Episode-4-2
誰の目にもとまらない地で、剣戟だけが響きつづけた。
時間の過ぎたことが、ロープの炎が半分ほど進行したことからうかがえる。
「余所見をしている場合かいっ!?」
「くっ……!」
横へなぎ払われた魔剣の一撃が、俺の右腕をかすめる。少し後退して体勢を整えた。
額に汗がじんわりと浮かぶ。程度の知れた影とは違って、拮抗した力量の持ち主相手では油断が即死につながる。腰を据えて緊張感を持つ。相手の出方を慎重に見定める。このような事態に陥れば、武道武芸の基本になる残心の心得が重要になってくる。
だが、それは同時にタイムリミットへの序曲を指し示す意味がある。慎重になればなるほど、焦りが生まれる。だが簡単に飲んではやれない。相手はその隙を狙っているんだ。
自分の存在すら忘却しそうなほどの硬直がつづいた頃。
聖剣という竹刀とは違った道具を扱っているのにも関わらず、俺と凌真の動き方が竹刀のそれに近くなってきていた。コンパスで描いたような円周上を一定の距離間隔で動く。剣を構え相手の要所を狙っていく。
剣の重量はほぼないので、それが枷になることはない。緊張感を取り巻くこの環境が『死合い』だということも忘れそうなくらい、俺と凌真はお互いに剣の道を望んでいた。
それが、二人の勝負にとって正しいことであるかのように。
「フフフフッ。その荷物、降ろした方がいいんじゃないかい?」
凌真は一切の視線も落とさずに、口だけでポシェットに注意を促そうとする。
「ははっ……確かにそれは軽くなりそうだな。だが、余分なものまで降ろされるのは勘弁でね」
冷静さを忘れることなく、俺は相手の剣の動き、目の動き、そして全身の動き、その全てを意識が散漫することなく監視しつづける。隙があれば大事なものは全て持っていかれてしまう。
前触れもなく唐突に凌真が語りはじめた。
「懐かしいものだね、こういう戦いも」
「俺とお前が勝負したのは、昨日の夕方のはずだけどな」
じりじりと間を詰めながらチャンスを探る。
「フフフッ、だろうね。君は恐らく覚えていまい。あの頃の君は、今の僕なんかよりも正真正銘の獣だった。他の追随を許さない圧倒的な存在感を放っていたよ」
「あの頃……?」
俺は見に覚えがない内容に、僅かながら眉をひそませる。その瞬間、魔剣が鋭いはずみをつけて接近する。予想外ではない、ある程度の事前対処により辛くもこれを弾いて退けた。
「……そう。高校に入ってからの君は僕との勝負以外で真剣に練習をしていなかった。いや、決して手を抜いていたという意味ではないけどね。それでも中学校の県大会で君と当たった時の、あの覇気に比べれば微々たるものさ」
「中学時代の俺と試合をしたのか……」
俺にとって、中学での三年間はあまり良い記憶がない。学校生活のほとんどを剣道部に信奉してきたからだ。それ以外の部分では成績も不十分、場合によっては部活に来る為だけに登校したこともあった。無論、怒られはしたが、そんな生活をやめる気にもならなかった。
俺の父親も、きっとそれを止める気力が残っていなかったんだと思う。
中学二年生で個人の全国大会進出、三年では県大会の準決勝で敗れた。成績は部の中でも極めて優秀だったが、俺は主将にはなれなかった。
「……君は三年の県大会の準決勝戦、誰と当たったか覚えているかい?」
「そうか、お前が俺の対戦相手だったのか……」
凌真が相槌を打ったところで、隙ありと判断して間合いを詰める。
が、失敗。
「あいにくと僕は敗色濃厚だった。それまでの試合を観戦していて、反対側のブロックから進んできた相手になら相性でいけるかも、と思っていたが……君には勝てる自信がなかった」
「…………」
「あのとき、僕は面の隙間から映る君の瞳に戦慄した。他人を卑下するでもない……ただ純粋な冷徹さ、いや、自分自身への侮蔑といった感じか。近づいた人間を自分と同じ不幸に落とさせるような、憎しみの塊のような眼光だった」
静寂に抗う潮騒が際立つ。
「だが、僕は奇跡的にも勝った……君は自分が何をしたか記憶はあるかい」
