を委ねている黒き花嫁が、指を舐めるような仕草で口元を隠した。


 小夜実はとろんとした目をした後に一旦、良き記憶を心のアルバムに閉じ込めたのか、今度は帰りの遅い旦那を責めるような態度で見下してきた。


「小夜実、俺はお前を、助け…………がはあああっ!!」


 喋り終えるのを待たず、花嫁用の彩り美しくあしらわれたハイヒール、その靴底で押さえていた俺の腕ごと傷口を踏んづけてくる。手の甲が、ぐりぐりと細長いかかとに押し潰された。


「ねぇ……お兄様。わたしのことを放っておいて、何をしていたの?」


「ぐ、それは……っ!」


 俺が言い訳をするたびに、手の甲に痛みをともなった回転がかかる。俺のあえぐ声が、小夜実にはオーケストラの生演奏のように響いているのだろうか。表情が和らいでいる。だがそれも、闇のヴェールで覆われた感情の一角にすぎない。


「ふぅん……教えてくれないんだ。別に言わなくてもいいけどね、魔剣で与えた傷口から毒素が血中を巡って、お兄様の脳から記憶を抽出してくれるの。『影』の記憶もそうだよ、全てがわたしの記憶の糧として吸収される……だから、わたしはお兄様の全てを知っているの」


 ふふふ、と微笑んだ小夜実は俺への責め苦を続ける。


「そっか……お兄様、あの月森って子に助けてもらったんだ。それで一緒に約束してたスーパーにも行って、わたしとお兄様の愛の住処にも寄らずに、誘われてほいほいと女の部屋にあがったんだ……で、手料理をつくってもらってぇ、背中流してもらってぇ……一緒に寝たりもしたんだ?」


 俺は「やめてくれ……」と呟いたが、その要求は無視され踏みにじられる。手の甲から血が流れてもなお、行為は収まらない。


「お兄様がその時、どんな気持ちだったか分かるんですよ。お兄様は、心の中ですっごい喜んでた」


「がはっ!」


 強い蹴りが与えられ、俺は痛みから手の甲を庇った。


「しかもあの子の家にいたとき、ほとんどわたしのことを忘れてましたよね。……へぇ、襲ってみたくなるくらい可愛かったんだ……守りがいがあって、けなげで、抱きしめてみたくて、唇もすごく柔らかくて……本当は、こんな可愛い子と付き合ってみたいって、思ってたんだっ!!!」


「うぐああああああああああああああっ!!」


 無防備になった傷口に、発狂寸前の激しい鉄槌が下される。俺の血肉にヒールの先端が埋まって、引き抜かれた。ヒールから血液が垂れてくる。


「お兄様はわたしのモノなんですよ? 汚らしい貧民街の娼婦みたいな女にそそのかされて……でもわたしも悪いんですよね、お兄様も年頃の男性ですから。お兄様は優しくてかっこいいから、すぐに悪い虫に目をつけられる……本当は手の届く範囲にずっと置いておかないといけないんです」


 激痛に身悶える俺の眼前で、冷酷な刃がすっと伸びる。魔剣が俺の傷口を塞いでいた。悪夢のような苦闘が過ぎ去り、それでもズキズキと後引く痛みをこらえる。


 小夜実が空に手を統べると、床に落ちていた聖剣が浮きあがった。妹の背中を遊泳するように移動している。


「ふふ……お兄様、返して欲しいですか?」


「……はぁ…………っはぁ…………」


 口も開けずに目だけで訴える。


「いいですよ。お兄様も、おもちゃくらい欲しいですものね。あまりわがままをいうと、お兄様に嫌われてしまいますから……」


 そう言って小夜実は、自分の太ももに魔剣の切っ先で一筋の傷をつけた。もちもちとした肌から、ぷつりと肉の割れる音がして紅い雫が垂れる。まるでグラスから零れた赤ワインのようだ。


 小夜実は裂かれたドレスの裾を両手で持ちあげた。ぎりぎり太ももの付け根が見えるか見えないかのきわどいラインまで押し広げられ、僅かに純白のままの下着が見え隠れする。


「さぁ、お兄様……わたしの血をお兄様の清き舌先ですくいとってください。わたしの心は寂しさと妬ましさの海に深く沈んでいます……貴方の愛しき唇で、全部、飲み干してくださいっ……それとも、お兄様はわたしのことが嫌いですか……?」