「……竹刀を捨てて退場した。試合放棄したんだ」
頭部に被さるような上段からの攻め。弾いて突っ返す。
そうだ。俺は試合放棄したんだ。その理由は俺にとって当然といえば当然の出来事。
「……お前の弟と家族が応援に来ていたからな」
街灯の先端で熱を尖らせる炎が──風で陽炎のごとく揺らめいている音を感じる。
凌真は内情を込めたような複雑な顔つきで、俺を睨んだ。
「そうだ。そして僕は決勝で対戦者を制し優勝した。全国では一回戦敗退ではあったけどね。幸か不幸か、そのおかげで僕は家族に幸せを運ぶことができた。しかし僕は、目に焼きついた霜月ヒカルの後ろ姿を忘れることができなかった」
「……そうか」
感傷に浸る間もなく会話はつづく。
「僕は剣道部を卒業し当初予定していた高校へ入学した。もう忘れかけていた頃、学校の教室で君と出会い、そして剣道部に入部した。これは紛れもなく君と僕との運命だと、そう感じたよ」
「凌真……」
俺は構える聖剣をぶらつかせることなく、真っ直ぐに凌真と対峙する。
凌真は自分の語りに満足したのか、話が終わった頃には最初のようなぎすぎすとした雰囲気がなくなっていた。それどころか伝わってくる、友の気配。
俺の親友……佐伯凌真の鼓動を感じた。
街灯で燃える炎は、ゆっくりとフランの魂を飲み込もうとしていた。
もう魂が消滅するまで時間がない。
「フフッ、分かっているさ。決着をつけるつもりなんだろう?」
俺は無言の圧力をかける。
「時間稼ぎ、と行きたいところだが、君の気迫がそうさせてくれそうにないね。そろそろ、終局だ。これで答えが決まる。君と僕の結────」
「だああああっ!!」
俺は凌真の言葉をさえぎって全力で攻めの一打へと転身した。だが読まれていたらしい。俺の剣先を紙一重で回避した凌真が必殺の距離へと潜り込んでくる。
「甘いよ…………何っ!?」
唯のポシェットについている紐に剣を引っ掛けて寸断。俺は咄嗟にかばんを蹴りあげていた。恐らく、凌真の視界を埋め尽くしているだろう。
と、予測したのだが。
凌真は動じることなく屈んで斬りあげるような態勢になった。
「ハハッ、やっぱり勝利の女神は君に微笑まなかったようだねっ! 君の女神は、死んでしまったのだから!」
「いや、そうでもないさ……!」
空中でポシェットの中身が散開する。紐を切ったのはあくまでもカモフラージュ。俺の本当の狙いはチャックを破壊することにあった。その中から飛びだしてきたのは、唯に渡すはずだった彼女の私服だ。避けきれなかった凌真の全てを服が覆い尽くしていた。
「ヒッ、ヒカルうううアアアァァァッ!!」
「終わりだ、凌真っ……!」
──勝負は決していた。
裂かれたポシェットが転がって海へ向かう。凌真の上半身に張りついた唯の服が、風に乗って既に地平線に消えた大型客船を追いかけていった。
聖剣が穢れなき血を吸って、すっと伸びている。
俺は凌真の胴体を刺し貫いていた。
「がっ……はっ…………」
声を枯らして、凌真は膝からがくがくと震える。そして、その場へと仰向けに倒れて、地面に真紅の波紋を投じた。からりと、魔剣が凌真の手から離れて落ちていった……。
「凌真……!」
俺はすぐに膝を折って、凌真に語りかける。
「くっ、はははっ……完敗だよ」
虚ろな瞳で、それでも精一杯の自分らしさを込めて凌真は笑っていた。
「……お前、手加減したのか?」
俺は感じていた。戦いの最中、徐々に凌真の気迫が薄まっていることに。炎の砂時計が満ちるたびに、凌真の全身から生気が失われていた事実に。
「……君ではあるまいし、そんなことをするわけが……ないだろう」
喉から血が込みあげているんだろうか。凌真は思ったように喋れていない。
「やっぱりお前は、魔剣の……いや、ミルフォード家の血筋じゃなかったんだな」
俺は横たわる凌真の手を広げて確認する。
手のひらに、刻印は存在していなかった。
「気づいて、いたのか……はは、それは迂闊だった……。そうだ、僕はその刻印とやらに一切の関係がない、ただの一般人さ。ただ魔剣を預けられて、魂を消費させられていただけ……。きっと君に倒されなければ、僕の魂は消滅していただろうね……」
苦しげな呼吸を繰り返す凌真。
「僕には余力が残されてなかった。夕方に君を襲ったとき……あれは倒さなかったんじゃなくて倒せなかったのさ……あの段階で君と戦えば、垣根なしの真剣勝負はきっと、できなかった、からね」
「…………」
「君は最初から、僕が嘘をついていたのを知っていたのか……? 僕が影を仕向けなかったこと、小夜実君の魂を使わなかったこと……」
「……確証なかったけどな」
俺は砕けた表情でささやいた。
「確証が、なかった……? それじゃあ、もし僕が本当に影を操っていたら、どうするつもりだったんだ……?」
「あ、やっぱりそれ嘘だったのか」
「は…………?」
凌真は死に体であることも忘れそうなほど、俺を凝視した。
「いやぁ、最初に左手を掲げてくれたのはラッキーだったな。暗いから見えないと思ってたか?」
ぎこちない表情をしたまま、凌真が俺を問いつめる。
「そうか……やはり、見えていたのか」
「いや、全く見えなかった」
「…………おい」
魔剣に操られていた時よりも怒りをあらわにして、凌真は憤怒する。
「バレているかもしれないって、お前自身が考えていなきゃ、この作戦は成功しなかったんだ。だから、この勝負はお前のおかげで勝てたも同然なんだぞ?」
「…………何故だ。どうして……信じられた。お前には後がなかったんだぞ……」
「どうしてって、お前それはさ……」
二人で精彩に富んだ星の海を眺める。
俺は言った。
「お前、嘘をつけるタイプじゃないんだよ。生真面目で実直でさ融通がきかないところもあるのに、意外と頼りになる部分もある。佐伯凌真ってのは、そういう奴なんだよ」
「それが理由、か……」
夜空を見上げるのをやめて、横たわる親友が息を吐いた。
凌真は目を見張る驚き方をした後、やがて納得したような微笑みへと表情をゆだねる。
「ははははっ……全く恐れ入るよ。ライバルに言われた敗因が『嘘が苦手』とはね……」
「生憎と嘘をつくのは俺の方が上手なんだよ。それに、こっちの師匠は冗談のプロだからな」
「ふっ……そうか、それはいい師匠に恵まれたな……さて、その師匠とやらも、勝利者に解放してやらなければな」
俺が上方を仰ぐと、街灯がゆっくりと消滅し炎が沈下していった。
そして、黒い波動から解き放たれたフランが、元の姿を取り戻していく。
「フラン……」
「……世話を、かけたようじゃの」
小柄な身体と黄金の髪、いつものまっさらなドレス姿で下降してくる。
凌真がフランを見つめる。そして、すぐに視線を逸らした。
「どうだ、貫禄のある師匠だろ? 俺はこいつにずっと鍛えられてきたんだよ」
「なるほどな…………もう君は、僕の手が届く範囲にはいないということか……」
ごふっ、と凌真は吐血した。
「ヒカル……残念ながら、君との再戦は無理そうだ。現世での、話だがな……」
「…………」
「しかし、次は簡単に負けないよ……何せ、今度は時間たっぷりあるからね……君が何度挑んできても負けないように鍛えておくつもりだ」
「あぁ……分かった。楽しみにしておく」
「君との高校生活、短いが充実していた。それと、小夜実君を救ってやってくれ……あのとき、教室で説得してみたのだけどね……僕では、どうすることもできなかった……恐らく、『兄としての君』でなければ、彼女は救えないだろう……」
「小夜実……か」
凌真は寝苦しそうに首を動かして息をもらす。
「親と弟にもよろしく言っておいてくれ……では、そろそろおいとまさせてもらうよ……」
「凌真……俺とお前は、親友だからな」
「分かっている……さらばだ、僕の、親友……そして、永遠のライバル…………」
──凌真の首が力なく傾いた。
それと同時に、近くに落ちていた魔剣が主を求めて消えていった。
きっと、その先には……俺が解決しなきゃならない問題が残っている。
けど、とりあえず今は。
俺は暗闇に浮かぶ星空を眺めて、強く凌真の冥福を祈る。
潮の音が、とても耳に心地よかった。