「…………」


 毒素が脳にまわってきたのだろうか。次第に混濁する意識で小夜実を見上げる。


 俺は小夜実の口にした言葉の余韻から、どことない妹の本音を感じ取ってしまう。俺は上体を起こして、待ちわびるかのように屹立している『女性』の太ももに、そっと唇を這わせた。


 ぴちゃ、ぴちゃ……。


 俺は舌先で膝まで零れた血を舐めすくっていく。


 触れた舌先の体温に驚いたのか、びくっと肩をこわばらせて彼女はまつげを伏せた。


「んっ…………んん……んんふぁっ…………」


 悟られたくないのか、押し殺すような声色で下唇を噛んでいる。


 ちゅ、ん、ぴちゃ、ちゅぴっ……。


 舌先が傷の入り口に到達する。滲む血を唇で吸う。


「んんんんっ……! ん、ふぁぁぁぁ…………」


 堪えきれない声が、彼女の口の隙間から聞こえてくる。俺はそのまま血を吸い続ける。


「うんっ……小夜実……」


「お、お兄様ぁぁぁ……わたしどうしてなのか、はぁ……傷口が妙にィ、じんじんンッします……」


 ちゅっ、くちゅる、くちゅり……。


 キスの雨あられのような動作で、俺は唇を数回に分けて傷口に押しつけた。


「あぁぁ~~……ッ! んふぁぁぁ、だめ、ですおにいさ、ふぁ……ぃやぁ、だめだめだめぇ……」


 イヤなのかダメなのか、どちらにしても抵抗する気配はなく、ただ傷口への治療行為に神経を集中していた。舌先が傷口の血を舐めるたびに彼女は、だめと連呼する。


「あぁっ……お兄様、それはァッ…………!」


 舐めても舐めても溢れてくるので、俺は舌の表面を使って上下に動かした。粘膜から分泌された唾液が血とのハーモニーを奏でる。


「ふああああっ……! お兄様あっ、お兄様お兄様ぁおにいさまぁぁっ……!!」


 毒素に脳内が侵されてしまったのか、俺は歯止めがきかなくなって、夢中で彼女の傷口にしゃぶりついた。吸って舐めてを激しく繰り返す内に、彼女も声を押しとどめることができなくなって、肉体を昂ぶらせていた。俺の唾液が、彼女の内股を濡らしている。


 痛みの涙か、歓喜の涙か。彼女の目尻には粒となった涙が溜まって、身体を動かすたびに流れ星のように一滴、一滴と零れていた。口元からだらしなく垂らされたよだれが、顎から俺の髪の毛に落ちていた。早朝の青葉に溜まる水滴のようだ。


 力強く唇をあてがうと、軋んだ板のように彼女の身体が震える。思いっきり吸いあげると、今度はクルミのように豪快に爆ぜた。いつしか彼女はドレスをずり降ろして、肩を露出させていた。やや下からでも分かる彼女の胸を描く果実曲線。そして、つるんとした肩の丸み。


 最初は嬉しげに綻ばせていた頬も、うるしでかぶれたように真っ赤だった。眉は山の頂を築き、眉間のしわと押し寄せる荒波に抵抗する目つき。


 生理現象みたいな感覚に襲われているのか、ドレスの裾を掴んでいた手は既にそこにはなかった。代わりに俺の頭を両手で押さえ、倒れないように震えながらじっと我慢しているだけだった。


 舌のざらついた部分で擦りつけ、唇で吸う行為を小分けにして続ける。


 断続的に行われる波の緩急に、彼女はもう、もう……とうわ言のように繰り返していた。


 意識がまどろんでいた。


 自分が何をやっているのか、そもそもの方向感覚さえ消え失せて、彼女の叫ぶ声がフェードアウトしていく。俺は手探りで記憶の糸を辿り目的を思い返す。だが、ぱっと浮かんだ写真絵に近いものがしゃぼん玉が割れる風に消えていった。


 俺は何故か泣いていた。


 ごめん、小夜実、凌真、フラン────。


 ──────────唯。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